Postcolonialism
これもサラーと、しかも、途中すっ飛ばしながら読んだ。
まあ、なんだな、支配ー被支配 抑圧ー被抑圧、主体ー客体 それからの解放(emancipation)権限奪取(empowerment)といった、マルクス主義と異曲同工の図式っていったら怒られちゃうかな?
ネットをみると、
post colonialism魚拓などうまくまとめている、と思うし、
Postcolonialism
POSTCOLONIALISM TODAYなどもいいね。
ま、おれは、何か読むとき、左系だの右系だのと意識して読むことはない。広松渉が左系か、と言われてもそう言われてみればそうかいな、といった程度で、思考の筋を追っていくのに左も右もあまり関係ない。自分の存在やその問題意識に密着した丹念な思考というのは右でも左でも感動するものだ。
このポストコロ何とかちゅうのも、なんていうか、巧みな支配の方法を暴露していくのは面白いところがある。
要するに、帝国の側は、自分のみたいエキゾチックなものを現地の実態などおかいなしに、一緒くたに描写し始める。
その背景には、現地の文化、劣等であり、子供じみており、女々しく、自分で自分の面倒をみることもできない文化だという前提があった。
こうした前提は、日本がかつて、朝鮮・台湾の侵略につかった口実の一部であっただろうけれど、現在も違った形で欧米のメディアや有道くんたちのグループの日本をみる眼差しのなかに感じ取れるものではないだろうか?
そういった意味で、他の諸文化をみる眼差しにおいて自己反省材料となるとともに、一部欧米人の眼差しに対する批判としても、十分使えると思う。
また、
植民地化され支配された黒人たちはすでに以前の黒人ではなく、白人であることを望むような、内側から変身させられてしまった主体となっているーーなんてのは、西洋かぶれした若いお兄ちゃんお姉ちゃんの似姿ではないであろうか? 攘夷を叫び、こうした支配者側のディスクールーーーちょっと洒落てみたーーーも学習しないでオナニズムに走るおにいちゃんおねえちゃんもなんだが・・・・なんて偉そうなこといったりして・・・・m(_ _)m
考えていけば面白い問題が満載だが、なんせ著者もいうようにこの手のポストなんたらりんというのは矛盾を含んだ多視点からのバラバラなモンタージュみたいなもので、既成の世界観に対するショックバリューはあるが、それにとどまってしまっている感も否めない。
ま、ぱらっと読んだだけなので、あしからず。
me・tem・psy・cho・sis(魂の)輪廻(りんね)(転生)
これもサラーと、しかも、途中すっ飛ばしながら読んだ。
まあ、なんだな、支配ー被支配 抑圧ー被抑圧、主体ー客体 それからの解放(emancipation)権限奪取(empowerment)といった、マルクス主義と異曲同工の図式っていったら怒られちゃうかな?
ネットをみると、
post colonialism魚拓などうまくまとめている、と思うし、
Postcolonialism
POSTCOLONIALISM TODAYなどもいいね。
ま、おれは、何か読むとき、左系だの右系だのと意識して読むことはない。広松渉が左系か、と言われてもそう言われてみればそうかいな、といった程度で、思考の筋を追っていくのに左も右もあまり関係ない。自分の存在やその問題意識に密着した丹念な思考というのは右でも左でも感動するものだ。
このポストコロ何とかちゅうのも、なんていうか、巧みな支配の方法を暴露していくのは面白いところがある。
page 141
False translation has, for the most part, been considered under the framework of Oriental-ism, where it involves a representation of another culture without reference to the original,as, for example , in stereotyping, where the writer or artist even sometime goes to the length of creating the image of what the colonizer expected to find---such as the fantasy of the colonial harem
要するに、帝国の側は、自分のみたいエキゾチックなものを現地の実態などおかいなしに、一緒くたに描写し始める。
page 2
Colonial and imperial rule was legitimated by anthropological theories which increasingly portrayed the people of the colonized world as inferior, childlike ,of feminine, incapable of looking after themselves and requiring the paternal rule of the west for their own interest
その背景には、現地の文化、劣等であり、子供じみており、女々しく、自分で自分の面倒をみることもできない文化だという前提があった。
こうした前提は、日本がかつて、朝鮮・台湾の侵略につかった口実の一部であっただろうけれど、現在も違った形で欧米のメディアや有道くんたちのグループの日本をみる眼差しのなかに感じ取れるものではないだろうか?
そういった意味で、他の諸文化をみる眼差しにおいて自己反省材料となるとともに、一部欧米人の眼差しに対する批判としても、十分使えると思う。
また、
page144
....black man and woman have already been translation not only as colonial subject in the regime of French imperialism, but also internally, pshychologically;their desire have been changed into another form, carried across into the desire for the whiteness through a kind of metempsychosis.
植民地化され支配された黒人たちはすでに以前の黒人ではなく、白人であることを望むような、内側から変身させられてしまった主体となっているーーなんてのは、西洋かぶれした若いお兄ちゃんお姉ちゃんの似姿ではないであろうか? 攘夷を叫び、こうした支配者側のディスクールーーーちょっと洒落てみたーーーも学習しないでオナニズムに走るおにいちゃんおねえちゃんもなんだが・・・・なんて偉そうなこといったりして・・・・m(_ _)m
考えていけば面白い問題が満載だが、なんせ著者もいうようにこの手のポストなんたらりんというのは矛盾を含んだ多視点からのバラバラなモンタージュみたいなもので、既成の世界観に対するショックバリューはあるが、それにとどまってしまっている感も否めない。
ま、ぱらっと読んだだけなので、あしからず。
me・tem・psy・cho・sis(魂の)輪廻(りんね)(転生)