大牟田市のホームページで地図ナビを見ていると、いかにも繁華街を思わせる地名がありました。思い立って歩いてみることにしました。
駅前のビルにある観光案内所です。ここで観光案内図を手に入れます。
大牟田市は明治以降、炭鉱の町として栄えます。しかし石炭産業の斜陽化とともに町も衰退していきました。いまから20年前には三池炭鉱が閉山します。昭和34年には人口が21万近くありましたが徐々に減少していき、今では12万人たらずです。それでも60年近くで半減ですから、他の炭鉱都市と比べて頑張っています。炭鉱に関連する他の化学産業が立地していたからでしょう。
駅前の大通りです。大牟田市は産業都市で、ベッドタウンとして発展した町ではないので都市の骨格がしっかりしています。大牟田市は長い間、財政赤字に苦しんでいました。しかし課題だった最盛期の職員数や公共施設などを適正規模にする取り組みなどで、今は少し持ち直しているようです
嬉しいニュースは、炭鉱関連の産業遺構が世界文化遺産に指定されたことです。でも、この日の目的は炭鉱施設ではなく、街歩きです。
大牟田市役所です。1936年(昭和11年)竣工。国の登録有形文化財になっています。今年は市制施行百周年を迎えました。
市役所を少し北へ歩き、踏切を渡って繁華街に向かいます。踏切から駅を見たところです。左手がJR大牟田駅、右手が西鉄電車の大牟田駅で、連絡橋があります。二つの鉄道会社の駅が隣接する珍しい駅です。
大牟田は西鉄天神大牟田線の終着駅です。福岡からは特急で1時間ちょっと、久留米からは30分の距離です。ちなみに西鉄電車は特急料金が要りません。
昔の名残でしょうか、同じ敷地にお寺と神社が同居していました。大牟田には祇園祭の流れをくむ大蛇山という伝統的な夏祭りがありますが、この神社からも勇壮な山車が出るそうです。
繁華街に来ました。一見すると普通の住宅街のようです。ここの名前は祇園街。歩いて行くと飲食店が目につきます。
この通りは西銀座街。閉店し仕舞屋になった建物が多いですが、まだ営業しているらしい店もあります。
こういう路地もあります。昔の賑わいの名残りがあります。
ここは確か有楽町通り。左手前はキャバレーだった建物です。全体的にビルは少なく木造家屋が多いように見受けました。すぐ近くには以前、三井三池製作所などの関連企業があり、サラリーマンで大いに賑わった繁華街だったのでしょう。歩いたのは昼なので、夜はまだ石炭産業が盛んだった頃の活気が残っているのかも知れません。
近くの商店街に来ました。立派なアーケード街です。ここは銀座通り商店街です。東京の銀座の地名にあやかった銀座商店街は全国各地にあります。シャッターが下りた店が多いのですが、商店街としてはまだ健在です。他人事ながら何だか嬉しくなります。
商店街の中に神社がありました。というよりも、神社の前にアーケード街が出来ました。ここからも夏祭には大蛇山の山車が出るようです。
銀座通り商店街の裏手に来ました。小学生の頃、私はいつも真っ直ぐ家に帰ることはなく、裏町を歩いたり、好奇心から当時盛んだったダンスホール、煎餅工場を窓から覗いたりして寄り道していました。
だから、こういう古びた建物を見ると懐かしさを覚えます。すぐ横を流れる川を渡ると浅草街があります。
大牟田の中心商業地である新栄町に行くことにしました。先ほどの繁華街や商店街のすぐ近くです。
その前に、国道の東にある商業施設へ寄り道をしました。国道を渡ろうとすると鉄道敷があります。この線路は旅客用ではなく、三井三池鉄道で現役です。この鉄道は以前は三池炭鉱専用鉄道につながっていたようです。昔はよく国鉄駅に隣接して工場が立地し、そこに引き込み線が敷かれていましたね。
鉄道の信号所だと思います。
近くの三井関連工場です。この工場の傍には国道に面して三井三池製作所がありました。大牟田市に入ると、その威容に改めて大牟田は三井の企業城下町だと思ったものです。いま製作所の跡地は大型商業施設になっています。ここから少し行くと市の中央部に化学コンビナートがあります。
戻ってきて新栄町に来ました。上に水管橋のようなものが通ってます。左の絵はよくある壁の落書きのように見えますが、それにしては立派です。時計は壊れているようです。
新栄町には西鉄電車の特急が止まる駅があります。市内最大の商店街ですが、ご多分にもれずシャッター通りになっていました。
空き地が目立って、アーケードが少し痛々しい感じです。
すぐ傍に特急駅があるのでマンションも建設されています。他の町と同じように活性化策として公共施設も立地しています。懸案の再開発計画は長いあいだ頓挫したままでしたが、先だって一歩前進したとの記事を読みました。中心市街地の衰退はどこの地方都市でも悩みの種ですので、エールを送りたいですね。昼も過ぎたので、どこかで食事をして帰ることにしました。
JR大牟田駅です。でも向こうに見える緑の列車はJRではなく、西鉄の特急電車です。西鉄の改札に行くためには連絡橋を渡ります。
西鉄電車の改札口に来ました。右手はJR大牟田駅の西口改札です。大牟田市までは電車で30分と近いのですが、特に用事がなければめったに来ることはありません。街中を歩いたのも、高校生の時に野球の応援に来て以来です。
この次は、世界文化遺産の炭鉱関連遺構を見に来たいと思っています。
商店街の疲弊はどこも同じですね。
北九州はまだ元気な方ではないでしょうか。
この日は社会科の勉強でした。
<臥龍梅見学>、街を見る時間がありませんでした
今日は九州様の記事で町の雰囲気がよくわかります
かなりさびれてきていますね
どこの町も元気がありません
北九州も昔の元気な姿はありませんよ・・・
大牟田は炭鉱以外にも産業基盤があったので、
持ちこたえていると思います。
かつての20万都市として、動物園や球場などの文化スポーツ施設もあります。
中心市街地の衰退は、どこの地方都市も同じですね。
人口半減は 壊滅的な事態だったのでしょうが しっかり 頑張っている様子が分ります。
地方都市、いずこも同じような シャッター通りが目に付きますが 地方出身者として さびしさ ひとしおです。
九州様の 九州各地のレポート、写真、毎度 楽しみにして 拝見させていただいております。