田園都市の風景から

筑後地方を中心とした情報や、昭和時代の生活の記憶、その時々に思うことなどを綴っていきます。

学校帰りに道草を食う

2016年07月30日 | 日々の出来事

  いま小学校は夏休みですが、学童保育のお世話をしていると子ども達のことが気になります。

 学期中、子ども達は放課後には寄り道をせず、真っ直ぐ帰宅しています。終業の時刻は分かっていますから、時間になっても子供が帰ってこないと親は心配します。習い事の予定が入っている子もいますし、最近は子どもをめぐる事件事故が多いのです。

 私が小学生の時は直ぐには家に帰らず、途中で寄り道をすることが多かったですね。まず学校の門を出ると、子ども相手に商売をする小父さんがいました。日によって人が違うのですが、子ども騙しのような玩具を道路に並べて売っていました。

 自宅に帰る道すがらには何人もの同級生が住んでいるので、彼らとよく遊んでいました。昔は町中でも空き地や原っぱがあったので、場所には事欠きません。道路も遊び場でした。ある時は遊びに夢中で遅くなり、友達の家で晩飯をご馳走になりました。さすがに家に帰りついたら母親に猛烈に叱られ、玄関から閉め出されました。まだ電話が普及していなかった時代です。

 今は通学路というものが指定されていますが、以前はなかったように思います。私は小学校は校区外からの越境通学だったので、学校まで1.5キロの道のりを歩いていました。朝は最短距離を通るのですが、帰りは色々なコースを歩くのが楽しみでした。賑やかな道や墓場があるような寂しい道、住宅街など道路の地図が頭に入っていました。

 途中には市場や木材工場、料亭、寺町など子どもの好奇心をくすぐる場所があって、友達と遊ばない日は今日はどの道を帰ろうかと思案をします。街中にあるダンスホールの窓からは大人たちが踊っている姿が見えますし、別の路地では煎餅工場を覗いていたりしていました。

 道を歩いているとリヤカーで行商する風鈴、みたらし団子、豆腐売りや、門付けをしている虚無僧などいろんな商売を見かけたものです。家と学校とを往復する一帯が自分の縄張りで、道草で社会勉強をしていたような気がします。

 さすがに今は子ども達に、学校帰りに道草を食ってもいいよとは言えないですね。親の目が届かない所に子どもがいるのは心配です。遊ぶ場所も限られており、家の近所でも道路で遊ぶ子どもは見かけません。私には小学生の孫がいますが、普段はどんな遊びをしているのでしょう。

 

          フリーフォトより

 

       

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