田園都市の風景から

筑後地方を中心とした情報や、昭和時代の生活の記憶、その時々に思うことなどを綴っていきます。

筑後川花火大会(水天宮奉納花火大会)

2016年08月08日 | 日々の出来事

 8月5日は恒例の筑後川花火大会でした。ショッピングモールを歩いていると、浴衣姿の高校生らしき男女を大勢見かけました。みな花火見物へ行く子ども達です。

 最後に花火大会に行ったのはいつだったか覚えていません。この日も家にいると、夜の帳が下りる頃に花火の音が聞こえてきました。この花火大会は私が中学生までは「水天宮奉納花火大会」といっていました。もともと1650年に久留米藩主が水天宮に社地社殿を寄進し、その落成を祝って発揚したのが始まりとされています。

 水天宮花火大会は小さい頃から夏の楽しみで、毎年のように行きました。見物客で大混雑する中を親に手を引かれて歩いていると、水天宮通りの両側に並ぶ夜店の品物に目移りして仕方がありません。大鳥居から境内の参道にも夜店が並んでいます。

 水天宮境内の大鳥居です。

 水天宮は筑後川の畔に鎮座していますが、花火は対岸から打ち上げられます。尺玉ともなると観客の真上近くまで花火が広がり、ザーッという音が聞こえてきます。今は禁止されていますが、昔は花火見物の船が出て情緒がありました。私も伯父の家族と船に乗ったことがあります。

 小さい頃は親と一緒に行きましたが、長ずると友人たちと見に行きました。やがて自分の子どもを連れて行くようになり、子どもが成長して自分達で行くようになると、少し花火大会からは遠ざかりました。

 筑後川です。手前の河川敷が見物席で長門石橋から豆津橋まで1キロ続きます。対岸が打ち上げ会場です。仕掛け花火も対岸です。

 花火大会は水天宮の夏大祭の行事として行われていました。私は神社の祭礼が好きです。縁日などに出掛け参拝していると、遠いご先祖様とのつながりを感じます。何故かしら安堵感を覚えるのです。新しい祭りやフェスティバルとは祭りの性格が違います。

 水天宮奉納花火大会は実行委員会形式になり、名前も筑後川花火大会へと変わりました。しかし今でも夏大祭にあわせて開催されていますので、曜日に関係なく毎年8月5日に発揚されます。

 何年前でしたか、明石花火大会の歩道橋事故に関して当時の関係者に厳しい判決が出ました。その後、花火大会の安全性が保たれないという理由で警察の許可が下りず、実施できないのではないかと危ぶまれたことがあります。

 結局その年は1か月遅れで開催され、運営も大きく変わりました。それまで水天宮の対岸で発揚されていたのが、2キロ上流にもう1か所発揚場所を設けて分散開催になりました。また大会当日は警備会社とは別に市の職員が動員され、見物客の誘導にあたるようになりました。

 尺玉の花火は新しい発揚場所で打ち上げられ、シャトルバスも第2会場にだけ運行されます。仕掛け花火はお互いの会場からは見えません。打ち上げ数は合わせて1万8千発になりましたが、祭りとしての一体感がないような気がします。同時刻に別々の花火大会をやっているようなものです。

 私は水天宮の奉納花火としてこの祭りに親しんできました。境内の夜店をひやかしながら河川敷で花火見物をするのが楽しみでした。警備の都合とはいえ、分散開催になってからは花火大会に対する関心が薄れました。 

 写真は筑後川花火大会の様子です。市の観光コンベンション協会のホームページから引用しました。これは第2会場の打ち上げの様子だと思います。水天宮の会場は写真ではずっと左手の方になります。

 花火大会の日は夕立が降りました。それで空気が澄んでいるせいか、6キロ近く離れた我が家にいても、今年はやけに花火の音が響いてきます。早打ち花火の音を聞いていると、水天宮の賑わい振りは今はどうだろうかと、そぞろ気になってきました。

 来年の花火大会は、久し振りに水天宮へ足を運んでみようかと思っています。

 

 

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