高校時代のマドンナは、私は150歳まで生きる…と意気軒昂。
150歳は叶わないとしても
100年を生きるとすればその区切りは四季のごとく、春夏秋冬。
春(青春)、夏(朱夏)、秋(白秋)、冬(玄冬)
と話されたのは奈良薬師寺の安田管主だったか。
自分自身の遠い記憶は、どこまで遡れるのだろうか。
春の中には、学びの記憶も幾つか残されている。
夏の中には、間違いなく仕事ばかりの記憶ではなく
幾つもの挑戦と成功、挫折と悔恨が残されている。
そして今は、秋たけなわ。
残された時間を数えることよりも
無為に過ごしてきた時間を少しだけ惜しみながら
足元をしっかりと見つめて、時折ふっと浮かんでくる遠いけれど暖かな記憶を大事にしていたいと思う。
少しばかり薄れ始めている遠い春の記憶が、幾つかの繋がりで蘇っている。
高校時代の「写真」と「花」を接点にした繋がりは何度も登場したが、
先日来の集まりではボタニカルアートとパステル画を描く二人が話題に登場した。
このトップページ(OCNブログ人は廃止されたから今は無い)左肩に開設当時から掲出されている一枚の絵は
東京神田・駿河台下で初めて拝見した折の三枚のうちの一枚「トキワサンザシ」。
その展覧会に誘ってくれた同窓の一人は
「病気と仲良く付き合い」ながら不自由な手でパステル画を描いていたが
残念ながら100歳までは叶わず、五年前の秋に亡くなった。
神田・駿河台での展示会に誘って貰ってから六年経つ。
会場近くの小さな喫茶展で遅い昼食のサンドイッチを食べながら
何を話していたのかは思い浮かばないけれど
一緒に眺めた「アシズリノジギク」は今も思い出せる。
印度哲学にも人生を四季に当てはめた同様の考え方があるそうだから、参考になる。
勉学や修行に励む「学生期」(春)
仕事に励み家庭を築く「家住期」(夏)
仕事や子育てが一段落して、人生の豊かな収穫を愉しむ「林住期」(秋)
淡々と枯れ尽くして安らかな死に備える「遊行期」(冬)
過去ログ
OCNブログ人 2009-12-13 21:53:26
ひさしぶりにブログ拝見しました。
「遠い記憶」にボダニカルアートと妻のことが話題になったとのお話、読ませて頂きました。
神田での思い出は、写真がありますので、私も記憶しています。
高校時代のお友達とのお付き合い、いいものですね。
こちらのブログで来年1月26日~31日に神代植物公園でボダニカルアート展が開催されることを知りましたので、期間内に拝見に出かけるつもりです。
よいお年をお迎えください。
こちらに戻って四度目の正月を迎えることになりますが、今年は何度となく奥様と縁の方たちと会う機会があり、そのたびに懐かしい会話が飛び出しました。
特に11月には東京から二度も藤本が帰明したので、やはり「114会」でのやり取りが一番の話題になりました。
当時の生徒会長も、正直たじたじだったよ…の奥様の弁舌が、私にも心地よかったです。
そのように、何十年も昔のことを今も共有出来ることが、これから先も少しだけ続いていてほしいなぁ~と、願っています。
ボタニカルの小西さんとも不思議なご縁で「花」繋がりを続けさせてもらっています。
今年の展示作品は、本来の彼女らしい派手さのない絵が飾られていましたから、ぜひぜひ神代にお運びください。
お嬢様ともども、お元気で明るい新年をお迎えください。
ありがとうございました。
セツブンソウを検索していましたら 此方に辿り着きました。
充実したホームページを拝見し楽しませて頂きました。
私は札幌に住む 野草が大好き人間です。
いつの日かきっとセツブンソウをと願っていました。
それにセリバオウレンまでが同じ時期にみられるようですね。
2月の末に京都に行く事になりました。
青垣町の山垣城址への小道を行くとセツブンソウやセリバオウレンに会えるのでしょうか。
江古花園のセツブンソウ祭りも開催しているのですね。
大変不躾な話で恐縮です 大体で構わないのですが何処で見られるかお教え願えませんでしょうか。
どうぞよろしくお願い致します。
会場のスペースの関係で、兵庫展の出品作は割愛されていました。
小西さんの作品は、名札と図録、帰ってからの所属倶楽部のHPで
拝見しました
当日の作品は力作ぞろいで、本当に感心しました。
大勢の参観者が熱心に見ていましたよ。
展覧会情報、ありがとうござました。
(ついでに調布駅近くのゲゲゲの鬼太郎ロードを歩いて、
マネキンを見てきました)
人の一生の区切りを季節に例えて♪
インド哲学もなにやら妙に言い当てているようで人生というものを自分なりに考えるきっかけにもなりそうです。
ジャケツイバラのサヤの中の豆の付き方はとってもよく分かりました♪
これでなくっちゃ! ボタニカルアートとは!ですね