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その2 ちょっと情けない日本 日本のエアラインはジャンボと完全お別れ@サイゴン

2014-03-19 17:25:03 | Weblog
先日も我がブログで紹介したが
ルフトハンザが羽田にジャンボで乗りつける!!

この雄姿 迫力 たまりません!!!
翼に4本のジェットエンジン
そして車輪





今日の日経には日本の航空会社からジャンボが消えるのニュース!!
旅客は昨年消えたが!!

株にしても昔は米国がくしゃみをしたら日本は肺炎ってなもの
今は米国だけでなく中国のくしゃみにすら大病に!!

ホントにいろいろな面で弱くなりました。
経済界の大物すら品性がなくなっています。
もちろん安倍さんをはじめ政治家は世界の三流です。

もっともっとStrategy&Tacticsを発案できるエリートを育てないとダメ
マスコミと一般庶民の意見に惑わされず世界に羽ばたける
日本を導く専門集団が必要って思います。

まあそれはともかく
下記はさびしきジャンボのコピペ記事です。

さようなら「ジャンボ」 大量輸送支え44年 国内で退役
2014/3/19 14:13
 「ジャンボ」の愛称で親しまれた大型旅客機「ボーイング747」が今月末、日本の旅客航空会社から姿を消す。1970年の初就航から44年、ヒト とモノの大量輸送を支え、日本人が海外を身近に感じるきっかけになった。機体の老朽化や燃費などの問題で全機が退役するが、ジャンボが残した航跡は、豊か さを求めて歩みを続けたニッポンの成長期と重なる。
 「ジャンボの就航は大量輸送時代の幕開けの瞬間だった」。航空科学博物館(千葉県芝山 町)の主任学芸員、金田彦太郎さん(47)は話す。大阪万博、よど号ハイジャック事件、ビートルズ解散――。大ニュースが相次いだ70年、日本航空が羽田 ―ホノルル線で747の営業運航を始めた。
 全日空の営業運航開始は79年。同年に入社し24年間にわたり操縦してきた機長の藤村弘さん (57)は「新幹線のない九州や北海道方面の便はビジネス客であふれていた」と懐かしむ。80年代には家族連れや修学旅行の利用客が増え「高根の花だった 飛行機が、誰でも搭乗できる身近な存在になった」と実感したという。
 「なんて雄大でスマートなんだろう」。81年入社の整備部、小池隆さ ん(53)は中学の修学旅行で、羽田空港の展望デッキから初めてジャンボを目にしたときの衝撃を忘れない。整備士として機体を見上げたときは4発エンジン に圧倒された。「巨体の整備には手間も時間もかかった」と話す。
 小池さんにとってもう一つ忘れられないのは、520人の死者を出した85年の日航ジャンボ機の墜落事故。747の整備に関わり始めたばかりだった。
 修理ミスによる圧力隔壁の損壊が墜落の主な原因。事故後は自宅で作業を振り返り、気になる点があれば、始業前に再度確認に走ることもあったという。惨事を機に安全確保に対する現場の意識は格段に高まった。
 悲劇は起こったが、747には複数の派生型が登場、時代のニーズにかなった飛行機として栄華を誇った。しかし、近年は双発エンジンの発達により、座席数で同規模の777などが主力に。4発エンジンの燃費の悪さや整備負担も次世代機への移行に拍車をかけた。
 最終フライトは3月31日午後0時35分発の那覇発羽田行き。操縦かんを握る藤村さんの寂しさはひとしおだ。「愛称で呼ばれた飛行機は747だけ。時代に求められ、利用者に愛された飛行機はもう現れないかもしれない。一つの時代が間もなく終わる」

2回目の休憩
午後3時24分
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