アラエイも気持ちはエイティーンの青春ブログ

2019年7月29日から
ロンカイン市生活スタート
令和5年2023年1月1日数え79歳ワクワク人生

Part 3 丸亀ウドンに賭けてみる!! + 追加

2014-01-13 20:10:32 | Weblog
丸亀ウドンに賭けてみる!!

ちょっとボケが始まったか
あるいは祝日で授業無しに舞い上がったか
疑いなく本日はKhanhさんの授業だけって出かける。

そして楽しきいつもの授業
いつもながら彼の人間性生き方に学ぶこと多し!!!

そして突然、国際サービスの授業があることを思い出す。
このあたりがまだ完全にはボケ症状が出てないところです。

今朝はKhanhさんの授業もキャンセルして昨日のハードデーの修復とも考えたくらい!!

でも1日日本語を使わず誰にも会わないで家にいると寂しいです。
ってことで出かけた次第!!

本日の霧は中等度
でも2区から眺めるビテスコの最高峰は昨日訪れたために親しみを感じます。

でもでもやっぱし霧のサイゴン 写真ではかすみがひどく見えます。




そして定刻に国際サービスの授業
いつものようにサークルKで駐車の小母ちゃんと学生用にプレゼント購入!!

ハンサムボーイの独身ビン君先生も授業参加
皆さんテトホリデーで心ここにあらず!!
状態です。

AEONの発音をきくと学生は写真のような結果を!!


アイオンが一番多いですが、ここはイオンって教えておく!!
イオン様に貢献です。

明日明後日のBaoVietの授業でも発音調査をやってみます。

授業終了後は迷わず真っ直ぐまっしぐらにイオンモールの讃岐ウドンへ!!
昨日と違って駐車場は余裕があり
駐輪してほぼ一直線に到着

なななんと水道管破裂で1時間待ってくださいって!!
そして日本の方が状況を説明してくれ
1時間で修理が来ると
思いますって!!

一瞬思案橋も
ここは帰宅してもう一度出てくるのは昨日の今日でハード
寝具の太陽干が心配も讃岐ウドンにかけてレストラン内で待つことに!!!

そしてそこからブログしています。
どんな顛末が楽しみです。

追加:午後6時26分
なんと予定より20分早く水道管が修復され
ななななんと店長さんらしき人が吾輩を一番目に案内してくれる。

やっぱ日本方式はカオスがないです。
待っていた順番に案内です。
ベトナムのお客さんも
納得してたみたい。

この順番の道徳観が普及して欲しいって思う。
少なくとも日本のお店ではって!!

何度も何度も本日はお待たせすみませんって
挨拶をしにやってくる店長さんみたいな日本人の方

さらに吾輩の食事終了後ももう一度挨拶に!!!
すっかりMarukameUdonファンになりました。

大盛りの釜揚げうどん;大きいです。




もう今は列ができています。


真ん中が優しく接してくれた人


以上、追加でした。

ブログ@丸亀ウドン

3回目の休憩
この下のクリックお願いします!!!
↓↓↓↓↓
にほんブログ村 海外生活ブログ ホーチミン情報へ

Part 2 最高峰ビテスコタワーから空港ムーンライトまで

2014-01-13 11:46:22 | Weblog
昨日はマンゴーの日
一番美味しかったのはトランキルティのマンゴーヨーグルト


次いで空港前のムーンライトのマンゴースムージー
なんと写真を撮っていませんでした。

そして残念ながらビテスコの50Fのストラータのマンゴージュースは3番目
でも値段は断トツの1位です。 なんでも1位は立派、タワーも多分まだベトナム1.

50FのトイレはTOTOでグーでした。

初めてのStrataからのブログは電源を拝借


まあ超人気の喫茶店です。
世界中からの観光客ってな感じです。
結構日本人も見ました。




タワーの突起はヘリポートです。
この下が50FのStrataです。







サイゴンの夜景は先日のフォトコンテストで上位に!!
もちろんビテスコ・ファイナンシャル・タワーが写っています。


京都は隣の大阪の阿倍野
そこに3月グランドオープンするあべのハルカス
地下一階から60Fまで成人式を迎えた200人が歩いた。

「地上300メートルの成人式」最上階の展望台で歓声を上げる新成人
(13日、大阪市阿倍野区)=共同の記事を見ながらタワーを観察!!!




なんとなくビテスコがハルカスにまさるって感じたが!!
でも帰国した時は60Fに行きます。

Gと1Fのこのコーヒーと紅茶の名前の喫茶店
一時はまりましたが最近は好きではありません。


地下の駐車場は立派ですが結構時間がかかるので昨日のイオン同様
プライベートの駐車場を使用です。




次回はグレゴリーペックとオードリーのVespaを購入したいです。

1区と2区の境界を流れるサイゴン川は魅力的です。
サイゴンパールやマナーのマンション 橋 2区の地下トンネル付近懐かしい!!







バイクならここから空港は近いです。
そしていい道路!!!
SovilacoやHungVuong大学をみながら15分です。

それにしても吾輩も完全にベトナムっ子、サイゴンっ子!!
この立派な世界的に有名なタワーの前で堂々バイクするのですから!!



2回目の休憩
午前9時46分

この下のクリックお願いします!!!
↓↓↓↓↓
にほんブログ村 海外生活ブログ ホーチミン情報へ






Part 1 嬉しい月曜日祝日@サイゴン

2014-01-13 10:40:07 | Weblog
2014年 平成26年 睦月 1月13日 第二月曜日:成人の日 祝日

サイゴンで日本の祝日が祝えるとは嬉しいです。
っていうか本音は毎日の仕事に追われ休日が嬉しいだけですが!!


昨日はたっぷりサイゴンの休日を食べ物と景色で楽しみました。

でもでも最後の数時間は結構ハードに!!
なんと讃岐ウドンを頂くのに40分も列に並ぶ!!
吾輩は並ぶのが嫌い:日本では考えられません。すごにどこかに行きます。

でもでもでも昨日は釜揚げうどんがどうしても食べたかったのです。

そしてマーフィーの法則が吾輩に適用されました。

釜揚げ大盛りをオーダーすると!!

日本人の方が出現
なんとなく嫌な予感!!!

全く申し訳ありませんが只今、釜揚げの付けつゆがなくなりました。

う~~~~~ん 強烈なパンチ 一瞬動転!!!!!!!!
でも40分の待ちを無駄にできません!!
気を取り直してオーダー

シンプルが大好きな吾輩はかけウドン大盛りを!!

これ全部で18万ドン:900円
午後7時ゲットでした!!!!!!

40分も待たされると美味しいです。ベトナムはいろいろ教えてくれます。


並んだ時はまさかこんなに待つとは!!
それにズルさんが入り込んできます。
結果は6時20分から7時まで
並びました。


まさか連日うどんを食べられるとは感動でした。
日本人は一人だけ見かける。
あとは全員ベトナム人
PHOの国の住民が
大丈夫???
ってなくらい
すごい人出でした。


そしてまるで巨人阪神戦の甲子園並み
もうすごい人とエネルギーで早く外に出たい!!
ってでると雨が!!!! 私しゃ太陽干の寝具が心配に!!


それにイオンモールに入る前にすごい車の列で並び待つのが嫌
イオン前の個人の駐車場に預けた!!

それが日が沈み、雨が降り真っ暗になるとどこに預けたかわかりません。
ポツリポツリになり何度か往復して見つけました。

そして午後9時帰宅
もちろんいつものように大家さんファミリーの日曜日は実家に帰っていません。

恐る恐る濡れてないようにを祈りながら3Fにあがりベランダを!!
やっぱしやはりやっぱり寝具は濡れていました。
でも10枚くらいだけ!!!

そして今朝は信じられない超久しぶりの快晴の青空!!
只今午前8時20分、結構流れる風が肌寒い20度
でも秋晴れの晴天です。

さっそく濡れた寝具を干します。


とにかく綺麗な青空:日本の成人の日の若者を祝うような晴れです。






ブーゲンビリアも気持ちよさそう!!
ベトナムの命名はいつもながら感心します。
紙の花って名前がベトナム名のブーゲンビリアです。


我が洗濯のスタッフも賑やかです。


タマリンドウの大木が鈴なりの実をつけています。


5年まえは見えたうちが大木の成長でほとんど見えなくなりました。


朝夕の風景
こちらの子供は家の中で食事をするのが嫌い!!

遊びならが外で
食べては遊び、遊んでは食べる!!


我が家の1歳7ヶ月の次女ニューちゃんも最近ではこのスタイルです。
パパママは追っかけながら食事の世話大変です。
子供天国サイゴンは大好きです。

さてさて本日は時間の逆回りの経時的日記です。
イオンモールの前は空港前のパークソンビルの11Fムーンライトって喫茶店

そこからイオンへは慣れたものです。
昔働いていたフンブン大学やSovericoの近くを通りCongHoa通り

そしてゆっくり行ってもイオンモールまで20分で到着でした。

太陽が沈む直前のMoonLight屋上喫茶からの写真です。
綺麗です。 そして青空も現れていました。
まさかそれが雨になり我が寝具を
濡らすとは思いもしません。
ハッピー状態です。






夕日を受けて飛行機が輝きます。


ロシア人達も写真写真です。
どうしてロシア人?? はい、彼らのTシャツの文字と話し声から判断です。




う~~~~~ん
今思い出しても昨日のマンゴーデー!!
ここのマンゴースムージーも美味しかったです。

1回目の休憩
2回3回も時間の逆回りのブログになります。

成人の日はNHKの成人の日のスピーチコンテストを見るのが好きだったが
本日もやっているのでしょうか?

この下のクリックお願いします!!!
↓↓↓↓↓
にほんブログ村 海外生活ブログ ホーチミン情報へ

本日のイオン会長のインタビュー記事がよかったのでコピペです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
〈証言そのとき〉商人魂燃ゆ:1 流通、より安く追求
2014年1月13日00時05分

 ■イオン名誉会長 岡田卓也さん

 年商が6兆円をこえる巨大流通グループ、イオン。地方のちいさな呉服屋から、合併と買収を重ねてここまで大きくなったのは、お客がほしい商品をほしい価格で売る「商人魂」を貫いたから。創業者で現名誉会長の岡田卓也さん(88)が語る。

     ◇

 この年の瀬、千葉市にあるイオン本社ちかくに、133カ所目となる大型ショッピングセンター(SC)を開業しました。おおくのお客さまにご利用いただき、本当にありがたく思っています。

 思えば1959年、まだプロペラ機の時代に、米国の小売業を視察にいきました。あまりにも零細な日本の小売業をどうすればいいのか、という答えを探すためでした。

 米国の巨大な小売業は巨大でした。チェーンストア経営による多店舗化が必要だと痛感しました。そして、SCをつくりつづけてきました。お客さまが求める商品を、求めている価格で。そんな流通革命を実現するには、小売店が力を持たなくてはなりません。規模の拡大が必要だったのです。

■郊外ねらって出店

 ――昨年12月20日にオープンした「イオンモール幕張新都心」は、東京ドーム4個分の19万2千平方メートルの敷地に、360の専門店、映画館、吉本興業の劇場、東映特撮ヒーローの博物館などを擁する。年3500万人の集客を見込み、イオンを代表する巨艦SCだ。

 すべては69年、三菱商事と合弁のディベロッパー「ダイヤモンドシティ」を設立したことにはじまります。大型SCの建設、運営には、協力者が必要でした。そこで当時、知り合いのつてをたどって、三菱商事の大阪支社で副支社長をしていた木戸利治さんを訪ねました。木戸さんは、わたしのお願いを聞いてくださり、合弁会社の設立を即断されました。

 また、木戸さんのすすめで、大和ハウス工業の創業者、石橋信夫さんに会いにいきました。

 石橋さんは「伊丹空港からヘリで大阪上空にあがり、写真をとりなさい」「すでにある幹線道路、計画されている道路を、走りなさい」とおっしゃいました。それから、「立地を考えなさい」と。

 助言されたとおりにしました。大阪のどこにSCをつくる場所があるのかを知るとともに、車による人の流れを知りました。そして、70年、大阪市の東住吉に、最初のSCをつくります。

 それからも、インターチェンジのある郊外をねらって、SCをつくっていきました。モータリゼーションの波に乗れば、タヌキやキツネがでるような場所でも、十分採算がとれると考えたのです。

■合併・買収重ねる

 ――イオングループは、急拡大をつづけている。経営はたんしたヤオハン・ジャパンとマイカルでは、岡田氏みずからが支援の決断をくだし、ヤオハンでは再建の陣頭指揮にあたった。

 そして、昨年8月、かつてライバルだった「ダイエー」を子会社化し、ついに年商6兆円の大台に。二番手の「セブン&アイホールディングス」との差は1兆円以上になる。

 ダイエーを子会社にしたことそのものについては、特に思いはありません。いつまでも過去にこだわると、時代に遅れます。

 しいて感想をあげれば、米ウォルマートの傘下に西友が入ってしまったように、ダイエーが外資の傘下に入らなくて良かった、ということです。外資が入ってしまうと、日本の流通業界がかき乱されてしまいます。

 ただ、創業者の中内功さんとの思い出は、いろいろあります。

 イオンが岡田屋時代からの仲でした。スーパーの経営者たちの勉強会を重ねていたのですが、いつも宿泊は、わたしといっしょの部屋でした。将来のことなどを語り合いました。

 じつは、名古屋に共同でビルをつくって、いっしょに店をしようよ、という話もしていました。

 四日市の岡田屋と、兵庫でスーパーをしていたダイエーとは、地域が競合していません。また、岡田屋は衣料品しか売っていませんでしたが、食べるものがなかったフィリピン戦線を生き抜いた中内さんは、食品にこだわっていました。両社のすみ分けは十分可能でした。

 結局、おたがいにわが道をいくことになり、幻に終わりましたけれど。

 中内さんは、いつも「敵」をつくる人でした。伊藤雅俊さんのイトーヨーカ堂さん、堤清二さんの西友さんなどに対抗心をあらわにしました。

 ジャスコ、忠実屋さん、イズミヤさんなどスーパー5社は、食品や衣料品の輸出入を共同でするなど連携していました。この5社の売り上げを足すと、ダイエーの売り上げを超えます。

 89年、不動産会社「秀和」による株の買い占めを発端に、流通再編問題が起こります。秀和の社長だった小林茂さんが、流通株をどんどん買い占めていきました。この流通再編のかんげきをぬって、中内さんは、忠実屋を子会社にします。

 ジャスコは、岡田屋、兵庫が地盤の「フタギ」、大阪が地盤の「シロ」の合併が出発点です。わたしは「企業の歴史は合併の歴史である」と考えてきました。だから、中内さんは、もしもアイクの5社が合併したら大変な脅威になる、と思ったのでしょう。

 じつは、小林さんは、記者会見で、流通の株を買い占めているけれど、自分が経営するわけではない、と表明していました。

 さらに、いずれは、ダイエーの中内さんか、西友の堤さん、ヨーカ堂の伊藤さんといった人に任せる、と表明したのです。

 あとで聞いて、わたしは笑ってしまったのですが、小林さんは、「ジャスコの岡田と言うのを忘れていた」らしいんです。

 小林さんから、都内の料亭でお目にかかりたい、と言ってきました。わたしがうかがうと、小林さんは、ある銀行首脳に「岡田さんに粗相があってはならん」と言い含められていました。流通再編の協力を求められました。

 ジャスコは地方のスーパーと合併し、集中したほうがメリットのあるものは本社が担う一方、自主性を尊重して地域ごとに経営をゆだねる「連邦制経営」をすすめていきました。合併交渉でダイエーに先回りされたこともあります。

■同志と革命めざす

 それでも、わたしたちは敵対していたわけではありません。67年に、日本チェーンストア協会の設立総会がひらかれました。わたしは総会の議長、そして当時最大手だったダイエーの中内さんが、初代会長です。

 中内さんが私財をはたいてつくった流通科学大学の理事もしました。2006年秋、中内さんの一周忌を記念してひらかれたシンポジウムで「士農工商は終わっていない」と発言しました。

 中内さん、伊藤さん、堤さん……。みんなお互いに、競争相手でした。新規出店や安さで競い、新聞紙上には、「流通戦争」という、おどろおどろしい見出しが躍りました。

 でも、みんな流通革命をめざす同志だったのです。それぞれに学ぶところもあったと思います。お客さまの求めているものを、求めている価格で売る。流通革命をめざす同志だったと思います。「商人の地位を高めたい」という思いもいっしょでした。

 わたしも、革命実現に向けて、走りました。グループを大きくしてきたのも、価格決定権をメーカーから小売業が奪い、商品を安く提供したい、と考えてのことです。

 モノがろくに買えなかった戦時中を経験や、焼け野原から再スタートしたことが、わたしの商人魂に火をつけることになったのかもしれません。(聞き手=編集委員・中島隆)

     ◇

 おかだ・たくや 1925年、三重県四日市市生まれ。敗戦後、「岡田屋呉服店」を継ぎ、70年、スーパー「ジャスコ」をつくって社長に。東京商工会議所副会頭、日本チェーンストア協会会長などを歴任。

午前8時40分