私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

カウンセリング10

2005-12-25 19:44:58 | カウンセリング
記念すべき10回目は、直接受けてきました。
待っている間は、とても緊張してしまいました。
Sさんと会うときには、ほとんどドキドキなんてしなかったのに、こっちのほうがドキドキしてしまいました。
どうしても自分の知っている声の似ている人を想像してしまうので、顔の印象は違っていた(想像していたよりも、素敵な先生でした。)のですが、電話と同じで優しい先生でした。

声を聴いたとたん、緊張感は無くなってしまったのですが、落ち着きがなかったのか、メディテーションを勧められました。
ある程度は、リラックス出来たものの、東京に来るまでと来てからの心の動きがあったので、どちらかというとハイテンション気味だったし、人前でなかなか心の中を吐き出すことがどうしても出来ませんでした。
インナーチャイルドの話になったのですが、先生と向き合って話すことがあまり出来ませんでした。
マイナスの心情を、マイナスのまま話すことに慣れていないというか、今までもこうやってずっと、悲しみを明るく話していたんだなぁと思いました。
電話では、泣けるのだけれど、電話では、話せるのだけれど、ブログでは書けるのだけれど、目の前にして、心を開くことが出来なかったかなと思います。
泣くことを想定していたのに、実際は泣けませんでした。

もし時間が合ったら話しておきたいなと思っていたことがあって、それは電話ではなく会った時に、話そうと思っていたことが話題になり、自分の気持ちを伝えることが出来たこと、良かったなと思っています。
直接のカウンセリングは初めてで、戸惑うことも多く、電話のように話すことは出来ませんでしたが、直接話すことで、安心感を得ることが出来ました。
次の電話では、もっと心を開いて、話すことが出来たらいいなと思っています。

東京3

2005-12-25 03:43:14 | 日々つれづれ
結局、セックスはしていません。
そうなってもおかしくない、むしろそうなる方が自然だったのだけれど、そうすることよりも、そうする時間よりも、話をしていたいという気持ちが強くて、結局ずっとベットの上で話をしていました。
もし、私が、罪悪感を感じていたのなら、やっぱりセックスをしなかっただろうけれど、そうしたいのに我慢したという思いに、今後は捕らわれていたと思います。
でも、罪悪感を取り払ったおかげで、したいと思えば出来たし、しなかったのは私が、それを選ばなかったからだと思えました。
そう思えることは、とても私にとって楽でした。
Sさんが、そうしなかったのもまた、同じ想いだったのだろうなって考えられる私がいました。
以前ならきっと、自分に魅力がないからだとか、そんな風に思ってしまうでしょうが・・・・・・・

自分のことが好きで好きでたまらなくて、自分が一番と思って生きてきたのに、挫折して、すべて失った時に、自分の愚かさや小ささに気が付いた。
でも、それでもいいじゃないか、つまらない所も含めて自分のことを好きになったことを話してくれました。
そのきっかけは、お母さんの「なんとかなるよ」って言葉と自己啓発セミナーだったこと。
そして、生善説について話してくれました。
「例えば、喫茶店で、ウエイトレスが水をドンと音を立てて置かれた時に、なんでこんなことをされるのだろうと思うか、何か嫌なことがあったのかなぁ、怒られたのかなぁって思うのか?自分にも相手にもいいように考えるのが生善説なんだよ。人は皆いい人で、何かがあったからそういう行動を取ってしまったっていうように考えると楽になれる。」
自分は、そうやって今までも生きてきたことに気が付いたこと、そして、それを意識していったことを話してくれました。
「厳しいおやじで、殴られて鼻が曲がって、ずっとぐすんぐすんいっているんだけれど、そのおかげで甘い歌声が出せたって思えたりしてね。」
そんな風に、傷付きながらも乗り越えてきたSさんのことをすごいなぁと思うと共に、抱きしめてあげたいような、頭を撫でてあげたいようなそんな気持ちになりました。
私は、今までも、セックスするよりも、その後にポロッと男の人が見せてくれる弱さとか本音の部分を聞かせてくれるのが好きだったなぁということを思い出しました。
私がずっと求めていたのは、体の結びつきではなくて、心の結びつきだったのかもしれないなぁと気が付きました。

「あの頃があったから、今こうして色んな話が出来るのかもしれないね。」
Sさんの言葉に、こういう時間が持てたのは、17歳の私がくれたプレゼントのような気持ちになりました。
帰り間際、
「あの頃、Sさんのこと大好きだったよ。でもね、好きって言えなかった。
今までもずっとね、好きな人に好きって言えなくて。
もし、今日会えたら、ちゃんと気持ちを伝えようと思ってた。
今日、会えて本当に良かった。
『あーこんな人を好きだったんだ』って言うんじゃなくて『この人を好きで良かった』って思えるよ。ありがとう。」
って正直な自分の気持ちを伝えました。
「ありがとう。最高の褒め言葉だねって。」
そしてSさんは帰っていきました。

一人、取り残された私は、寂しかったんだけれど、一緒に居た余韻を楽しむことが出来る自分がいることに気が付きました。
今までだったら、身が引きちぎられるような寂しさを感じてしまっていただろうなと思いました。
これが、斉藤先生の本に出てくる「耐えがたい寂しさ」と「大人の寂しさ」の違いなんだなって思いました。
「耐えがたい寂しさ」は赤ちゃんがおっぱいを与えられないような寂しさだと言われているのだけれど、そのおっぱいを与えていないのは、他の誰かではなくて自分なんだなと気が付きました。

今までは、自分に素直になれなかった部分や縛っている部分があって、自分が思うように行動が出来なかったことに未練が残り、寂しさを感じていたのだなって思いました。
素直に行動することによって、別れた後も、充実感を味わうことが出来、「大人の寂しさ」を楽しむことが出来るのだなって気が付きました。
今まで、私が持っていた抱きしめられたいという思いや寂しい気持ちが、何故消えないのか、抱きしめられても、なお満たされない思いでいっぱいなのか、判らなかったのだけれど、ようやく知ることが出来ました。

Sさんとこんな風に会ってなかったら、ずっとそのことに気が付かなかっただろうし、こうやって再会できたこと、そして罪悪感を持たずに素直に行動したこと、本当に良かったなぁと思いました。
それを気付かせてくれるような、相手を選んだこと。
17歳の私に感謝です。
17歳の私がいたから、気が付くことが出来ました。ありがとう。

20年前、Sさんが歌ってくれた出来立ての歌、曲名は「X'mas song」。
そして、その曲は、クリスマス前のコンサートで歌われたことを思い出しました。
その時の嬉しかったことも・・・・・
なんだか、こうやってSさんと会ったのもクリスマス前で・・・・・
無意識なんだけれども、Sさんの歌ってくれた歌を思い出しながら、眠りに着いたのでした。

東京2

2005-12-25 03:00:54 | 日々つれづれ
20年ぶりだったのに、車から顔を出してくれるだけで、その人だとわかりました。
そして、戸惑うこともなく、車に乗り込んだとたん、私は17歳に戻っていました。
今、考えればとても不思議なんだけど、最初にその人(ここからはSさんということで)にメールをもらったのは3月の終わりで、5月からダイエットして、秋に髪を切って、結局は17歳の私と同じ体型、いや体重ですね、髪型になっていたんです。
偶然なのかもしれないけれど、Sさんに逢うために17歳の私に戻る準備をしていたのかなって思ってしまいました。

自分から伝えるつもりだったのに、
「ねこちゃん、あの頃俺のこと好きだった?」と先に聞かれてしまいました。
私は、自分の思いを伝えることもなく、他に好きな人がいるふりをしていました。
今思えば、おかしいのだけれど、初めての人と結ばれなければいけないという思いがあって、ずっと離れられなかったのかもしれないなと思います。
なので、他の人を好きになっても、その人のことを好きでいなければならないという思っていたのかもしれません。
Sさんにとっても、私の気持ちが半信半疑の状態だったのかもしれません。

私「うん。でもSさん、女の子いっぱいいたじゃない。」
Sさん「でも、俺は自分が一番大事だから、嘘はつかなかったよ。自分に正直に行動していた。」
私「でも、遊ばれたかなぁって思っていた。」
Sさん「それは違うよ。仕方ないこともあったし。」
私「○ちゃんもいたしね。」
(○ちゃんは、Sさんと付き合っていた人です。)
Sさん「○ちゃんとも、そのままになったから・・・・。東京に出てしまったし、仕方なかっんだよ。それにAに怒られてしまったしね。」
(Aさんは、Sさんのバンドのメンバーで、当時その人から私は楽器を習っていました。)
私「生徒に手出すなって?でも、Sさんって女の子に好きだとか、大切だとかちゃんと言った事なんてないでしょう。」
Sさん「でも、歌でその思いを伝えてたから・・・・」
二人爆笑

20年間の時を埋めるかのように、Sさんは話をしてくれました。
何かを作るということで、共通している私達は、その苦悩について話して、好きでやっているうちが一番いいよね。
だんだんそれが、自分のやりたいこととかけ離れていったこと、話をしてくれました。
でも、Sさんは、その頃に未練はないようで、きっぱりと断ち切って、今の仕事をしていて・・・・・
そのサバサバしたところを見習いたいなぁと思いました。

Sさんはレインボーブリッジに連れて行ってくれようとしていたのだけれど、途中に東京タワーが見えてきて、東京タワーがみたいって言って、東京タワーに行きました。
ライトアップされたツリーは、テレビなんかで見るよりもとても幻想的で、綺麗だったのです。
高所恐怖症なのだけれど、高いところから街を見るのは大好きで、パラグライダーに乗ってみたいと思うぐらいです。(とても、矛盾しているのですが)
囲まれた空間では、真下を見ても平気で、むしろSさんの方が、怖がっていたりして・・・・・
街の灯りを見ているととても暖かい気持ちになります。これは、子どもの時からそうでした。

私「なんかアベックばかりじゃない?」
Sさん「俺らも、アベックじゃん。腕なんか組んでみる?」
そこで、素直に手を出せる私がいました。
いつもなら、ここで必要以上にドキドキしていたなぁと思いました。
そのドキドキは、罪悪感から生まれて来たのかもしれません。
悪いことをしている緊張感からくる、ドキドキ。好きだから、ドキドキするのではなくて。
その時は、ドキドキではなくて、嬉しいとか楽しいとか、そんな気持ち。

東京タワーから降りて、ホテルまで送ってもらうことになりました。
もう少し、コーヒーでも飲みながら話したいねと近くを回ったのだけれど、23時を回っていて、開いている所も見当たらず・・・・・
私も、もう少し話していたいのと、あの時の自分の気持ちを素直に話したいと思っていたので、思い切ってホテルに誘いました。
ホテルに誘うことは、それなりの覚悟がいったのですが・・・・・・
でも、あくまでも17歳の私を、取り戻したい気持ちが大きかったです。

ソファーに座って、缶コーヒーを飲みながら、話をしました。
一時は、頂点を上り詰めたSさんは、バブルの崩壊と共に、事務所がつぶれ、企画されていた仕事のスポンサーが下りてしまい、すべてを失ってしまったことを話してくれました。
でも、音楽から離れられなくて、パソコンを使って配信してみたくて、今度はパソコンを勉強したこと。
ギター少年が必死にギターを練習していたのが、パソコンになっただけなんだけどねと笑っていました。
でも結局、それで第二の人生を自分で切り開いて、会社まで持っていて、なんだかすごい人だなぁと思いました。

「ねこちゃんの目って、昔から色っぽいよね。好きだったよこの目。
鼻筋も通ってて綺麗だった。でも、あの頃よりもいいよ。」っていっぱい褒めてくれました。
私は、鼻にコンプレックスを持っていて、好きではなかったのにそんな風にいってくれて嬉しかったです。
子どもの時のチック症状は、鼻がピクピクと動いてしまっていて、動くたびに母に、
「鼻に筋肉がついて大きくなるよ。」なんて脅されていて、それでも止まらなくて。
ある時、デパートで、エスカレーターですれ違った女の子が私の顔を見て笑って
「今の知り合い?ねこみて笑っていたよ。」って母に言われて、
鼻が動いているのを見て笑われたんだって、笑われるような顔なんだって傷付いてしまって・・・・・

「そうそう、足も綺麗だよね。足も好きだった。」
ロングブーツ履いていて、足は見えないのだけれどそんな風に、覚えていてくれたこと嬉しかった。
私の足は細くてガリガリで、やっぱり母に
「病気みたいな足よね。拒食症の人の足みたい。じっとしてばかりで動かないから細くなるのよ。」と言われていて。
ずっと太りたいと思っていました。

17歳の時に、言ってくれていたら、もっと幸せだったかもしれないなぁなんて思いました。
今は、そこまでコンプレックスに思っていないというか、気にしなくなったのだけれど、当時は、自分の容姿が大嫌いだったから。

Sさんは、30歳過ぎて、自分が足フェチだっていうことに気が付いたって、笑えるような話をしてくれて
「私、いつもこんな話を聞かされるんだけれど、女性と思われていないのかなぁ。」と聞いてみました。
私は、こんな話って、普通は男同士がするのであって、女がいる時に話すことではないでしょうっていう話を、付き合っている人しない人にかかわらずよくされます。
私だからいいけれど、他の人の前で話したら、セクハラだからね!!ってよく言っていました。
「違うよ。この子だったら、話しても大丈夫だって安心できるからなんじゃない。」
そう言ってくれました。

Sさん「あの時、一緒にお風呂に入ったよね。」
私「覚えていないよ。」
Sさん「女の子とお風呂に入ったの初めてだったのかなぁ・・・・なんかすごく覚えているよ。
二人でケラケラ笑いながらとっても楽しくて、楽しかったから覚えているのかなぁ。
ねこちゃんってあの頃からポジティブに生きていたよね。」

あの頃の私は、必死に明るく振舞っていて・・・・
ホテルに行った経緯も、思い出しました。
野外ライブにバンドのメンバーと仲間達とで出かけた帰り、船の形をしたラブホテルがあって、他の子と、あそこに行ってみたいなんてはしゃいでいて・・・・
結局、あそこにはいつ行く?みたいな話になって、遊園地に行くような感覚で行ったのだったなぁ・・・・・

今まで、自分に対して否定的だった思いを、Sさんは肯定に置き換えてくれました。
私のことなんか覚えていないと思っていたのに、細かいことまで覚えていてくれたこととても嬉しかったです。
Sさんの心の中に、20年間いることが出来たこと、それがわかっただけでも幸せな気持ちでした。
あの頃の私は、記憶の中で暗いイメージしかなかったのだけれど、そうではなくてそれなりに楽しんでいたのかもしてないなと思えてきました。

東京1

2005-12-25 01:42:31 | 日々つれづれ
無事、東京から帰ってきました。
心の動きを中心に書いてみようかなと思います。

22日、長男の添い寝に失敗し寝込んでしまい、朝4時に目覚め、窓から外を見ると、雪が積もっていました。
そこまでは、想定内だったのですが・・・・・
上二人を、学校に送り出し、予定よりも早めに長男を保育園に連れて行き、その足で出発。
先生と友達から、途中のバスが動いていないことを教えてもらいました。
そのバスが、動かないことを考えていなかったので、焦りました。
でも、焦りながらも、パニックになってしまうのではなくて、あくまでも冷静に、どうすればいいのか考えることが出来ました。

でも今度は、いつもいる流しのタクシーがいないのです。
天候で、タクシーが拾えなくなることをすっかり忘れていました。
家で仕事をしているので、よほどのことがないと、そんな目には合わなかったのです。
駅とは反対方向に向かって歩いたものの、つかまらず。
結局、駅までのバスが走っているのを見つけ、バス停まで引き返すことにしました。
そうすると、横道からの空車発見!!
バス停は人があふれ、積み残された人がたくさんいて、こんな時にも私はついているかもしれないと思いました。

実際のところ、わざわざ東京行きの日に、雪が降ること自体ついていないのだけれど、そこを悔やんだり悲しんだりすることがなく、むしろついていると思える自分が嬉しかったりしました。
以前なら、なんで私はこんなにもついていないのだろうなんて気持ちになっていたと思うので・・・・・

というもののタクシーに乗ってからも、通り道に車がスリップして突っ込んでいて通行止めになっていたり、前の車が、坂道でチェーンをはめ始めたり、その後タクシーもスリップして動かなくなったり・・・・・
でも、今までみたいにイライラすることもなく、呑気に構えることが出来て・・・・
ここまで自分の心が穏やかになってしまったのは、とても不思議だったりするのだけれど、これがどうしてなのかは、上手く説明が出来ません。
心のどこか違う部分で、私が変わり始めたせいなのだろうなと思います。

雪で行程がずいぶん変わってしまったのだけれど、せっかくだから雪景色を楽しもうと思える私がいて、結局、道中知り合った、母くらいの年齢の女性とずっと東京まで過ごしました。
今までだったら、一人で過ごす方が楽だなって思っていたのに、一緒に食事したり、お土産を買ったりと楽しめて、ちょっとしたことで相手を待たせたりしてのだけれど、相手を待たせることも苦痛に感じなくて、待たせても罪悪感を感じることをしないで、お礼を言えばいいのだなぁって気づける私がいて・・・・

その女性の生き方を聞いていると、とても羨ましかったです。
クリスマスのイルミネーションが見たいからという理由で東京に出かけ、花粉の飛び交う時期には、それから逃れるために北海道で2ヶ月暮らしているそうです。
そして夫婦でも、海外旅行を楽しんでいるそうです。
お互いが、お互いを認め合っているから出来ることなんだろうなと思いました。
子ども達が大きくなった後、そんな風に生活できたらいいなぁなんて思ったのでした。

一つ、気になったこと。
怖くてたまらなかった長いエスカレーターに、平気で乗れたこと。
いつもなら手すりをしっかり持って、泣き出してしまいそうなのに大丈夫でした。
隣に誰もいないことがそうさせるのか、何かがあって怖くなくなったのかわかりません。
今度、機会があれば、もう一度確かめてみたいと思います。

東京に着いて、先に買い物を済ませ、ホテルに向かい、着込みすぎていたので着替えていたら、すっかり時間が遅くなってしまいました。
忘年会場まで、その時間に間に合うのかどうかも不安になったのですが、最善の交通手段を考え、無用に焦ることも戸惑うこともなく、的確に行動することが出来て、時間内に間に合いました。

会場に着くと、200名を超える大きなパーティーであることを知り、果たしてこの中で知っている人を見つけることが出来るのか、不安ではあったものの、知り合いに出逢い、再会を喜びました。
そうしているうちに、つい最近、一緒に仕事をした人にも出会うことが出来、楽しい時間を過ごしました。
この仕事をしていなければ、全国各地に、知り合いが出来るなんてことなかっただろうし、色んな年代の、違った生き方の人と話すこともなかっただろうし、今、自分の置かれている状況を喜ぶことが出来ました。

東京に着いて、パーティー会場の地名とホテルの地名を20年前好きだった人にメールを送っていました。
会えれば嬉しいけれど、会えなくても仕方ないし、もし会うことが出来るのなら、思うままに行動しようと思っていました。
私の住んでいるところとは離れているし、何かあったとしても、離れられなくなることはないだろうし、傷付くようなことがあっても、二日後にカウンセリングを受けるのだし・・・・
罪悪感で縛ることはせずに、心の中の私に、どうしたいのかちゃんと聞いて行動できたらいいなぁと思っていました。

パーティーの終わる時間は、以前知らせていただけだったのに、ちゃんと覚えていてくれていて、終わる前に、近くに来ているからとメールが来ました。
自分の居る場所も、上手く説明できなかったのだけれど、ちゃんと逢うことが出来ました。