私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

男性であるあなたへ

2005-12-21 20:22:27 | 日々つれづれ
斎藤学先生のブログさまざまな保護者の間でを読んでの感想

子どもを産んで思うことは、仕事を持たない主婦にとって、特別何かしていない限りは、自分の世界がないということ。
もちろん、それまでに築いた人間関係や友達もあるのだけれど、結婚し、子供を持ち、取り巻く環境が変わってしまうと、それまでと同じように関係を保つことは難しくなっていく。
少しずつ、共通点が減っていくからだ。同じように、結婚し子どもを持っていても、いつでも電話で話せるというものではないし、いつでも会えるという訳でもない。
段々、疎遠になってしまう。

そして、以前話題になった言葉、「公園デビュー」
子どもを通して、新しい世界を持つことになる。
そこでの話題は、当然子どものことと旦那のこと。
共通の趣味があれば、別なのかもしれないが、そうでない限りは、それしか話題が持てない。
せいぜい夕飯のメニューくらいだ。

そこでは、乱さないことが原則となる。
同じような時間に公園に出向き、同じ時間に帰っていく。約束したわけでもないのに。
時に、子どもの洋服の話題になり、しつけの話題になる。
そして成長の話題。
他の子どもとわが子を比較し、同じではないところを見つけ不安になる。
その不安を、旦那にぶつけても、気に止めてもらえもしない。

子どもの世界=母親の世界と変わりゆく。
子どもが少し大きくなれば、どこの幼稚園に進むかが話題になる。
少しでも、いい幼稚園に入ろうものなら、もうその世界には戻れない。
幼稚園に入っても同じだ。
役員会があり、バザーの手作りの集まりがある。
同じように出席することを、お互いが縛りあい、同じように出来ない場合は蚊帳の外に出されてしまう。
今度は、母親の世界が、子どもの世界となる。
母親は子どもをコントロールし、自分の仲のいい母親の子どもと遊ばせようとする。

子供同士は、傷つけあい、泣きあうこと、悲しい経験、マイナスの出来事でも心を豊かにする。
けれども、そんなマイナスの行動すべてを親が取り上げてしまう。
痛みを感じることなく育った子どもは、他人の痛みもわからない。
大人の見ているときの自分と、見ていないときの自分を、器用に使い分けていく。
母親は、自分の子どもを信じて疑わない。
仮に、マイナスの行動を取り上げない親がいれば、激しく非難され、子どもは悪い子としてレッテルを貼られる。
母親は、それを目の当たりにし、そこから脱落しないように必死になる。
脱落しないためには、脱落者を作る必要がある。
誰かを悪者に仕立て上げることで、自分の位置を保持しようとする。

子どもが、小学校に上がり、独自の世界を作り始めてもなお、子どもの世界を監視する。
親が見ている子どもが、子どものすべてでは決してない。
仲間から情報を集め合い、自分達の持つ情報を並び替え、何か悪いことが起こった時は、その情報を元に分析する。
仲間に入っていない、親と子どもがターゲットに祭り上げられる。

その家庭は、上流階級であったり、母子家庭であったり、何か理由を見つけて、非難する。
女性特有の嫉妬心からくるものであったり、理由は様々だ。
何か、自分達の子どもに困ったことが起きたとしても、自分達の仲間ではない、誰か問題のありそうな子どもが主犯格なのだと摩り替える。
自分がその立場にならないように、必死に仲間達の世界で生きている。
集まれば、誰かを誹謗し、同じように過ごすこと、時にお茶会を開き、時に子供達を預け出掛ける。
そこへ行かなければ、もしかしたら自分がターゲットになるかもしれないのだ。
その恐ろしさを知っているから、母親も必死だ。

本当は、そこから救い出すことが出来るのは、父親である旦那であったり、自分自身の世界を持つことなのだが、そこから抜け出すことが出来ない。
女性が徒党を組めば、教師一人、左遷することくらい簡単なのだ。
だから教師も、動けなくなってしまう。
自分の目で見たものを信じ、自分の目の前にいる子どもを守ってやることが出来なくなっている。
自分を守ることで精一杯だから。
守ってもらえなかった子どもは、悲惨だ。
自分が正しいことを主張すればするほど自分の立場を失っていく。

子どもを持ち、そんな母親達と係わらずに、巻き込まれまいとしてきた。
でも、時々苦しくなる。
いや、どこに居たって母親は苦しいのだ。
仲間に入ろうと入るまいと。
気にしないのが一番だと思ってみても、わが子に降りかかる火の粉は近くにあったりする。

男性に、父親に、もっともっと、このことに気が付いて欲しいと思う。
あなたが、女性を家庭に縛り付けることを辞め、子育てに参加し、女性が自分の社会を持つ時、初めて子どもは子どもらしく育つのではないだろうか?
社会から阻害された女性が、新しい社会を担う子どもを育てることは出来ないのではないだろうか?
それにあなたが気付いた時、初めて、あなた自身も解放されるのではないだろうか?

気が付いたこと

2005-12-21 12:19:34 | 私のこと
明日から、東京へ行く。初日は、来年の仕事の打ち合わせ&忘年会。
そして、その後、時間が合えば、ある人と会う約束をしている。
20年前、私が好きだった人。でも、一度も好きだって言えなかった。
言えないまま、遊んでる振りして、遊ばれた。それも定かではない。
7つ年上で、レコードデビューして、色んな雑誌に写真が載った。
遠い人だった。手の届かない人になった。
コンサートの楽屋で、会ったのが最後。今は、サラリーマンしている。
偶然にHPを見つけて、掲示板に書き込んでみた。
自分のバンド名と下の名前を書き込んだ。
私のこと、判らないかもしれないな。
周りにはいつも女性がたくさんいたし、私も、その中の一人に過ぎなかっただろうから。

ある日、メールが届いた。
デートしたことも、デートした場所も、ちゃんと覚えていてくれた。
自分の作った歌の題名も思い出せないのに。
上京したら、会おうね。そうメールで話していた。
実際、会えるのか、会うのか、まだ私には判らない。
でも、もし会えるのなら、あの頃の気持ち、伝えられたらいいなと思う。
そして、大人の会話がしたいな。



ふと、思い出したこと。
それまで自分で自分を遊んでる女だと思っていた。
いろんな人とセックスもしたし、いつも誰かにしがみ付いていた気がしたから。
でも、よく考えてみると、好きじゃない人とは、関係が持てなかったことに。
好きな人とだけ、そうなっていたことに。
遊んでいたんじゃなくて、遊んでる振りしていただけだった。
そうしていないと、誰も愛してくれない、私が好きだと伝えたとたん、相手が逃げ出してしまうんじゃないかといつもビクビクしていた。

好きじゃない相手に誘われて、断れなくてホテルまで行って、ベットの上にいても、とっさに逃げ出していた。
キスされても、抱きしめられても、そこから先は、出来なかった。
感じることも、乱れることも、流されることも、出来なかった。
「いや」抵抗して、逃げ出してしまった。
そんなことは、一度や二度じゃなかった。
不倫していた時、そうやって流されてしまったら、誰か他の人のこと好きになれるのではないかと思っていた。
以前、付き合って関係を持った男性とも、ホテルに行った。
もしかしたら、よりを戻せるかもしれないそう思った。
でも、やっぱり出来なかった。



旦那は、無理やり成し遂げた。
これで不倫の恋から逃れることが出来る。そう思った。
欲しいものを欲しいという無邪気さが私の心の隙間に入ってきた。
この人だったら、私を幸せにしてくれるかもしれない。
好きで好きでたまらない相手よりも、愛される方が幸せになれるのだと、そう思っていた。