私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

母との会話

2005-12-04 23:51:18 | 日々つれづれ
今、休みの日も、夜まで仕事に出ているため、母に子守に来てもらっています。
母とは、10月の終わり以来、色んな過去のことを話しています。

母「最近ね。自分でも変わったなと思うよ。この前もね、長電話していて、その間に、お父さん色々仕事していて、電話を切ったら、
『長電話の間に、こんなにも仕事が出来たよ』って言うから
『わぁ、すごい。えらい、えらい』って言ったのよ。
お父さんは『人を馬鹿にして』って言ったけど、本当にそう思えるのよ。
前だったら、どうしよう悪いことをしたって反省していたのに・・・・
どうして、電話をもっと早く、切らなかったんだろうって自分を責めていたのに、今は、本当にそう思えるんよね。」

私「そう思っていたときには、私達にも、同じようにすることを求めていたでしょう?」

母「子どもって一心同体だと思ってたからね。いい子に育てようと、そうしてたかもしれないね。」

私「なんかねぇ、お母さんって、お父さんには絶対、何も言わなかったよね~。
『熱が出ても、何もしてくれない』とか私達には愚痴言ってたじゃない?
あれって、直接言えばいいのにって思ってたよ~」

母「そうだった?」

私「そうよ。結構、言ってたよ。
言わなくても不機嫌だったり・・・・なんで、私に言うんだろうって。」

母「だけど、お父さんのすることは正しいんだって思って、言えなかったのかもしれないね。」



母「高校の、バスに乗って何かの郊外研修の時、隣に座っていた人がね『楽しかった?』って聞いてきて、楽しいとか、幸せだと思ったことなんてなくて、楽しいって言うのがどんな気持ちかわからなくて、『楽しくなかった』って答えたら、『そういう時は、楽しかったって言うのよ』って言われたことがある」

私「えーっ。それって、高校になるまで、楽しいって感じたことなかったってこと?楽しいってことがわからないまま、私も育てられたの?」
(母は20歳で結婚して、22歳で私を産んでいます」

母「うーん、わからんねぇ。あの頃は、みんな大変だったしね。
みんなそうだったんじゃないの?
ただ、結婚する時に『なんで、こんなに早く、結婚するのかわかってるの?』とその時、初めて親に、反抗したよ。
でも、その意味を、わかっていないかもしれないね。
とにかく、両親を見ていて、こんな風になりたくないという決め事がいっぱいだったし、早く結婚して、家から離れたかったから。
そして、絶対に、親と同じことはするまい。自分が嫌だったことはするまいと思っていた。」

母「だけどね。お父さんのことは、自分よりもずっと立派な人で、この人についていけば、間違いないと思っていたし、尽くすのが幸せだと思っていたからね。
それにね。酒呑んで、暴れているおじいちゃんで、嫌だったんだけど、唯一いいなと思っていたのは、呑まずに帰ってきたときに、『お食事になさいますか?お風呂になさいますか?』っていうおばあちゃんの言葉なの。
だから、そんな風にしていこうと思って・・・・・。」



私「どうして、○○(故郷)に帰ってからは、お母さんは、解放されたの?
私達と離れたから?
それまでは、自由に行動していなかったのに、何故、好きなことが出来るようになったの?」

母「それまでは、お父さんが働いたお金と思って自由に使うことが出来なかったよ。
欲しいものがあっても、我慢してきたし・・・・
でも、年金生活になったら、二人で頑張ってきたお金だし、自分が働いていなかったら、貯金もなかっただろうと思って、年金生活になったら、自由にしようと思ってたんよ。」

私「それまでとギャップが大きかったし、結構、戸惑ったよ・・・・
今まで、そう(母のように)しなければ、いけないと思っていたのに、突然、変わってしまうんだもの・・・・・」

母「あっ、そう?」

それまでは、父が惣菜が嫌いだからという理由で、何があっても食事を作り続け、母が入院中は、私がそれを継ぎ、毎日、父のお弁当を作り、夕食を作っていました。
結婚した時、旦那が「出前を取ろう」と言った時も、「そんなこと恥ずかしいから止めて」って言ったくらいでした。
家で作らないのは、女として恥ずかしいことだと思っていたのでした。
それなのに、父の食事の心配もしないで、家を空ける母を見て、私は混乱していました・・・・・

私「そうよ。それに、前は、うちに来て、汚いってすぐに掃除してたじゃない。今は言わないもの・・・・」

母「あの頃より、きれいだからね。あの時は、汚かったよ。」

たぶん、あの頃の方がきれいでした。
母が来るたびに、必死で掃除をしていました。
母は、よその家に行くたびに、
「○さんの家は散らかっていた、汚かった。あんなふうになってはいけない」としょっちゅう言っていました。
私は、母に認められたい一心で、一生懸命掃除をしていました。
でも、母は、ここが汚いと指摘をし、うちにいる間中、掃除をしていました。
母が掃除をするのを見るたびに、嫌な気持ちになっていました。
今は、そんなにも、掃除をしていないし、仕事の書類も、散らかっています。
私も、母が掃除をしても気にならなくなりましたけど・・・・・



それと、私が何度も見ていた夢の話をしました。
私「何かが降って来て、それを3つ数えるうちに、食べつくさなければ死んでしまうという夢を見ていたんだけれど、それって、お母さんの母乳と関係あるような気がするんだけれど、私って、苦しそうに飲んでいた?
張って、すぐに出ておしまいだったって言っていたけれど、その時に、顔に散ったりしていた?
飲み終わっても、まだ、欲しそうだった?」

母「うん、顔にも散っていたかもしれないね。出るのは一瞬だったからね。
3ヶ月ごろから、ほとんどお乳も出なくなって、ミルクも飲まないし、今みたいに、相談するところもなく、どうしていいかわからなかったからね。
お腹がすくのか、泣いてばかりいたよ。そのうち離乳食が始まったけどね。」

私「なんで、そんな夢ばかり見るんだろうって思っていたよ。前世に、戦争にあって、空から爆弾が落ちてきていたのかなとか、土砂崩れに遭ったのかなって思ったり。
それにしても、3つ数えるうちに、食べつくさないといけないって言うのがわからなかったんよね。
やっぱり、お乳のことだったのかなぁ・・・・・」




母の思いを聞きながら、過ぎてしまえば、なんてことないことなのに、気にしている私がいて、それを伝えることも聞くことも出来なくて、ずっと過ごしてきたんだなと思います。
私が、傷付いたと思っている、妹の誕生のことについては、聞けないけれど、母と普通に過去の気持ちを話せるようになったことは、私にとって大きいなと思います。