私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

素敵な一日

2005-12-23 16:04:35 | 私のこと
昨日は、自分の心の中の変化とゆっくりと向かいあえた本当に充実した一日でした。行ってみたいと思っていた夜の東京タワーにも行けました。
色んなことがあったのでまたゆっくりと書いていきたいと思います。
今日は仕入のつもりが祭日なので、問屋街は休みの店が多くて、時間が余ってしまいました。
なので珍しくゆっくり昼食。東京ではいつもバタバタでまともに昼食を取ったことありません。
今回は行けそうもないと思っていた展示会にも行けたし、大満足。
今夜は、千葉に住む、お客さんと食事にいく予定で、時間があるので、ホテルに帰って、アロママッサージでも受けてみようかなぁ~


最近

2005-12-22 05:07:21 | 私のこと
別居して、ここ最近ようやく、睡魔というものが襲ってくるようになった。
それまでは、長男と一緒に眠りに着くのが当たり前だった。
いくら布団から抜け出そうと、計画していても、いつも間にか眠りについてしまい、気が付いたときには、数時間が過ぎていた。
でも、別居してからは、何かを取り戻すかのように、一緒に眠ることなく起き出していた。

それが、ここ数日、一緒に眠りについてしまう。
台所の茶碗や、洗濯機の中の洗濯物がそのままだったりするので、慌てて起き出す。
そして、少し自分のことをしていると、長男が泣き始める。
傍に行って寝かせる。また、うとうとと眠りにつく。
片付けるために、また起き出して・・・・・そんな感じ。

実は、今夜もそうだった。
マニキュアを乾かす最中だったのに、泣き出してしまい、寝かせつけたつもりが、こんな時間。
ハロゲンヒーターも電気もそのままだったので慌てて起きてきた。
起きてみると、爪には痕がついちゃってるし、おまけに雪が積もってるし・・・・
もう一度、寝ようと思っていたけれど、移動中寝てもいいし、もう起きていよう。
今日、東京へ行けるのだろうか?
雪があまり降っていなかった昨夜でさえ、交通機関乱れちゃってるし。
忘年会も、忘年パーティーなんてなってるし、一応出版社の企画だから、ワンピースを準備しているのだけれど、この雪の中無謀なような気がする。

子ども達を送り出して、掃除をして出掛けようなんて思っていたけれど、そんな悠長なことやっていられないみたい。
バスも使えそうもない。送り出してその足で、タクシーで出掛けよう。

今夜は、更新できるかな?
慣れない携帯でのアップも出来るように準備してみたし、一応ホテルの一角にパソコンが設置されているみたいだし。
ネット依存度を調べたら、重度と出た。なしでも耐えられるかやってみようかな?

男性であるあなたへ

2005-12-21 20:22:27 | 日々つれづれ
斎藤学先生のブログさまざまな保護者の間でを読んでの感想

子どもを産んで思うことは、仕事を持たない主婦にとって、特別何かしていない限りは、自分の世界がないということ。
もちろん、それまでに築いた人間関係や友達もあるのだけれど、結婚し、子供を持ち、取り巻く環境が変わってしまうと、それまでと同じように関係を保つことは難しくなっていく。
少しずつ、共通点が減っていくからだ。同じように、結婚し子どもを持っていても、いつでも電話で話せるというものではないし、いつでも会えるという訳でもない。
段々、疎遠になってしまう。

そして、以前話題になった言葉、「公園デビュー」
子どもを通して、新しい世界を持つことになる。
そこでの話題は、当然子どものことと旦那のこと。
共通の趣味があれば、別なのかもしれないが、そうでない限りは、それしか話題が持てない。
せいぜい夕飯のメニューくらいだ。

そこでは、乱さないことが原則となる。
同じような時間に公園に出向き、同じ時間に帰っていく。約束したわけでもないのに。
時に、子どもの洋服の話題になり、しつけの話題になる。
そして成長の話題。
他の子どもとわが子を比較し、同じではないところを見つけ不安になる。
その不安を、旦那にぶつけても、気に止めてもらえもしない。

子どもの世界=母親の世界と変わりゆく。
子どもが少し大きくなれば、どこの幼稚園に進むかが話題になる。
少しでも、いい幼稚園に入ろうものなら、もうその世界には戻れない。
幼稚園に入っても同じだ。
役員会があり、バザーの手作りの集まりがある。
同じように出席することを、お互いが縛りあい、同じように出来ない場合は蚊帳の外に出されてしまう。
今度は、母親の世界が、子どもの世界となる。
母親は子どもをコントロールし、自分の仲のいい母親の子どもと遊ばせようとする。

子供同士は、傷つけあい、泣きあうこと、悲しい経験、マイナスの出来事でも心を豊かにする。
けれども、そんなマイナスの行動すべてを親が取り上げてしまう。
痛みを感じることなく育った子どもは、他人の痛みもわからない。
大人の見ているときの自分と、見ていないときの自分を、器用に使い分けていく。
母親は、自分の子どもを信じて疑わない。
仮に、マイナスの行動を取り上げない親がいれば、激しく非難され、子どもは悪い子としてレッテルを貼られる。
母親は、それを目の当たりにし、そこから脱落しないように必死になる。
脱落しないためには、脱落者を作る必要がある。
誰かを悪者に仕立て上げることで、自分の位置を保持しようとする。

子どもが、小学校に上がり、独自の世界を作り始めてもなお、子どもの世界を監視する。
親が見ている子どもが、子どものすべてでは決してない。
仲間から情報を集め合い、自分達の持つ情報を並び替え、何か悪いことが起こった時は、その情報を元に分析する。
仲間に入っていない、親と子どもがターゲットに祭り上げられる。

その家庭は、上流階級であったり、母子家庭であったり、何か理由を見つけて、非難する。
女性特有の嫉妬心からくるものであったり、理由は様々だ。
何か、自分達の子どもに困ったことが起きたとしても、自分達の仲間ではない、誰か問題のありそうな子どもが主犯格なのだと摩り替える。
自分がその立場にならないように、必死に仲間達の世界で生きている。
集まれば、誰かを誹謗し、同じように過ごすこと、時にお茶会を開き、時に子供達を預け出掛ける。
そこへ行かなければ、もしかしたら自分がターゲットになるかもしれないのだ。
その恐ろしさを知っているから、母親も必死だ。

本当は、そこから救い出すことが出来るのは、父親である旦那であったり、自分自身の世界を持つことなのだが、そこから抜け出すことが出来ない。
女性が徒党を組めば、教師一人、左遷することくらい簡単なのだ。
だから教師も、動けなくなってしまう。
自分の目で見たものを信じ、自分の目の前にいる子どもを守ってやることが出来なくなっている。
自分を守ることで精一杯だから。
守ってもらえなかった子どもは、悲惨だ。
自分が正しいことを主張すればするほど自分の立場を失っていく。

子どもを持ち、そんな母親達と係わらずに、巻き込まれまいとしてきた。
でも、時々苦しくなる。
いや、どこに居たって母親は苦しいのだ。
仲間に入ろうと入るまいと。
気にしないのが一番だと思ってみても、わが子に降りかかる火の粉は近くにあったりする。

男性に、父親に、もっともっと、このことに気が付いて欲しいと思う。
あなたが、女性を家庭に縛り付けることを辞め、子育てに参加し、女性が自分の社会を持つ時、初めて子どもは子どもらしく育つのではないだろうか?
社会から阻害された女性が、新しい社会を担う子どもを育てることは出来ないのではないだろうか?
それにあなたが気付いた時、初めて、あなた自身も解放されるのではないだろうか?

気が付いたこと

2005-12-21 12:19:34 | 私のこと
明日から、東京へ行く。初日は、来年の仕事の打ち合わせ&忘年会。
そして、その後、時間が合えば、ある人と会う約束をしている。
20年前、私が好きだった人。でも、一度も好きだって言えなかった。
言えないまま、遊んでる振りして、遊ばれた。それも定かではない。
7つ年上で、レコードデビューして、色んな雑誌に写真が載った。
遠い人だった。手の届かない人になった。
コンサートの楽屋で、会ったのが最後。今は、サラリーマンしている。
偶然にHPを見つけて、掲示板に書き込んでみた。
自分のバンド名と下の名前を書き込んだ。
私のこと、判らないかもしれないな。
周りにはいつも女性がたくさんいたし、私も、その中の一人に過ぎなかっただろうから。

ある日、メールが届いた。
デートしたことも、デートした場所も、ちゃんと覚えていてくれた。
自分の作った歌の題名も思い出せないのに。
上京したら、会おうね。そうメールで話していた。
実際、会えるのか、会うのか、まだ私には判らない。
でも、もし会えるのなら、あの頃の気持ち、伝えられたらいいなと思う。
そして、大人の会話がしたいな。



ふと、思い出したこと。
それまで自分で自分を遊んでる女だと思っていた。
いろんな人とセックスもしたし、いつも誰かにしがみ付いていた気がしたから。
でも、よく考えてみると、好きじゃない人とは、関係が持てなかったことに。
好きな人とだけ、そうなっていたことに。
遊んでいたんじゃなくて、遊んでる振りしていただけだった。
そうしていないと、誰も愛してくれない、私が好きだと伝えたとたん、相手が逃げ出してしまうんじゃないかといつもビクビクしていた。

好きじゃない相手に誘われて、断れなくてホテルまで行って、ベットの上にいても、とっさに逃げ出していた。
キスされても、抱きしめられても、そこから先は、出来なかった。
感じることも、乱れることも、流されることも、出来なかった。
「いや」抵抗して、逃げ出してしまった。
そんなことは、一度や二度じゃなかった。
不倫していた時、そうやって流されてしまったら、誰か他の人のこと好きになれるのではないかと思っていた。
以前、付き合って関係を持った男性とも、ホテルに行った。
もしかしたら、よりを戻せるかもしれないそう思った。
でも、やっぱり出来なかった。



旦那は、無理やり成し遂げた。
これで不倫の恋から逃れることが出来る。そう思った。
欲しいものを欲しいという無邪気さが私の心の隙間に入ってきた。
この人だったら、私を幸せにしてくれるかもしれない。
好きで好きでたまらない相手よりも、愛される方が幸せになれるのだと、そう思っていた。

褒めるということ

2005-12-20 14:32:53 | 私のこと
小学校の頃、バレエを習っていました。
向いてはなかったと思うけれど、とても好きでした。
上手く言えないけれど、格好をつけているようで、自分自身が努力した姿を見せることが恥ずかしかったのです。
なので、親の前で練習することもなかったし、出来るだけいい姿を見せようとは思いませんでした。
努力はするのだけれど、いい所を見せることは、やっぱり恥ずかしかったのです。
そして、親からさっさと辞めさせられてしまいました。

それは、大人になっても同じでした。
カラオケに行っても、成り切ることは、恥ずかしかったです。
演じることが出来ないというか、他の人が、成り切るのを見ても、不快に思ったり、おかしいと思ったりすることはないし、むしろあんな風に上手く歌って見たいなと思うのに、実際は、歌うことで精一杯でした。

妹は、幼稚園の時から、お遊戯をしても、とても上手く、その役に成り切っているのに、私は、それが出来ませんでした。
カラオケに行っても、やはり、妹は自己陶酔していて・・・・・
でも、私は、自分自身の姿から離れることが出来ませんでした。


長女は、ダンスに通っていて、やはり私と同じような態度でした。
それなのに、本人はとても続けたがりました。
私は、長女に練習を強い、毎日、嫌がるのに練習をさせてしまいました。
「体が小さいのだから、人よりも大きく動かないと・・・・」
「練習しないのなら、辞めさすよ。」と脅迫もしてしまいました。
でも、確実に上手くなっていきました。
人を見ながらおどおどして踊っていたのに、前を向いて踊ることが出来るようになりました。

「続けたいのなら、努力しなさい。皆、一生懸命練習しているのに、いい加減な態度なら、皆に迷惑かけるよ。」
かなり、追い込んでしまったかなと思いました。
先日のステージでは、周りと代わり映えしないほど、踊れていました。
「上手くなったじゃない。頑張って良かったね~。」
思わず褒めていました。

私は、褒めるのがとても下手です。
褒めて育てた方がいいと判っていても、どう言葉をかけてやればいいのかわからないのです。
たぶん、褒められたことがあまりないからだと思います。
褒められるのは、他人から評価され、その評価を母が聞いた時、だったように思います。
私は、演技することも下手です。褒めるふりさえ出来なかったのです。
なので、長女はよく私に言っていました。
「おかあさんは、何でもふーんなんだね。感情がないね。」って。

でも、私に褒められ長女は嬉しかったのだと思います。
先週、レッスンを見に行った時、のびのびと踊る長女の姿がありました。
「上手くなったね~。すごいねぇ」嬉しくて自然に褒めていました。
「先生の教え方が上手かったのよ。」長女は、言いました。
そして、嬉しそうに、教えてもらったことを話してくれました。


ここ数年、ようやく、人にいい所を見せようとしてもいいのではないか?と思うようになりました。
むしろいい所を見せたいと・・・・・
皆、そうしていることに気が付きました。
そして、化粧が出来るようになったり、色のついた服が着られるようになったり、飲んで違う自分を出すことが出来るようになりました。
夏の子どもの運動会で、リレーに立候補できたのも、そのせいなのかもしれません。

今朝、ゴミを集めていると、長女のスピーチのメモが出てきました。
「ダンスで前は、はずかしくて本気でおどれなかったけど、みんな本気でやっているということがわかって本気で取り組めるようになりました・・・・・
私は何事も本気で当たり前になれるようにがんばりたいです」
そう書かれていました。

私が、今頃になってようやく気が付いたことを、長女は10歳で気が付いてくれたんだなと思いました。
かなり追い詰めてしまったけれど、努力すれば結果に現れるということも判ったみたいで、嬉しかったです。
嬉しいと同時に、私が気付くことが出来たから、この子も気付けたのかなって思いました。
でも、頑張れても、頑張れなくても、支えてあげなくてはいけないなって思ったのでした。

運命の人

2005-12-19 14:37:59 | 私のこと
私には、仕事を通じて知り合った友達Iさんがいます。
最初は、共通の友人の紹介で出逢いました。
Iさんとの出会いは、私を大きく変えてくれたように思います。
Iさんがいたから、今の仕事が出来ている、そう言えるかもしれません。
私とIさんとは共通点が多く、他人とは思えないそんな感じです。
誕生日も3日違いで、血液型も、占いの項目(土星人+うお座・・・)などすべて同じです。
おまけに、旦那と知り合ってから結婚するまでの期間や経緯、結婚した歳、長女の年齢、次女の誕生日は6日違いと似ています。
おまけに、家に遊びに行った時の家の雰囲気。お互いの母親を見て、似てると思ってしまったこと、何から何まで似ていて、びっくりするくらいでした。

性格も、考え方も驚くほど似ていて、何も考えなくても通じ合える相手だなぁと思っていました。
なので、仕事のことはもちろんのこと、子どものことなどもよく話していました。
Iさんに出逢うまでは、自分から誘ったり出来なかったのに、Iさんには気兼ねなく誘え、断ることが出来るのです。
Iさんと、一緒に居るから仕事が出来、お互いに支えあえるような関係だなぁと感じずにはいられませんでした。
Iさんとの出逢いによって、私の運命は大きく変わったと思わずにいられないほどでした。

今日、2ヶ月ぶりにIさんに電話をしました。
別居を始めてから、2回ほど会って、別居の経緯を話していました。
私の気持ちを理解してくれて、私の思いをすべて受け止めてくれました。
久しぶりに電話で話して、今、カウンセリングに掛かっていること、そしてそこでの話をしました。
二人の間で、今まで触れることのなかった過去の恋愛の話、不倫していたことなど話しました。
そして、源氏物語の紫の上みたいな女性になりたいと思っていたこと、そんなことまで話してみました。
驚いたことに、Iさんも同じような恋愛をしていて、同じように紫の上のようになりたいと思っていたそうです。

話は、どんどん幼児期の体験の話になり、Iさんは、その時の感情が今の自分の感情に繫がっていることに気が付いていました。
Iさんは、出産後その事に気が付き、妹と会うたびに、自分達の子どもの頃の体験を話しながら、お互いにあの頃の自分を慰め、泣いているそうです。
Iさんの話を聞きながら、私も自分の体験を話し、泣いてしまいました。

Iさんは、色々、自己分析していて、子どもの時にこうしていたことで、今こうなっているとか、子どもの時にこんな風に感じていたという話をしてくれました。
Iさんは、何か本を読んで、そう感じたのではなく、長女を産んだ後、抱いていた時に、ふと自分を振り返るきっかけになったそうです。
Iさんの話は、まさに私そのものでした。
Iさんは、明るくてチャーミングで、少し抜けたところがあるけれど、そこが良くて、大人の女性というイメージでした。
なので、そんな風に何かを抱えているようには見えませんでした。

過去には、ここまで掘り下げて自分のことを話したことはありませんでした。
カウンセリングでも、まだ話していなかった思いや感情も話しました。
でも、ここまで似ているのは何故と思えるほど、似ていました。
私達が、今までお互い似ていると感じあっていたのは、もしかしたら、過去の背負っている部分すべてを無意識のうちに感じ取っていたのかもしれません。

「可哀相だったよね~。」
今まで、可哀相だったって素直に思えなかったのに、Iさんの言葉で、本当に素直な気持ちで真っ直ぐに、自分の子ども時代を振り返ってやることが出来ました。
「認められたくて、一生懸命だったんだよね。頑張っていたんだよね。」
お互いが、思いを話すことが出来ました。
自分で、その事に気が付き、きちんと向き合っているIさん、すごいなぁと思いました。
まだまだ、色々出てきそうで怖いよ。そんな風に言っていました。
実家に帰るたびに、妹と過去を振り返って話しているそうです。
そんな風に、自分で気が付いて、癒すことが出来る人もちゃんといるんだなぁと思いました。

出逢って4年。こんなに近くに同じ思いの人がいたなんて想像もしてなかったよ。
でも、それは私が、自分に向き合っていなかったから、気付かなかっただけなんだけどね。
10年近く前から、ちゃんと自分と向き合っているIさんがいて、なんだか頼もしかった。
やっぱりIさんは運命の人だった。これからもよろしくね。

殺意

2005-12-19 00:19:23 | 私が離婚を決めた理由
旦那のことを、殺してしまいたいと思ったことがある。
ののしられて、何故こんな思いばかりしなければならないのかと・・・
寝ている間に、首を絞めたら、私は解放されるのではないかと・・・
でも、こんな男の為に、何もかも失ってしまうのは嫌だと思い、実行出来なかった。
私が、出来ることといえば、暑い夏、窓を閉めて暖房を入れることと、冬にこっそりと窓を開けて置くことくらいだった。
心臓麻痺でも起こしてくれればいいのに、切に願った。
仕事中、交通事故を起こせばいいのに、そんな風にも思った。
そうすれば、一生困らないくらいの保険金が入るだろうから。

そこまで思いながら、旦那が別れようと言った時には、泣いて謝った。
一人で生きていく自身がなかった。
でも、今、こうして旦那の手も借りないで生活が成り立っている私がいる。
給料を入れてもらっていることも、もちろん大きいけれど、子ども3人抱えながら、生活に支障もなく、困ることもなく・・・・

今はもう、死んで欲しいなんて思わない。
子ども達の父親として、やはり生きていてやって欲しい。
でも、もし何かで、死んでしまうことがあれば、
私は、泣けるのだろうかと思う。
何の気持ちも沸き起こることなく、ただそこにたたずんでいるだけのような気がする。

私が、私であるという感情はあるのだけれど、旦那のことを考えたとき、私は、私が存在していないかのように感じる。
私の感情が、恐ろしいほどに無なのだ。
あんなにも苦しく、あんなにもぐつぐつと沸きあがっていた感情が、まるで心を失くしたかのように、何も感じてこないのだ。
過去の自分や、子ども達のことを考える時、痛みや苦しみが胸に疼くのに、旦那のことを考えた時は、すべての感情を消してしまったかのように感じてしまう。

これが正常なのか、異常なのかはわからない。
ただ、安らかに時が過ぎていく。
ずっと、このまま向き合うことなく、日々が過ごせていけるのならどんなに楽だろう。
もう、あの苦しみや怒りは味わいたくはない。
私が、殺意を抱いていたのは、旦那ではなく、自分のこんな感情なのだろう。
今ようやく、殺すことが出来ている。
押し殺すのではなく、消えてしまっている。
これが、永遠に続けばいいのに・・・・・

積雪

2005-12-18 14:34:24 | 日々つれづれ
昨夜は、雪に興奮して、ベランダで遊んで、すっかり寝るのが遅くなった子ども達。
「5時に目覚ましかけてもいい?」なんて聞いてくるので、
「いつも7時でも起きられないのに、こんな時間に寝て起きられるはずないじゃない。
かけなくてもいい!!」
と怒ってしまった私。
「子どもが、雪が降ったら、どんなに嬉しいかお母さんにはわからないのよ。」
口ばっかり達者な次女。

2時過ぎに寝て、のんびりしたかったけれど、7時に起きて、外を見ると積もっていました。
着替えて、身支度して、子ども達を起こして、一緒に公園に行きました。
雪が降ると、子ども達よりも、張り切ってしまうのは・・・・私です。
休みのせいか、まだ誰もいなくて、真っ白な雪を踏みしめるのもまた楽しい。

あまり乗り気ではなかった長女も、遅れてやってきて、雪だるまを作りました。
サラサラの雪で、なかなか上手く出来ず、でも、目標は長男よりも大きい雪だるまだったので、誰よりも一生懸命だった私。
体も、ほかほか温まりました。

長男と一足先に家に帰り、朝食の支度。久しぶりに子ども達と本気で遊び、楽しかったです。
なんだか心まで解放されたような朝でした。
それにしても、大人って私だけでした。
まだまだ、大人になりきれていない私です・・・・。

トラウマ?

2005-12-18 01:19:13 | 私のこと
先月、エレベーターに小学生25人が25分間閉じ込められるということがあって、その後精神面のケアをされたみたいなのですが、私も、閉じ込められた経験があります。
大人と子どもでは、ストレスを受ける度合いが違うのでしょうか?

当時、私は次女を妊娠していて、8ヶ月くらいではなかったこと思います。
不幸なことに、ほとんど間が開かずに、2回も閉じ込められてしまいました。
一度目は、一人で職場の荷物運搬用エレベーターに乗っていて、ガタンと止まり、少しだけ落下しました。数分後に動き始めました。
そして、近くの階に止まり、20cm近く下がった状態で、エレベーターから降りました。
原因は、電線に鳥が引っかかって、停電を起こしたようでした。

二度目は、やっぱり職場のエレベーターで定員数よりもわずかに少なめの十数名が乗っていて、50分止まりました。
座ることも、動くことも出来ませんでした。
私のほかにも、妊婦がいました。
職場のエレベーターだったので、顔見知りが多く、そこまで不安な気持ちはありませんでした。
後で聞いたのですが、エレベーターが停止すると、換気機能も停止するため、かなり空気は薄い状態になるそうです。

しばらくは、エレベーターに乗ると、、また止まるかも・・・・と考えてしまいましたが、当時は官舎の6階に住んでいたり、仕事の関係で、閉じ込められてしまったエレベーターにもしょっちゅう乗り込むことが必要だったので、避けることは出来ませんでした。
特に、何のトラウマもなく生活できているように思っていました。

私は、エレベーターの夢をよく見ます。
それは、真っ直ぐに進まず、ゴンドラのように斜めに進んだり、急にスピードを上げたり、行きたい階に止まらなかったり・・・・・
どこに行くのか判らないという状態です。
もしかしたら、通常の生活では、なんの異常もないにしろ、潜在意識の中では、何かしらストレスを受けていたのかもしれません。

木曜日、歩道橋を歩いた時、足はガクガクで、呼吸は早くなり、やっとの思いで渡りました。
あの日、家に着く直前、足がとても重くなり、真っ直ぐ歩けなくなりました。
突然だったので、どうしたのか判らずにいると、足がしびれ始めつりそうになりました。
今までは、高いところが怖いだけだと思っていたのだけれど、他のサイトを見てみると、なんだかパニック発作の症状に似ています・・・・

次女を妊娠中、住んでいた官舎から、バス停に行くまでは歩道橋を渡るか、自転車道を通るしかなく、私は危険を冒して、青になるとすぐ、自転車道を走っていました。
妊娠中、貧血だったので、歩道橋を渡って、息苦しくなったり、足がすくむのが怖かったのです。

そんな自分に、特に異常を感じていなかったのですが、自分よりも高所恐怖症の人が皆、それを聞くと笑うのです。
子どものアスレチック遊具も怖くて、子どもが小さい時に付き添って回るたびに、子どもがわざと揺らすと、過剰に反応して怒っていました。
家の近くの山には、そこへ行くためのエスカレーターがついていたりするのですが、普通のものよりも少し長めです。
やはり、そこに乗るのも大変で、子どもが少しでも動こうものなら、泣いてしまいそうになります。
小学校の課外授業の引率もしたのですが、子どもや親を含め、誰一人そんな風ではなかったので、私は過剰なのかなと思っていました。

閉じ込められたエレベーターには、そこまで反応しないのに、高いところに過剰に反応してしまうのには、何か理由があるような気がします。
結構、日常生活に支障があるので、直せるものなら克服したいなと思います。

旦那への気持ち

2005-12-17 17:19:37 | 旦那への気持ち
別居を始めてしばらくは、何度も旦那に戻ってきた欲しいという想いが押し寄せていたのに、今は、全く無い。
「クリスマス、年末年始はどうするつもりですか?わたしも仲間に加えてもらえませんか?お願いします。」
ってメールが届いても、心を動かすことも無く、淡々と
「いつも、年末年始家族と過ごすこと考えていなかったよね。
なので、私のほうも考えていませんでした。実家に帰る予定です。」
なんてメールを打ち返すことが出来る。

「すごいことだね」って先生は言われたけれど、もしかしたら、旦那に対する愛情はないのかなぁと思ってみたりして。
何度、喧嘩を繰り返しても、何度、嫌な思いをしても、何度、別れるって啖呵を切っても、本当に、別れるって言われたらどうしようと不安になる私がいた。
揺れ動きながらも、別居してからは、離婚になってもかまわないと思い続けることの出来る私がいる。

見捨てられることを恐れて、ずるずるとお互いの問題を見ないまま、過ごし続けてきて、今ようやく、その期間を清算しているという思いが強い。
私の旦那への今までの想いは、いったいなんだったのだろう。
離れられず、しがみついているような、依存した関係?
旦那が居なくたって、何でも出来てしまうのに、いないとダメだなんて思い込んで、頼ってばかりいた。
頼っても頼っても、決してそれに答えてくれないことを本当は気が付いていたはずなのに、懲りもせず、何度も何度も同じことを繰り返し、同じように傷付いていた。
傷付いたのは私だけではなく、旦那も、子どももみんなを巻き込んでいた。

旦那への気持ちは、ゼロではない。
やはり10数年、一緒に暮らしていて、家族という思いは捨てきれない。
そして、子どもの父親であるということは、紛れもない事実である。
一緒に、もう一度やり直せたらという気持ちも、やっぱりゼロではない。
今は、会うことさえも、嫌だという感情を持ち合わせているのに・・・・・

誰かに、愛されたい、守られたい、そんな気持ちは、とても強い。
今なお、抱きしめられたいという想いは、心から消えていない。
心流されるままに、誰かに抱かれたら、この想いは少しは楽になるのだろうか?
それが、偽りの愛であっても、満たされた気持ちになるのだろうか?
そうではなくて、そこから去った時に、一層、その寂しさは募るのだろうか?
抱きしめられたいという想いは、人から満たしてもらうものではなくて、自分で満たしていかなければならないのだろうか?

初めてさかりを迎えたネコは、今までに持つ事の無かった欲望を持て余し、苦しんでいるように見えた。
切ない声を出し、身をよがらせて、私には辛そうに見えた。
私も、そうなのだろうか?
足りない部分を埋め合わせることで、心の隙間を埋められると思っているのだろうか?
そう信じて、いつも誰か傍にいてくれる人を求めてきたのか?
女であることが、悲しい。

おかげさま

2005-12-17 08:40:51 | 日々つれづれ
朝、4歳になる長男と、くもんの宿題をしていた時のこと
「お母さんのおかげで、6と9がわかるようになったよ。ありがとう。」
夕べ見た夢の話をしていると
「お母さんがバクさんにお願いしてくれたおかげで、楽しい夢が見れたよ。」

~のせいは恨みの気持ち
~のおかげは感謝の気持ち
一文字しか違わないのなら
~のせいと言うのはやめよう。

いいことも悪いことも おかげさま。
そんな風に考えられたら 素敵だな。

大切なことに気付かせてくれて ありがとう。
あなたのおかげだよ。

贅沢三昧

2005-12-16 21:18:53 | 日々つれづれ
今週は、自分のために過ごしたなって思います。
今日は、美容院に行ってきました。私が、美容院に行くのは、年に数回でした。
前回、髪を短く切ったことで、いろんな人に声を掛けられて、その時に、その前に美容院に行ったのは5ヶ月ぶりだということを話すと、笑われました。
今まで、そんなものだと思っていたのに、他の人は、そうではなかったようで・・・・
なので、出来るだけ時間がある時は、極力行ってみようと心に誓っていたのでした。

カットをしてもらいながら
「○○だから、こういう髪型が出来ないとか、諦めていることが、出来るようになったらいいと思わない?こうなればいいなと目標を持てると楽しくない?」と言われました。
なんだか、今までの私のことを見抜かれているようでドキッ。

ここの美容院(正確には理容院で届出されているらしい)とっても勉強熱心で、カットだけでなく、マッサージなどにも力を入れられています。
シャンプーも、体の中の老廃物を出すという働きを持っているらしく、私の髪も、癖毛で扱いにくかった次女の髪も、質が変わってきているのは体験済みで・・・・
今まで、使ってしまったシリコンだとか、良くない物質を出しながら、髪の毛を復元すること、マッサージによってそれが促進されるらしいです。

今まで、ロングにして、髪を束ねるしか出来なかった私。
今は、ショートも出来るし、束ねなくても、5ヶ月に一度の美容院でも大丈夫になってしまった私。
全面的に信頼していて、思い切ってマッサージも受けてみました。
触って硬い部分は、痛いそうで、そこには古い脂が溜まっているらしく、それを揉み解すそうで、骨格を中心にマッサージしてもらいました。

要らないものを出しながら復元していくこと。
そうすることで本来持っていたものを取り戻すことが出来るのだそうです。
一度、取り戻してしまうと、体が悪いものから守ってくれるようになるそうで・・・・
なんだか、今私がしていることに通ずるものが多く、話を伺いながら、納得していました。

そう言えば、ここに来るまでは、男性に髪を触られるのがものすごく嫌で、女性を指名していたことを思い出しました。
物作りをする私と共通する部分があって、こだわりを持って接してくれる姿にすっかり安心してしまった私。
子ども達の友達のお父さんであったことも一つの要因かもしれないのですが・・・・

リラックスした気持ちで、マッサージを受け、重かった頭がスッキリ♪
続けていくことで、色々変わるよって言われました。
今日は、なんだかここでもカウンセリングを受けた気持ちになりながら、家に帰りました。
マッサージは、小顔の効果もあるらしいので、続けてみようかな・・・・と思ってしまったのでした。