私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

束縛

2005-12-12 01:03:51 | 私のこと
先日、妹と口論になった。
私「ねぇ、私のCD持っているよね。」
妹「持ってるけど、要るんだったら、なんで置いていったの?」
私「別に、要らないから置いていったわけではなくて・・・・・」
妹「返せばいいんでしょう!」

結婚して、私は、自分の持っていたCDやレコードをすべて実家に置いていた。
自分のものを置いていってと母は思っていたらしい。
そして妹は、結婚する時、CDコンポも含めすべてを持って出た。
それを今更と怒っていた。

要らないから、置いて出たわけではなかった。
私は、持って行くことが出来なかった。
結婚したら、自分が楽しんだらいけないような気がした。
結婚が決まって、行くことになっていた海外旅行も取りやめた。
結婚してからは、友達に逢うこともなくなった。
3日に一度、旦那が居ない日でさえ、外出することは無かった。
ただ、その間に、家のことをした。

妊娠して、胎教用のCDを聞くことがあっても、自分のために音楽を聴くことなんて無かった。
それは、もうずっと。
結婚してCDを買うことはあっても、聞く時間さえなかった。
本当に、日々の生活に追われていた。

妹は、結婚してからも同じように過ごしていた。
友達に会い、好きなミュージシャンのコンサートにあちこち出掛けた。
私から見ると、信じられなかった。
子供がいないとはいえ、好き勝手にやっているように見えた。

母は、妹のことは何も言わず、私が少しでも趣味などをしようとすると
「子供がいるのに、こんなことをするのは、10年早い。」とよく言った。
でも、私を縛っていたのは、他の誰でもなく、私だった。
それを、旦那のせいにして、子どものせいにした。
本当は、誰のせいでもない。自分で自分の首を絞めていたのだ。

自分勝手だと、母や妹によく言われた。
自分勝手なくせに、本当は、何も出来ずにいた。
いつもどこかで自分を縛っていた。
楽しんでも、どこかで自分を縛って、解放してやれない私が居た。

いいじゃないか、自分勝手でも。
思い切り楽しんで、そして感謝すればいい、そう思う。
そういう意味で、解放できたのは、今年に入ってから。
そう、たぶんあの時から。

旦那に暴力を振るわれ、110番して、怒った旦那は、実家の両親を呼びつけた。
翌日、父は訪れ、旦那と話をした。
その日、父は言った。
「曲がったことが大嫌いで、それをねこにも押し付けてしまった。ごめんね。」と。
「でも、もう何かあったら、いつでも帰って来てもいいよ、その時には支援するから。
困った時は、いつでも言っておいで・・・・」と。
それを聞いた時、それまで父に対する嫌悪感が消えていった。

それまでは、喧嘩して実家に帰っても、泊めてくれさえしなかった。
一度嫁にやったのだからと・・・・・・。
喧嘩して、旦那に出て行けといわれたら、行くところなんかなかった。
私なんか居ない方がいいんだと死ぬことばかり考えていた。

だけど、父の言葉が嬉しかった。
それまで、揉める度に、父が間に入ろうとしたけれど、私は拒絶した。
どうせ入ってもらっても、どうしようもないと思っていた。
私は、その父の言葉のために、もう少し旦那と頑張ってみようと思った。
それからは、喧嘩も減った。上手く行くかもしれないそう思った。
昔のCDを、オークションで集め、聞き始めた。
少しずつ、自分の時間を楽しむことが出来始めた。

でも、やっぱりダメだった。
旦那を追い出した後、両親同士の話し合いで、
夜遅く舅に電話したことや110番したことを舅に言われたらしいけれど、父は
「どうして、そうしなければいけなかったかを考えてやってください。」と言ってくれた。
もう、私は、父のその言葉だけで良かった。

あんなに大好きだった音楽を、ずっと聴いていなかったのは、私が束縛していたから。
しょっちゅうライブハウスに通っていたのに・・・・・・・
金曜日、オーディオプレイヤーを購入した。
ボロボロになるまで使っていた、WALKMAN。
思えば、あれを最後に使ったのはいつだろう。
MDさえ使ったことはなく、パソコンでCDが聞けることさえ知らなかった。
説明書片手に、好きな曲を入れて、暇さえあれば聞いている。
音楽を聴くことがこんなに楽しいことだなんて、ずっと、ずっと忘れていた。

一つ、一つ束縛から、逃れていこう・・・・・


(ドラマ『恋の時間』を、見て思ったこと。)