私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

悲しみを癒すということ

2005-12-01 23:50:47 | 日々つれづれ
どうも、私の記憶力には問題があるような気がします。
なんでも、すぐに忘れてしまうのです。しょっちゅう探し物をしています。
心に問題があるとき、特にひどくなるような気がします。
心ここにあらずとでもいうのでしょうか?

今朝、通勤途中、何かの拍子にどっと悲しみが押し寄せてきました。
でも、もうそれがなんだったのか思い出せません。
気持ちを切り替えることが出来たことは、いい行動なのかもしれないけれど、その悲しみを癒すことの出来ないままでいたことは、もう一度、その悲しみに触れないといけないのだなと思いました。

ある程度大きく成長してしまえば、悲しみを癒すことは自分で出来るのでしょうが、赤ちゃんや幼児は、それを誰かにしてもらわなければ、処理できなくて、行き場のなかった悲しみが、癒されぬまま心に残って、泣き続けているんだなって思います。
今まで、その悲しみを思い出すことはあっても、それを自分で癒すこともせず、過去のことと思い続けてきた。
あの時、嫌だったなと思っても、その時の気持ちになって癒すことをしていなかった。
私は、嫌だった色んな体験を覚えていて、何故嫌なことばかり思い出すんだろうと思いながらも、きちんと処理できずにいたこと、それが問題なんだなぁと思います。

インナーチャイルドという言葉を聴いたとき、理解できても、それがどんなものなのかを感じることが出来ませんでした。
色んな悲しみを思い出し、自分に辛かったよね、って受け止めてあげることは、わかってもそれでどうなるの?と思っていました。

悲しかったことを思い出していくことは、過去の悲しい場面に戻ったように、身が裂かれる思いがするのだけれど、自分自身が受け止めていくことで、その体験に基づく痛みは、何故だか消えていきます。
そして、そんなこともあったなぁという優しい気持ちになっていくのがわかります。
なんだかとても不思議な気持ちです。
いくら本で読んでも、これは経験しないとわからないことなんだなって思います。

たぶん感受性が強い性格なので、色々とつまらないことまで抱え込んでしまっているのだと思います。
それでも、辛い思いには変わらず、悲しかったことに変わらず、たいしたことないことと思わずに、一つ一つ、思い出しては、慰めていこうと思っています。

カウンセリング7-2

2005-12-01 03:42:12 | カウンセリング
寝ようか、書こうか迷って、書くことにしました。
吐き出した方が、眠れそうだから。

DVについて何故、それから離れないのか、その項目も挙げてくださいました。

DV 依存から離れられない

1 学習性無力
たとえば、鎖につないで逃げられないようにした犬にアトランダムな電気ショックを与え続けていると、しまいには鎖をほどいてショックを与えても逃げなくなってしまう・・・・・(IFF 斎藤学のメッセージより抜粋)
関係性から出て行けないという無力さを学習する。

これについては、感じていたかどうかはわかりません。
逃げられない状況ではなく、単に逃げなかっただけだと思います。
なので女性婦人センターに相談した時、今度何かあったら助けを求めなさいと言われ、110番出来たのではないかと思います。

2 依存症(暴力・問題行動への嗜癖)
暴力の後の甘い優しさ 脳内ホルモンの影響

確かに、そうですね。
「喧嘩の時はわしがいつも謝る」って言っていたように、私が混乱に陥った時は、必ず優しくなっていました。
普段よりも、優しい姿に、嬉しく思っていました。

3 共依存症

すべてにおいて、共依存的であったかといえば、そうではなく、私のほうが支配的だった部分もあるように思います。
ただ、相手をコントロールしようという力は、お互いにありました。

4 フェミニスト的自立の困難

私が仕事を辞めてから、風当たりが強くなったことを考えれば、まさしく自立できないことを知って、支配下に置こうとしたのだと思います。

5 マインドコントロール
支配、自尊心を剥奪する。相手を自立した個人とは考えられない。

私の自尊心(あまりないのですが)をめちゃくちゃにするまで攻撃されていました。
それは、意図的だったようです。

6 モデルの習得
DVを目撃して育つとそうなる。

旦那の父親は、旦那に輪を掛けて、権力的、支配的な人でした。
そういう意味では、夫は妻に対して、男は女に対して、そのような態度を取るのが当たり前として育っていたと思います。

母は、父の言うとおりにしていれば、上手くいくという考え方で、そういう意味では、父に支配されていたのではないかと思います。

7 脅迫的反復
バスジャックにあった園児が、バスジャックごっこをする。
同じことを繰り返し、トラウマに閉じ込められる。

これを聞いたとき、涙が止まりませんでした。
私が、していた恋愛はまさにその通りでした。
親から、真っ直ぐな愛情を受けられなかった寂しい気持ちを埋め合わせるのではなく、同じように、自分一人を見てくれない恋愛を繰り返していました。
そして、今度は大丈夫と思って旦那を選んだのに、やっぱり同じような人を選んでいました。
そして、思い出しました。
恋愛を始める前、コンパで知り合ったのですが、私とは別の人にもアタックしていたこと。
そして、私を選んだこと。
それで、私は、優越感を覚え、私を選んでくれたことで、安定した気持ちになったことを・・・・
話が出来ないくらいに、泣きじゃくってしまいました。

8 希望の構造
「不幸だったから、幸せな家庭を作らないといけない」
と言う思いで、きっといつか誰かが助けてくれると思ってしまう。

これは、私の母です。そういう思いを持ち続け、たくさんの決め事を抱え込み、夫がすべて正しいと、自分ではなく、夫である父にゆだねていました。

いつか、変わってくれるのではないか?という思いを持ち、同じ被害を受ける。

まさしく、その通りです。
私は、いつも相手をコントロールしようとし、変わってくれるのを待っていました。
いつかわかってくれるはず、いつか変わってくれるはすと、何度も何度も同じことを繰り返し、同じように傷付いていました。
その傷は、段々大きくなりました。

9 愛着障害
子どもの時に、親から健全なアタッチメントがあったか?

私は、自分一人を愛して欲しいという、欲望を拒絶されたまま育ってしまいました。
旦那は、むしろ逆で、妹が居たにもかかわらず、妹は、他で育てられ、旦那一人が愛情を受けて育っていたように思います。
でも、その愛情も、子どもが欲しがる時ではなく、親が与えたい時に与えるという一方的なものだったように感じます。



それと、もう一つ、自助グループの成立の話をしてくださいました。
いいっぱなし、聞きっぱなしが原則で、匿名の元に行われると言われました。
以前、斎藤先生のQ&Aで、他の方のカウンセリングを聞きながら、他の方の問題点に触れることの有効性を感じました。
その方と、話がしたいと思って、話もしました。
他の方の悩みを受け入れることの出来る私がいる。でも、同じ悩みを持った自分の考えは受け入れずにいたのです。
人に優しくなる、人の悩みを受け止めることによって、同じ悩みを持つ自分にも優しくなれるような気がしまいした。

このことは、ブログでのコメントでも感じます。
他の方が、悩んでいる時には、肯定的な意見を言ってあげることが出来るのに、自分には出来ない。
他の方のブログにコメントを付けながら、自分に言い聞かせていることもありました。

そういう意味では、同じ悩みを持つ人の話を聞くことによって、自分を癒すことが出来るのではないか、自分のことを客観視でき、問題点を見出せるのではないかと思いました。

今、私が過去の問題に、直面していることを、あまり一人ですると危ないよ。出口がなくなった時、落ちていくよと言われました。
ここ何日かの精神状態を考えた時、誰か私の存在を認めてくれる人がいればいいのに、抱きしめてくれたらいいのにと思いました。

スピリチュアルについての話にも触れたのですが、私は、無宗教ですが、神様の存在を信じていて、時々、それによって動かされているなと感じることがあります。
今日、コメントで対話をしていて、思ったのは、”彼”に頼りたいと思っている自分がいることです。

彼との出会いには、とても運命的なものを感じずにはいられず、
「この人は、旦那と別れるにしろ、そうでないにしろ、これからの私に重要な役割を持つ人だ」と感じました。
どれが、どう発展するのかわからないけれど、彼とのメールのやり取りは取っておこうと思いました。
それが、何かに繫がるから・・・・・
彼も、同じことを考えていたようで、彼もメールの保存をしていたみたいです。
本当は、チャットも電話もメモを取っておきたい気持ちになっていました。

それは、何故かわかりません。直感的なもので、神様が会わせてくれたと思ったのです。
チャットという不特定多数の出会いの場で、しかも出会い系で、同じように離婚のことで悩んでいて、深夜に眠れずにいて出会ったというだけで、すごい偶然なのだと思います。
でもそれだけではなく、彼が嘘をついていてその時はわからなかった年齢も、あとになって、同じ年齢で、誕生日もすごく近くて、メールのやり取りしたら、苗字も同じで・・・・・
本当に、共通点が多くて・・・・・

そう考えていると、もしかしたら、神様が与えてくださった出会いを自ら、断ち切ったのかもしれないと思いました。
彼とは、恋愛のパートナーとしてではなく、回復のパートナーとして付き合えないだろうかと考えました。
そして、自分から、今まで取ったことのない行動をしました。
彼に、それを提案してみました。
彼が、どのように考えたとしても、それは彼の問題だと捉えてようと思っています。

カウンセリングを終えた後、すぐに私は、先生の提案してくださった自助グループを探すために電話をしました。
自分のことで、積極的に行動が出来るのは、第一歩ではないかと思っています。



12月4日 補足

8 希望の構造
この時、カウンセリングの先生は、「笑っちゃうんだけどね。不幸だったから、幸せな家庭を作らないといけないと思いながら、実は、自分を苦しめているんだよね。」って言われて、実は、私は、この時、ピンと来ていなかったのです。
これは、私には当てはまらないな、私には笑えないなって思っていました。

でも、母が父には、何も言わずにいたこと。
「熱があっても、ご飯を作らなければいけない」とか私に愚痴りながら、父には何も言わない姿を見て、何故、直接言わないんだろうと不思議に思っていました。
私が、手首を切ろうとしたときも、飛んできて私の手当てをしたかもしれないけれど、私を追い込んでしまった父には何も言わなかったこと。
私にとっては、不満だったのでしょう。
私は、無意識なのでしょうけど、母と反対の行動を取っていました。