私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

東京2

2005-12-25 03:00:54 | 日々つれづれ
20年ぶりだったのに、車から顔を出してくれるだけで、その人だとわかりました。
そして、戸惑うこともなく、車に乗り込んだとたん、私は17歳に戻っていました。
今、考えればとても不思議なんだけど、最初にその人(ここからはSさんということで)にメールをもらったのは3月の終わりで、5月からダイエットして、秋に髪を切って、結局は17歳の私と同じ体型、いや体重ですね、髪型になっていたんです。
偶然なのかもしれないけれど、Sさんに逢うために17歳の私に戻る準備をしていたのかなって思ってしまいました。

自分から伝えるつもりだったのに、
「ねこちゃん、あの頃俺のこと好きだった?」と先に聞かれてしまいました。
私は、自分の思いを伝えることもなく、他に好きな人がいるふりをしていました。
今思えば、おかしいのだけれど、初めての人と結ばれなければいけないという思いがあって、ずっと離れられなかったのかもしれないなと思います。
なので、他の人を好きになっても、その人のことを好きでいなければならないという思っていたのかもしれません。
Sさんにとっても、私の気持ちが半信半疑の状態だったのかもしれません。

私「うん。でもSさん、女の子いっぱいいたじゃない。」
Sさん「でも、俺は自分が一番大事だから、嘘はつかなかったよ。自分に正直に行動していた。」
私「でも、遊ばれたかなぁって思っていた。」
Sさん「それは違うよ。仕方ないこともあったし。」
私「○ちゃんもいたしね。」
(○ちゃんは、Sさんと付き合っていた人です。)
Sさん「○ちゃんとも、そのままになったから・・・・。東京に出てしまったし、仕方なかっんだよ。それにAに怒られてしまったしね。」
(Aさんは、Sさんのバンドのメンバーで、当時その人から私は楽器を習っていました。)
私「生徒に手出すなって?でも、Sさんって女の子に好きだとか、大切だとかちゃんと言った事なんてないでしょう。」
Sさん「でも、歌でその思いを伝えてたから・・・・」
二人爆笑

20年間の時を埋めるかのように、Sさんは話をしてくれました。
何かを作るということで、共通している私達は、その苦悩について話して、好きでやっているうちが一番いいよね。
だんだんそれが、自分のやりたいこととかけ離れていったこと、話をしてくれました。
でも、Sさんは、その頃に未練はないようで、きっぱりと断ち切って、今の仕事をしていて・・・・・
そのサバサバしたところを見習いたいなぁと思いました。

Sさんはレインボーブリッジに連れて行ってくれようとしていたのだけれど、途中に東京タワーが見えてきて、東京タワーがみたいって言って、東京タワーに行きました。
ライトアップされたツリーは、テレビなんかで見るよりもとても幻想的で、綺麗だったのです。
高所恐怖症なのだけれど、高いところから街を見るのは大好きで、パラグライダーに乗ってみたいと思うぐらいです。(とても、矛盾しているのですが)
囲まれた空間では、真下を見ても平気で、むしろSさんの方が、怖がっていたりして・・・・・
街の灯りを見ているととても暖かい気持ちになります。これは、子どもの時からそうでした。

私「なんかアベックばかりじゃない?」
Sさん「俺らも、アベックじゃん。腕なんか組んでみる?」
そこで、素直に手を出せる私がいました。
いつもなら、ここで必要以上にドキドキしていたなぁと思いました。
そのドキドキは、罪悪感から生まれて来たのかもしれません。
悪いことをしている緊張感からくる、ドキドキ。好きだから、ドキドキするのではなくて。
その時は、ドキドキではなくて、嬉しいとか楽しいとか、そんな気持ち。

東京タワーから降りて、ホテルまで送ってもらうことになりました。
もう少し、コーヒーでも飲みながら話したいねと近くを回ったのだけれど、23時を回っていて、開いている所も見当たらず・・・・・
私も、もう少し話していたいのと、あの時の自分の気持ちを素直に話したいと思っていたので、思い切ってホテルに誘いました。
ホテルに誘うことは、それなりの覚悟がいったのですが・・・・・・
でも、あくまでも17歳の私を、取り戻したい気持ちが大きかったです。

ソファーに座って、缶コーヒーを飲みながら、話をしました。
一時は、頂点を上り詰めたSさんは、バブルの崩壊と共に、事務所がつぶれ、企画されていた仕事のスポンサーが下りてしまい、すべてを失ってしまったことを話してくれました。
でも、音楽から離れられなくて、パソコンを使って配信してみたくて、今度はパソコンを勉強したこと。
ギター少年が必死にギターを練習していたのが、パソコンになっただけなんだけどねと笑っていました。
でも結局、それで第二の人生を自分で切り開いて、会社まで持っていて、なんだかすごい人だなぁと思いました。

「ねこちゃんの目って、昔から色っぽいよね。好きだったよこの目。
鼻筋も通ってて綺麗だった。でも、あの頃よりもいいよ。」っていっぱい褒めてくれました。
私は、鼻にコンプレックスを持っていて、好きではなかったのにそんな風にいってくれて嬉しかったです。
子どもの時のチック症状は、鼻がピクピクと動いてしまっていて、動くたびに母に、
「鼻に筋肉がついて大きくなるよ。」なんて脅されていて、それでも止まらなくて。
ある時、デパートで、エスカレーターですれ違った女の子が私の顔を見て笑って
「今の知り合い?ねこみて笑っていたよ。」って母に言われて、
鼻が動いているのを見て笑われたんだって、笑われるような顔なんだって傷付いてしまって・・・・・

「そうそう、足も綺麗だよね。足も好きだった。」
ロングブーツ履いていて、足は見えないのだけれどそんな風に、覚えていてくれたこと嬉しかった。
私の足は細くてガリガリで、やっぱり母に
「病気みたいな足よね。拒食症の人の足みたい。じっとしてばかりで動かないから細くなるのよ。」と言われていて。
ずっと太りたいと思っていました。

17歳の時に、言ってくれていたら、もっと幸せだったかもしれないなぁなんて思いました。
今は、そこまでコンプレックスに思っていないというか、気にしなくなったのだけれど、当時は、自分の容姿が大嫌いだったから。

Sさんは、30歳過ぎて、自分が足フェチだっていうことに気が付いたって、笑えるような話をしてくれて
「私、いつもこんな話を聞かされるんだけれど、女性と思われていないのかなぁ。」と聞いてみました。
私は、こんな話って、普通は男同士がするのであって、女がいる時に話すことではないでしょうっていう話を、付き合っている人しない人にかかわらずよくされます。
私だからいいけれど、他の人の前で話したら、セクハラだからね!!ってよく言っていました。
「違うよ。この子だったら、話しても大丈夫だって安心できるからなんじゃない。」
そう言ってくれました。

Sさん「あの時、一緒にお風呂に入ったよね。」
私「覚えていないよ。」
Sさん「女の子とお風呂に入ったの初めてだったのかなぁ・・・・なんかすごく覚えているよ。
二人でケラケラ笑いながらとっても楽しくて、楽しかったから覚えているのかなぁ。
ねこちゃんってあの頃からポジティブに生きていたよね。」

あの頃の私は、必死に明るく振舞っていて・・・・
ホテルに行った経緯も、思い出しました。
野外ライブにバンドのメンバーと仲間達とで出かけた帰り、船の形をしたラブホテルがあって、他の子と、あそこに行ってみたいなんてはしゃいでいて・・・・
結局、あそこにはいつ行く?みたいな話になって、遊園地に行くような感覚で行ったのだったなぁ・・・・・

今まで、自分に対して否定的だった思いを、Sさんは肯定に置き換えてくれました。
私のことなんか覚えていないと思っていたのに、細かいことまで覚えていてくれたこととても嬉しかったです。
Sさんの心の中に、20年間いることが出来たこと、それがわかっただけでも幸せな気持ちでした。
あの頃の私は、記憶の中で暗いイメージしかなかったのだけれど、そうではなくてそれなりに楽しんでいたのかもしてないなと思えてきました。


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