(前回からの続き)
(1)胃の透視(バリウム検査)の放射線量と比較している→胃の透視の放射線量の多さを分かっていない
胃のX線検査の被曝量はかなり多い。
胸のレントゲン間接撮影は0.02〜0.06mSv/回(=20〜60μSv)
一方で、胃のX線透視(X線をあてながらバリウムを飲んで台の上でぐるぐる回るやつ)は4mSv/回
ちなみに、お腹のX線CTでは1回の撮影で10mSvであり、胃の透視はX線CTの半分程度。
通常の生活で人が浴びる放射線の被曝総量は年間で2mSv程度
http://www.interkarte.or.jp/12doc/main99.html
胃のX線検査1回での被曝は、人が通常の生活で(食物や宇宙線から)「1年間に」浴びる放射線の2倍に当たる。
決して少ない量ではない。
(2)について
問題は、一回で完結する医療目的検査での被曝と、定常的に被曝するものを違う単位なのに直接比較していること。
これは、距離(60km)と速度(60km/h)を比較するようなもので、まともではない。
胃のX線検査の被曝線量は放射線を受けた総量であり、上の例だと距離(実際には単位時間当たり線量×時間)に当たる。
一方、福島での線量としてよく報道で使われている値は「1時間当たり」の線量であり、この「1時間当たり」の線量が胃のX線検査の1/75だったとしても、その場所に3日間(72時間)い続ければ胃のX線検診と同じ量の放射線を浴びることになる。すなわち、3日置きに胃のX線検診を繰り返しているのと同じ。月に10回も胃のX線バリウム検査をするような状況=胸のレントゲンを月に1000枚撮影するレベル、を「問題ない」と容認出来るのかどうか?
そもそも、医療目的被曝と違い、被曝のメリットが全くない状況で被曝し続けることは妥当なのか?
私は、絶対に「妥当ではない」と考える。
でなければ、世界中で放射線の被曝限度を制限するような法律や規制を規定している意味がない。「胃のX線検査を何度も行ったと思って心配しないで」と言ってしまうと、放射線技師は放射線防護の必要はないことになる。なぜ、技師は検査室とは遮蔽された別の部屋にいるのだろうか?
(以下、続く)
(1)胃の透視(バリウム検査)の放射線量と比較している→胃の透視の放射線量の多さを分かっていない
胃のX線検査の被曝量はかなり多い。
胸のレントゲン間接撮影は0.02〜0.06mSv/回(=20〜60μSv)
一方で、胃のX線透視(X線をあてながらバリウムを飲んで台の上でぐるぐる回るやつ)は4mSv/回
ちなみに、お腹のX線CTでは1回の撮影で10mSvであり、胃の透視はX線CTの半分程度。
通常の生活で人が浴びる放射線の被曝総量は年間で2mSv程度
http://www.interkarte.or.jp/12doc/main99.html
胃のX線検査1回での被曝は、人が通常の生活で(食物や宇宙線から)「1年間に」浴びる放射線の2倍に当たる。
決して少ない量ではない。
(2)について
問題は、一回で完結する医療目的検査での被曝と、定常的に被曝するものを違う単位なのに直接比較していること。
これは、距離(60km)と速度(60km/h)を比較するようなもので、まともではない。
胃のX線検査の被曝線量は放射線を受けた総量であり、上の例だと距離(実際には単位時間当たり線量×時間)に当たる。
一方、福島での線量としてよく報道で使われている値は「1時間当たり」の線量であり、この「1時間当たり」の線量が胃のX線検査の1/75だったとしても、その場所に3日間(72時間)い続ければ胃のX線検診と同じ量の放射線を浴びることになる。すなわち、3日置きに胃のX線検診を繰り返しているのと同じ。月に10回も胃のX線バリウム検査をするような状況=胸のレントゲンを月に1000枚撮影するレベル、を「問題ない」と容認出来るのかどうか?
そもそも、医療目的被曝と違い、被曝のメリットが全くない状況で被曝し続けることは妥当なのか?
私は、絶対に「妥当ではない」と考える。
でなければ、世界中で放射線の被曝限度を制限するような法律や規制を規定している意味がない。「胃のX線検査を何度も行ったと思って心配しないで」と言ってしまうと、放射線技師は放射線防護の必要はないことになる。なぜ、技師は検査室とは遮蔽された別の部屋にいるのだろうか?
(以下、続く)