私が学部生の頃、ある授業で先生が、「宇宙人が地球を襲ってきた場合、諸国家は対立を克服して協力し合えるのではないか?」と言っていました。それを聞いて、当時、私は「なるほど」と思ったのを覚えています。確かに、国際政治の世界でも、いがみあっていた複数の国家が、発生した脅威に対して共同で対処することはよくありますし、外部の脅威が国家を結束させることもよく知られています。同じようなことは、地球外からの宇宙人の「脅威」に対する「人類」にも当てはまるかもしれません。
こうした架空のシナリオは、映画「インディペンデンス・デイ」で描かれています。映画の最後では、世界各国の軍隊が結束してエイリアンと戦います。ただし、そうした事態に各国が円滑に協力できるかどうかと問われれば、国際関係論は、映画ほど簡単ではないことを教えてくれるでしょう。すなわち、各国がエイリアンの侵略に対して共同行動をとることを阻害する要因がいくつもあるということです。リーダーシップの問題、集合行為の問題(とりわけ、フリーライド)、責任転嫁、相対利得問題など、さまざまです。実際の共同軍事オペレーションをとる段階になると、インターオペラビリティなどの問題が深刻化することでしょう。
閑話休題
さて、肝心のエイリアンは宇宙に存在しており、地球にやってくることや地球を攻めてくることなど、本当にあるのでしょうか?この問いは、だれもが一度は考えたポピュラーな疑問です。そして、これは単にお茶飲み話にとどまらず、科学の問題でもあります。これまで惑星科学者や数学者、統計学者たちが、この問題の解決に挑んでいますので、ここでは彼らの答えを紹介したいと思います。
数学者のジョン・アレン・パウロス氏(テンプル大学)は、UFOの目撃は、宇宙人が来訪したことではないと主張しています。
「(仮に生命のいる惑星があるとしても、第一に)私たちの銀河が非常に大き(く)、生命を持つ星から、もっとも近い別の生命を持つ星までの平均距離が、五〇〇光年ということになる。これは地球と月の距離の一〇〇億倍にあたる。…そこまでの距離は、おしゃべりをするためにちょっと立ち寄るには遠すぎる。…(第二に)進んだ生命形態が、平均して一億年間存続するとしても、これらの生命形態は、百二十億年から百五十億年といわれる銀河の歴史の中に一様に分散している。そこで、同時に(文明が)進んだ生命を持っている銀河内の星は、一万個以下になってしまうだろう。そして、隣人同士の平均距離は、二〇〇〇光年以上にも広がってしまう。第三(に、生命体が)私たちに興味を持つ可能性は低い」(パウロス『数で考える頭になる!』草思社、2007年、86-87ページ)。
別の分析も見てみましょう。肝心のエイリアンの存在については、惑星科学者として地球外知的生命との交信計画に携わったカール・セーガン氏が「現在のところ、地球以外の場所に生命が存在するという説得力のある証拠はまだない」(セーガン『人はなぜエセ科学に騙されるのか(上)』新潮社、1997年、147ページ。同書は、カール・セーガン、青木薫訳『悪霊にさいなまれる世界』早川書店、2009年として再販)と断言しています。証拠がないものを信じるわけにはいきませんね。

統計学者のジェフリー・ローゼンタール氏(トロント大学)は、エイリアンの存在確率について、セーガンと同じような結論に達しています。
「四〇年にわたって高性能の電波望遠鏡で徹底的に系統的な探索を行ってきたというのに、宇宙のどこかに生命が存在する証拠は一つも見つかっていないというのが厳しい現実だ」(ローゼンタール『運は数学にまかせなさい』早川書店、2010年、206ページ)。ただし、彼は同時に「かつて火星に生命が存在したというのが事実なら、宇宙のどこかに知的生命体が存在する確率が劇的に高まる」(207ページ)とも言っています。これに関連するニュースが昨日、発表されました。アメリカのNASAは、火星における過去の生命存在の可能性を探るために、過去最大の火星探査機「キュリオシティー」を来月早々にも火星に着陸させるとのことです(NHK Newsweb)。調査結果が楽しみですね。
エイリアンの脅威が存在するとすれば、それは「グローバル安全保障」の問題であり、安全保障研究を専攻する私としても、無視することはできません。しかし、セーガン氏の以下の主張は、私が研究領域をこの「グローバル安全保障」まで広げる必要性を否定しています。
「宇宙人が本当に何百人もの人を誘拐しているのなら、事態は一国の安全保障どころか、地球の全住民の安全にかかわる問題だ。それに対して、知識もあり証拠も握っている人たちが、誰一人として声を上げず、宇宙人ではなく人間の側に立とうとしないなどどいうことがあるのだろうか?それもアメリカだけでなく、二百ほどある世界各国のすべてで?」(『人はなぜエセ科学に騙されるのか(上)』179-180ページ)。
近年、安全保障研究は、その対象領域をやたらと広げていますが、そこに「地球外知的生命体(エイリアン)の脅威」からの安全保障という新たな項目を追加する必要は、今のところ、どうやらないようです。
こうした架空のシナリオは、映画「インディペンデンス・デイ」で描かれています。映画の最後では、世界各国の軍隊が結束してエイリアンと戦います。ただし、そうした事態に各国が円滑に協力できるかどうかと問われれば、国際関係論は、映画ほど簡単ではないことを教えてくれるでしょう。すなわち、各国がエイリアンの侵略に対して共同行動をとることを阻害する要因がいくつもあるということです。リーダーシップの問題、集合行為の問題(とりわけ、フリーライド)、責任転嫁、相対利得問題など、さまざまです。実際の共同軍事オペレーションをとる段階になると、インターオペラビリティなどの問題が深刻化することでしょう。
閑話休題
さて、肝心のエイリアンは宇宙に存在しており、地球にやってくることや地球を攻めてくることなど、本当にあるのでしょうか?この問いは、だれもが一度は考えたポピュラーな疑問です。そして、これは単にお茶飲み話にとどまらず、科学の問題でもあります。これまで惑星科学者や数学者、統計学者たちが、この問題の解決に挑んでいますので、ここでは彼らの答えを紹介したいと思います。
数学者のジョン・アレン・パウロス氏(テンプル大学)は、UFOの目撃は、宇宙人が来訪したことではないと主張しています。
「(仮に生命のいる惑星があるとしても、第一に)私たちの銀河が非常に大き(く)、生命を持つ星から、もっとも近い別の生命を持つ星までの平均距離が、五〇〇光年ということになる。これは地球と月の距離の一〇〇億倍にあたる。…そこまでの距離は、おしゃべりをするためにちょっと立ち寄るには遠すぎる。…(第二に)進んだ生命形態が、平均して一億年間存続するとしても、これらの生命形態は、百二十億年から百五十億年といわれる銀河の歴史の中に一様に分散している。そこで、同時に(文明が)進んだ生命を持っている銀河内の星は、一万個以下になってしまうだろう。そして、隣人同士の平均距離は、二〇〇〇光年以上にも広がってしまう。第三(に、生命体が)私たちに興味を持つ可能性は低い」(パウロス『数で考える頭になる!』草思社、2007年、86-87ページ)。
別の分析も見てみましょう。肝心のエイリアンの存在については、惑星科学者として地球外知的生命との交信計画に携わったカール・セーガン氏が「現在のところ、地球以外の場所に生命が存在するという説得力のある証拠はまだない」(セーガン『人はなぜエセ科学に騙されるのか(上)』新潮社、1997年、147ページ。同書は、カール・セーガン、青木薫訳『悪霊にさいなまれる世界』早川書店、2009年として再販)と断言しています。証拠がないものを信じるわけにはいきませんね。

統計学者のジェフリー・ローゼンタール氏(トロント大学)は、エイリアンの存在確率について、セーガンと同じような結論に達しています。
「四〇年にわたって高性能の電波望遠鏡で徹底的に系統的な探索を行ってきたというのに、宇宙のどこかに生命が存在する証拠は一つも見つかっていないというのが厳しい現実だ」(ローゼンタール『運は数学にまかせなさい』早川書店、2010年、206ページ)。ただし、彼は同時に「かつて火星に生命が存在したというのが事実なら、宇宙のどこかに知的生命体が存在する確率が劇的に高まる」(207ページ)とも言っています。これに関連するニュースが昨日、発表されました。アメリカのNASAは、火星における過去の生命存在の可能性を探るために、過去最大の火星探査機「キュリオシティー」を来月早々にも火星に着陸させるとのことです(NHK Newsweb)。調査結果が楽しみですね。
エイリアンの脅威が存在するとすれば、それは「グローバル安全保障」の問題であり、安全保障研究を専攻する私としても、無視することはできません。しかし、セーガン氏の以下の主張は、私が研究領域をこの「グローバル安全保障」まで広げる必要性を否定しています。
「宇宙人が本当に何百人もの人を誘拐しているのなら、事態は一国の安全保障どころか、地球の全住民の安全にかかわる問題だ。それに対して、知識もあり証拠も握っている人たちが、誰一人として声を上げず、宇宙人ではなく人間の側に立とうとしないなどどいうことがあるのだろうか?それもアメリカだけでなく、二百ほどある世界各国のすべてで?」(『人はなぜエセ科学に騙されるのか(上)』179-180ページ)。
近年、安全保障研究は、その対象領域をやたらと広げていますが、そこに「地球外知的生命体(エイリアン)の脅威」からの安全保障という新たな項目を追加する必要は、今のところ、どうやらないようです。