カズさんの旅たび

 ~歴史、文化、芸術、美食紀行。。

ドイツ・バイエルン(その1)

2016-07-22 | ドイツ(バイエルン)
ここは、ヘスバッハ(Hösbach)最南部の丘陵地にある「ランドホテル・クリンガーホフ (Landhotel Klingerhof)」。今夜はこちらに宿泊することにしている。ヘスバッハは、バイエルン州ウンターフランケン行政管区アシャッフェンブルク(Aschaffenburg)郡に属す市場町で、アシャッフェンブルク中心部からは、東南方向に約7キロメートル、フランクフルト・マイン国際空港(FRA)からは、A3号線(アウトバーン)経由で東南方向に約50キロメートルの距離にある。
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ホテル前面にある駐車場から東側を眺めると、隣接するアシャッフェンブルク郡ベッセンバッハ(Bessenbach)の町・村や、遠くシュペッサルト山脈を望むことができる。
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夕食は評判も良さそうなので、ホテル併設のレストランで食べることにしたが、店内はかなり混雑していた。満席の店内を通りテラス席に座って周りを見渡すと20名ほどが座っているが、ほとんどのテーブルには料理が出ていない。会話も少なくやたら静かである。。客が多くてお店のキャパを越えているのだろう。とは言え、ホテル周りは牧草地が広がっているだけで、他のお店への選択肢もないため、待つしかないといった状況のようだ。

見知らぬ土地(田舎)で夜8時を過ぎて別のレストランに向かうのは無謀だが、先ほど行った、森に囲まれた池のそばに立つ美しいメスペルブルン城(Schloss Mespelbrunn)の近くの街道にレストランが何件かあったことを思い出し、見切りをつけて出かけることにした。距離にして12キロメートル、20分後にはレストラン(Woischaian)に到着した。
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扉を開け中に入ると、店内は山小屋風のデザインである。周りには灯りがついているが誰もいない。食事ができるのか多少不安になった。
メスペルブルン城のそばにあったお洒落なシュロスホテル(Schloßhotel Mespelbrunn)のことを事前に知っていれば、そちらに泊まり食事もできたが、いまさら言ってもしょうがない。
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階段を上るとテーブル席があり、しばらくすると、マダムらしき女性が現れたので、食事はできるか聞いたところ、大丈夫だという。とりあえずホッとしてシュールな雰囲気の暖炉がある窓際のテーブル席に座った。メニューを見ると郷土料理が中心のようだ。まずはサラダの盛り合わせから。
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続いて、Gebratener Schafs(7.9ユーロ)。チーズをメインにした野菜、茸などの煮込み料理。
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そして、Pfefferspießbrate(12.8ユーロ)。フランケン風ザウアーブラーテンとジャガイモ団子を添えたもの。ジャガイモのムチムチ食感が美味しい。
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最初、マダムが、テーブル横でビールをひっくり返すといったハプニングもあったが、料理は美味しく大変満足であった。その後、ホテルに戻った際、レストランから出てきた2人組と鉢合わせたが、機嫌が悪そうだった。あのまま待っていたらどうなっていたのだろうか。。

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翌朝、ホテルで朝食をいただき、早々に出発した。最初に、アッシャフェンブルクから南西に8キロメートル離れたグロースオストハイム(Großostheim)を目指し、9時半にマルクト広場に到着した。広場の南側には、16世紀から18世紀に建てられ現在、保護文化財家屋に指定されている木組み建物が並んでいる。そして広場の東側(左側)にある教会が、
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目的地の「聖ペーター&ポール教会(St. Peter und Paul)」である。教会は13世紀に建てられ、15世紀後半にゴシック様式で拡張された。
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教会内は、三廊式で、身廊のアーケードはゴシック様式の尖塔アーチが採用されている。祭壇と天井はバロック様式で、見上げると外からの陽光で照らされたフレスコ画が広がっている。こちらはアシャッフェンブルク生まれのバロック画家ヨハン・コンラート・ベシュトルド(Johann Conrad Bechtold)の手によるもので1771年に制作された。
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そして、こちらの教会で見るべきものは、左側の北側廊の奥にある。
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菩提樹で造られた「キリスト降架(Beweinung Christi)(1509年~1515年)」である。作者はティルマン・リーメンシュナイダー(Tilman Riemenschneider、1460年頃~1531年)で、彼は、バイエルン州の北部に隣接するテューリンゲン州に生まれ、ヴュルツブルク(wuerzburg)に工房を構えて祭壇や墓碑など多くの作品を手がけた彫刻のマイスターである。ヴュルツブルクの市長も務めたが、1524年、宗教改革を発端としたドイツ農民戦争において元市長として戦争に加担したとして逮捕され腕を折られ、彫刻家生命を絶たれてしまう。その後は失意のうちに亡くなった。

作品は、キリストを抱きかかえる聖母マリアを中心に、キリストの頭を支えるアリマタヤのヨセフ、足を支えるニコデモを両脇に配置し、マグダラのマリア、福音記者ヨハネ、小ヤコブとヨセの母が取り囲んでいる。特にキリストの身体のリアルな表現は、本物とみまがうばかりだ。
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中央から見ると、視点はキリストに集まるが、やや左側に寄って見るとキリストの身体をしっかり支える聖母マリアに視点が集中する。見る角度により、様々な印象を与えてくれる。
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次に、グロースオストハイム通りを戻りアシャッフェンブルクに到着した。アシャッフェンブルクは、マイン川沿いにあり、ドイツ最大のバイエルン州(州都はミュンヘン)のウンターフランケン行政管区に属す郡独立市である。8世紀から19世紀までは、神聖ローマ帝国にあったドイツ最高位の聖職者「マインツ大司教」(マインツはラインラント=プファルツ州の州都)の広大な領地の一部でもあった。この日のマルクト広場は、市場が開かれ多くの人で賑わっていた。
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果物屋さんや、
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魚屋さんなどもある。
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広場の後方に聳えるのは、ヨハネスブルク城(Schloß Johannisburg)である。もともと、この地に古い城館があったが、1555年、神聖ローマ帝国内で行われた「第二次辺境伯戦争」で破壊されたことから、当時のマインツ大司教、ヨハン・シュヴァイクハルト・フォン・クロンベルク(Johann Schweikhard von Kronberg)(在位:1604年~1626年)により、新たにルネッサンス様式で建設が進められ、1619年に完成した。その後は、1803年までマインツ大司教(マインツ選帝侯)の城館として使用された。現在は、城内に州立絵画館と城博物館がある。
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ちなみに昨日、ホテルに向かう途中でマイン川沿いから見たヨハネスブルク城の塔は改修中だったが、マルクト広場側から見ると威風堂々とした姿が印象的だ

さて、広場にある地図を見ると(インフォメーションセンターが現在地)、目的の教会へは南東方面のプファッフェン(Pfaffeng)通りを行くようだ。広場から見える階段を上り、ヨハネスブルク城を右手に見ながら、
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左側の石畳が続く路地を進む。通りには木組みの建物が立っている。先に見える塔は「クリストゥス教会(Christuskirche)」。通りは広場の賑わいとは打って変わって、静寂な雰囲気だ。
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通りはやや広くなり、レストランやホテルが現れた。
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5分ほど歩くと、目的の「聖ペテロおよびアレクサンダー修道院教会(St.Peter und Alexander)」が見えてきた。951年に神聖ローマ皇帝の初代皇帝オットー1世(在位:962年~973年)の子で、シュヴァーベン公国(ドイツ王国における部族大公国の一つ)リウドルフ大公により聖ペテロ修道院教会として建設された。バジリカ部分はロマネスク様式で建設されたが、その後の改築で、他のセクションは初期のゴシック様式で造られている。
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階段を上り、右側の廊下側のティンパヌムのある扉から入る。教会内は、白と茶褐色のコントラストが重厚感を感じさせてくれる。
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こちらで見るべき作品は、祭壇方向に歩いて行った最前列の右側廊にある。マティアス・グリューネヴァルト(Matthias Grünewald)作の「キリストの埋葬(1523~1525年)」。36センチメートル×136センチメートルの幅広な作品である。
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グリューネヴァルトは、本名をマティス・ゴートハルト・ナイトハルト(Mathis Gothart Neithart)といい、1470~1475年頃にヴュルツブルクで生まれたとされる。1509年頃、マインツ大司教ウリール・フォン・ゲマインゲン(Uriel von Gemmingen)(在位:1508年~1514年)の宮廷画家となり、その後アシャッフェンブルクの宮殿改築の監督を任される。彼の代表作「イーゼンハイム祭壇画(1511年~1515年)」が制作されたのはこのころである。

こちらの作品は、1516年、マインツ大司教アルブレヒト・フォン・ブランデンブルク(Albrecht von Brandenburg)(在位:1514年~1545年)からの依頼で、聖ペテロおよびアレクサンダー修道院教会の祭壇画のために制作されたもの。しかし、残されているサイズから、祭壇の最下部の小型パネル(プレデッラ)と言われている。

キリストの肉体は、苦しみの極限を味わった後の生気を失った土気色で描かれているが、一方で苦しみから解放された穏やかな表情も見受けられる。キリストの足元には、マインツ大司教を象徴する車輪紋章が描かれている。それにしても、この絵の不思議なところはキリストの頭上にある聖母の手であろう。不思議な構図である。
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グリューネヴァルトは、同時期のドイツ・ルネサンスの巨匠デューラーやルーカス・クラナッハと並ぶ名手とも言われたが、この作品制作の頃に発生したドイツ農民戦争において、ルター派に身を投じたため、職を失い二度と筆を執らなかったという。その結果この作品は彼の晩年のものとなった。その後、彼の存在は長い間忘れ去られ、19世紀末頃から再評価されるものの、本名が明らかになったのは20世紀になってからである。

今日と明日は、主にドイツ国内に点在するティルマン・リーメンシュナイダーとマティアス・グリューネヴァルトの作品を見ていく予定だ。続いて、ヴュルツブルク(Würzburg)の北西にあるマイトブロン(Maidbronn)と北東に位置するフォルカッハ(Volkach)の教会でティルマン・リーメンシュナイダーの作品を見る予定としていたが、A3号(アウトバーン)が混んでおり、スケジュール的に厳しくなった。
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しかたがないので、優先順位をつけ、見学場所を再考した結果、諦めて、A3号線とA7号線(バイエルン州とバーデン=ヴュルテンベルク州との境を南北に伸びるアウトバーン)のジャンクション近くのビーベルリート(Biebelried)にある聖ヨハネス・エントハウプトゥング教会(St.Johannis Enthauptung)にリーメンシュナイダーの作品があると聞き向かうが、扉が閉じられて見学できない。。

急ぎ、A7号線を南下して、アウプ(Aub)の教会に向かう。ところが、こちらも工事の影響もあり、大渋滞。。アウトバーンに辟易しながら降りると、一般道はスムーズに進み無事アウプに到着した。

アウプは、バイエルン州ウンターフランケン地方のヴュルツブルク郡に属す人口1,500人ほどの小さな市である。東西に伸びるヘンマースハイム通り(Hemmersheim)から交差点右側(北)の下り坂にある市壁を抜けたところが中心地のようだが、門が狭いので諦めて直進すると、道路沿いには壁(内側広場でイベントが開催されていた)が続き道路は右側に大きく下りながらカーブして行く。曲がりきると右側に空地があるので駐車して下り道を少し歩くとすぐに教会の鐘楼が見えてきた。
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教会へは真っ直ぐいけば良さそうだが、右側に石畳のマルクト広場が現れたので、そちらに向かう。左前方の窓枠に花が飾られた可愛い建物の1階はレストランのようだ。年配客が数人座っており、珍しそうにこちらを見ていた。
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レストラン前から左側に回り込むと、正面に「マリア被昇天教会(Pfarrkirche Mariä Himmelfahrt)」が現れた。教会を右手に見ながら歩くと、壁には聖書場面を模した小さな祠がある。教会内へは、拝廊側の扉から入るようだ。
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教会内は、白とやや落ち着いたピンクベージュ色とのコントラストに光が差し込み明るい雰囲気であった。
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こちらのティルマン・リーメンシュナイダーの作品はこちらの「磔刑群像(1510年)」である。
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キリストの肉体のリアルな表現には驚かされた。痩せ細った身体の筋肉の弾力感までも(特に足がリアル!)見事に表現されている。こちらはキリストの顔のアップ
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次は、15キロメートルほど離れたクレーグリンゲン(Creglingen)に向かう。アウプのすぐ南からバーデン=ヴュルテンベルク州に入る。周りには集落もなくなり原野に続く一本の道になった。前方には風力発電の風車が並んでいる。
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クレーグリンゲンは、バーデン=ヴュルテンベルク州マイン=タウバー郡に属す市で、ロマンティック街道のルートの一つとして知られている。街の中心部は、ローテンブルク通り(L2251)(Rothenburger)からタウバー川(Tauber)に架かる橋を渡ったところになる。しかし、目的地のヘルゴット教会(Herrgottskirche)は、市内に入らずこの次に架かる橋を渡って行く。
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次の橋を渡り、南に向かうと、右側にクレーグリンゲンの街並みとクレーグリンゲン市教会(プロテスタント)の塔が見える。ヘルゴット教会までは、あと1.4キロメートルの道のりである。
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しばらくすると、左手道路沿いに車が数台駐車しており、教会らしい塔のある建物が現れた。ヘルゴット教会に到着したようだ。
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駐車場から坂を上るとすぐ左側に墓地が続き、その先アーチ門があり、奥にガラス戸の扉がある。
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ガラス扉を入ると、すぐ左側にティルマン・リーメンシュナイダーの巨大な木製祭壇衝立「マリア昇天の祭壇」が置かれている。聖母マリアの死後に魂が身体に戻され、天使たちに取り囲まれながら天に召されてゆく場面である。衝立は間近に置かれているので、覆いかぶさるかのような迫力を感じる。祭壇は、高さ9.2メートル、幅は3.68メートルで、1505年~1508年に制作された。何とか無事に来られてホッとしながら、じっくりと鑑賞する。
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リーメンシュナイダーの作品の中で最高傑作の一つと言われるとおり、マリアや聖人たちの個性豊かな写実表現の素晴らしさは木造(菩提樹)彫刻とは思えないし、全体構成も素晴らしく完成度の高さを感じさせる。

一体一体の衣の表現も凄い。木造彫刻で衣と言えば仏像を思い起こす。古来より、仏像彫刻の特徴として、翻波式衣文、渦文など賑やかな装飾文を表現する特徴があるが、リーメンシュナイダーの作品とは時代に隔たりがある上、仏像は、これほどの躍動感の表現はしないため比較はできないが、衣の質感をここまで表現している技巧には感服である。

全体の色合いや天使の羽の一部など新しい木材が使用されているところもあり、近年修復されているようだが、丁寧に仕事がなされており違和感はない。
両翼部分の浮彫彫刻は、左翼下段が受胎告知で、上段がマリアの訪問。右翼上段が降誕で、下段が聖燭祭を示している。
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次はシュトゥパッハ(Stuppach)に到着した。シュトゥパッハは、ロマンティック街道のルートの一つ、バート・メルゲントハイム(Bad Mergentheim)(バーデン=ヴュルテンベルク州北部のマイン=タウバー郡に属す都市で、ドイツ騎士団により16世紀に築かれた城を中心とした町として有名。)に属する人口600人ほどの小さな市区。バート・メルゲントハイムからドイツ連邦道路19号線を6キロメートル下ったところ。ヘルゴット教会からは約30キロメートル、1時間ほどの距離であった。
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階段を上って側廊側の通路を歩くと、右手には受付カウンターのある小さな建物があり、中には誰もいない。窓に見学時間らしき案内があり終了しているようだ。正面奥の入口扉は、鍵がかかっている。事前の情報では開いているはずだったのに。ここまで来て悔しがっていると、老夫婦が見学に訪れた。扉が閉まっていると伝えるが、ご主人は、にっこり笑って手前の扉を指さした。小さな取っ手には、紐がぶら下がっており、その紐を引くと扉は開いたのだ。
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お二人に感謝して後から入って行く。扉を入り右側の内陣方向に向かう。18時を過ぎたところだが、この時期はまだ明るい光が差し込む。
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主祭壇手前の右奥の礼拝堂にお目当ての作品がある。礼拝堂は、残念ながらガラス戸で仕切られているが、ライトが当てられよく見える。マティアス・グリューネヴァルト作で、ドイツで最も重要な後期ゴシック絵画の一つとされている「シュトゥパッハの聖母(Madone de Stuppach)(1517年~1519年)」180×150センチメートル。
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聖母と幼子キリストは、互いに微かに笑みを浮かべて見つめ合っている。聖母子の透き通るような白い肌と光輪にも見える背景の虹と光とが合わさり見る者へ信仰の光を放っているようである。
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それにしても、老夫婦が現れるまで、何故、手前の扉を開けようとしなかったのか不思議でならない。突き当たりの扉だけが入口と思い込んだのだろう。思い込みとは恐ろしい。いずれにせよ、タイミングよく現れたお二人に感謝である。
さて時刻は18時半。これから宿泊地のローテンブルク・オプ・デア・タウバー(Rothenburg ob der Tauber)に向かう。
(2016.7.22~23)

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