グロスターシャー州テットベリー(Tetbury)に到着した。今朝は、サイレンセスター(Cirencester)のゲストハウスで、朝食後にすぐ出発したが、ここまで約40分ほど(A433沿いで20キロメートル南西に位置)の距離であった。現在朝9時半を過ぎたところ。正面に見えるクリーム色の建物は、1655年に毛織物の検量センターとして建てられたマーケット・ハウスで、現在も会議や市場として利用されている。
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なお、マーケット・ハウスの後ろに見えるのは、15世紀に建てられた老舗ホテル(the Snooty Fox)である。
中世ヨーロッパの一大産業は毛織物業であった。そのころイングランドとスペインが羊毛の生産地で、北イタリアとフランドル地方が毛織物産地であった。互いに活発な羊毛貿易が行われていたが、利益を巡って度々国家間の対立が起こり、このことが戦争の原因にもなっていた。イングランドは、14世紀中頃から毛織物製造業に転換して工業化を進め国民産業にまで成長し、16世紀後半のエリザベス1世(在位:1558~1603)治世時には、絶対王政における重商主義政策のもとで毛織物産業が保護され益々発展していく。
テットベリーは、毛織物取引の中心地として栄えた。地図を見ると、ここマーケット・ハウスを中心に放射状に道路が伸びており交通の要所であったことが分かる。21本のトスカナ様式の太い支柱で支えられたマーケット・ハウスは高床式倉庫に良く似ているが、この様式が毛織物の取引に最適だったのだろうか。なお、現在、この支柱内では、毎週水・土にマーケット、野菜、花、アンティーク販売などが行われ人気があるそうだ。
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画像出典:ウィキメディア・コモンズ(Wikimedia Commons)
昨日から、レイコック、バース、カースル・クーム、サイレンセスター、テットベリーと巡ってきたが、これらの町・村は、コッツウォルズ(Cotswolds)と呼ばれる丘陵地(総面積が2038平方キロメートル(東京都とほぼ同じ)、標高300メートル以上に達し、特別自然景観地域に指定されている。)にある。コッツウォルズとは「羊の丘」の意味で、中世の頃から毛織物工場や縮絨工場が建てられ毛織物の取引が活発に行われてきた。北、中央、南の3地域に約100の村・町が点在しており、近年はイングランドの面影を残した古い石造りの建物や、美しい自然・景勝地に恵まれたカントリーサイドとして多くの観光客が訪れている。
さて、マーケット・ハウス先の交差点を左折してA433を西側に50メートル進んだ左側に、テットベリーで最も人気のあるハイ・グローブ(Highgrove)がある。ここは、チャールズ皇太子が運営するショップで、 オーガニック商品など生活に身近な商品を扱っており、連日、多くの買い物客で賑わっている。
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店内には、イングランド王家の紋章入り商品も並ぶなどワンランク・アップの気分に浸ることができる。こちらには皇太子御用達シャンパンなど、魅力ある商品で溢れている。お土産には、買い物や荷物入れに便利なジュート素材のエコ・バッグがお勧めだ。
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なお、郊外(南西)に2キロメートルほど行った所に、チャールズ皇太子のハイ・グローブ邸のガーデンがある。毎年2月からオンライン予約を受け付け、許可された場合のみ見学(シャンパン・ティー・ツアーズ)が可能だが、数年先まで予約済みだとか。。
再びマーケット・ハウスに戻り、通りを南に150メートルほど進むと、右側には観光案内所があり、向かい側には18世紀後半にゴシック・リヴァイヴァル様式で建てられた聖メアリー教会(St Mary The Virgin)が現れる。シャープな形が印象的な尖塔の高さは57メートルある。
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教会内は、イングランド独自のゴシック建築(垂直様式)で、湾曲したアプスではなく大きなステンドグラスを持つ平面的な後陣が採用されている。
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さて、引き続きA433を南西方向に進み(途中からA26バース・ロードになる)、ディラム・パーク(Dyrham Park)に到着した。昨日、閉園後に到着したため見学できなかった場所だ。テットベリーからは26キロメートル南西になる(この先、バースまでは15キロメートルの距離)。
車で訪問した場合は、街道(A26)に面した正面入口ではなく、少し南側にある路地を右折、しばらく進んだ所にあるゲートから入り、園内を走行して正面入口付近まで戻った駐車場に停める。チケットを販売するインフォメーション・センターは、その駐車場のすぐそばにある。
インフォメーション・センターから西側を見ると、南コッツウォルズの丘陵地帯を僅かに望むことができる。
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この時間、インフォメーション・センター横には屋敷「マナー・ハウス(manor house)」まで向かう専用バスが待機していた。歩く距離がわからなかったこともあり、乗ることにした。園内には、鹿が放たれているとのことだが、バスからは、牛か羊らしき姿しか見えない。
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屋敷に向かって少し進むと、印象派の絵画の構図を思わせる様な、丘陵地帯を背景とした美しいバロック様式の屋敷を眺めることが出来るのだが、残念にも修復工事中であった。ここでは修復前のウィキの画像をお借りし貼り付けた。
屋敷は、元々あった古い屋敷を、17世紀後半からウィリアム3世(在位:1689~1702)の秘書を務めたウィリアム・ブラスウェイ(William Blathwayt,1649~1717)の邸宅として改築されたものだが、現在はナショナル・トラストが管理している。
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画像出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)
なお、この屋敷は、ジェームズ・アイヴォリー監督の1993年イギリス映画「日の名残り(The Remains of the Day)」(カズオ・イシグロ原作)で、執事ジェームズ・スティーヴンス(アンソニー・ホプキンス)が仕えるダーリントン卿の屋敷(ダーリントンホール)として使われた。
インフォメーション・センターから屋敷までは、1キロメートルほどの下りだったので歩いても余裕だった。しかし屋敷が修復工事中だったのでバスに乗って良かったと無理やり納得した。バスは屋敷に隣接する建物の左端(南側)に停車した。そこから歩いて建物の間を進み左側の門からガーデンテラスのある中庭を通って外に出ると、
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目の前に綺麗に刈りこまれた芝生が広がる庭園が現れる。庭園には散策できるようにプロムナードが続いている。
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右側の修復工事中の屋敷の向こうには、聖ペテロ教会(St Peter's Church)が見える。オリジナルの部分は13世紀中頃で3階建ての塔が15世紀に加えられ、17世紀に改築されたという。
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プロムナードは、突き当たりで左右に分かれる。一段下には、長方形の池があり、更にその先に大きな苑池が見える。
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右折して、修復工事中の屋敷の正面から伸びるプロムナード方向に向かう。
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最初にこの屋敷に住んだのは、ヘンリー8世治世時にグロスタシャー州長官だったウィリアム・デニス卿(1470~1533)と言われている。その後、17世紀後半から18世紀前半にかけてウィリアム・ブラスウェイが、ウィルトシャー州出身の建築家兼ランドスケープデザイナーのウィリアム・タルマン(William Talman)に依頼し、チューダー式の屋敷をバロック様式に改築し、それまでの運河や幾何学的な花壇のあった平面幾何学式庭園(フランス式庭園)から、運河を埋め、より自然に近い風景式庭園とし馬小屋や温室を作った。
しかし屋敷や広大な庭園(敷地は274エーカー(東京ドーム約24個分)の広さがある。)は、その後相続した一族にはとても維持できるものではなくなり、家具や調度品等を手放し、屋敷も庭園も次第に荒れ果て森の中に埋もれてしまう。
第二次世界大戦中には、子供たちの疎開先として利用されたが、その後は手を加えられることもなくなり、1961年に、ナショナル・トラストに移管され一般に開放されることとなった。
修復工事中の屋敷前から伸びるプロムナードを西に進むと、ナショナル・トラストのボランティアスタッフにより、芝が刈られている最中であった。
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苑池の奥(西側)から外壁に沿って歩き庭園を一周する。この辺りが丘陵地の斜面に作られているディラム・パークの敷地端となり、一番低い場所になる。修復工事中の屋敷やガーデンテラスのある建物がかなり上に見える。
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苑池の南側は植物園で、木々のトンネルをくぐって、テラスのあった中庭まで戻ると、修復工事中の屋敷を見学できると聞いたので、ツアーに参加することにした。屋敷内の部屋で、現場のスタッフと同様の作業服とヘルメットが貸与され工事用エレベータで上って行く。エレベータを降りると屋敷の屋上で、周りは工事用の足場とフードで覆われている。
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最初に、東側(正面入口側)の屋上に飾られている石像を見に行く。欄干を飾るランプ像を過ぎて、中央まで行くと台座に備え付けられた鷲の像がある。この鷲はブラスウェイ家の紋章を表しておりバースの彫刻家ジョン・ハーヴェイ(John Harvey)により造られたもの。かなり汚れているが、修復工事中でもない限り、これほど間近で見ることはできないだろう。
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次に西側(庭園側)に向かう。中央の台座に手を挙げている天使像が見えるので、近づいて、見下ろしてみる。
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こちらも長年の雨風で、顔の汚れが酷く痛々しい。。
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西側の中央部分だけフードが取り払われており庭園を一望できる。ここから眺めると散策したルートも確認できる。庭園は、丘陵地と苑池から構成され自然の景観美を追求しており、文字通り「イングリッシュガーデン」といった印象だ。パノラマ画面はこちら。
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階段を下りて行くと、観光客が屋敷内を見学している様子も見られた。屋敷内には、往年の家具や調度品などが展示されているが、次の予定もあるので、再びバスに乗りインフォメーション・センターまで戻った。
さて、ディラム・パークを出発し30分(東へ27キロメートル)で懐かしのレイコック村に戻ってきた。村のやや南にあるカーパークに到着し、レイコック・アビーを目指し路地を歩いて行くと、案内板があった。これを見ると、レイコック・アビーが村から少し離れた東側にあることが分かる。案内図に沿ってしばらく進むと右側にナショナル・トラストと書かれた建物が現れた。
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建物に入ると、左側にウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボット(William Henry Fox Talbot、1800~1877)の紹介パネルがある。ここは、レイコック・アビーに暮らし、初期写真技術(カロタイプ)を発明したフォックス・タルボットの偉業を称える博物館になっている。周りは鮮やかな照明で照らされており、イーストマン・コダック社が1888年に発売した箱型カメラのレプリカや湿板(Wet Plate)カメラなどが並んでいる。他にも、折り畳み式カメラ(フォールディングカメラ)や二眼レフカメラなども展示されている。
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タルボット写真博物館を出て、敷地内を100メートルほど歩いて行くと、目的地のレイコック・アビー(Lacock Abbey)が見えてきた。この建物は、1229年にソールズベリーのエラ伯爵夫人(Ela,1187~1261)によりアウグスチノ女子修道院として建てられたが、16世紀の修道院解散後は廷臣ウィリアム・シャリントン(Sir William Sharington)とその一族の邸宅となり、19世紀にフォックス・タルボットの邸宅となった。現在はナショナル・トラストにより管理されている。
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中庭のある建物の前から右側にあるゲートを越えると、
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レイコック・アビーの正面口に到着する。左右いずれかの階段を上ろうとしたが出口専用らしい。このため建物に沿って歩き、
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左側に回り込むと、前方に小さな立札があった。こちらが入口のようだ。
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女子修道院を設立したエラ伯爵夫人は、第2代ソールズベリー伯ウィリアム・オブ・ソールズベリーの娘として1187年に生まれた。彼女の夫は第3代ソールズベリー伯ウィリアム・ロンゲペー(ヘンリー2世の庶子)で彼の死後(墓はソールズベリー大聖堂内)、ウィルトシャー州長官を務めた後、最初の女子修道院長となった。
その後、修道院解散令に伴い1539年に、ヘンリー8世の廷臣ウィリアム・シャリントンがレイコック・アビーを783ポンドで購入し邸宅として改造し現在の姿となった。なお東南角に建つ八角形の3階建ての塔(シャリントン・タワー)も彼の時代に建設されたもの。
修道院時代には、現在の建物手前(南側)に左右に伸びる身廊があり、中央の窓付近には説教壇(pulpitum)と、その塔までがクワイヤ(quire)だった。そしてクワイヤの手前(更に南側)には聖母礼拝堂(lady chapel)があったという。現在見える南外壁は、修道院教会の北内壁だった。
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ウィリアム・シャリントンは、教会堂を破壊したが(教会の鐘は売却し収益で橋を架ける等村民の利便性の向上を図っている。)、北西側の回廊と北東側の1階部分(the medieval basement)は基礎として残し、その上に邸宅を建設した。
シャリントンの死後は、弟のヘンリー・シャリントン(Henry Sharington)が邸宅を引き継ぎ、19世紀にはヘンリーの子孫のオリーブ(Olive)が、ジョン・タルボット(John Talbot)と結婚し、タルボット家の邸宅となり、その後、近代写真技術の生みの親となったフォックス・タルボットの邸宅となった。そして1944年にマチルダ・タルボットによってナショナル・トラストに寄付され現在に至っている。
館内に入ると左側にチャプレン室(Chaplains' Room)があり、奥の壁には近づけないようにロープが張られている。
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壁には13世紀に描かれた「幼子キリストを運ぶ聖クリストファー(聖クリストフォロス)」や、「聖アンデレ(X字型の十字架で処刑され殉教した)」の壁画が残っている。その右隣には、タルボット家時代に設置された暖房設備の配管が通っている。何となく痛々しさを感じるが、床板の下に配管を通しただけの感覚だったのだろうか。
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この部屋は、ウィリアム・シャリントン時代にビール保管庫として使用された。壁画の左側にあるドアの下部が破損しているのは、ビール樽を転がし通った跡だという。
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入口のある南回廊(cloister)から北側の回廊(一辺は約24メートル)を眺めてみる。設立間もないころの回廊は、初期ゴシック様式(またはアーリー・イングリッシュ)で、パーベック(Purbeck)石の円柱で建てられ、木の屋根で覆われていた。その後、4通路あった回廊は、コの字(北、東、南)の3通路となった。
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東側の回廊に行って北方向を眺めてみる。修道院は長年の活動により富が増加したため、1300年代後期から1400年代前半にかけてイングランド・ゴシックの華飾式や垂直様式で改築を行った。修道院時代の回廊は修道女が礼拝の合間に、祈りと黙想を費やす場所だったという。
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回廊の壁面側を見ると、柱頭上からリブが扇形に伸びヴォールトを支えている(ように見える)。そして、そのまま天井を見上げると横断リブと枝リブとのジョイント部分に装飾ボス(突起)(roof boss)がはめ込まれている。キーストーンを中心に見上げるとボスは八角形状に配置され彩色も良く残っている。枝リブには、所々にひっかき傷の様な跡が見えるが、これは石工のサインで、各々の石工にいくら報酬を支払うかを手助けしたサインと言われている。
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こちらのアルファベット文字や魚などの多彩なデザインは、修道院に寄付した地元の一族の紋章である。
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おもしろボスを見つけたので紹介してみよう。人魚(その1)と、人魚(その2)で左右対称のデザインのようだ。次に、魚に食われるロバと、魚に食われる羊と共にお尻を食べられるデザイン。他にも幾何学文様など様々なデザインがありバラエティに富んでおり見ていて飽きない。
東回廊の東側にある最初の部屋は、修道院時代の聖具室(sacristy)である。部屋に入り奥まで歩いて窓側から回廊方向を振り返ると、左奥に保管場所として利用されたのか2つの窪みが見える。左に視線を移して行くと窓側近くの壁には小さな窪みと大きな通路らしき跡が残っている。現在は煉瓦で塞がれているが、この通路の向こう側がクワイヤだったのだろう。それにしても周りの壁の漆喰は大きく剥がれ煉瓦がむき出しになっており、時代の流れを感じる。
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再び東回廊に出て先の部屋に入ると、一段と広い空間が現れる。こちらは参事会議場(チャプターハウス)だったようだ。
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逆光になるため、窓側から回廊方向を眺めてみよう。床にはヴィクトリア朝時代のタイルが敷き詰められている。柱の足元には1200年代当時のオリジナルのタイルが展示されているので対比すると面白い。壁面の漆喰は聖具保管室と同様にあちこち剥がれている。
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なお、この部屋は、14世紀、レイコック村の十分の一税(中世ヨーロッパで教会に対して農民が負担した税)の保管倉庫としても利用された。当時は主に現物(小麦かトウモロコシ)で支払われていたようだ。
更に北側には、暖炉の部屋(Warming Room)がある。修道院時代に正面奥の壁に大きな暖炉があったことから名付けられた。ところで、回廊とその東側の3つの部屋は、クリス・コロンバスが監督した2001年公開映画「ハリー・ポッターと賢者の石」と2002年公開の第2作「ハリー・ポッターと秘密の部屋」のホグワーツ魔法魔術学校の撮影で使われた。公開当時から数年間は、多くの観光客でひどく混雑したようだ。
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次に、2階(first floor)にある邸宅部分の見学に向かう。2階にはワインセラーや、キッチンなどがあり、フォックス・タルボットが生活していた時代を再現した書斎や、ピアノやハープのある広間などがあり、当時の調度品や書物などが飾られている。
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ここが、フォックス・タルボットが1835年8月に、最初に写真撮影に成功(史上初のネガ-ポジ法で複製が可能)した窓で、1階にある回廊入口(南側)の真上にあたる。窓の横には写真と当時の様子が詳しく解説されている。オリジナルの写真は、現在ロンドンのサイエンス・ミュージアムに保管されているようだ。
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食堂のテーブル上には、フォックス・タルボットを紹介したテーブルクロスや、写真付きのお皿が置かれている。
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邸宅の東南角に建つシャリントン・タワー(八角形の3階建の塔)の内部には、1225年版ヘンリー3世のマグナ・カルタの草稿のコピーが置かれている。元々1215年にジョン王により制定された憲章で、国王の権限を制限したことから憲法史の草分けとされたが、その後何度か改正されたうちの一つ。この1225年版はエラ伯爵夫人の夫ウィリアム・ロンゲペー宛てに送られたことから、代々レイコック・アビーの家主に受け継がれ、1946年にマチルダ・タルボットにより大英博物館に寄贈された。
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そしてこちらは、タワー天井の様子。
最後に西側正面の左右階段を入った所にある大広間を見学した。室内には、壁龕があり、ややグロテスクな雰囲気の像なども飾られていた。筒型ヴォールトの天井には、一面紋章がトランプの様に散りばめられている。他にもマチルダ・タルボットにより大英博物館に寄贈された、1225年版マグナ・カルタに関する手紙や寄贈の経緯などが紹介されている。
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大広間から外に出て北隣にある中庭に向かう。周りは16世紀に建てられた切妻屋根に縦仕切り窓(mullion windows)のある古い建物だ。これらの建物は、ブリューハウス(ビール醸造所)、ベイクハウス(パン製造所)そして馬車置場などに使われた。中庭左側(北西角)の時計塔そばには、その一つ、ブリューハウスがあり当時の仕組みを見学することが出来る。
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中に入り上からビール製造の様子を見てみよう。左端のタンクは、マッシュ・タン(Mash tun)と言い、麦汁(Mash)をつくるための、樽容器(Tun)とボイラー(Boiler)で、出来上がった麦汁は右側のクーラー(cooler)に注ぎ込まれて冷やされる。その冷やされた麦汁は、下の桶(発酵タンク(fermenting vessel))に溜まり、桶の下の蛇口からビールを抽出する仕組みになっている。
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さて、昨日同様にA429を20キロメートルほど北上し、今朝のスタート地点、サイレンセスター(Cirencester)に戻ってきた。時刻は午後4時過ぎ。町の中心部には、15世紀に毛織物産業で財をなした生産者の寄付で建設された「コッツウォルズの大聖堂」との異名を持つパリッシュ・チャーチ(教区教会)がある。
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サイレンセスターは、コッツウォルズの観光起点の一つで、この地方では最大の町だが、古くはローマ時代にまで遡る。地図を見るとサイレンセスターを中心として、X状に直線道路が郊外に延びているのが分かる。ローマ時代、ロンドンについで2番目に大きな町で「コリニウム・ドブンノルム(Corinium Dobunnorum)」と呼ばれており、これらの道路はローマ時代の街道の名残りである。現在、その中心部にある教会前広場では、週2回市場が開かれ多くの人が集まるそうだ。
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教会の南側にある後期ゴシック様式の3階建てのポーチ(Pogis)が教会への入口となるが入場時間は終了していた。
入口そばにはバス停があり、ここの場所からバイブリーやボートン・オン・ザ・ウォーター行きのバスが出ている。
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(2015.7.23)
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なお、マーケット・ハウスの後ろに見えるのは、15世紀に建てられた老舗ホテル(the Snooty Fox)である。
中世ヨーロッパの一大産業は毛織物業であった。そのころイングランドとスペインが羊毛の生産地で、北イタリアとフランドル地方が毛織物産地であった。互いに活発な羊毛貿易が行われていたが、利益を巡って度々国家間の対立が起こり、このことが戦争の原因にもなっていた。イングランドは、14世紀中頃から毛織物製造業に転換して工業化を進め国民産業にまで成長し、16世紀後半のエリザベス1世(在位:1558~1603)治世時には、絶対王政における重商主義政策のもとで毛織物産業が保護され益々発展していく。
テットベリーは、毛織物取引の中心地として栄えた。地図を見ると、ここマーケット・ハウスを中心に放射状に道路が伸びており交通の要所であったことが分かる。21本のトスカナ様式の太い支柱で支えられたマーケット・ハウスは高床式倉庫に良く似ているが、この様式が毛織物の取引に最適だったのだろうか。なお、現在、この支柱内では、毎週水・土にマーケット、野菜、花、アンティーク販売などが行われ人気があるそうだ。
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画像出典:ウィキメディア・コモンズ(Wikimedia Commons)
昨日から、レイコック、バース、カースル・クーム、サイレンセスター、テットベリーと巡ってきたが、これらの町・村は、コッツウォルズ(Cotswolds)と呼ばれる丘陵地(総面積が2038平方キロメートル(東京都とほぼ同じ)、標高300メートル以上に達し、特別自然景観地域に指定されている。)にある。コッツウォルズとは「羊の丘」の意味で、中世の頃から毛織物工場や縮絨工場が建てられ毛織物の取引が活発に行われてきた。北、中央、南の3地域に約100の村・町が点在しており、近年はイングランドの面影を残した古い石造りの建物や、美しい自然・景勝地に恵まれたカントリーサイドとして多くの観光客が訪れている。
さて、マーケット・ハウス先の交差点を左折してA433を西側に50メートル進んだ左側に、テットベリーで最も人気のあるハイ・グローブ(Highgrove)がある。ここは、チャールズ皇太子が運営するショップで、 オーガニック商品など生活に身近な商品を扱っており、連日、多くの買い物客で賑わっている。
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店内には、イングランド王家の紋章入り商品も並ぶなどワンランク・アップの気分に浸ることができる。こちらには皇太子御用達シャンパンなど、魅力ある商品で溢れている。お土産には、買い物や荷物入れに便利なジュート素材のエコ・バッグがお勧めだ。
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なお、郊外(南西)に2キロメートルほど行った所に、チャールズ皇太子のハイ・グローブ邸のガーデンがある。毎年2月からオンライン予約を受け付け、許可された場合のみ見学(シャンパン・ティー・ツアーズ)が可能だが、数年先まで予約済みだとか。。
再びマーケット・ハウスに戻り、通りを南に150メートルほど進むと、右側には観光案内所があり、向かい側には18世紀後半にゴシック・リヴァイヴァル様式で建てられた聖メアリー教会(St Mary The Virgin)が現れる。シャープな形が印象的な尖塔の高さは57メートルある。
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教会内は、イングランド独自のゴシック建築(垂直様式)で、湾曲したアプスではなく大きなステンドグラスを持つ平面的な後陣が採用されている。
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さて、引き続きA433を南西方向に進み(途中からA26バース・ロードになる)、ディラム・パーク(Dyrham Park)に到着した。昨日、閉園後に到着したため見学できなかった場所だ。テットベリーからは26キロメートル南西になる(この先、バースまでは15キロメートルの距離)。
車で訪問した場合は、街道(A26)に面した正面入口ではなく、少し南側にある路地を右折、しばらく進んだ所にあるゲートから入り、園内を走行して正面入口付近まで戻った駐車場に停める。チケットを販売するインフォメーション・センターは、その駐車場のすぐそばにある。
インフォメーション・センターから西側を見ると、南コッツウォルズの丘陵地帯を僅かに望むことができる。
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この時間、インフォメーション・センター横には屋敷「マナー・ハウス(manor house)」まで向かう専用バスが待機していた。歩く距離がわからなかったこともあり、乗ることにした。園内には、鹿が放たれているとのことだが、バスからは、牛か羊らしき姿しか見えない。
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屋敷に向かって少し進むと、印象派の絵画の構図を思わせる様な、丘陵地帯を背景とした美しいバロック様式の屋敷を眺めることが出来るのだが、残念にも修復工事中であった。ここでは修復前のウィキの画像をお借りし貼り付けた。
屋敷は、元々あった古い屋敷を、17世紀後半からウィリアム3世(在位:1689~1702)の秘書を務めたウィリアム・ブラスウェイ(William Blathwayt,1649~1717)の邸宅として改築されたものだが、現在はナショナル・トラストが管理している。
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画像出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)
なお、この屋敷は、ジェームズ・アイヴォリー監督の1993年イギリス映画「日の名残り(The Remains of the Day)」(カズオ・イシグロ原作)で、執事ジェームズ・スティーヴンス(アンソニー・ホプキンス)が仕えるダーリントン卿の屋敷(ダーリントンホール)として使われた。
インフォメーション・センターから屋敷までは、1キロメートルほどの下りだったので歩いても余裕だった。しかし屋敷が修復工事中だったのでバスに乗って良かったと無理やり納得した。バスは屋敷に隣接する建物の左端(南側)に停車した。そこから歩いて建物の間を進み左側の門からガーデンテラスのある中庭を通って外に出ると、
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目の前に綺麗に刈りこまれた芝生が広がる庭園が現れる。庭園には散策できるようにプロムナードが続いている。
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右側の修復工事中の屋敷の向こうには、聖ペテロ教会(St Peter's Church)が見える。オリジナルの部分は13世紀中頃で3階建ての塔が15世紀に加えられ、17世紀に改築されたという。
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プロムナードは、突き当たりで左右に分かれる。一段下には、長方形の池があり、更にその先に大きな苑池が見える。
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右折して、修復工事中の屋敷の正面から伸びるプロムナード方向に向かう。
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最初にこの屋敷に住んだのは、ヘンリー8世治世時にグロスタシャー州長官だったウィリアム・デニス卿(1470~1533)と言われている。その後、17世紀後半から18世紀前半にかけてウィリアム・ブラスウェイが、ウィルトシャー州出身の建築家兼ランドスケープデザイナーのウィリアム・タルマン(William Talman)に依頼し、チューダー式の屋敷をバロック様式に改築し、それまでの運河や幾何学的な花壇のあった平面幾何学式庭園(フランス式庭園)から、運河を埋め、より自然に近い風景式庭園とし馬小屋や温室を作った。
しかし屋敷や広大な庭園(敷地は274エーカー(東京ドーム約24個分)の広さがある。)は、その後相続した一族にはとても維持できるものではなくなり、家具や調度品等を手放し、屋敷も庭園も次第に荒れ果て森の中に埋もれてしまう。
第二次世界大戦中には、子供たちの疎開先として利用されたが、その後は手を加えられることもなくなり、1961年に、ナショナル・トラストに移管され一般に開放されることとなった。
修復工事中の屋敷前から伸びるプロムナードを西に進むと、ナショナル・トラストのボランティアスタッフにより、芝が刈られている最中であった。
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苑池の奥(西側)から外壁に沿って歩き庭園を一周する。この辺りが丘陵地の斜面に作られているディラム・パークの敷地端となり、一番低い場所になる。修復工事中の屋敷やガーデンテラスのある建物がかなり上に見える。
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苑池の南側は植物園で、木々のトンネルをくぐって、テラスのあった中庭まで戻ると、修復工事中の屋敷を見学できると聞いたので、ツアーに参加することにした。屋敷内の部屋で、現場のスタッフと同様の作業服とヘルメットが貸与され工事用エレベータで上って行く。エレベータを降りると屋敷の屋上で、周りは工事用の足場とフードで覆われている。
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最初に、東側(正面入口側)の屋上に飾られている石像を見に行く。欄干を飾るランプ像を過ぎて、中央まで行くと台座に備え付けられた鷲の像がある。この鷲はブラスウェイ家の紋章を表しておりバースの彫刻家ジョン・ハーヴェイ(John Harvey)により造られたもの。かなり汚れているが、修復工事中でもない限り、これほど間近で見ることはできないだろう。
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次に西側(庭園側)に向かう。中央の台座に手を挙げている天使像が見えるので、近づいて、見下ろしてみる。
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こちらも長年の雨風で、顔の汚れが酷く痛々しい。。
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西側の中央部分だけフードが取り払われており庭園を一望できる。ここから眺めると散策したルートも確認できる。庭園は、丘陵地と苑池から構成され自然の景観美を追求しており、文字通り「イングリッシュガーデン」といった印象だ。パノラマ画面はこちら。
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階段を下りて行くと、観光客が屋敷内を見学している様子も見られた。屋敷内には、往年の家具や調度品などが展示されているが、次の予定もあるので、再びバスに乗りインフォメーション・センターまで戻った。
さて、ディラム・パークを出発し30分(東へ27キロメートル)で懐かしのレイコック村に戻ってきた。村のやや南にあるカーパークに到着し、レイコック・アビーを目指し路地を歩いて行くと、案内板があった。これを見ると、レイコック・アビーが村から少し離れた東側にあることが分かる。案内図に沿ってしばらく進むと右側にナショナル・トラストと書かれた建物が現れた。
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建物に入ると、左側にウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボット(William Henry Fox Talbot、1800~1877)の紹介パネルがある。ここは、レイコック・アビーに暮らし、初期写真技術(カロタイプ)を発明したフォックス・タルボットの偉業を称える博物館になっている。周りは鮮やかな照明で照らされており、イーストマン・コダック社が1888年に発売した箱型カメラのレプリカや湿板(Wet Plate)カメラなどが並んでいる。他にも、折り畳み式カメラ(フォールディングカメラ)や二眼レフカメラなども展示されている。
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タルボット写真博物館を出て、敷地内を100メートルほど歩いて行くと、目的地のレイコック・アビー(Lacock Abbey)が見えてきた。この建物は、1229年にソールズベリーのエラ伯爵夫人(Ela,1187~1261)によりアウグスチノ女子修道院として建てられたが、16世紀の修道院解散後は廷臣ウィリアム・シャリントン(Sir William Sharington)とその一族の邸宅となり、19世紀にフォックス・タルボットの邸宅となった。現在はナショナル・トラストにより管理されている。
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中庭のある建物の前から右側にあるゲートを越えると、
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レイコック・アビーの正面口に到着する。左右いずれかの階段を上ろうとしたが出口専用らしい。このため建物に沿って歩き、
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左側に回り込むと、前方に小さな立札があった。こちらが入口のようだ。
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女子修道院を設立したエラ伯爵夫人は、第2代ソールズベリー伯ウィリアム・オブ・ソールズベリーの娘として1187年に生まれた。彼女の夫は第3代ソールズベリー伯ウィリアム・ロンゲペー(ヘンリー2世の庶子)で彼の死後(墓はソールズベリー大聖堂内)、ウィルトシャー州長官を務めた後、最初の女子修道院長となった。
その後、修道院解散令に伴い1539年に、ヘンリー8世の廷臣ウィリアム・シャリントンがレイコック・アビーを783ポンドで購入し邸宅として改造し現在の姿となった。なお東南角に建つ八角形の3階建ての塔(シャリントン・タワー)も彼の時代に建設されたもの。
修道院時代には、現在の建物手前(南側)に左右に伸びる身廊があり、中央の窓付近には説教壇(pulpitum)と、その塔までがクワイヤ(quire)だった。そしてクワイヤの手前(更に南側)には聖母礼拝堂(lady chapel)があったという。現在見える南外壁は、修道院教会の北内壁だった。
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ウィリアム・シャリントンは、教会堂を破壊したが(教会の鐘は売却し収益で橋を架ける等村民の利便性の向上を図っている。)、北西側の回廊と北東側の1階部分(the medieval basement)は基礎として残し、その上に邸宅を建設した。
シャリントンの死後は、弟のヘンリー・シャリントン(Henry Sharington)が邸宅を引き継ぎ、19世紀にはヘンリーの子孫のオリーブ(Olive)が、ジョン・タルボット(John Talbot)と結婚し、タルボット家の邸宅となり、その後、近代写真技術の生みの親となったフォックス・タルボットの邸宅となった。そして1944年にマチルダ・タルボットによってナショナル・トラストに寄付され現在に至っている。
館内に入ると左側にチャプレン室(Chaplains' Room)があり、奥の壁には近づけないようにロープが張られている。
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壁には13世紀に描かれた「幼子キリストを運ぶ聖クリストファー(聖クリストフォロス)」や、「聖アンデレ(X字型の十字架で処刑され殉教した)」の壁画が残っている。その右隣には、タルボット家時代に設置された暖房設備の配管が通っている。何となく痛々しさを感じるが、床板の下に配管を通しただけの感覚だったのだろうか。
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この部屋は、ウィリアム・シャリントン時代にビール保管庫として使用された。壁画の左側にあるドアの下部が破損しているのは、ビール樽を転がし通った跡だという。
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入口のある南回廊(cloister)から北側の回廊(一辺は約24メートル)を眺めてみる。設立間もないころの回廊は、初期ゴシック様式(またはアーリー・イングリッシュ)で、パーベック(Purbeck)石の円柱で建てられ、木の屋根で覆われていた。その後、4通路あった回廊は、コの字(北、東、南)の3通路となった。
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東側の回廊に行って北方向を眺めてみる。修道院は長年の活動により富が増加したため、1300年代後期から1400年代前半にかけてイングランド・ゴシックの華飾式や垂直様式で改築を行った。修道院時代の回廊は修道女が礼拝の合間に、祈りと黙想を費やす場所だったという。
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回廊の壁面側を見ると、柱頭上からリブが扇形に伸びヴォールトを支えている(ように見える)。そして、そのまま天井を見上げると横断リブと枝リブとのジョイント部分に装飾ボス(突起)(roof boss)がはめ込まれている。キーストーンを中心に見上げるとボスは八角形状に配置され彩色も良く残っている。枝リブには、所々にひっかき傷の様な跡が見えるが、これは石工のサインで、各々の石工にいくら報酬を支払うかを手助けしたサインと言われている。
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こちらのアルファベット文字や魚などの多彩なデザインは、修道院に寄付した地元の一族の紋章である。
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おもしろボスを見つけたので紹介してみよう。人魚(その1)と、人魚(その2)で左右対称のデザインのようだ。次に、魚に食われるロバと、魚に食われる羊と共にお尻を食べられるデザイン。他にも幾何学文様など様々なデザインがありバラエティに富んでおり見ていて飽きない。
東回廊の東側にある最初の部屋は、修道院時代の聖具室(sacristy)である。部屋に入り奥まで歩いて窓側から回廊方向を振り返ると、左奥に保管場所として利用されたのか2つの窪みが見える。左に視線を移して行くと窓側近くの壁には小さな窪みと大きな通路らしき跡が残っている。現在は煉瓦で塞がれているが、この通路の向こう側がクワイヤだったのだろう。それにしても周りの壁の漆喰は大きく剥がれ煉瓦がむき出しになっており、時代の流れを感じる。
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再び東回廊に出て先の部屋に入ると、一段と広い空間が現れる。こちらは参事会議場(チャプターハウス)だったようだ。
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逆光になるため、窓側から回廊方向を眺めてみよう。床にはヴィクトリア朝時代のタイルが敷き詰められている。柱の足元には1200年代当時のオリジナルのタイルが展示されているので対比すると面白い。壁面の漆喰は聖具保管室と同様にあちこち剥がれている。
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なお、この部屋は、14世紀、レイコック村の十分の一税(中世ヨーロッパで教会に対して農民が負担した税)の保管倉庫としても利用された。当時は主に現物(小麦かトウモロコシ)で支払われていたようだ。
更に北側には、暖炉の部屋(Warming Room)がある。修道院時代に正面奥の壁に大きな暖炉があったことから名付けられた。ところで、回廊とその東側の3つの部屋は、クリス・コロンバスが監督した2001年公開映画「ハリー・ポッターと賢者の石」と2002年公開の第2作「ハリー・ポッターと秘密の部屋」のホグワーツ魔法魔術学校の撮影で使われた。公開当時から数年間は、多くの観光客でひどく混雑したようだ。
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次に、2階(first floor)にある邸宅部分の見学に向かう。2階にはワインセラーや、キッチンなどがあり、フォックス・タルボットが生活していた時代を再現した書斎や、ピアノやハープのある広間などがあり、当時の調度品や書物などが飾られている。
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ここが、フォックス・タルボットが1835年8月に、最初に写真撮影に成功(史上初のネガ-ポジ法で複製が可能)した窓で、1階にある回廊入口(南側)の真上にあたる。窓の横には写真と当時の様子が詳しく解説されている。オリジナルの写真は、現在ロンドンのサイエンス・ミュージアムに保管されているようだ。
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食堂のテーブル上には、フォックス・タルボットを紹介したテーブルクロスや、写真付きのお皿が置かれている。
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邸宅の東南角に建つシャリントン・タワー(八角形の3階建の塔)の内部には、1225年版ヘンリー3世のマグナ・カルタの草稿のコピーが置かれている。元々1215年にジョン王により制定された憲章で、国王の権限を制限したことから憲法史の草分けとされたが、その後何度か改正されたうちの一つ。この1225年版はエラ伯爵夫人の夫ウィリアム・ロンゲペー宛てに送られたことから、代々レイコック・アビーの家主に受け継がれ、1946年にマチルダ・タルボットにより大英博物館に寄贈された。
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そしてこちらは、タワー天井の様子。
最後に西側正面の左右階段を入った所にある大広間を見学した。室内には、壁龕があり、ややグロテスクな雰囲気の像なども飾られていた。筒型ヴォールトの天井には、一面紋章がトランプの様に散りばめられている。他にもマチルダ・タルボットにより大英博物館に寄贈された、1225年版マグナ・カルタに関する手紙や寄贈の経緯などが紹介されている。
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大広間から外に出て北隣にある中庭に向かう。周りは16世紀に建てられた切妻屋根に縦仕切り窓(mullion windows)のある古い建物だ。これらの建物は、ブリューハウス(ビール醸造所)、ベイクハウス(パン製造所)そして馬車置場などに使われた。中庭左側(北西角)の時計塔そばには、その一つ、ブリューハウスがあり当時の仕組みを見学することが出来る。
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中に入り上からビール製造の様子を見てみよう。左端のタンクは、マッシュ・タン(Mash tun)と言い、麦汁(Mash)をつくるための、樽容器(Tun)とボイラー(Boiler)で、出来上がった麦汁は右側のクーラー(cooler)に注ぎ込まれて冷やされる。その冷やされた麦汁は、下の桶(発酵タンク(fermenting vessel))に溜まり、桶の下の蛇口からビールを抽出する仕組みになっている。
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さて、昨日同様にA429を20キロメートルほど北上し、今朝のスタート地点、サイレンセスター(Cirencester)に戻ってきた。時刻は午後4時過ぎ。町の中心部には、15世紀に毛織物産業で財をなした生産者の寄付で建設された「コッツウォルズの大聖堂」との異名を持つパリッシュ・チャーチ(教区教会)がある。
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サイレンセスターは、コッツウォルズの観光起点の一つで、この地方では最大の町だが、古くはローマ時代にまで遡る。地図を見るとサイレンセスターを中心として、X状に直線道路が郊外に延びているのが分かる。ローマ時代、ロンドンについで2番目に大きな町で「コリニウム・ドブンノルム(Corinium Dobunnorum)」と呼ばれており、これらの道路はローマ時代の街道の名残りである。現在、その中心部にある教会前広場では、週2回市場が開かれ多くの人が集まるそうだ。
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教会の南側にある後期ゴシック様式の3階建てのポーチ(Pogis)が教会への入口となるが入場時間は終了していた。
入口そばにはバス停があり、ここの場所からバイブリーやボートン・オン・ザ・ウォーター行きのバスが出ている。
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(2015.7.23)
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