カズさんの旅たび

 ~歴史、文化、芸術、美食紀行。。

イングランド・コッツウォルズ(その1)

2015-07-21 | イギリス
ここは、レイコック(Lacock)村からやや北にあるダムソン・コテージ(Damson Cottage)で、オーナー夫妻が営業する家庭的な雰囲気のB&B(ビー・アンド・ビー)である。ストーンヘンジからは約40キロメートル北に位置しており、何とか日暮れ前(午後8時を過ぎたところ)に到着することができた。
クリックで別ウインドウ開く

今夜の夕食は、村の中心部にあるレストランを予約しているが、既に予約時間になっているためチェックインを済ませ急ぎ出かけることにした。コテージ前の通りを右(西側)に歩き、すぐ先のエイボン川を渡って振り返るとローマ風の美しいアーチ橋を眺めることが出来る。
クリックで別ウインドウ開く

地図を見ると、村の中心部へは一旦西に向かった後、南下する1.5キロメートルほどの距離だが、直線距離だと500メートルほどだ。左側にある路地を入ると、牧草地が広がり中央にフットパスが続いていることから直線で行けそうだ。牧草地を渡りきり石橋を渡って坂を下ると、聖シリアク教会(St. Cyriac's Church)が現れる。その教会前を右折したところがチャーチ・ストリートで、この辺りがレイコック村の中心部になる。

歩いて来た方向を振り返ると、中世時代の古い町並みが続いている。レイコック村は、村全体が「ナショナル・トラスト(歴史的建築物の保護を目的として設立されたボランティア団体)」の管理下にあり改築などに規制があるため、このように昔ながらの景観が保たれているのだ。
クリックで別ウインドウ開く
聖シリアク教会の手前に見える赤い煉瓦色屋根の建物は村最古の建物(13世紀)を利用したB&Bで、キング・ジョンズ・ハンティング・ロッジ(King Johns Hunting Lodge)と呼ばれている。この建物は、ジョン王(在位:1199~1216)が狩りで利用したと言われている。

そして、チャーチ・ストリート右側沿いにあるベーカリーショップのすぐ先が、今夜のレストラン、サイン・オブ・ザ・エンジェル(Sign of the Angel)で、AA ロゼットアワード(AA Rosette)の2つ星の受賞歴がある。15世紀頃の建物で1階部分はハニー・カラー・ド・ストーン(蜂蜜色の石)で、2階部分は漆喰壁に木造の軸を配したハーフ・ティンバーから成っている。
クリックで別ウインドウ開く

店内に入ると暖炉横のテーブル席に案内された。飲み物はフィッシュ・フック シラーズ(17.50ポンド)とピノグリ(グラス)(4.50ポンド)を頼んだ。最初にパンとアミューズブーシュが出される。料理は、アラカルトメニューだけのようだ。

前菜はアスパラガスのテリーヌ(6.50ポンド)とスコッチエッグとアスパラガスの付け合せ(8ポンド)を、口直しのシャーベットの後に、メインは、本日の魚(平目)(18.50ポンド)に、ラムステーキのアプリコット添え(19ポンド)※ステーキの下は付け合せ)を、そして最後にデザートサマープディング(7ポンド)を頂いた。
クリックで別ウインドウ開く

美味しい食事を堪能でき大変満足だった。午後10時を過ぎレストランを出ると、村は真夜中の様にひっそり静まりかえっている。ライトで前方を照らしつつフットパスを抜けてコテージまで戻った。
クリックで別ウインドウ開く

***********************************

ダムソン・コテージでの翌朝。穏やかな光が差し込む窓際の壁には、牡丹に雀を題材とした絵が飾られている。ここのオーナー夫妻は日本に住んでいたことがあり、日本文化に造詣が深い。

窓から外を眺めると、美しい田園風景を望むことができ、何とも心が癒される。。
クリックで別ウインドウ開く
ダムソン・コテージは、民家をリフォームした夫婦が直接営業している小規模なB&Bのため、シャワー、トイレは共同だが、すぐ部屋の隣でもあったため全く不自由はなかった。

1階のダイニングには、清潔な白のレースのテーブルクロスや、壁に掛けられた美しい皿や調度品の数々が並べられており、優雅な気分を味わえる。やはり壁には日本趣味の額が飾られているが、こてこて感のない作品で良く部屋の雰囲気に溶け込んでいる。オーナー夫婦のセンスは中々のものである。
クリックで別ウインドウ開く

朝食は家庭的で一品ごとに丁寧に調理され大変満足するものであった。オーナー夫婦からは、帰ったらサイトで良い評価をしてね!とお願いされた。とは言え、レイコック村自体がコッツウォルズ観光には少し離れた場所になるため、車がないと不便だろう。少人数の個人旅行者にはお勧めの宿である。
クリックで別ウインドウ開く
ところで、レイコック村の代表的観光名所は、レイコック・アビー(Lacock Abbey)だが、明日訪問することで、今日はレイコック村から西に約20キロメートル離れたサマセット州のバース(Bath)に向かう。

そのバースには45分ほどで到着した。ここはバース中心部から北西側の高台にある集合住宅「ロイヤル・クレッセント(Royal Crescent)」である。建築家ジョン・ウッド(子)により、1767年から7年間の歳月をかけて、パッラーディオ様式で建てられた。クレッセントとは、三日月を意味しており、文字通り華麗な曲線を描いた建造物となっている。住宅は、全部で30戸(地下1階、地上3階建て)あり、窓間にはイオニア式の柱(114本)が並んでいる。住宅内の一戸はOne Royal Crescent(博物館)として見学ができる。クレッセントの前面には広大な緑の芝生が広がっており、当時の上流階級の人々の散歩コースであったという。
クリックで別ウインドウ開く

ロイヤルクレッセントのすぐ東側には、ザ・サーカスと名付けられたサークルがあり、周りの建物は、建築家のジョン・ウッド(父)が1735年にデザインし、彼の息子(ジョン・ウッド)が完成させた。建物は3階建でマンサード屋根を備えており、イオニア式の門柱を構えている。建物の多くはオフィスとして使用されている。
クリックで別ウインドウ開く
なお、サークルから南に下るクイーン・スクウェアからゲイ・ストリートを結んだ地区にも指定建築物に指定されたジョン・ウッド親子の手による建物が並んでいる。

そして、ザ・サーカスの東側にあるのが18世紀ブルジョアの社交場だったアセンブリー・ルーム(Assembly rooms Fashion Museum)。やはり建築家のジョン・ウッド(子)によって1771年に建てられたジョージアン様式の建物で、第二次世界大戦で焼失したがその後忠実に再建された。
クリックで別ウインドウ開く

アセンブリー・ルームは、ヨーロッパ屈指の上流階級の社交場として賑わい、毎晩のようにお茶会や舞踏会が開かれていたという。
クリックで別ウインドウ開く

こちらの広間は、一度に800~1200人が収容できるほどの広さを誇っており、一列に並んだ豪華なシャンデリアの下で舞踏会が繰り広げられた。ちなみに、アセンブリー・ルームの地下にはファッション博物館(Fashion Museum)があり、16世紀後半から現代までの様々な衣装やアクセサリーが展示されている。こちらに入場する場合は8.75ポンド(一人当たり)かかる。今回は時間の関係からパス。
クリックで別ウインドウ開く

バース中心部を南北に走るウォルコット・ストリート(Walcot Street)を南に向かうとバース寺院が見えてくる。
クリックで別ウインドウ開く

左側にある「ギルド・ホール(1775年に建てられ市議会などが行われる。)」を過ぎ、バース寺院前から寺院に沿って右側に回り込む。
クリックで別ウインドウ開く
バース寺院は、676年にベネディクト派修道院として創建され、973年に初の統一イングランド王、ウェセックス朝エドガー平和王(在位:959~975)の戴冠式も行われた歴史ある教会。その後、ロマネスク様式で改築されたが、現在の建物は1499年に司教オリヴァー・キングによりチューダー朝様式で改築されたもの。外壁を形作る石材は、地元で採れるバース・ストーンが使われている。

西側ファサードの両脇の柱には、キング司教が夢で見たという階段を上り下りする天使たち「天国への梯子」など魅力的な装飾が施されている。扇形の天井や壮麗なステンドグラスも見所だが、残念ながら見られず。。
クリックで別ウインドウ開く

ファサード前はアビー・チャーチ・ヤードと呼ばれる広場となっており、バースで最も賑やかな場所である。その南側に古代ローマの公衆浴場跡である「ローマン・バース」の建物がある。ローマン・バスは紀元前9世紀に源泉が発見され、紀元前1世紀にローマ人によって、大浴場、サウナ風呂、水風呂、マッサージ室などを備えた温泉施設が造られた。隣にはスリス・ミネルウァ神殿が造られ、ローマ帝国各地から多くの人々が訪れる一大保養地として発展した。しかし、ローマ人撤退後の5世紀初頭から荒廃し、その後は洪水により泥で埋もれてしまう。
クリックで別ウインドウ開く

現在のローマン・バースは、18世紀にジョン・ウッド親子の設計により建てられたもので、ローマ浴場跡博物館として年間100万人を超える観光客が訪れるなどイングランドを代表する観光名所の一つとなっている。それでは、料金(14.50ポンド)を支払い日本語の音声ガイドを借りて入場する。
クリックで別ウインドウ開く

中に入るとシャンデリアが吊り下がるアーチ型の天井が美しいレセプション・ホールが広がっている。レセプション側の窓から眺めると、ザ・グレイト・バス(The Great Bath)と名付けられた大浴場があり、復刻されたローマ時代の彫像が見下ろしている。浴場自体は街路より一段低く覗き込むようになっている。
クリックで別ウインドウ開く

レセプション側を眺めることができる浴槽の周りの回廊(南西側)まで下りて浴槽に手を差し入れてみるとほんのり暖かい。浴槽は深さが1.5メートルあり、かつてはバレル・ヴォールト(かまぼこ形の屋根)で囲まれお湯も透明だったが、現在は水質に問題がありお湯に浸かることはできない。浴槽の際には、かつて屋根を支えていた柱の基壇の跡が残っている。
クリックで別ウインドウ開く
大浴場の北西角(写真:東南上部回廊からの視点)には源泉からお湯が注ぎ込む様子を見ることができる。

4世紀のローマン・バスの模型が展示されていたので、南西側から建物全体を眺めてみよう。中央東寄りの大きなバレル・ヴォールトの建物が大浴場にあたる。そして、その北西側に隣接するバレル・ヴォールト内には、源泉「聖なる泉(Sacred Spring)」がある。この泉から湧き出た源泉が隣接する大浴場に供給されているのだ。
クリックで別ウインドウ開く

次に北西側から見てみよう。中央に建つ大きな建物がスリス・ミネルウァ神殿である。古代の人々は、東側のフォリー(folly)のそばを通りゲートをくぐって、一旦、中央の神殿に参拝した後、再びゲート近くに戻り、北側から浴場に入場したようだ。なお、神殿名は先住民のケルト系ブリトン人が崇拝していた知恵を司る土着の女神スリスとローマ人の医療を司るミネルウァ女神とが同一化され名付けられた。
クリックで別ウインドウ開く

それでは模型同様に神殿があった方角から「聖なる泉」を眺めてみよう。大浴場と比べると約1/3程度の大きさの浴槽があり、周りには腰掛け椅子などもある。南壁面にはこの泉を最初(紀元前836年)に発見したとされるブリトン王ブラドッドの像が飾られている。
クリックで別ウインドウ開く

湯面を見ると小さな気泡が浮き上がっている。今も地下から46度のお湯が毎日117万リットル湧出しているとのこと。浴槽のそばまで行くことはできないので、反対側(南側)に移動して窓から覗き込むと、浴槽のそばにはシャワールームの様なスペースも見られた。
クリックで別ウインドウ開く
そして、こちらはレセプション側から窓越しに聖なる泉を見下ろした様子

館内には、湧き出た温泉が施設内へ供給、排水される様子を示した模型やパネルが展示されている。これらを見ると、源泉から溢れた温泉はエイヴォン川に流す仕組みになっていることが分かる。
クリックで別ウインドウ開く

ちなみに古代の供給・排水システムは現在も稼働している。館内では、配管にお湯が流れる様子や、堆積物が付着した吹き出し口などを見ることができ、ローマ人の建築技術の高さに驚かされる。
クリックで別ウインドウ開く

では、出土品を見てみよう。こちらは、スリス・ミネルウァ神殿のペディメント(破風)(Pediment)に飾られていたゴルゴーンの顔で復元された姿をCG映像で投射して当時の色彩を再現していた。CG映像で復元されたスリス・ミネルウァ神殿を見ると、神殿は階段を2メートルほど上った基壇の上にあり、4本のコリント様式の柱で支えられていた。高さは15メートルほどであったようだ。
クリックで別ウインドウ開く
他にも、神殿敷地内のミネルウァ女神像の北側建物のペディメント(破風)を飾っていたルナとソルの像や、神々の像が彫られた石片などが展示されていた。

こちらの見学通路の上には、モニターがあり4世紀頃の神殿敷地内の様子がCG映像で映し出されていた。しばらくすると映像は、徐々に変化し、現在の通路と観光客の様子に変わって行く。この映像を見ると、見学通路下の遺跡は神殿ゲートをくぐり敷地内に入ってミネルウァ女神像のそばを通った所で、聖なる泉を覆っていた建物の北側入口付近であったことがわかる。
クリックで別ウインドウ開く
見学通路からは、神殿入口前にあった階段の跡も間近で見ることができる。

神殿敷地内に飾られていたミネルウァ女神の頭部像も1727年に発見され展示されている。
クリックで別ウインドウ開く

他にも奉納物と思われる8つの革製バッグ(レプリカで自由に触れることができる。)に入っていた17,577個のローマ銀貨(前32年~275年)や、呪いの板(入浴時に盗難にあったなど書かれている)など興味深い展示品もあった。

こちらは大浴場の東側にある4世紀に拡張された浴場跡で、バース寺院の南側廊の広場(キングストン・パレード)の地下に位置している。浴槽内には入りやすいように階段や腰掛け石があった。
クリックで別ウインドウ開く

この風呂は、カルダリウム(caldarium)といい床暖房システムでハイポコースト(下から熱するの意)を取り入れた高温多湿のサウナ風呂である。煉瓦が積み重なっているのは、熱い空気を流すための仕組みで、当時は、この上に床があった。
クリックで別ウインドウ開く

そして、カルダリウムで火照った後はこのフリギダリウム(frigidarium)と名付けられた円形の冷水槽に入る。壁面には入浴するローマ人の姿が映像で写し出されていた。
クリックで別ウインドウ開く

他にもバルネウム(Balneum)という階段を降りて浸れる小さな風呂などもあり、現代の大型スパリゾートと変わらない施設の充実ぶりに感心させられた。再び大浴場の周りを散策すると浴槽周りの回廊には、古代の衣装に扮して観光客にサービスしている様子も見られた。
クリックで別ウインドウ開く

最後に、大浴槽上部の神像のある回廊を歩いてみる。北西角(右端)に立つのは、コンスタンティヌス大帝(在位:306~337)で、中央がハドリアヌス帝(在位:117~138)、そして左端はローマの精神を象徴化した像である。
クリックで別ウインドウ開く

ローマン・バス博物館の隣に「パンプ・ルーム」がある。1706年にバースの上流階級の人々が集まる社交場として建設され、今の建物は1789年トーマス・ボールドウィンによって施工され、その後ジョン・パルマーが引き継ぎ1799年に完成した。現在はランチやディナーが楽しめ、音楽会なども行っている。パンプ・ルームの温泉(キングズ・スプリング)は、1983年に新たに掘削された泉源から供給されるもので飲むことができる。
クリックで別ウインドウ開く

パンプ・ルームを出て、ローマン・バース西側を南北に伸びるストール・ストリート(Stall St)を歩いてアビー・チャーチ・ヤード(バース寺院の西広場)に戻った。
クリックで別ウインドウ開く

バースの景観を眺めるには、バース・スパ駅の南を流れるエイヴォン川対岸から南東の丘に伸びるプライヤー・パーク・ロードを上ったプライア・パーク・ランドスケープ・ガーデン(Prior Park Landscape Gardens)(ナショナル・トラスト)が知られているが、公園内に入らなければならない。しかし、プライヤー・パーク・ロードの一本東隣に走るウィドクーム・ヒル・ストリート(Widcombe Hill st.)を700メートルほど上り、左側の石垣を乗り越えて草原を歩いて行くと、すぐにバースの町並みを眺めることできる。時間がない時にはお勧めだ!
クリックで別ウインドウ開く

この丘から眺めると、バースの町がバース・ストーン(蜂蜜色の石)で統一され、景観の美化・保存に力を入れていることが良く分かる。
クリックで別ウインドウ開く

中央が北西方向になる。中央に見える修復中の鐘楼は聖ミカエル&聖パウロ教会で、そのすぐ東側をエイヴォン川が南(左側)に向け流れている。
左手前に見える鐘楼は聖ヨハネ福音教会(St John's Church)で、その左右後方に、ローマン・バスとバース寺院が見える。これらの教会が並ぶあたりがバースの中心部で、その後方の丘には、ロイヤルクレッセントも見える。
クリックで別ウインドウ開く
この日は他に訪問者もいなく特等席を貸し切った気分になり大変満足であった。

次に、バースから、グロスター・ロード(A46)を15キロメートル北上したグロスターシャー州にあるディラム・パーク(Dyrham Park)に向かうが、午後5時で終了のようだ。しかたがないので、A46を戻り、すぐ先の交差点をMarshfield(マーシュフィールド)の案内に従い左折して、カースル・クーム(Castle Combe)に向かう。

ダイラム・パークから16キロメートル(バースからは北東へ25キロメートル)で美しさと静けさ、優美な建物で囲まれた小さな村(人口約350人)、カースル・クーム(Castle Combe)に到着する。村の中心は、14世紀に造られたマーケット・クロス(market cross)で、三本の道路が集まっている。手前の小さな石段は、バタークロス(buttercross)と呼ばれ、馬に乗降するための台であった。
クリックで別ウインドウ開く

マーケット・クロスの西側には、聖アンドリュー教会(St. Andrew's Church)がある。
クリックで別ウインドウ開く

教会内は、白を基調としたシンプルなデザインだが、内陣アーチには精密な彫刻が施されている。身廊のバラ窓や側壁のクリアストーリ(高窓)から明るい光が差し込んでいる。また、カースル・クーム・クロック (Castle Combe Clock) は、15世紀後半の作品で現役として使われている最も古い時代の時計の一つである。
クリックで別ウインドウ開く

マーケット・クロスから南に伸びるザ・ストリートを歩いてみよう。このマーケット・クロスからザ・ストリートの民家の立ち並ぶ風景は、2011年に公開されたスティーヴン・スピルバーグ監督作品「戦火の馬(War Horse)」で、アルバート少年が度々訪れるデヴォンの町並みとして使われていた。
クリックで別ウインドウ開く
映画は、イングランド南西部デヴォンの貧しい農家に住むアルバート少年と馬ジョーイとの絆を描いた感動ストーリー。第一次世界大戦の激戦を軍馬として駆け抜けるジョーイの馬からの視点で悲惨な戦争に翻弄される人々の苦悩と生き様が描かれていた。

通りの右側の建物はロッヂのようだ。扉の上にはユニコーンのブロンズ像が飾られている。
クリックで別ウインドウ開く

古い郵便局の先のバイブルック川(Bybrook River)に架かるバックホース橋(Back Horse Bridge)を渡り、歩いてきた方向を振り返ると、美しい町並みが広がっている。ここからの眺めがカースル・クームを紹介される際に良く使われる。
クリックで別ウインドウ開く

橋の先からバイブルック川は通りの左側に沿って流れていく。
クリックで別ウインドウ開く

川に沿って100メートルほど歩くと小さな橋があり、この先は緑の丘になりアッパー・カースル・クームへ向かうフットパスになる。
クリックで別ウインドウ開く

バイブルック川には白鳥が羽を休めていた。何ともお伽ばなしの舞台になりそうな村である。
クリックで別ウインドウ開く

マーケット・クロスまで戻って、バタークロスを越えて先の通りを進むと、
クリックで別ウインドウ開く

14世紀に建てられた4つ星ホテルのマナーハウス・ホテル(Manor House Hotel)がある。ホテルには48の部屋と1.5平方キロメートルの庭園があり、村外れにはゴルフ場も所有しているそうだ。
クリックで別ウインドウ開く

時刻は午後6時半になった。今夜は北東に35キロメートル行ったサイレンセスター(Cirencester)に宿を予約している。チッペンハム(Chippenham)からA350を経由しA429を北上する。

約1時間ほどで、サイレンセスターに到着した。中心部から800メートルほど南に位置するビクトリア・ロード沿いのゲスト・ハウス(The Old Bungalow Guest House)にチェックインして食事に向かった。レストランは特に予約せず、ビクトリア・ロードを400メートルほど北に歩いた所にある「ワゴン&ホースイズ(Waggn&Horses)」にした。入口のTuesday Steak Nightと書かれたお得な看板に引かれて入ったのだが、スタッフから今日は水曜日と言われ少し恥ずかしい思いをした。。
クリックで別ウインドウ開く

飲み物はMarcel Hubert Merlot(15.50ポンド)、1/2ラガー(2.30ポンド)を頼み、前菜は、ハルーミ(ヤギ乳と羊乳の混合チーズ)とサラダ(Haloumi,Tomato,Pepper&Pesto Salad)(5ポンド)、メインはリングイネ(Pesto Linguini)(11ポンド)、と8オンス(226グラム)サーロインステーキ(8oz Sirloin Steak)(19.90ポンド)を頼んだ。
クリックで別ウインドウ開く
デザートはソルベ(Ice Cream&Sorbet)(3ポンド)を頼み終了。

美味しいステーキだった。店内には他に10数人のお客がいたが、ほとんど地元らしく食べるより飲みながらトトカルチョで盛り上がっていた。
クリックで別ウインドウ開く

午後10時過ぎにゲスト・ハウスに戻った。明日は、今日行けなかったレイコック村のレイコック・アビーとディラム・パークに行くために、再び南下しなければならない。サイレンセスターも中心部を素通りしただけで観光はしていない。明日は忙しくなりそうだ。
クリックで別ウインドウ開く
(2015.7.21~22)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« イングランド南東部(バトル... | トップ | イングランド・コッツウォル... »

コメントを投稿