カズさんの旅たび

 ~歴史、文化、芸術、美食紀行。。

フランクフルト観光

2016-07-21 | ドイツ(バイエルン)
ここは、ドイツ中央に位置するフランクフルト中央駅(Hbf.)。現在、時刻は17時20分(時差-7時間)を過ぎたところ。フランクフルト・マイン国際空港(FRA)にあるフランクフルト空港駅 (Flughafen Frankfurt am Main)からは列車に乗り3つ目、15分ほどの距離である(1回乗車券は、4.65ユーロ)。
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フランクフルト中央駅には24線のホームがあり、更に地下にはSバーン(近郊電車)とUバーン(地下鉄)が乗り入れている。1日の乗降客数は約35万人で、ドイツ鉄道駅の中では最大規模を誇り、欧州全体でも最大級のターミナル駅の一つである。天井を見上げると、鉄骨がアーチ形に組み合わさったトレイン・シェッドと呼ばれる屋根で覆われている。
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路面電車やバスが通る駅前通りを横断し正面から見た中央駅は格調高い建物である。この駅舎は1888年にルネサンス様式で建造された。「アルプスの少女ハイジ(アニメ)」で、貿易商・ゼーゼマン家の一人娘クララの遊び相手として、スイスから、デーテ叔母さんに連れてこられたハイジが、最初に降り立つ駅舎は、まさにこの駅舎であった。

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フランクフルト市は正式名をフランクフルト・アム・マイン (Frankfurt am Main)といい、人口 69万人を数え、ドイツ全体では、ベルリン、ハンブルク、ミュンヘン、ケルンに次ぐ第5の都市である。工業、産業の中心地であるが、ドイツ連邦銀行(中央銀行)を始め欧州中央銀行、フランクフルト証券取引所など多くの金融機関が存在する国際金融の中心地でもある。

フランクフルトでは、1泊2日を予定しているが、ホテルの価格が高いため、節約してドミトリーに泊まることにした。場所は、中央駅の北側を東西に伸びるマインツァー・ラントシュトラーセ通り(Mainzer Landstraße )沿いだが、駅前から歩いて20分近くかかった。少しケチりすぎたかもしれない。

これから、シュテーデル美術館に行くことにしている。今日(木曜日)は21時までオープンしているためだ。地図で確認したところ、1キロメートルはなさそうなので、歩いて向かうことにする。最初に中央駅を背にして東に伸びる歩行者道路(カイザー通り)を進む。左右には歴史を感じさせる建物が並んでいるが、前方には近代的な高層ビルが聳えており対照的な風景である。
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最初の交差点を右折し、モーゼル通りを南下すると、すぐにマイン川が見えてくる。そのマイン川に架かる「ホルバイン橋(歩行者専用の鉄骨吊り橋)」(※こちらは、シュテーデル美術館から見たホルバイン橋)を渡って行く。
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橋の中心から左側(東)のマイン川を眺めると、北側に巨大な鐘楼を持つ大聖堂が見える。一方、対岸の南側の尖塔は、ザクセンハウゼン・エリアにあるドライケーニヒ教会(Dreikonigskirche)である。
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橋を渡ると、前方左側に見えるのが目的地のシュテーデル美術館である。シュテーデルは、フランクフルトの銀行家ヨハン・フリードリヒ・シュテーデル(Johann Friedrich Städel)の遺言により1818年に開館した美術館で、14世紀から現代まで約2700点のヨーロッパ絵画が所蔵されている。
美術館の入館料は14ユーロだが、18ユーロのムゼウムスウーファー・チケットを買うことにした。このチケットは、2日間有効で市内34のミュージアムなどがフリーパスになる。明日予定しているゲーテハウスの入館料が7ユーロなので、2館以上訪問するなら、断然お得というわけだ。
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建物に入り展示室中央を飾るのが、シュテーデル美術館を代表する作品の一つ、ヨハン・ハインリヒ・ヴィルヘルム・ティシュバイン(Johann Heinrich Wilhelm Tischbein)作の「ローマのカンパーニャにおけるゲーテ(Goethe in der römischen Campagna)(1787年)」

作品のモデルとなったゲーテは、正式名をヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテといい、1749年にフランクフルトの裕福な家庭に生まれ、25歳で自身の体験をもとにした小説「若きウェルテルの悩み」を発表し世界的に名声を高めた。この作品は、ゲーテが、1786年、憧れの地イタリアに旅立ち、旅先のローマに滞在した際に、友人のティシュバインにより描かれたものである。
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ところで、ゲーテの「イタリア紀行」には、ヴェスビオ山に降り注いでいる灰の中を、帽子も靴も灰まみれになり登山を続けたとの記述があるが、この服装で登山したのだろうか。

それではシュテーデル美術館の至宝を何点か紹介してみよう。まずは、エルンスト・デーガー(Ernst Deger)(ドイツ・ハノーバー近郊、ボッケネム出身)作の「若い娘の肖像画」(Bildnis eines jungen Mädchens)(1835年)。そして、フランスを代表する写実主義の、ギュスターヴ・クールベ (Gustave Courbet)作の「フランクフルト・アム・マインの眺め(Blick auf Frankfurt am Main)(1858年)」)「波(Die Welle)(1869年)である。

次に、ピエール=オーギュスト・ルノアール(Pierre-Auguste Renoir)作の「朝食の終わり(Am Ende des Frühstücks, La fin du déjeuner)(1879年)」、フランスの印象派のエドガー・ドガ(Edgar Degas)作の「オーケストラの演奏家たち(Orchestermusiker, Musiciens à l'orchestre)(1872年)」

そして、パブロ・ピカソ(Pablo Picaso)の、青~バラ色の時代の最初の恋人を描いた作品、「フェルナンデ・オリヴィエ像(Bildnis der Fernande Olivier)(1909年)」など、名作・大作揃いである。

こちらの展示室には、ゴシック・スタイルの宗教画を得意とした、ドイツ・アウクスブルク生まれのハンス・ホルバイン(父)(Hans Holbein d.Ä.)作の「フランクフルト・ドミニコ教会高祭壇(Hochaltar der Frankfurter Dominikanerkirche)(1501年)」と、ヴィッテンベルク(Wittenberg)の「聖家族の祭壇(Die Heilige Sippe)(1509年)。そして、肖像画家として名声を博した、ハンス・ホルバイン(子)(Hans Holbein d.J.)作の「サイモン・ジョージ・オヴ・コーンウォール像(Bildnis Simon George of Cornwall)(1535~1540年)」などがある。
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こちらも代表作品、ヤン・フェルメール・ファン・デルフト(Jan Vermeer van Delft)作の「地理学者(Der Geograph)(1669年)」

中世絵画では、ヤン・ファン・アイク(Jan van Eyck)作の「ルカ聖母(Lucca-Madonnna)(1437年)」(同拡大)や、フラ・アンジェリコ(Fra Angelico)作の「幼子キリスト の誕生を祝福する12人の天使達(Thronende Madonna mit Kind und zwölf Engeln )(1420~1430年)」(同拡大)ネロッチオ・ディ・バルトロメオ(Martino di Bartolomeo)作の「聖ステファノ伝(Sieben Szenen aus der Legende des heiligen Stephanus)(1390年)」などがある。
この日は、どの展示室も空いており、ゆっくりと鑑賞できたのがありがたい。まだまだ、名作は続くが、長旅の疲れと時差の影響からか、集中できなくなり、結局20時半に退館した(この段階では翌日再訪を計画していた)。

夕食は、ザクセンハウゼン・エリアで食べることを考えたが、ドミトリーまでの帰りが更に遠くなることから近場のレストランでいただくことにした。結果、美術館の東側を南北に伸びるシュヴァイツァー通りを500メートルほど南下した所にある、ツム・ゲマールテンハウス(Zum Gemalten Haus)に向かった。
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レストラン入口を入るとやや狭い空間にテーブル席があったが、すぐ中庭になり、そちらには多くの来店客がいた。スタッフは、この中庭の奥の建物内のテーブル席に案内してくれた。このお店の名物はリンゴ酒(Apfelwein)である。案内された席のすぐそばのカウンターには、多くのリンゴ酒のグラスが並べられ、注文があれば素早く提供できるように準備している。料理はこちらも名物と言うことでリップヒェン(Rippchen)(塩漬け豚リブ肉)8.5ユーロを頼んだが、リンゴ酒(1.8ユーロ)は、ぬるく薄味で、肉は、味が単調すぎて、正直あまり口に合わなかった。
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ビールも頼み、肉を半分位食べて(なんせ量が多い。)お店を出た。帰りはシュヴァイツァー通りを北上し、そのままマイン川をウンターマイン橋で渡った。前方に高層ビル群が見える。それにしても、時刻はまもなく21時半だが、まだ明るい。
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翌朝、ドミトリーに荷物を預け8時に再び中央駅前からカイザー通りを歩いて行く。しばらくすると右側の公園奥にガラス張りのフランクフルト歌劇場(Oper Frankfurt)が見える。
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このあたりが昨夜、ウンターマイン橋から眺めた高層ビル群のある金融街になる。向かって右側の高層ビルがヨーロッパ中央銀行のある「ユーロタワー」。左側が「タウナスタワー」といい、中央奥に聳えるビルがコメルツ銀行本社ビル「コメルツ銀行タワー」である。コメルツ銀行タワーは、地上56階建、アンテナを含む頂上部までの高さは300メートルあり、あべのハルカスとほぼ同じ高さである。ユーロ圏内では、最も高いビルである。
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カイザー通りは中央駅前から700メートルほどで終点となり、フリーデンス通りに合流する。その合流地点左側にはカイザー広場があり、正面には、ドイツを代表する高級ホテルチェーン「シュタイゲンベルガー」が経営する「フランクフルター・ホーフ」がある。約130年の歴史を持ち、世界のVIPも滞在するフランクフルトで一番格調高いホテルと言われている。
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シュタイゲンベルガーの正面に向かって左側を回り込むように建物に沿って歩くと、100メートル以上に渡って客室らしきウインドウが続いている。振り返ると、コメルツ銀行タワーが聳えている。
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シュタイゲンベルガーの建物の切れ目で、東西に伸びる大通り(ベルリナー通り)にぶつかる。大通りを左折して東に300メートル行った南側に立つのが、パウルス教会(Paulskirche)である。プロテスタント教会として1833年にネオクラッシック様式で建設された。壁面には、ルター派教会内に起った改革運動(敬虔主義)の創始者フィリップ・シュペーナーのレリーフが飾られている。
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1848年には、この教会内でドイツ連邦最初の憲法制定のための国民議会が開かれた。参加者を囲むように席を配置できる円形の建物は、まさに議会の場として相応しい構造であったのだろう。なお、現在の建物は、第二次世界大戦で破壊され、その後再建されたもの。

そのパウルス教会の南側にあるのが、フランクフルトで最も有名な観光名所、レーマー広場(Romerberg)である。石畳の広場中央には、正義の剣と公正を表す天秤を持った正義の女神ユスティシアの噴水がある。右側に見える白い壁と赤いレンガが印象的な教会は、ニコライ教会(Alte Nikolaikirche)で、13世紀から14世紀まで神聖ローマ皇帝の礼拝堂でもあった。現在見える後期ゴシック様式の屋根と塔は15世紀のもので、第二次世界大戦時の空襲を免れた。この時間(9時)教会の鐘がカリヨンが軽やかに奏でられていた。
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広場の西側には、美しい切妻屋根が3軒並ぶ旧市庁舎(Romer)がある。正面に向かって左側の建物の路地を入って、右側の扉を入ると中庭に出る。壁の販売機でチケット(2ユーロ)を買い、螺旋階段を上ると、旧市庁舎の中央建物の2階の広間に入ることができる。12時頃に再訪し見学した。広間はカイザーザール(Kaisersaal)と呼ばれ、神聖ローマ皇帝の戴冠式後の祝宴会場となった。
壁には歴代の神聖ローマ皇帝の肖像画が飾られている。こちらには、ホーエンシュタウフェン(シュタウフェン)朝のフリードリヒ1世(赤髭王バルバロッサ)(在位:1152年~1190年)から、フリードリヒ2世(在位:1215年~1250年)までの肖像画が飾られている。
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フランクフルトの名称は、5世紀末のフランク王国を開いたフランク人にちなんでいる。そのフランク王国は、843年にヴェルダン条約により、中部フランク、東フランク、西フランクに三分割され、フランクフルトは東フランクの首府の一つとなった。その後、ザクセン朝のもと、フランクフルトの重要性が低下していくが、12世紀、フリードリヒ1世治世時に再び活気を取り戻し、市域を拡大し、新たな市壁(シュタウフェンマウアー)が築かれた。18世紀の古図(デーテハウス内の展示画より)を見ると、レーマー広場を中心にして、市内が巨大な市壁と水路とで取り囲まれていた様子がよくわかる。現在のフランクフルト歌劇場(Oper Frankfurt)の公園あたりが西側の市壁のようだ。

そして度重なる戦火や大火などの被害を受けつつ、更には第二次世界大戦での爆撃による甚大な被害とその後の復興で大きく様変わりした。現在では、中世の面影を残す歴史的な遺構はレーマー広場付近だけになってしまった。
こちらは、18世紀のレーマー広場の様子(デーテハウス内の展示画より)。広場中央に噴水があり、奥にはニコライ教会が、右側には、旧市庁舎が見える。レーマー広場の姿が当時と変わらないことがよくわかる。
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教会の左側の建物の1階にはレストラン、ツム・シュヴァルツェン・シュテルン(Zum Schwarzen Stern)があり、その奥には、シルン美術館がある。シルン (Schirn) とはドイツ語で物品などを商う露店を意味する。19世紀頃まであった露店街にちなんで名付けられた。正面に見えるドーム部から右の扉を入ると美術館入口である。
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この日は、ウィーン分離派の芸術家エミール・オルリックなど20世紀初頭に活躍した木版画家の作品展(Kunst fur alle)と、コミック草分け展(Pioniere des Comic)が催されていた。特にコミック展は興味深かった。アメリカでは、19世紀末から20世紀初頭にかけて現代マンガの原点とも言われる、ニュースペーパー・コミック・ストリップ(新聞漫画)が人気を博していた。特にサンデー版には1面カラーで掲載されていたことは驚きだ。
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中でも、人気があったのが、ニューヨーク・ヘラルド(1835年~1924年)に連載された、ウィンザー・マッケイ(Winsor McCay)の「夢の国のリトル・ニモ(Little Nemo)(1905年~1911年掲載)」。主人公の少年ニモが様々な夢の国を冒険し最後のコマで目を覚ますという内容であった。その1(22.Sep.1907)その2(29.Sep.1907)その3(31.July.1910)その4(12.June.1910)。なお、ウィンザー・マッケイは、1914年には、世界最初の個性を備えたアニメーション映画「恐竜ガーティ」を制作し、アニメーション映画の創始者とも言われているが、今見てもガーティの滑らかな動きは、感動すら覚える。

他にも、チャールズ フォーベル(Charles Forbell)による「いけないピート(Naughty pete)(1913年8月~12月、18回連載)」その1(31.Aug.1913)その2(12.Oct.1913)
そして、抽象画家の先駆けと言われるドイツ系のアメリカ人画家のライオネル・ファイニンガー(Lyonel Feininger)による若き日の珍しいシカゴ・トリビューン紙連載の風刺画(カリカチュア)(24.June.1906)などが展示されていた。

レーマー広場からシルン美術館のドーム部を抜け直進すると、大聖堂の鐘楼が見えてくる。
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大聖堂の周りを歩いて後陣側から眺めてみる。赤茶色をした建物が印象的である。
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この時間、まだ大聖堂に入ることができなかった。先に大聖堂から北側に300メートルほど行った屋内市場、クラインマルクトハレ(Kleinmarkthalle)に向かった。
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1954年に開設されたクラインマルクトハレ内は、工場のように広い空間になっており、ハム、チーズ、パン屋、香辛料店、花屋などの150以上のテナント店舗が並んでいる。この時間(9時半)は、人通りは少ないようだ。
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南側は2階建になっている。階段を上ると、こちらにもお肉屋さんや魚屋さんがある。スペースは狭いが、テラス席もあり、食事もできるようだ。

大聖堂とクラインマルクトハレとの間には、現代オーストリアの代表的建築家の一人ハンス・ホライン(1934年~2014年)の設計による三角形の外観を持ち「ショートケーキ」の愛称で親しまれている「モダンアート博物館(MMK)(1981年開設)」がある。ちなみに、MMKは、市内に、MMK2、MMK3とあり、MMK2は「タウナスタワー」内にある。
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ちょうど開館時間の10時になったので入って見る。なんと12ユーロとの表示があるが、そこは、ムゼウムスウーファー・チケットを提示すると、フリーで入館できた。館内にはスタッフ以外他に誰もいなかった。展示室の中央の大きなスクリーンに激しく変化する光と影(モノクロ)を投影するインスタレーション作品(左右の鏡により無限に続く)や、ビデオを鑑賞する木彫りの頭部像や、建築用の鉄筋を木々に見立てた作品など、大きな展示室の空間を贅沢に使用する作品群は見ていて心地よさを感じた。

さらさらと30分ほど見学して、再び大聖堂に向かう。大聖堂は聖バルトロメウスを守護聖人として13世紀にゴシック様式で建てられた。歴代の神聖ローマ皇帝の戴冠式が行われたことから「カイザードーム」とも呼ばれている。第二次世界大戦では、大きく破壊したが、1950年代に再建された。この位置からだと、95メートルの高さを誇る巨大な鐘楼が良く見える。鐘楼は1415年に建造が始まり1877年に完成したという。何とも気の遠くなるような話だ。
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右側にドーム博物館があるので先に入って見る。ここでもムゼウムスウーファー・チケットの登場だ。博物館は階段を降りた地階にあり、法衣や聖遺物箱などが並んでいる。しかし展示スペースはここだけのようだ。
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さて、ようやく大聖堂に入ってみるが、格子で仕切られており、身廊内には入ることができなかった。祭壇には、黄金衝立と磔刑像が見えるが、近づけないのは残念であった。
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外に出ようとすると、ガラス戸の奥に部屋が見える。覗き込むとこちらも小さいながら展示室になっている。先客の2人組が入ろうとすると断られていた。見学不可なのかと思いつつ、ムゼウムスウーファー・チケットを見せると通してくれた。展示室は有料だったのだ。こちらにも宝冠や祭服、宝珠などが並んでいる。この銀製の頭部像は、18世紀作の聖バルトロメウスの聖遺物箱である。
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この後、ニコライ教会の南側にある歴史博物館を見学し、すぐそばのアイゼルナーシュテグ(鉄の橋)を渡ってドイツ映画博物館などを見学していると、13時になった。お腹も減ってきたが、ゲーテハウスに向かう。場所は、パウルス教会(Paulskirche)北側の東西に伸びるベルリナー通りから、ホテルチェーン「シュタイゲンベルガー」方向に200メートルほど戻り、ホテルの一本手前の路地を右折した左側にある。ゲーテハウスには、隣接するゲーテ博物館から入場する。
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ゲーテハウスは、1600年頃の建物で、ゲーテの祖母が購入したとされる。そして1749年、ゲーテは、皇帝顧問官だった父ヨハン・カスパーとフランクフルト市長だった祖父を持つ母エリーザベトとの間に生まれた。この生家はゲーテが、大学時代を除いて、青年時代まで家族と一緒に過ごした家で、18世紀のフランクフルトの比較的豊かな、中産階級の典型的な家と言われている。ゲーテ家はこの建物を1795年まで所有したが、その後は他の所有者の手に渡り、1863年に、地理学者オットー・フォルガーが購入し、ゲーテの家として正確に復元し記念館として残した。
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ゲーテ博物館から中庭を抜けると、ゲーテハウスに入る。すぐ右側に竃(カマド)や鍋が並ぶ台所がありその隣には食堂がある。奥に見える黒い置物は、ストーブで、隣の台所の竃の熱を利用する工夫がされている。
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階段で2階に上がり左側の通りに面して3つの部屋がある。こちらは中国風の壁紙があることから「中央の間(北京の間)」と呼ばれている。
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上り階段に向かって左奥には、音楽室がある。続いて3階に向かう。
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3階に上がると巨大な置時計があり、その横から中央の部屋に入ると「絵画の間」がある。その左側奥に見える法律関係の書物などが並ぶ部屋は「父の書斎」で、
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「絵画の間」の右側の部屋は、美しい調度品が華やかな「母の部屋」である。
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こちらは4階にある「詩人の部屋」。この部屋で、ゲーテは「若きウェルテルの悩み」や「ファウスト」などの初稿を描いたという。机の上にあるシルエットはシャルロッテ・ブッフ(「若きウェルテルの悩み」の中ヒロイン・ロッテのモデル)とゲーテを表している。
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最後に、ゲーテ博物館の展示絵画を見学した。こちらは、ドイツロマン主義の画家カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(Caspar David Friedrich)作の「宵の明星(Der Abendstern)(1830年)」。
フリードリヒが世に出るきっかけとなったのは、ゲーテが、古典主義美術の育成を図ろうとヴァイマル公国内に設立した芸術コンクールに、作品を出品し受賞(当時31歳)したことによる。二人はその後10年に亘って親交を結ぶことになった。

フリードリヒの描く風景画は、悲劇的な印象を与えるものが多いが、この作品は、どちらかというと郷愁を感じさせてくれる。日没後すぐのドレスデンの街並みが見える丘にフリードリヒの妻カロリーネと子供たちの姿が描かれている。家族に支えられ幸せだった一方、徐々にロマン主義の人気にも陰りが見えてきた晩年の作品である。
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ゲーテ博物館を出て、左方向に300メートルほど進むとハウプトヴァッヘ広場があり、中心にカタリーナ教会(Katharinenkirche)が現れる。フランクフルトにある最大のプロテスタント教会で、1681年、もとあった14世紀建築の教会を立て替えバロック様式で建設された。高さは54メートルある。ゲーテが洗礼した教会として知られている。
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教会内は、美しいステンドグラスを通して差し込む光で明るい雰囲気である。ところで、ゲーテハウスは、「アルプスの少女ハイジ(アニメ)」で貿易商・ゼーゼマン家のモデルで有名だが、このカタリーナ教会もハイジが、高い塔に上ってアルムの山を見ようと、町のオルガン弾きの少年に案内された教会のモデルとなった。
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歩行者専用のシュタイン通り(Steinweg)を西に向けて歩く。振り返ると、カタリーナ教会が良く見える。ショッピングストリートにも良く似合う立ち姿である。
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200メートルほどで目の前が開け左側(南)を見ると大きな広場が広がっている。ここはゲーテ広場で、中心には、ゲーテ像が立っている。
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広場を越え、交差点を渡ると、高級ブランド店が続くゲーテ通りとなるが、お腹が減ったので、ゲーテ通りの一つ北側の歩行者専用のショッピングストリート、ツァイル通り(Zeil)沿いでホットドッグを買って食べながら歩くと、すぐにオペラ座に到着した。現在時刻は14時を過ぎたところ。これでフランクフルト観光は終了である。それにしてもどこのテラスでもビールを飲む多くの姿が見られた。流石にビール大国である!
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(2016.7.21~22)

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