カズTの城を行く

身近な城からちょっと遠くの城まで写真を撮りながら・・・

勝家と市の北の庄城

2009-03-26 23:17:39 | Weblog
福井と名が変わったのは、江戸時代になってからで福井城の前身は、北の庄城。
北の庄城本丸跡は、県庁のある福井城を南に数百㍍下った足羽川の北側に位置します。
柴田勝家がこの地を信長から与えられて築城。その後秀吉に敗れ、市とともに散った勝家です。
市は、信長の妹で浅井長政の妻で茶々などを産み、浅井氏が滅んでから勝家に嫁ぎました。茶々は、秀吉の側室となり秀頼を産み、家康と対立することになる。
市は、戦国末期の重要な人物になっていたんですね。


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勝家と市の北の庄城


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戦国と言えば・・・鎧兜?

2009-03-26 00:02:21 | Weblog
戦国時代と言えば城。
そして戦国武士に必要なものと言えば・・・鎧兜ではないでしょうか。
城巡りをしていると、その城に鎧兜が展示されていたりします。

昔(20年くらい前ですが)、テレビ番組のエキストラをしたことがあり、それが歴史番組で桶狭間の合戦をテーマにしていて、鎧兜を着けて走ったことがあります。当然作りものでしたが、結構重くて待っている間に疲れてしまいました。
戦国時代は、もっと重いものを着け、もっと過酷な条件の中で戦っていたのですから、今の世に生まれていて幸せだったと思います。


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鎧兜(一乗谷)


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