「三河一宮~新城城跡巡り・・・その6」和田城
臼子城を訪れて、そのまま山道を進んで行きました。くねくねと坂道を上がり、作手清岳地区へ向かう途中で山の間に集落が見えました。
この辺り一帯が城跡の様で、右も左も城跡なのか?と思いながら写真を撮りました。
和田城は、奥平氏の築城です。ぐるりと一周してみると、その一部が櫓台の様に見えて、たとえそうでなくても山も含めて歴史のある場所のように感じました。
国道に戻り、一度訪れたことのある清岳地区へ向かいます。
「三河一宮~新城城跡巡り・・・その6」和田城
臼子城を訪れて、そのまま山道を進んで行きました。くねくねと坂道を上がり、作手清岳地区へ向かう途中で山の間に集落が見えました。
この辺り一帯が城跡の様で、右も左も城跡なのか?と思いながら写真を撮りました。
和田城は、奥平氏の築城です。ぐるりと一周してみると、その一部が櫓台の様に見えて、たとえそうでなくても山も含めて歴史のある場所のように感じました。
国道に戻り、一度訪れたことのある清岳地区へ向かいます。
「三河一宮~新城城跡巡り・・・その5」臼子城
国道301号へ戻って作手方面へ向かいます。一度通ったことのある道なので、これから随分な坂道になって行くことは分かっていました。
しばらく走るとその坂道の先に新東名の橋脚が見え、その左手にポコンと小山も見えました。右折してぐるりと回ってその小山の麓へ。
脇に車を停めて歩きました。
小川かな?堀にはならないか・・・。
小屋があり上る所はないかと探しました。
私の脚力では無理の様です。
国道へ出てみると、あっさり登り口がありました。
石積み、遺構ではないのかな?さらに上ります。
櫓台の上の墓地がありました。
臼子城。佐宗氏の築城の様です。今までの投稿でもいろいろな城主の名字を書いてきましたが、時々武将としての名前で初めて聞く名前がありますが、この佐宗氏も初めて聞く名前でした。
城跡の半分くらいを見て回り、車へ戻りました。
さあ、山道を走ろう。次の目的地のある作手方面へ向かいました。
「三河一宮~新城城跡巡り・・・その4」今出平城
杉山北の信号を右折してすぐのセブンイレブンに寄り休憩後、作手方面へ行く国道301号を走りました。その途中左手に調べておいた城跡の遠望と重なる場所が確認出来、左折して田畑の間を走りました。
この日の訪城予定が比較的多く、テキパキとこなしたかったので、この遠望で良しとしてもよかったのですが、ナビに登録していた所まで行こうと、そのまま進みました。
近くまで来ましたが、入る所があるのかどうか、民家のある道を進みましたが、林から遠くなったので、Uターン。
周辺を移動して見どころはないか探しました。
入り口がありました。ちょっとでも撮影しようと路肩に車を停め、中へ入ってみました。
堀っぽくてワクワクしながら撮影、さらに進んでみました。
そのまま抜けて行ってしまいそうだったので林の中を撮影しました。
ここは、今出平城、城所氏の築城と伝えられているそうです。こういった情報は、ほぼネットで先輩城ブロガーさんたちが調べたもので、自分でも調べなくちゃと思いますが、だいたい自分の城巡りの目的が何なのかもはっきりしていないので、いろいろな資料を手に入れたり、それぞれの歴史資料館で調べたりすることを目指すようになったら、そうしたいと思います。今は、とにかくあちこち行って写真を撮りたい、と言うのが一番の様です。
こういった林や山、森へ入るのも、気が小さい自分には、結構度胸が要ります。
でもこんな出会いが慰めてくくれることも。・・・花木を見つけて気を紛らわせると言うことです。
さあ、林の中には神社があるようですが、そろそろ退散しようと車まで戻って行きました・・・チャンチャン。
次の目的地も場所は調べてあるので、ナビを設定して国道301号へ戻りました。
「三河一宮~新城城跡巡り・・・その3」杉山端城
豊川市から新城市へ入り、国道151号を川田の信号で左折し、さらに次の川田山田平の信号を右折して新城バイパスへ。ナビならしばらく道なりに進むように言われるかな?その通りにしていると700メートル、300メートルの先の杉山北信号を右折と指示が出て、その通りにするかと思いきや、まっすぐ進んで、少し先の信号を右折、またすぐに右折して戻る様にバイパスへ。道の状況を知っていると、ナビではなく自分の理想の道や対応で行こうとすることで、裏目に出ることもしばしば。ともかくそのまま杉山北の信号の手前で車を停めました。
どこ?
隠れていました。
たったこれだけの訪問の杉山端城。菅沼氏の築城の様ですが、バイパスの道沿い、遺構はなくこの城址碑だけが目当ての城跡訪問です。
撮る写真もこれだけでした。なので、先にこの信号を右折して何処かへ車を駐車してから歩いてこようとは思わなかったのです。
城巡りと言っても、こんなことも多く、道路脇に停まってその場で写真を撮って、というような少し寂しい訪問内容となりました。それでも城址碑があるだけで、ある程度の場所特定が出来るので良い方です。
この付近を見回して城や、館の状況を想像しようとしても、テレビの城番組のバーチャル映像の様には出て来ません。
ただ訪問した足跡として画像を残し、次へ向かいました。
次は、歩いて回れるところだといいなあ・・・。最近はスマホの歩数計を気にしている私でした・・・。
城巡り投稿の途中ですが、ここで一休み。
昨年末に準備した、今年の寄せ植え鉢の中のミニバラが花開いたので写真を撮りました。
城巡りに夢中になったり、他のことに目が向いていると、ガーデニングがおろそかになり、庭のバラや他の花たちの元気がなくなってしまいます。
世話を出来る年としない年が交互にやって来るのが私の性格の様です。
他の方のブログを見て参考にしながら、少しでも手入れをしようと思っています。
そんな私ですが、放っておいても毎年咲いてくれる花たちに感謝しています。
反省しながら寒いこの時期だからこそ、少しでも世話をしたいと思います。
さあ、城巡りの準備・・・。
「三河一宮~新城城跡巡り・・・その2」本宮長山城
三河一宮をもう少し走って行くと、飯田線の長山駅があります。国道151号を走っていると、左手の山側になります。そちら側に左折しようとしている所で、ナビの指示がそうだったのか違ったのか、駅へ入る信号交差点を通り過ぎてしまい、次を曲がると戻る感じで道が続かず、突き当りを大きく左折、また下って行くところを見て間違ってるか?と思いつつ進んで行くと、また上りの道になり上がって行くと目的地にしていた小学校がありました。
その脇に車を停め、資料と言えない資料を再確認し、あやふやな状態で見て回ることにしました。
余談ですが、三河一宮でも、実際説明した通りには進めず、道を間違えていました。調べているネットの地図が平面の地図で(最近は衛星写真も参考にしています)山谷を気にせずに現地へ行くと、とんでもない山だったりして、ナビを信用せずに道を間違えてしまうことが度々、ナビに申し訳なかったと謝りながら走ることも・・・。そしてここでも、道が想像していない坂道だったりして、どこを見て回ればいいか分からなかったと言うのが現状でした。
車の前はこんな状態、この林がそのまま続いていると思っていました。
林の中にはボロ小屋がありました。
少し戻って車で走って来た道へ向かいました。
この辺りの右手か左手か?それともこの辺り一帯なのか?
本宮長山城は、詳細不明で後で確認したところ、稲荷神社付近が城跡らしいのですが、この時は、そこを見逃していました。
また坂道を上って車へ戻りました。どこかに城主碑もあるようですが、見て回ったのはここの上下辺りでした。調べてきた辺りは見て回ったので、ここはここで訪問したことにします。またこの近くを通る機会があれば、もう少し散策してみたいと思います。
再び国道151号へ出て、今度は、豊川から新城市へ入ります。
「三河一宮~新城城跡巡り・・・その1」一宮砦
昨年11月中旬に豊川市の三河一宮を経て、新城作手方面から長篠方面まで城巡りに行った時の画像を、訪問順に投稿して行きます。
まず最初に豊橋市から豊川市に入り、国道151号線を新城方面へ北上しました。東名高速を潜り三河一宮(豊川市)へ進むと、少し先の右手に砥鹿神社があります。その手前の信号を右折し、しばらく走って駐車場があり、そこの路地をまた右折して南へ向かうと、しばらくして左側に竹林があります。ここが城跡でした。
竹林を入ってみます。しっかりと竹林です。
元の道路へ戻って、違う入り口を探してみました。
石碑がありました。
一宮砦、本多氏の築城。今川氏との攻防があった頃のものです。
それにしても竹の勢いって言うのは物凄いですね。他の木々が生息するスペースが失われてしまうようです。
一宮砦跡でした。
今まで城跡として砦跡を訪れることがほとんどなかったのですが、これからは、一つの城跡としてその縄張りを見て行きたいと思います。
さあ、ここから国道151号へ出て新城方面へ向かいます。
「豊川西部~蒲郡史跡巡り」の投稿が終わり、さあ次はと言うところですが、相変わらずコロナのことがあり、行きたい所へはなかなかいけませんが、それでも史跡、城跡は近くにもたくさんあります。
昨年11月に行って来た史跡、城跡、名所めぐりを、続けて投稿して行きます。
まず一つは、三河一宮から新城をぐるりと巡った城跡、史跡巡り。
もう一つは、少し気分の違った静岡~掛川の城跡、史跡、名所巡りです。
少し投稿内容も工夫して見ごたえのあるブログにしていきたいと思います。
良ければ訪問お願いします。
「豊川西部~蒲郡史跡巡り⑰」八月城
蒲郡から国道23号に入り、豊川市の御津町へ。すぐに左折して突き当りの信号を右折してすぐに御津西部保育園があります。
この東側が城跡らしいのですが、辺りを見回しても田んぼばかりでした。
向こうの山は、御津山です。
保育園です。
八月城は、八月氏の築城の様ですが、八月氏自体詳細不明で、遺構もなく城へ来た感は全くなし。
最期がこれでは寂しいですが、一応この辺りだったと言うことで、今回の「豊川西部~蒲郡史跡巡り」を終了します。
「豊川西部~蒲郡史跡巡り⑯」五井城
蒲郡高校からやや北東の山裾へ向かいました。
公園があり、神社があり、柵があり・・・。
この池が堀跡の様です。お城は五井城、鎌倉時代に新宮氏が築城したと伝わっているようですが、戦国期は松平氏だったようです。
鎌倉時代と言えば、毎週見ている大河の「・・・」を思い浮かべます。
付近を歩いてみました。
隣の長泉寺も城跡だったようです。
また戻って城だったり、館だったりをイメージしてみます。
出来ませんでした・・・。
さあ、今回の史跡巡りはあと一か所寄って終了です。数日かけたけれど、この地域でも「あちこち行ったなあ・・・」という気分になりました。
この地域の一部はすでに訪問している城跡や史跡もあり、古きものを探せばたくさんあるんだと今思うところです・・・。
さあ、行こう!