gooブログがサービス終了だと・・・。
これからどうしよう・・・?
確か、2007年9月だったかな。パソコンを教えてもらいに行っていて、その中の練習でブログを始めることになって、お城巡りがスタートした感じだった。
最初の頃は、まだフィルムカメラで撮ってたんだよね。デジカメの併用だったかな。
どうしようかなあああ・・・。
gooブログがサービス終了だと・・・。
これからどうしよう・・・?
確か、2007年9月だったかな。パソコンを教えてもらいに行っていて、その中の練習でブログを始めることになって、お城巡りがスタートした感じだった。
最初の頃は、まだフィルムカメラで撮ってたんだよね。デジカメの併用だったかな。
どうしようかなあああ・・・。
黍生城の山城を確認した後、そのまま入って来た坂道の登り口まで戻りました。そこから追分の交差点へ向かわずに、黍生城を右手にしながら数百メートル北西へ移動しました。
道路が北へ向かう手前で西方向を見ると、小山が見えます。これが城跡です。
途中で左折して城跡へ向かいました。
さらに途中で左折して、一度下ってから右折をして坂を上がり、城跡の北側へ回りました。
近くからだと小山には見えません。
井ノ口城。足助鈴木氏の築城で、城主に戸田氏の名前もあるとのことです。
登城口も調べてなかったので分かりませんでした。
最後に南側を走る国道153号から遠望を撮影して、訪問終了です。
城跡として十分散策出来たのは、足助城(真弓山城)くらいでしたが、「目指せ足助七城!」その主題通りに足助の七城と、それ以外の城跡も訪問出来て、御城印も手に入れることが出来たので、それなりに充実した城巡りでした。
まだまだ愛知県ですら、訪問出来ていない城跡がたくさんありますし、御城印が今も販売されている所もあるので、いろいろ調べて訪問を続けて行きたいと思います。
「目指せ足助七城!」ご訪問ありがとうございました。
巴川沿いの国道153号を西へ走り、少し先の追分の交差点を右折し、左にカーブしていく道の手前で、右へ入って行く坂道を見ました。
何かが書いてあったと思うんですけど・・・。城跡とは関係ないかな。
とりあえず行ってみました。
近過ぎて遠望の様子が分かりません。
とりあえず、この辺りの場所から北側が山城です。
黍生城。足助重長の築城。ちなみに私が読めなかったので書いておきます。「きびゅうじょう」です。
黍生城御城印。収集第百五号の御城印です。
これで、足助城(真弓山城)、飯盛山城、臼木ヶ峰城、大観音城、足助城山城、成瀬城、黍生城の足助七城訪問終了です。
おまけもありましたが、日帰りにしては長いドライブでした。
・・・と言いたいところですが、今いる位置からすぐ西側に城跡があるので、遠望だけでも撮って行きます・・・。
足助八幡宮の前を通り過ぎて、そのままその先の橋を渡り、巴川の北側へ出て、突き当りの足助大橋西の交差点を左折して西へ向けて走りました。
次の交差点を過ぎた所の右手の山側が、事前調査では城跡と思われます。
次の足助新橋北の交差点を右折してカーブする坂道を上がって行くと今度は右手側が城跡となりました。
少し散策しました。
地面を写してる?もう少し撮っていたんですが、みんなボケてしまっていて削除しました。撮影が下手ですね。
少しは城跡感がありました。
成瀬城。鈴木氏のお城です。
坂を下りて交差点の手前左手は神明社です。
その交差点です。ここを右折して向かうのが、足助七城の最後の城跡です。
成瀬城御城印。収集第百四号の御城印です。
さあ、もう少しだ・・・。
足助の町並みを歩きました。
途中の細い路地を山側へ入って行くとこんな様子でした。
なぜ傾いた写真を撮ったのか?記憶にありません。右下が細い路地だったかな。
気を取り直して前方を見ると、教会があります。
この裏山が城跡だということですが、今は国道153号バイパスが走っていますので、そのまた背後の山だと思います。
足助城山城。詳細不明です。大観音城の西側になります。足助七城(足助七屋敷)の一つです。
戻ります。
マンホールの蓋のマニアではありませんが、目についたので撮りました。
ボケましたが、入って来た細い路地です。
奥の奥の山が城山城です。・・・だと思います。
城山城御城印。収集第百三号の御城印です。
ここから足助八幡宮の方へ戻って、巴川沿いに西へ向かいます・・・。
今度は、足助八幡宮の交差点を右折して巴橋を渡って直進し、そのまま国道420号へ行かずに町並みの方へ道なりに進んで行きました。今岡の交差点で左折し、巴川の支流の足助川を渡り、突き当りの赤鳥居を右折しました。
そのまま進んで左側の家並みが切れた所がこの場所です。
階段の上の山が城跡です。
約七分で大観音城と言うことです。
ここか・・・。七分か・・・。
大観音城。足助一族の居城ではないか。
少しだけ上がってみるかな。
あっさり戻って来ました。
町並みの方向です。(西を向いています)
大観音城でした。
大観音城御城印。収集第百二号の御城印です。
ここから町並みの方へ歩いて移動しました・・・。
途中でUターンして観光協会方面へ戻ります。そうすると・・・。
今度は右手(東側)が飯盛山城になります。
左手側が目指す城跡ですが、近過ぎてただの壁です。
実際は、国道まで戻って西へ進み、山の向こう側から城跡に向かうんじゃないかと思います。
右手は香嵐渓で、巴川で、飯盛山城です。そしてこちら側が次の城跡です。
そう思いながら少し先まで進みました。
観光協会が近くなりました。この左手壁の向こうが城跡です。
臼木ヶ峰城。中條氏が城主。
遠望での全体像も分かりませんが、左の壁の向こうです。
臼木ヶ峰城は、左手の壁の向こうです。
臼木ヶ峰城御城印。収集第百一号の御城印です。
またしても城跡らしい画像を撮れませんでしたが、壁の向こう側が臼木ヶ峰城でした。
ここから足助町の町並みの方へ向かいます。
足助八幡宮まで出て、東へ移動です・・・。
足助城(真弓山城)から山を下って国道420号へ出る前の坂道でした。
西隣の飯盛山です。
次に向かう足助七城の訪問2番目に予定している山城です。
飯盛山城。足助氏の築城です。
飯盛山、香嵐渓の方へ向かいますが、その前に足助観光協会へ寄って、お目当ての御城印を購入します。
坂を下って国道420号で足助町内へ進み、香嵐渓の交差点を直進して巴橋を渡りましたが、目的にしていた飯盛山へ車では行けない状態でした。
香嵐渓と言えば、紅葉で有名な所で、混むのはその時期だけかと思いましたが、避暑地でもあったんだ。・・・夏休みも始まっていたし・・・。
とにかく周辺は、川遊びの人、観光などで歩く人たちでも賑やかでした。
足助八幡宮の前で左折して100m位で目的地ですが、右側にある駐車場は有料で、歩いて行くならそこへ停めるしかないんだな。却下。
観光協会の駐車場へ入りました。
すぐに御城印を購入しました。
足助七城の御城印です。
御城印帳と言った方がいいのかな。
真弓山城(足助城)御城印。収集第九十九号の御城印です。
とりあえず、すでに訪問していたので先に載せました。
駐車場に入って歩いて行く時間もないので、外側から遠望を撮ることにしました。左折して山の方へ向かい、巴川挟んで対岸から飯盛山城を望みます。
麓にある三州足助屋敷などに寄りたかったのですが、しかたがない・・・。これにて戻ります。
飯盛山城御城印。収集第百号の御城印です。
さて次はと言うと、この飯盛山の巴川を挟んだ対岸にある山城です。
すなわち、今通って来た道の右側の山が城跡だったんです・・・。
いよいよ足助城の本丸へ。その前に南物見台があります。
下の厨の屋根が見えます。
橋を渡って本丸へ向かいます。
振り返ると南物見台の姿が分かります。
さあ、本丸へ。
懐かしいなあ・・・って感じです。
本丸です。
細長い本丸の南端から見た南物見台です。
山の上だと実感する景色です。
櫓と長屋へ向かいます。
櫓へ。
西物見台の屋根が見えます。
足助の町並みが見えます。
櫓の外へ出ました。
順路通りに進みます。
足助城は整備されていて、見やすい城跡になっています。
入り口まで戻って来ました。
足助城御城印。収集第九十八号の御城印です。
足助七城のスタートとなった足助城(真弓山城)。再訪ではありますが、見て回る城跡としては、ここがメインだったかと思います。
さあ、山を下りて行きます・・・。
国道473号を北東へ回りながら北上し、突き当たった所は豊田市阿蔵町。ここを左折して国道420号を北西へ走って行けば、やっとのこと足助町です。
香嵐渓が近くなってくると、右手の高台に学校が見えます。その手前に案内板があり、坂道を上がって行くと城跡です。
駐車場から受付へ。2008年11月以来の訪問ですが、記憶にある景色です。
入場券と御城印を購入。一人城跡を散策します。
足助城。城主は鈴木氏です。
この景色、記憶にあります。
山城でも、こうした建造物があると、気持ちが昂ります。
順路通りに進みます。
井戸です。
西物見台。
厨を覗きました。
さあこの上、本丸を目指します。
前編終了です・・・。