カズTの城を行く

身近な城からちょっと遠くの城まで写真を撮りながら・・・

福井城に天守・・・。

2009-09-30 13:40:58 | Weblog
勝山から九頭竜川沿いに福井市へ向かい、県庁のある福井城へ。
福井城址には、天守や櫓がありません。
結城秀康や松平氏の城だっただけに、堀や石垣も立派です。福井地震で崩れた石垣もあり、見どころは多少ありますが、それだけに天守や櫓があっても良い気がします。
周辺には、一乗谷復原屋敷や越前大野城、観光用でも立派な勝山城、古さではぴか一の丸岡城。北の庄城址もある福井市にも天守があってもいいんじゃな~い!
・・・と思います。


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福井城


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「戦国に散る花びら・・・外伝」   第二話  出会いの河原

2009-09-29 14:59:11 | Weblog
奥三河の長信濃城から援軍の要請が家康のもとに届いた。
家康は、さっそく家臣に対して援軍の支度をさせた。
茂助達三津林家の面々も援軍に加わることになり準備をしていた。

「茂助、無事で帰ってきて下さい・・・。」
身重の美有に挨拶に来ていた茂助に、美有が言葉をかけた。
「どうか私の心配などなされず、奥方様は元気な子をお産み下さるよう、ご自分のお身体のことだけお考え下さい。」
美有は、その言葉に下を向いた。
「さっ、お休み下され・・。」
まだ美有は、下を向いたままだ。
「あの方は、帰ってこられますか?」
「勿論でございます。あの方は今まで何度となくこうした事でも無事帰って来られました。・・・さ、お休み下され奥方様。」
茂助は、美有を寝かせ、侍女に美有の身の回りの世話に気を配るよう、改めて指示して支度に戻った。



その頃、長信濃城を取り囲んでいた武田勝余利の陣では、諸将との評定が開かれていた。
「今攻め込めば、尾田の軍勢も間に合わず、簡単に落ちましょうぞ!」
「いや、家康はもう援軍を出しているかもしれぬ!」
「なーに、家康軍ごとき、我山方隊が蹴散らかしましょうぞ!」
「それは、我らの仕事でござる!」
「いや!我ら原隊が先鋒ですぞ、土谷殿!」
武田軍の意気は上がる一方だった。
「お屋形様!」
そこへ数名の兵が、縄で縛った武者を従えてやって来た。
「お屋形様!敵兵を捕らえました!」
「何!敵兵だと!・・・何処でじゃ!」
「長信濃城へ戻ろうとしておりました。」
「そうか、何か伝えようとしておったな!」
「高阪、この者どうしてくれよう?」
勝余利は、参謀の高阪に尋ねた。
「おそらく援軍の使者でしょう。この者に援軍は来ないと伝えさせ、降伏をうながしましょう。」
「うむ、力攻めをして兵を減らすより良いだろう・・・。」
「はい、それではこの男を城から良く見える河原にはりつけにしましょう。」
一同は評定を終え、支度に向かった。



家康本隊は、尾田軍と合流するため、奥浜奈から南側を通って三河に入った。
茂助達の加わった先発隊は、奥浜奈の北側から三河に入り、ひそかに長信濃へ向かった。
「大窪様、我ら数名で武田方の部隊位置を調べて来ましょう。」
「そうしてくれるか、本隊が尾田様と着陣するまでに良い場所を知らせたい。」
先発隊の将、大窪貞竹は家臣の草野匡次に偵察を委ねた。
匡次と数名が月夜の中、潜んでいた山を下りて行った。その中に茂助もいた。

長信濃城は、豊瀬川を堀の替わりにしていて、攻め手もうかつには攻め込めない。
武田軍は、城を取り囲むように五ヶ所に砦を築き機を見ていた。
匡次達は、東側の砦の背後から砦の規模や諸将の位置を調べて回った。
北側の河原に差し掛かった時だった。
「何者だ!」
茂みの中の人影に向かって匡次が小声で言った。しかし返事がない。
「私が行きます。」
茂助が刀を抜いて少しずつ近づいた。小さくなっているのは、確かに人である。
そっと近づくと、茂助は気づいた。
「そなたは、おなごか?」
茂みに震えて座りこんでいるのは、女のようだった。具足など付けていないが、変わった格好をしている。・・・だがやはり女だ。
「長信濃の者か?」
女は頷いた。
「どうしてこんな所に?・・・城から抜け出して来たのか?」
女は、首を振った。
「茂助、何者だ?」
「ここの者らしいのですが・・・?」
と言いつつ、言葉が止まった。
「どうした茂助?」
月明かりに照らされた女の顔を見て、茂助は目を閉じた。
「このおなご、何処かで見たような気がして・・・。しかし思い出せません。」
「まあ良い、敵勢に驚いて隠れていたのであろう。・・・茂助、我らはこのまま偵察に行く、お前は、そのおなごを大窪様の所へ連れて行け。」
「は、はい。」
匡次達は、そのまま進んで行った。



匡次達と別れた茂助と女は、大窪達先発隊が潜んでいる山に向かった。
「名前は何と言う?」
茂助は、歩きながら小声で聞いた。
「・・・。」
「口がきけぬのか?」
茂助がそう言うと女の口が開いた。
「ここは何処ですか?」
「長信濃だとお前が言っただろ?」
「言ってません、頷いたけど・・・。でもここは長信濃じゃないみたい・・・。」
女は、辺りを見回しながら茂助についてきた。
「変わった格好をしておるが、何か神事の衣裳か?」
そう言って茂助は、ふと思った。
「そなた、三津林様をご存じないか?」
三津林も変わった格好をしていたのを思い出したのだ。
「みつ、ばやし・・・?」
「知っているのか?」
「何処かで聞いたような・・・?」
「知っているなら思い出してくれ、何処かで会ったのか?」
女は首を振った。
「知り合いにはいないんだけど、私の記憶の何処かにその名前が・・・、でも判らない・・・。」
「そなた名前は・・・?」
茂助は再び聞いた。
「久留美です。」
「久留美!?」
何処かで聞いた名前だと茂助は思った。しかし茂助も思い出せない。
その時だった。茂助達の前に数人の武具を身にまとった男達が、茂みを掻き分け現れた。
「何者だ!」
「・・・・」
茂助は、女の手を掴んだ。


             ・・・・つづく。


     ※ この物語はすべてフィクションです。
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カズT・奥方様 姫路へ行く!・・・<京都通過>

2009-09-28 12:50:20 | Weblog
地元豊橋から姫路まで行くのに何県あるのか?
愛知県→岐阜県→滋賀県→京都府→大阪府→兵庫県の6府県でした。今まで城巡りで県をまたいだ数では、愛知・岐阜・滋賀・京都・大阪・和歌山・奈良・三重の7府県が最高です。(通過のみも含めています)
それに次ぐ今回の姫路行き。7府県の時は、10ヶ所ほど城を訪問しましたが、今回は姫路城だけです。・・・国宝で世界遺産の姫路城の訪問、どれぐらいの価値があるでしょうか?
ともかく快速電車は、その中の京都府へ・・・。

何度か訪れたことのある京都。その京都駅に近づくと見えてくるものがあります。


京都タワーか!




京都駅だ!
もう少し高い所なら・・・・、


東寺の五重の塔や・・・・、


二条城だって見えるかもしれない。

・・・でも京都駅も通過ですからすぐに発車・・・。



しばらく走ると見覚えのある所が・・・。長岡京市でした。長岡京市にある勝龍寺城は、去年の12月の訪問でした・・・。すでに懐かしい思い出になっている・・・。

そしてすぐに電車は、大阪府へ突入です・・・。

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城№84 <上ノ郷城>

2009-09-27 16:19:00 | Weblog
安城、幸田と巡って来た城巡りの最後は、蒲郡市の上ノ郷城。
幸田の23号から県道383号に入り、蒲郡市街を目指し、市役所辺りで左折して、新幹線のガードをくぐってしばらく走ると小学校が見えてきます。その近くの神社の前に車を停めて、城址看板を頼りに歩きました。ミカン畑の間を少し登って行くと上ノ郷城址がありました。
この城は、鵜殿氏の城で家康に攻められたこともあったようです。


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上ノ郷城


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少し判りにくかった場所でしたが、ここで今回の城巡りは終了。また次のコースを考えようと思っています。
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カズT・奥方様 姫路へ行く!・・・<米原から快速>

2009-09-26 12:49:14 | Weblog
岐阜から普通電車でトコトコと、しかも女性運転士で、さらに遅れている。
米原に着く頃、アナウンスで乗り換えが待っているとのこと。同じホームで急いで乗り移ることに・・・。
ほとんど左から右への大移動、何とか座れたものの奥方様とは別席に・・。



彦根駅の近くになると、彦根城が見えるのではないかとカメラを用意。すると線路沿いの家の間から彦根城が見えました。窓際の席ではなかったけれど、カメラを構えて撮ってみましたが、ビルや住宅に邪魔されて写りませんでした。しかたなく駅だけ撮りました。(隣の席の方、ゴソゴソしてすみませんでした)


<2002年6月撮影>



快速は、安土には止まらず、近江八幡にへ・・・。
この辺りの城址へはいつか行きたいと先日の「火天の城」の時にも言いましたが、
どうやって行こうかなどと考えながら電車に乗っていました。



滋賀県の城は長浜城に行きましたが、長浜は米原から北陸方面なので、画像は大津駅の手前でチラリと見えた琵琶湖の南にある膳所城を用意しました。




<2007年12月撮影>

快速電車は、滋賀県から京都府に入ります・・・。
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城№83 <深溝城>

2009-09-25 14:34:14 | Weblog
本證寺から藤井町を経て23号バイパスへ乗り、幸田町へ向かいました。
バイパスを降りて、248号を蒲郡方面へ走るとまた23号になり、右側にJR。三ヶ根駅手前で左折、山側へ少し走ると坂の途中の角に深溝城址がありました。
読みが少し難しいですが「ふこうず」と読みます。
深溝城は、大庭氏、松平氏、板倉氏などが城主だったようです。







また23号に戻り、蒲郡に向かって走ります。次は、以前新聞に発掘の記事が載っていた所です。



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本證寺城

2009-09-24 14:05:08 | Weblog
姫小川町から西尾方面に向かってしばらく走ると野寺町。通り沿いに見えてくるお寺が本證寺城。
三河一向一揆に関わった城郭寺院の本證寺です。
ここには、知多・西三河城巡りで一度訪問した所です。前回あまり時間をかけられず写真も少なかったので寄りました。


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本證寺城


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前回より写真を撮って車へ・・・。
ここから23号バイパスに乗り、幸田町へ向かいました。



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姫小川古墳

2009-09-23 22:39:35 | Weblog
姫小川城址から少し町外れに向かうと、姫小川古墳がありました。
この辺りには、古墳群があるらしい。わが町では見たことないけど・・・。

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姫小川古墳
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写真を撮って次の目的地へ・・・。

歴史と言っても、古くは地球誕生から始まるわけで、お城も古墳にしても、そこから考えるとすごく新しい時代なんですよね・・・。
奥が深い・・・。

でも目指すは次の城です・・・。



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“火天の城”

2009-09-22 17:08:27 | Weblog
昨日、午前中に仕事をして、午後少し抜けて何年ぶりかの映画館に行って来ました。
見た映画は、「火天の城」です。今だからこそこんな映画を見てみたいなと思っていたので楽しみにしていました。



私、昔映画のエキストラをしたことがあって、京都の太秦の撮影所へ行き、いろいろな役者さんを見たことがあり、今回の映画のパンフレットに撮影秘話などが書いてあり、何だか懐かしさも感じました。
私ごときが言うことではないですが、西田さんや大竹さんの演技は良かった。戦の場面の無い戦国の物語でしたが、城好きにとってはそれでも十分な映画でした。



これまた久しぶりに本屋へ行ったので、目に入った本を買って来ました。
以前、城や戦国武将の本を多く買っていましたが、ホントに久しぶりです。


<信長の城=左上・岐阜城、右下・小牧山城、他清州城>

「火天の城」の城は、安土城。先日姫路へ行った時の道中、安土の駅や安土城址の看板を見たばかりでこの映画。ますます安土へ行きたくなりました。
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城№82 <姫小川城>

2009-09-21 19:32:47 | Weblog
桜井城のある桜井町の隣に姫小川町と言う可愛らしい名前の町があり、そこに姫小川城址があります。
誓願寺と言うお寺の辺りにあったそうですが、誓願寺自体も城郭寺院のようでした。
姫小川城は、内藤氏の城で家康に従っていたようです。

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姫小川城
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次に目指したのは、これまたすぐ近く(同じ町内)です。写真を撮ったらすぐに出発しました。



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