2015年6月11日(木) 曇のち晴 (枝幸町・「道の駅 マリーンアイランド岡島」~浜頓別町・民宿 「トシカの宿」)
4時55分、出発。雨は上がり、曇り空。今日も国道238号線を行く。
5時10分、牧草地にタデ科の野草繁茂。
5時20分、稚内129㎞、枝幸市街8㎞の表示。宗谷岬まで、残り100㎞を切る。
海側の居住地。赤いポストが見え、人が住んでいる様子。冬などさぞや厳しかろう。
5時25分、坂を下って北見幌別川にかかる幌別橋(250m)。
北見幌別川上流。
下流側。4月~8月は、サケ・マスの禁漁期。
川の名の由来――アイヌ語のポロ・ペッ(大きい・川)の意味で道内に同名(幌別川)が各所にあるので北見幌別川という。夏から秋にはサケ・マスが遡上し、冬はチカ釣りのメッカである、と。
小生のこの旅でも、室蘭の先で胆振幌別川 、浦河の日高幌別川 、ウトロの幌別川、と越えてきた。そして、ここに4つ目の北見幌別川を越えたことになる。
6時15分、オホーツク海側に防風林。
6時40分、エサシウエンナイ川。上流方面。
下流方面。
川の名の由来――鱒のよくのぼる川である。上流へ行くと川岸を伝って歩けないところにあるというので、歩くのに悪い川の意。昔は川に狩りに行くときの道であった、と。
そういえば、前の旅の時に、礼文島でもウエンナイという地名を見た記憶がある。
7時5分、枝幸市街をバイパスで迂回してアップダウンを越えていくと、路上にキタキツネがこちらを見ており、写真を撮ったら、藪に逃げていった。
7時40分、「カニの町 ESASI」の看板。
その先、海邊の廃屋。
7時55分、ウスタイベ千畳岩入口。
10分ほど右に入ったところが千畳岩。
休憩し、少し写真を撮る。無料キャンプ場もあるが、条件次第、晴れていればもちろん最高だろう。
広い岩場は岩は波しぶきに洗われ、カモメが飛んでいた。
エゾギクの群落あり。
少しいただけでデジカメが飛沫と霧だらけになってしまった。
樹木の枝ぶりで、ウスタイベ岬の風の強さが分かる。
戻って、ふたたび国道238号線(宗谷国道)を北上。
8時25分「鹿 飛び出し 注意!!」の看板の下に、キタキツネが飛び出してきた。
トラックの中に、ウインカーを出して、大きくふくらんで回避してくれる運転手がいる。その際はこちらも手をあげて挨拶をするようにしているが、中には、運転手も手をあげたり、クラクションを鳴らして応えてくれたりする。
8時30分、路傍にハクサンチドリ。
オホーツク海はまだ厚い雲の下。でも、昨日の雨に比べれば天と地の差。時間的にもゆとりがあり、足の具合も、こんな調子でいけばもつだろうという感触。高揚感は昨日の5倍はあるな。
8時40分、遠くに神威岬が小さく見えて、だんだん近づく。
9時15分、問牧漁港通過。
9時40分、北緯45度のモニュメント。緯度は北半球の真ん中。鹿児島の佐多岬で見たのが北緯31度だった。遥々とずいぶん北上してきたものだ。ウグイスの鳴き声しきりなり。
「北緯45度 国際記念広場」という表示があったので、行ってみようと思い、通りかかった地元の女性に広場の場所をきいたところ、「行ったって何にもないよーーっ」という答え。でも何か記念碑のようなものは? と聞いても、「何もないよーーっ」。で、行くのをやめた。
同じ北緯45度でも、サロベツの方が感動的だった。こちらは東側なので人も割と住んでいるから、原野の中のサロベツとはやはり違うのか。
10時5分、海上の雲も、一様ではなくなり、天候の好転のきざしか。
10時10分、問牧と目梨泊の境の「大泊」バス待合所にて20分小休止。昼食。
霧も徐々に上がりつつあり、明るくなって展望がよくなってきた。
10時40分、神威岬さらに近づく。
漁網の繕いをする漁師の男たち。
11時15分、カムイ岬公園パーキングエリアへ。
ここは神威岬の絶好の展望台である。
「神霊の宿る地」。北海道の屋根である日高山脈が、南に太平洋に沈んで行くのが襟裳岬なら、北にオホーツク海へ沈んでいくのがここ神威岬。
11時40分、北オホーツクトンネル(1205m)を抜けるて、
12時、浜頓別町へ。
神威岬の北面。青空のぞく。
しばらく防風柵が続き、
12時35分、その先の海岸側は、浜辺まで植物帯が広がっている。
エゾスカシユリ、
ハマナス、エゾカンゾウ、シシウド、等々。
12時40分、遠ざかる神威岬。
12時45分、稚内まで103㎞、宗谷岬まで72㎞。
12時55分、閉校になった旧斜内小学校。
今は地域の親睦に。
ミミナグサ。
黄色はセンダイハギ。
13時20分、空はますます青く。
エゾカンゾウの群落。
13時55分、ウソタンナイ砂金採掘公園入口。だいぶ奥に入りそうなので寄らずに通過。
反対側、海邊に廃屋。
空いよいよ青し。海は、昨日の雨のために浜に近い所はやや濁っているが、沖の方は深い紺色。
14時、バイクにリヤカーをつけて荷物を満載した青年に出会う。よく笑う愉快な青年で、日本一周を終えて家に帰るところ、と。しばらく情報交換。彼のブログの写真を撮った。
直後に、後ろから今夜泊まる宿の女主人が車で来て停まり、宿泊の確認。「乗っていく?」と聞かれたが、ここは歩かねば‥‥お断りしたら、「やっぱりね」と言って去っていった。
14時30分、左側に浜頓別ウインドファームの5基の風車を見ながら行く。
14時45分、前も、
後ろも、一直線の道路。
15時、頓別川にそそぐ沼のような、川のような‥‥。
国道は左に曲がり、
15時15分、豊寒別川、上流方面。
下流方面。
川の名の由来――アイヌ語のトム・カム・ペッ(土の被さる川)の意味 泥川のため、川底のものが
泥を被り見えなくなる様子をいった。周辺にはベニヤ原生花園があり、色とりどりの花で目を楽しませてくれる、と。
15時25分、頓別川、上流方面。
下流方面。
川の名の由来――アイヌ語のトウンペッ(沼に行く川)で沼はクッチャロ湖を意味する。夏から秋にはサケマスが遡上し。冬になると河口付近ではチカコマイ釣りが盛んに行われている、と。
16時、浜頓別市街地を通り、
16時20分、今日の宿である「民宿 トシカの宿」に到着。宿泊、2食付き 5100円。
5日ぶりにゆっくり湯船に浸った。あと2日。
2015年 第72日(佐多岬より134日)
歩数 65558歩 (佐多岬より累計 6893049歩)
距離 41㎞ (佐多岬より累計 4594㎞)
費用 6748円 (佐多岬より累計 605042円)
4時55分、出発。雨は上がり、曇り空。今日も国道238号線を行く。
5時10分、牧草地にタデ科の野草繁茂。
5時20分、稚内129㎞、枝幸市街8㎞の表示。宗谷岬まで、残り100㎞を切る。
海側の居住地。赤いポストが見え、人が住んでいる様子。冬などさぞや厳しかろう。
5時25分、坂を下って北見幌別川にかかる幌別橋(250m)。
北見幌別川上流。
下流側。4月~8月は、サケ・マスの禁漁期。
川の名の由来――アイヌ語のポロ・ペッ(大きい・川)の意味で道内に同名(幌別川)が各所にあるので北見幌別川という。夏から秋にはサケ・マスが遡上し、冬はチカ釣りのメッカである、と。
小生のこの旅でも、室蘭の先で胆振幌別川 、浦河の日高幌別川 、ウトロの幌別川、と越えてきた。そして、ここに4つ目の北見幌別川を越えたことになる。
6時15分、オホーツク海側に防風林。
6時40分、エサシウエンナイ川。上流方面。
下流方面。
川の名の由来――鱒のよくのぼる川である。上流へ行くと川岸を伝って歩けないところにあるというので、歩くのに悪い川の意。昔は川に狩りに行くときの道であった、と。
そういえば、前の旅の時に、礼文島でもウエンナイという地名を見た記憶がある。
7時5分、枝幸市街をバイパスで迂回してアップダウンを越えていくと、路上にキタキツネがこちらを見ており、写真を撮ったら、藪に逃げていった。
7時40分、「カニの町 ESASI」の看板。
その先、海邊の廃屋。
7時55分、ウスタイベ千畳岩入口。
10分ほど右に入ったところが千畳岩。
休憩し、少し写真を撮る。無料キャンプ場もあるが、条件次第、晴れていればもちろん最高だろう。
広い岩場は岩は波しぶきに洗われ、カモメが飛んでいた。
エゾギクの群落あり。
少しいただけでデジカメが飛沫と霧だらけになってしまった。
樹木の枝ぶりで、ウスタイベ岬の風の強さが分かる。
戻って、ふたたび国道238号線(宗谷国道)を北上。
8時25分「鹿 飛び出し 注意!!」の看板の下に、キタキツネが飛び出してきた。
トラックの中に、ウインカーを出して、大きくふくらんで回避してくれる運転手がいる。その際はこちらも手をあげて挨拶をするようにしているが、中には、運転手も手をあげたり、クラクションを鳴らして応えてくれたりする。
8時30分、路傍にハクサンチドリ。
オホーツク海はまだ厚い雲の下。でも、昨日の雨に比べれば天と地の差。時間的にもゆとりがあり、足の具合も、こんな調子でいけばもつだろうという感触。高揚感は昨日の5倍はあるな。
8時40分、遠くに神威岬が小さく見えて、だんだん近づく。
9時15分、問牧漁港通過。
9時40分、北緯45度のモニュメント。緯度は北半球の真ん中。鹿児島の佐多岬で見たのが北緯31度だった。遥々とずいぶん北上してきたものだ。ウグイスの鳴き声しきりなり。
「北緯45度 国際記念広場」という表示があったので、行ってみようと思い、通りかかった地元の女性に広場の場所をきいたところ、「行ったって何にもないよーーっ」という答え。でも何か記念碑のようなものは? と聞いても、「何もないよーーっ」。で、行くのをやめた。
同じ北緯45度でも、サロベツの方が感動的だった。こちらは東側なので人も割と住んでいるから、原野の中のサロベツとはやはり違うのか。
10時5分、海上の雲も、一様ではなくなり、天候の好転のきざしか。
10時10分、問牧と目梨泊の境の「大泊」バス待合所にて20分小休止。昼食。
霧も徐々に上がりつつあり、明るくなって展望がよくなってきた。
10時40分、神威岬さらに近づく。
漁網の繕いをする漁師の男たち。
11時15分、カムイ岬公園パーキングエリアへ。
ここは神威岬の絶好の展望台である。
「神霊の宿る地」。北海道の屋根である日高山脈が、南に太平洋に沈んで行くのが襟裳岬なら、北にオホーツク海へ沈んでいくのがここ神威岬。
11時40分、北オホーツクトンネル(1205m)を抜けるて、
12時、浜頓別町へ。
神威岬の北面。青空のぞく。
しばらく防風柵が続き、
12時35分、その先の海岸側は、浜辺まで植物帯が広がっている。
エゾスカシユリ、
ハマナス、エゾカンゾウ、シシウド、等々。
12時40分、遠ざかる神威岬。
12時45分、稚内まで103㎞、宗谷岬まで72㎞。
12時55分、閉校になった旧斜内小学校。
今は地域の親睦に。
ミミナグサ。
黄色はセンダイハギ。
13時20分、空はますます青く。
エゾカンゾウの群落。
13時55分、ウソタンナイ砂金採掘公園入口。だいぶ奥に入りそうなので寄らずに通過。
反対側、海邊に廃屋。
空いよいよ青し。海は、昨日の雨のために浜に近い所はやや濁っているが、沖の方は深い紺色。
14時、バイクにリヤカーをつけて荷物を満載した青年に出会う。よく笑う愉快な青年で、日本一周を終えて家に帰るところ、と。しばらく情報交換。彼のブログの写真を撮った。
直後に、後ろから今夜泊まる宿の女主人が車で来て停まり、宿泊の確認。「乗っていく?」と聞かれたが、ここは歩かねば‥‥お断りしたら、「やっぱりね」と言って去っていった。
14時30分、左側に浜頓別ウインドファームの5基の風車を見ながら行く。
14時45分、前も、
後ろも、一直線の道路。
15時、頓別川にそそぐ沼のような、川のような‥‥。
国道は左に曲がり、
15時15分、豊寒別川、上流方面。
下流方面。
川の名の由来――アイヌ語のトム・カム・ペッ(土の被さる川)の意味 泥川のため、川底のものが
泥を被り見えなくなる様子をいった。周辺にはベニヤ原生花園があり、色とりどりの花で目を楽しませてくれる、と。
15時25分、頓別川、上流方面。
下流方面。
川の名の由来――アイヌ語のトウンペッ(沼に行く川)で沼はクッチャロ湖を意味する。夏から秋にはサケマスが遡上し。冬になると河口付近ではチカコマイ釣りが盛んに行われている、と。
16時、浜頓別市街地を通り、
16時20分、今日の宿である「民宿 トシカの宿」に到着。宿泊、2食付き 5100円。
5日ぶりにゆっくり湯船に浸った。あと2日。
2015年 第72日(佐多岬より134日)
歩数 65558歩 (佐多岬より累計 6893049歩)
距離 41㎞ (佐多岬より累計 4594㎞)
費用 6748円 (佐多岬より累計 605042円)