2015年5月16日(土) 霧雨のち晴 (新ひだか町・スペース in 新ひだか
~浦河町・インフォーメーションサイトスペース in うらかわ)
ライダーハウスは快適だった。道路脇ながら密閉されているので、車の音も感じず(あまり通らなかった、ということかもしれず)、暖かく(ホカロンを1個使っただけ)眠ることができた。
4時に起床し、出発態勢をとったが、霧雨なので(予報では天気は好転するという情報もあって)出渋ってぐずぐずし、
5時45分、出発。ゴアの雨具と傘で、アサリ浜の海岸線に沿った国道325号線を東進。
6時5分、映画『北の零年』史跡めぐりの案内。
左に少し入ると、映画のもとになった「開拓者集団上陸地」碑。
「静内郡の開拓を命ぜられた元徳島藩洲本城代家老稲田九郎兵衛邦植の家臣たちは、明治四年(一八七一年)五月二日この地に上陸した。」
霧に包まれた右手の海中に、弁慶の洗濯岩のような岩盤。
6時40分、昆布漁をしている人々。
この先、何カ所かで昆布漁を見た。
7時25分、「昆布積込み作業中 2.5k区間 わき見注意!」の標識。
昆布乾燥場。
7時40分、霧の海の昆布漁と、
積込み作業。
8時40分、三石川。
上流方面、
河口方面。
川の名の由来、一説にはイマニッ・ウシ又はエマニッ・ウシ(魚を焼く串のある処)と呼ぶ三つの大岩があり三石と呼ばれたのであろうと言われている、と。
8時55分、新ひだか町のシンボルは、競走馬と(はじめは分からなかったが、よく見れば)昆布。
霧の海岸線を進み、
やや内陸に入って、途中で出会ったドライバーに浦河のライダーハウスについて教えてもらった。確かに存在していることが分かり、また場所も大体分かり、一安心。
10時10分、「道の駅 みついし」。ここも物産館と温泉がメイン、無料休憩所も見当たらなかったので、そのまま通過。
こちらでは、三石の地名の由来として、――アイヌ語で「ピットウシ」(小石の多い土地)という意味から転化して「みついし」と名付けられました、とあり。
「えぞ人が彩るやひろめの世にひろく その名きこえし三石の浜 横山由清」。
天地逆の案内板。
高田嘉兵衛の碑。
「‥‥北方航路の開拓者であり、北方交易の先駆者として三石場所の産物の流通に多大な貢献をされた嘉兵衛翁の遺徳を偲び‥‥」、とあり。
10時20分、道の駅の隣は、鳧舞橋。「鳧」が読めなかった。(Kerimai Bridge)
ケリマイ川。河口方面。
川の名の由来――ケリヲマフの意味で、鮭皮の靴(ケリ)がある(ヲマ)所(フ)ところでありむかしここに城があり負けて食糧が尽き、ケリまでも食べたこと由来すると言われている、と。
牧場。
10時35分、浦河町に入る。雨は止んでいるが、相変わらず霧である。
10時45分、昆布作業。この辺りは、潮のにおいとともに昆布のとてもよい香りが漂っている。
11時35分、元浦川。遠方の空が青くなってきた。
川の名の由来――元来ここに運上屋を置いて浦河場所と呼んでいたのを、のちに向別川の方に移してそっちを浦河と呼んだので元来のところは元浦川といわれるようになった、と。
昆布の香りを吸い込みながら良い気分で歩く。
12時20分、絵笛川はほんの小川。川の名の由来――アイヌ語の「エブイ・ペッ:蕗のある川」が由来だといわれている。また、地名ではぽこんと目立つ山に流れる川という説もあります、と。
青空が広がり、日が差してきたので昆布乾燥場は活気を帯びてきた。でも、時々霧が流れてきて、寒い。
途中に「金水」というツーリングマップルに掲載されている「和風海鮮処」があり、残りの行程の目途もついているので、立ち寄って昼食。
うに丼は高すぎるので、オリジナルという「ばくだん丼」を食べた。出てくるまでに20分、味の感想は‥‥小生はグルメではないので‥‥。
13時55分、向別川。川名の由来が書かれたものは見つからず。
向別橋。
14時15分、浦河港。
街路灯の飾り。
15時15分、太陽を反射して輝く昆布。
15時30分、JR日高幌別駅手前にて、「インフォーメーションサイトスペース in うらかわ」の建物を発見。宿泊、無料。
2015年 第46日(佐多岬より108日)
歩数 51327歩 (佐多岬より累計 5518878歩)
距離 37.5㎞ (佐多岬より累計 3654.5㎞)
費用 1745円 (佐多岬より累計 512574円)
~浦河町・インフォーメーションサイトスペース in うらかわ)
ライダーハウスは快適だった。道路脇ながら密閉されているので、車の音も感じず(あまり通らなかった、ということかもしれず)、暖かく(ホカロンを1個使っただけ)眠ることができた。
4時に起床し、出発態勢をとったが、霧雨なので(予報では天気は好転するという情報もあって)出渋ってぐずぐずし、
5時45分、出発。ゴアの雨具と傘で、アサリ浜の海岸線に沿った国道325号線を東進。
6時5分、映画『北の零年』史跡めぐりの案内。
左に少し入ると、映画のもとになった「開拓者集団上陸地」碑。
「静内郡の開拓を命ぜられた元徳島藩洲本城代家老稲田九郎兵衛邦植の家臣たちは、明治四年(一八七一年)五月二日この地に上陸した。」
霧に包まれた右手の海中に、弁慶の洗濯岩のような岩盤。
6時40分、昆布漁をしている人々。
この先、何カ所かで昆布漁を見た。
7時25分、「昆布積込み作業中 2.5k区間 わき見注意!」の標識。
昆布乾燥場。
7時40分、霧の海の昆布漁と、
積込み作業。
8時40分、三石川。
上流方面、
河口方面。
川の名の由来、一説にはイマニッ・ウシ又はエマニッ・ウシ(魚を焼く串のある処)と呼ぶ三つの大岩があり三石と呼ばれたのであろうと言われている、と。
8時55分、新ひだか町のシンボルは、競走馬と(はじめは分からなかったが、よく見れば)昆布。
霧の海岸線を進み、
やや内陸に入って、途中で出会ったドライバーに浦河のライダーハウスについて教えてもらった。確かに存在していることが分かり、また場所も大体分かり、一安心。
10時10分、「道の駅 みついし」。ここも物産館と温泉がメイン、無料休憩所も見当たらなかったので、そのまま通過。
こちらでは、三石の地名の由来として、――アイヌ語で「ピットウシ」(小石の多い土地)という意味から転化して「みついし」と名付けられました、とあり。
「えぞ人が彩るやひろめの世にひろく その名きこえし三石の浜 横山由清」。
天地逆の案内板。
高田嘉兵衛の碑。
「‥‥北方航路の開拓者であり、北方交易の先駆者として三石場所の産物の流通に多大な貢献をされた嘉兵衛翁の遺徳を偲び‥‥」、とあり。
10時20分、道の駅の隣は、鳧舞橋。「鳧」が読めなかった。(Kerimai Bridge)
ケリマイ川。河口方面。
川の名の由来――ケリヲマフの意味で、鮭皮の靴(ケリ)がある(ヲマ)所(フ)ところでありむかしここに城があり負けて食糧が尽き、ケリまでも食べたこと由来すると言われている、と。
牧場。
10時35分、浦河町に入る。雨は止んでいるが、相変わらず霧である。
10時45分、昆布作業。この辺りは、潮のにおいとともに昆布のとてもよい香りが漂っている。
11時35分、元浦川。遠方の空が青くなってきた。
川の名の由来――元来ここに運上屋を置いて浦河場所と呼んでいたのを、のちに向別川の方に移してそっちを浦河と呼んだので元来のところは元浦川といわれるようになった、と。
昆布の香りを吸い込みながら良い気分で歩く。
12時20分、絵笛川はほんの小川。川の名の由来――アイヌ語の「エブイ・ペッ:蕗のある川」が由来だといわれている。また、地名ではぽこんと目立つ山に流れる川という説もあります、と。
青空が広がり、日が差してきたので昆布乾燥場は活気を帯びてきた。でも、時々霧が流れてきて、寒い。
途中に「金水」というツーリングマップルに掲載されている「和風海鮮処」があり、残りの行程の目途もついているので、立ち寄って昼食。
うに丼は高すぎるので、オリジナルという「ばくだん丼」を食べた。出てくるまでに20分、味の感想は‥‥小生はグルメではないので‥‥。
13時55分、向別川。川名の由来が書かれたものは見つからず。
向別橋。
14時15分、浦河港。
街路灯の飾り。
15時15分、太陽を反射して輝く昆布。
15時30分、JR日高幌別駅手前にて、「インフォーメーションサイトスペース in うらかわ」の建物を発見。宿泊、無料。
2015年 第46日(佐多岬より108日)
歩数 51327歩 (佐多岬より累計 5518878歩)
距離 37.5㎞ (佐多岬より累計 3654.5㎞)
費用 1745円 (佐多岬より累計 512574円)