そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

四国の旅―2 第28日 高知市・民宿「高知屋」に連泊

2017年08月18日 | 2017年四国の旅-2
2月13日(月) 晴 民宿「高知屋」連泊

今日は休養日。高知城見学とお土産の手配などをして、一日ゆっくりする予定。

バスで高知市街へ。

9時10分、はりまや橋。






9時20分、「立志社跡」へ。




9時35分、高知城へ。






高知城前の板垣退助像。


山内一豊像。


城の入口で、ボランティアの解説員(男性と見習の女性)が無料案内をしており、頼むことにした。

記念撮影をしてもらい入城。


城内にある一豊の妻千代の像。関ケ原の戦いにおける千代の情報により、掛川の4万9千国の大名が土佐で24万国石になったのだそうだ。


石垣の組み方や水抜きの設備などを解説。「あれは何に使ったのでしょうか?」などと、なんか「ブラタモリ」のような感じ。




長曾我部時代の石垣の組み方と、山内時代の組み方の違い、など教わる。長曾我部時代の方が細かくしっかりしていた、と。




高知城の造りとして、二の丸が主君と側近の住居など生活空間、三の丸が事務を扱う役場のようなもの、天守の役割は特になく、迎賓館のごときものか、と。
天守では解説員のメンバーが交代して、いろいろと説明をしてもらった。天守は意外と小さいものだった。
天守入場券420円。






というわけで、2時間以上も、説明をしてもらった。南無大師遍照金剛。

その後、お土産を購入、宅配の手配をした。
今日は月曜日のため、自由民権記念館も、高知文学館もお休み。残念。
地元の歴史に関する書籍などを見たいと思ったのだが、なんとJR高知駅には駅ビルというものがなく、駅のそばに、ブックオフがあっただけで大きな書店も探せなかった。そして、駅周辺はグルメ店ばかりが目立った。

宿に戻り、逆打ちの要領についてとりとめもなく考えた。逆打ちの場合、遍路シールはほとんどなく、そこそこの困難が伴う。しかし、当然ながら遍路道はやみくもに作られているわけではなく、主にあぜ道したがって用水に沿って作られており、故に、迷ったらそういう気配を感じるような方へ行けばよい、ということ。道路で右側と左側とが色が違っている場合は、どちらかが用水を埋めたあととみられ、それを辿るのが正しい場合が多い。また、行きくれた場合は、心を落ち着かせて周囲をゆっくりと眺めまわすと、遍路石、石仏、石碑、道標などが見つかる場合もある。だだっ広い所には、なにがしかの目印となるような石などもあったりする。それらは多くがどちらかに曲がる地点や分岐の地点を示している。こんなことを発見し、以前よりはだいぶ迷わなくなった(いまだに迷うことも多いが‥‥)。

歩数  22619歩  (累計  1348757歩)
距離  記録外    (距離累計 828.5km)
経費  8580円   (経費累計 79309 円)






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