そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

四国の旅 第15日 宇佐町・「国民宿舎土佐」に連泊

2012年06月22日 | 2011年四国の旅-1
10月27日(木) 晴  (宇佐町・「国民宿舎土佐」に連泊)

○本日の参拝
ありません


天気は晴。もったいなかったが、ここまで順調に来たこともあり、休足日として沈殿。

露天風呂に3回入って足の筋肉をほぐし、また、爪が剥がれかけている右足小指や化膿しかけているマメの手当等をする。

その他に、これまでの記録のまとめ、今後のルートの検討、衣類の洗濯。

宿の支配人と話。
1.途中の道の駅に「ご自由にお持ち帰りください」と置いてあった『土佐十六ヵ寺参り』(お接待0円)のパンフレットについて。


彼もその企画に参加したとのこと。遍路地図については、すでに、へんろみち保存協力会編『四国遍路ひとり歩き同行二人』(地図編)という歩き遍路のバイブル的存在があるが、


ちょっと使いづらい点もあり、そこを補えればということだった。具体的には、
(1) 北が常に上にあるようなもの、
(2) もう少し広い地域が見渡せるようなもの、
という点を満たすこと。
それが、このパンフレットの取り柄だ、と。

2.明日の行程について、浦ノ内湾の北回りルートと南回りルートのほかに、巡航船で海上を行くルートがあること。そしてそれが「本当の遍路道」なのだという。それなら、足の痛みもカバーできるし、船に乗るもの面白そうだ。海上のへんろ道を行くことにしよう、と決定。こういうのを「渡りに船」というのかな。


(以下、高知新聞の記事より)
――青龍寺の田中義了住職(65)によると、空海は寺を守るため、紀州から連れてきた大工ら「八人衆」をこの地に残した。当時は寺へ向かう橋や道がほとんど整備されておらず、参拝者らのため渡し船を出すように命じたという。これが巡航船や、かつてあった「竜の渡し」の起源とされる。
空海も次の地(四万十町)へ向かう際、湾を船で移動。八十八カ所の中で、船で海を渡ることが許された唯一の場所ともいわれる。
ただ、遍路は「歩く」イメージが強いためか、巡航船を利用するお遍路さんはわずかに月数人。「本当の遍路道は海の上なんですけどねえ」と田中住職。巡航船は「遍路の足」から「地域の足」へ役割を移した。
――。

そして、支配人に乗船場である「埋立」への生き方を教えてもらう。「お遍路さんはめったに乗ってこないが、代わりに途中で小学生が大勢乗り込んできてにぎやかですよ。」


その他、歩き遍路のために格安の部屋を用意したこと、遍路用の靴の説明、足摺岬へのルートの概要、等々いろいろと説明してもらう。

夕食は、宿のレストランでかつお丼(1000円)を食べる。

歩数 0歩      (累計 542,559歩)
距離 0km     (累計 338.5km)
費用 3,950円(宿代2500、食事、洗濯等1450)(累計 67,970円)






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