そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

2014年 徒歩の旅 第32日  西宮市・JR西宮駅へ

2016年01月29日 | 2014年太平洋側の旅-前半
4月11日(金) 晴 (神戸市・神戸たるみユースホステル
          ~西宮市・JR西宮駅~高石市・大阪国際ユースホステル)




5時10分、出発。まだ薄暗く、東天に明けの明星がポツンと光っている。今日も国道2号線を東進。

5時25分、海(わたつみ)神社。




山陽本線と並行して歩く。


大阪湾。明石海峡を境に、西は播磨灘、東は大阪湾。


6時20分、須磨区に入る。


海側は、架線に邪魔されてすっきりとは見えない。




6時30分、西国街道の道標。


須磨浦公園。


敦盛塚。鵯越で有名な源平「一ノ谷の戦い」で、源氏の武将・熊谷次郎直実に討たれた笛の名手の若武者・平敦盛の供養塔であると言われている。(『平家物語』巻第九「敦盛最期」)






そばに草野藤次という人(小生寡聞にして存じ上げず)の歌碑。
「須磨のうら 波の音 あはれ吹きたへし 青葉の笛の 昔おもへば   藤次 」


唱歌「青葉の笛」など歌いながら、公園内の松林の中の道を漫歩。




桜も終わり近し。


朝日の向こうに光る海。


須磨浦公園の東端にある「みどりの塔」。


1995年1月17日未明の阪神・淡路大震災で、塔を囲んでいた一対の石の地球儀の、左の地球儀が地震の揺れで塀の外側に落ち、震災モニュメントとして残されている。




「この直径1.2メートル、重さ2・4トンの地球儀を落下させた兵庫県南部地震は、正に『地球』すなわち『わたしたちの世界』を根底から揺り動かした、言語を絶する出来事だったことはまちがいありません。いま、わたしたちはあの忌まわしい震災の日々の記憶を失ってしまわないためにも、この落下した地球儀をしっかり見つめ直す必要があるのではないでしょうか」、と記されている。
 
7時20分、須磨海浜公園。


須磨の浦。


在原行平歌碑。


「わくらばに問ふ人あらば須磨の浦に藻塩たれつつわぶと答へよ
 立ち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かば今 帰り来む」



須磨は、平家物語、古今集、そして源氏物語等々、古典の舞台なり。
                           
7時35分、阪神高速の下を行く。


7時55分、新長田一番街。


8時50分、鎮守稲荷神社(平経俊塚)。




高田屋嘉兵衛献上灯篭。7年前の前回の旅では、函館にあった高田屋嘉兵衛の像を見ていたっけ。


9時30分、神戸ポートタワー。


神戸ガイドマップ。


メリケンパーク入口にある「神戸税関萬國波止場」の銘板、


メリケン波止場表示。


ところで美空ひばりの「君はマドロス海つばめ」という曲の舞台は、はたして神戸だったのかな。てっきり横浜だと思い込んでいたが‥‥。それとも、具体的な場所というのは決まっていないのかな。

近代化産業遺産の商船三井ビルディング、


ビルの間からの六甲山地などを見つつ歩く。


9時45分、大震災メモリアル。


折れた高速道路の橋脚(奥)、曲がりくねった伸縮装置(中央)、破断した支承(手前)。


10時10分、生田川交差点にある「賀川豊彦生誕100年記念」碑。






鈴木重嶺歌碑
「くりかえし見てこそ行かめ山姫の とる手ひまなき滝の白糸」




遠くは六甲山地。


10時40分、2号線と別れて、43号線を行く。

11時35分、歩いているととてもよい香りがしてきたと思ったら、なんと灘の酒蔵である。大手のメーカーの工場などを見ながら歩く。






13時、芦屋市に入る。


13時30分、気がついたら西宮市。


13時50分、西宮神社(えびす宮、えべっさん)。




この調子ならユースのチェックインまでは時間があろそうなので、境内を散策。

ここは、毎年1月10日の「十日えびす大祭」で「開門神事福男選び」が行われるので有名。
赤門から、


参道を経て、




本殿まで、230mを駆け抜ける。


その後は、

14時5分、阪神電車西宮駅を経て、


14時30分、JR西宮駅へ。


JR西宮駅から、大阪、新今宮、乗り継いで羽衣駅で下車。

16時、高石市の浜寺公園にある大阪国際ユースホステルに到着。宿泊、素泊まり 2900円。
本来は1泊3400円だが、『全国安い宿情報』という雑誌のクーポン券を使って1回500円の割引き。券は5枚あるので、ユースを基地にして4泊し、大阪の前後を歩き、また1日は休養日として大阪城などを見学することにした。


スタッフの若者たちから利用についてのいろいろな説明を受けたが、一昨日・昨日とは全く異なり、彼らの丁寧でテキパキした対応に驚く。大きな浴室で汗を流したが、一番乗りだった。湯船で少し泳いだ。

歩数  55456歩  (累計  1764145歩)
距離  32km     (累計  1144.5km)
費用  5507円   (累計  164322円)


2014年 徒歩の旅 第31日  神戸市・神戸たるみユースホステルへ

2016年01月29日 | 2014年太平洋側の旅-前半
4月10日(木) 快晴 (姫路市・JRひめじ別所駅
                     ~神戸市・神戸たるみユースホステル)





今日は空身で、昨日の到達点であるJRひめじ別所駅から神戸たるみユースホステルまで歩き、連泊の予定。

5時40分、同室の男性に見送られ、握手をしてユースを出発。空気はひんやりとしており、ダウンジャケットを着用。JR垂水駅へ向かう。

6時、JR垂水駅。


垂水駅より、JR山陽本線で、姫路方面へ向かう。途中、加古川駅で乗り換え、ひめじ別所駅へ。

7時15分、ひめじ別所駅出発。国道2号線を東進。


7時30分、高砂市に入る。


8時20分、左頭上に加古川バイパスを見送り、さらに2号線を行く。


8時45分、気がつくと加古川市に入っていた。


8時55分、加古川橋。加古川鉄橋を列車が渡る。




9時15分、姫路信用金庫加古川支店。幟には「黒田官兵衛が生涯愛した妻『光』のふるさと 加古川」、と。ここでも大河ドラマあやかり商法、ですかね。


10時30分、マックスバリューにて、早めの昼食。

10時55分、明石市に入る。


11時30分、単調な国道歩きに飽きて、『ツーリングマップル』に出ている「姫路明石自転車道路」に出ようと思い、魚住駅の近くで右折し、海の方へ。しかし、途中であった男性に尋ねたところ、「そんなものは聞いたことがない」との返事。仕方なく、というか、国道250号線を辿り、神戸方面に向かう。

あとはただただ広々とした250号線を行く。交通量はさほどではなく、いくつもの池の横を通ったり、新幹線の下をくぐったりしつつ、

13時35分、西明石駅北側まで行き、再び2号線へ。

15時、神戸市に入る。


明石大橋を見つつ、


15時20分、舞子公園へ。小休止。


明石藩舞子砲台跡を見たり、




明石大橋を見上げたり。


15時50分、ユースホステル到着。宿泊、素泊まり 3000円。

空身なので楽ではあったが、なにかプロ野球の消化試合のようで、あまり充実感のない一日だった。この辺りは、『源氏物語』明石の巻の舞台であり、もう少し寄り道をしてもよかったが、なんとなく空しく歩いてしまった。


歩数  54496歩  (累計  1708689歩)
距離  39.5km   (累計  1112.5km)
費用  5178円   (累計  158815円)


2014年 徒歩の旅 第30日  姫路市・JRひめじ別所駅へ

2016年01月11日 | 2014年太平洋側の旅-前半
4月9日(水) 晴 (赤穂市・西畑旅館~姫路市・JRひめじ別所駅
                      ~神戸市・神戸たるみユースホステル)




姫路で適当な宿が見つからず、神戸たるみユースホステルに連泊することにした。今日のメインは姫路城。その後JR姫路駅から山陽本線で垂水駅、ユースホステルへ、という予定。

6時45分、宿を出発。

6時50分、千種川に沿って土手の上の道を行くと、山の端から朝日。


河川敷の道を行き、

7時30分、坂詰橋で、途中合流した国道250線に。


橋を渡り、


高取峠を目指す。
上り坂の道は狭く、歩道もなく蛇行し、そこを通勤ラッシュの自動車が埋めていて、緊張の連続。しばらくは写真を撮るゆとりなし。

8時15分、峠を上り詰めて一安心。小休止。壁のコンクリートの表示板が、赤穂義士である。


その先の公園にある像は、江戸における浅野内匠頭による吉良上野介への刃傷事件を知らせる早籠。


600㎞を4日半というと、1日100km以上。う~む。


8時25分、相生市に入り、今度はジグザグの大下り。


9時、下りきると、道の駅あいおい白龍城。






大休止。売店でトマト1袋を買って3個食べ、ビタミンの補給。


相生といえばペーロン。なるほど、「白龍」が「ペーロン」だったのか。




9時20分、再び行動開始。相生湾。


相生大橋を渡り、






県道64号線に入り、単調な歩き。

その後は、JR相生駅東方で、国道2号線に入り、姫路方面に向かう。

11時、揖保川大橋にて、鉄橋を渡る山陽本線。


のどかな揖保川。


国道2号線が、自動車専用道路のバイパスになり、県道725号線(旧国道2号線)を行く。

11時40分、林田川を渡り、太子町に入る。


11時55分、東芝姫路半導体工場。


12時20分、大阪まで100kmの表示。なんか元気出る。


県道179号、国道2号線と歩き、
13時15分、姫路市に入る。


13時40分、川岸に見事な桜並木の続く夢前川を渡る。
下流側、


上流側。


それからは姫路城を見るべく急ぎ、

14時40分~15時20分、姫路城へ。




しかし、遠くから見てもなんだかクレーンが異様な感じだったが、そばまで行ってみると、案の定天守は修理中とのこと。「平成の大修理」だそうで、2015年3月完成予定。残念。門司港駅といい、姫路城といい、どうも今回はお目当てが改修中だ。


しかし、桜が見事で、そして人出も見事だった。


三の丸広場でのお花見。








かくなる上は、予定変更。明日のために出来るだけ前進しておこうと、さらに2号線を東進し、
歩いていると、後ろから自転車の男性が声をかけてきた。彼と話しながら30分ほど一緒に歩く。団塊世代の同輩で、自分も何かしたいがなかなか決断がつかない‥‥と。楽しいこと、やったもん勝ち。

16時20分、御着(ごちゃく)城跡。


16時40分、姫路別所駅。ここで打ち切りとし、JR山陽本線で垂水駅へ向かう。

17時50分、神戸たるみユースホステル着。宿泊、素泊まり 3000円

風呂に入りたかったが、シャワーのみ、とのこと。エアコンのリモコンが見当たらないので尋ねたところ、4月からはエアコンは使用しないのでリモコンは引き上げた、暖かくなるから、との返事。ダウン着用。「エコホステル」(節水、省エネ、リサイクル等に配慮した運営に努力しています)というのは、こういうことなのかなぁ‥‥。

同室になった50代の男性は、札幌の人。時計台の説明のボランティアをしており、高知県安芸市にある野良時計を見に行った帰りだという情熱家。本の収集が趣味だそうで、今日も大阪の古書店で仕入れてきた、と見せてくれた。大いに気が合い、21時半ごろまで語り合った。そして、宗谷岬まで到達したら帰りにぜひ寄ってくれと住所のメモをいただいた。

歩数  61028歩  (累計  1654193歩)
距離  43km    (累計  1073km)
費用  4492円   (累計  153637円)



2014年 徒歩の旅 第29日  赤穂市・西畑旅館へ

2016年01月10日 | 2014年太平洋側の旅-前半
4月8日(火) 晴 (瀬戸内市・花屋旅館~赤穂市・西畑旅館)



5時40分、出発。朝のうちは寒いとの予報で、ダウンジャケット着用。
まずは、黒田官兵衛ゆかりの妙興寺へ。

「黒田官兵衛父祖之墓所」とあった。








さて、吉井川に沿って、県道464号線を行く。

5時50分、日の出前、もうだいぶ明るい。


6時、山の端から朝日が昇ってくる。


6時10分、国道2号線に合流する。


6時25分、長船は名刀と、


備前焼のふるさと。


窯の燃料。


長船は、黒田官兵衛関係だけでなく、竹下夢二の生誕地でもある。関心はあるのだが、今回は素通り。

7時20分、大ケ池の横を通過。ずいぶん大きな池である。山陽新幹線の線路がその上を走る。


伊部駅そばの陶芸美術館。まだ開いておらず、通過。






7時40分、伊部東の交叉点を右折。日生(ひなさ)・赤穂方面へ2号線と別れて、国道250号線を行く。


8時30分、備前市役所前を通過すると、片上湾が見えてくる。




その後はずっと海を眺めながらの漫歩が続く‥‥、と期待したのだったが、残念ながら、海と道路との間に、産業廃棄物の作業所や、炉材工場など諸々が続いていて、広々とした海が見えない。




9時5分、ようやく広い海が見える地点に。




10時5分、日生町に入る。


日生港。




10時25分、小豆島などとの定期船乗り場。


10時30分~11時、昼食のために五味の市に行ったが、火曜日のため定休。






仕方なく、旬鮮食彩館で寿司を買って食べた。

11時10分、JR日生駅。


駅前公園に、与謝野晶子の「妻恋ひの 鹿海こゆる話聞き それかと見れば 沖の鶴島」の歌碑。


11時15分、完成間近の備前日生大橋。鹿久居島との間を結ぶ。






その後、しばらく海沿いを歩いて、道は山間部に入っていき、岡山、兵庫の県境の峠に向かって長い上り坂を行く。

12時10分、東奥池。桜がきれいだった。


緑濃い中をさらに上って行き、

12時20分、福浦峠(標高94m)。兵庫県赤穂市に入る。








さて、赤穂に向かって今度は長い下り坂。

12時50分、山陽本線。


道は蛇行しつつ下って行く。






途中で、徒歩旅の青年に会う。新学期なので東広島から京都の大学に行く、とのこと。スマホで調べて、公園やバス停で野宿をしながら歩いていくのだという。やはりスマホは徒歩旅には強力な助っ人か。握手をし、「頑張ろう」のエール交換。

14時、赤穂市街に近づき、




14時45分、大石内蔵助の像が立つ播州赤穂駅へ。


駅の壁面に、歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』の大星由良之助良雄。



駅の観光案内所で、宿の場所を教えてもらい、




15時45分、西畑旅館に到着。宿泊、2食付き 5500円。

歩数  55529歩  (累計  1593165歩)
距離  35km     (累計  1030km)
費用  7215円   (累計  149145円)

2014年 徒歩の旅 第28日  瀬戸内市・花屋旅館へ

2016年01月09日 | 2014年太平洋側の旅-前半
4月7日(月) 快晴 (倉敷市・倉敷ユースホステル~瀬戸内市・花屋旅館)



6時から7時まで、倉敷美観地区を見学・写真撮影に行く。

桜のトンネルをくぐり、下の通りへ。


昨日も見た満開の桃の花だが、早朝散歩の地元の婦人にきいたところ、この花は出荷するために育てているのだそうだ。考えてみれば(別に考えなくても)、岡山県は桃太郎の土地。


天気はよいが、相変わらず寒い。しかし、途中であった男性によると、午前中は寒いが、午後からは暖かくなる、とのこと。

美観地区の地図




主に倉敷川に沿って、城壁の旧家などが風情を漂わせていた。早朝のため人通りも少なく、短時間だったがゆっくりと眺められた。
















































7時30分、ユース出発。


昨日の逆を通り、まずは国道2号線へ。

8時30分、月曜日なので、通勤ラッシュの車多し。


9時、岡山は、何故かまだ桜がたくさん咲いて残っており、2回目の花見歩行としゃれこむ。


9時15分、気づいたら早島町に入っていた。


9時30分、岡山市に入る。




笹ヶ瀬川を渡ったところで、2号線が岡山バイパスの自動車専用道路になってしまい、自動車道路の下側の道を行く。

11時15分、国道30号線との交差点。


さらに行って、


11時55分、旭川大橋。橋の下で川を見ながら、昼食休憩、中休止。




橋の上から、下流。


上流、はるかに岡山駅方面を望む。


13時5分、百間川橋を渡る。




バイパスの下の道では、2号線が他の道路と交差・分岐する地点などで、歩行者(自転車)は、あちらこちらと振り回されるし、また、防音壁のため、上の自動車道の標識が下からは見えにくく、現地点の確認や、距離計算などで不便であった。

14時50分、それでも運よく、さほどの消耗もなく、何とか竹原の分岐までたどり着き、県道83号線へ。

あたりは急に静かな田園地帯。2号線のバイパス下の道路が、コンクリートに圧迫されつつの、あまりに無機的な道路だったのに比べ、なんとホッとする道であるか。






15時55分、吉井川にかかる邑上橋を渡って、瀬戸内市。県道484号線へ。




宿の詳しい場所がわからず、どうしたものかと思いつつ歩いていると、幸運にも散歩中の老夫妻に詳しく教えてもらうことができた。昨日の青年といい、今日の老夫妻といい、有難いことである。


4時30分、宿に到着。宿泊、素泊まり 3000円。


宿は年期の入った建物で、主人もつっけんどん。風呂も小さくて、「今ちょっと床が壊れているんだ」と言われたが、すぐに沸かしてくれて熱い湯に入ることができた。感謝。

ここ長船町(備前福岡)は、2014年のNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』の祖父や父などが暮らした黒田家ゆかりの地、だそうである。ドラマにあやかった幟もたてられていた。


歩数  63344歩  (累計  1537636歩)
距離  36km     (累計  995km)
費用  4261円   (累計  141930円)


2014年 徒歩の旅 第27日 倉敷市・倉敷ユースホステル へ

2016年01月08日 | 2014年太平洋側の旅-前半
4月6日(日) 曇のち小雨のち晴 (福山市・つちや旅館
                         ~倉敷市・倉敷ユースホステル)





5時、出発。夜来の雨はあがっていたが、予報では最高気温で11℃。ダウン着用。今日も国道2号線を行く。

出発後、20分くらいであたりが明るくなってくるのは、旅の初めの九州とは大違い。地理的に東方に向けて歩いてきていることと同時に、何より1か月の季節の移ろいを感じる。

5時50分、東福山駅入口を通過。


7時、岡山県笹岡市に入る。鹿児島から7県目。


路傍に縣界標。


7時10分、用之江。倉敷まで33kmの表示あり。


7時30分、城見トンネル、115m。


7時45分、生江浜(おえはま)。入り江の向こう側に、桜並木が見える。


金浦橋を渡ってしばらく行くと、朝日が背中からあたって、海に自分の影が映っている。


8時、JR笠岡駅通過。この写真は、駅の反対側の笠岡港。


8時10分、城山トンネル(265m)。


8時40分、里庄町に入る。


このあたりは、天然記念物のカブトガニの繁殖地、だそうである。


10時40分、金光町。菜の花の向こうに桜。桜がまだしっかり咲いているのは、山間だからか。




10時50分、金光教本部あたり。




10時55分、短い金光トンネル。


11時5分、浅口市。頭上は晴れて青空。


11時10分、唐船。建設中の高架の道路の下を通って倉敷市に入る。


もう海棠が咲いている。


このあたりバイパスの2号線(自動車専用道路)と旧の2号線(429号線)との合流点で歩道を失い、しばらく不確かなままで歩くが、運よく通行人に聞いて事なきを得る。


途中、にわかに黒雲が迫り、雨が降ってきたので、民家の軒下で雨宿り。短時間で再び頭上は青空に。

11時55分、道口川にかかる幹橋。

玉島市街を抜け、

12時30分、高梁川に出て、河岸を行く。寒風強し。




12時45分、霞橋上流の人道橋を渡って、




さらに土手下の歩行者自転車道を行く。




大西にて2号線と合流。その後は一目散

笹沖の交差点で、倉敷市役所への本通りに左折。

倉敷ユースホステルの詳しい位置がわからず、市役所裏の公園で小休止。隣のベンチで煙草を吸っていた青年に尋ねたところ、こころよく、しかも親切にユースホステルの場所をスマホで調べて、懇切丁寧に教えてくれた。有難い。
この旅でも、ここまで何人の人に助けられたかわからない。特に、宿の場所、バイパスと人道の分岐点等々不明な点が多く、また、自分の持っている地図も、7年前の旅の時に買った『ツーリングマップル』で情報が古く、さらに14万分の一で大まかなため難儀する場面がままある。とりわけ山陽地方は自動車専用道路のバイパスがあって、歩行者が通行できない道路が多く消耗甚だしい。出発前に、スマホを買えば便利だと教えてもらったのだが、旅は少し不自由なくらいが丁度いいと判断し、買わなかった。困った時には人に尋ねることにしているが、ザックを背負った旅人には誰もが親切だ。少しの不自由と引き換えに多くの好意を得ている。

教えられたとおりに進み、桃が満開の坂を上ったところにユースがあった。


15時30分、ユースホステル着。宿泊、素泊まり 3024円。


体が冷えきっていたので早く風呂に入りたかったが、沸かしても冷めちゃうから他の人たちが到着してから沸かすとのことで、結局入れたのは約4時間後の19時20分だった。ユースのオーナーもいろいろである。

ユースの窓から、倉敷市街、駅付近の夜景。


歩数  63965歩  (累計  1474292歩)
距離  43km    (累計  959km)
費用  3849円   (累計  137669円)

2014年 徒歩の旅 第26日  福山市・つちや旅館へ

2016年01月07日 | 2014年太平洋側の旅-前半
4月5日(土) 小雨のち晴 (三原市・山根旅館~福山市・つちや旅館)



7時15分、朝食をとってゆっくり出発。2食付きも大きな浴槽も、下関以来で、ゆったりできた。

小雨。今日の行程は短いので、出発時、空を眺めつつ逡巡するが、傘をさして出る。風は弱いものの、とにかく寒い。

雨は降ったり止んだり。今日は「清明」。唐の詩人杜牧の「清明の時節 雨紛紛 路上の行人 魂を断たんとす‥‥」などを思い浮かべながら歩く。もっとも、ここでは雨は「紛紛」というほどではないし、行人も心楽しく歩いているが。

7時30分、古浜橋を渡る。古浜入川には、下流にも


上流にも停泊するたくさんの漁船。


8時5分、糸崎神社。


見事な桜。


2号線も、土曜日なので交通量は少なめ。


8時10分、瀬戸内海(備後灘)が見渡せる地点に。


遠方にしまなみ海道の新尾道大橋。



山陽本線と並行して、海沿いの道を進み、






9時、尾道市に入る。


9時15分、吉和漁港。


10時、JR尾道駅へ。


上方に「尾道城」。1964年に建てられた可哀想な「お城もどきのニセモノ」。屋根の上の右側しゃちほこも欠落。


尾道案内図。


やはり尾道は坂の街。そして、文学の街。


坂の斜面にいくつものお寺がある。


新尾道大橋に向かって。




10時40分、橋の下を通過。


振り返り、坂の街尾道よ、さらば。


大橋の先には、造船会社や、






電力会社のレトロなレンガ造りの建物などあり。






11時50分、福山市に入る。雨、一時止む。


再び雨。ゴアの雨具の防水機能が劣化していて、雨が染み透って下着まで濡れてしまい、もうやけっぱちで、「アメアメ フレフレ カアサアンガァー 」などと歌いながら歩く(いい年の大人のすることに非ず)。 朝の元気はどこへやら‥‥。

12時30分、松永湾にそそぐ運河のようなところにあるラーメン店で昼食。
あまりの寒さと雨のため、手の感覚もなくなりそうになり、気分も萎えてしまったが、熱々の尾道ラーメン大盛りを食べて元気を取り戻す。尾道ラーメンは、細麺のしょう油味で、魚のだしの味がした。

ラーメンで人心地がつき、手の感覚も戻るが、それも一時のこと。タオルを首に巻いて、ゴア雨具の保温力を補ったりしたが、空気が冷えきっており、あまり効果はなし。

12時50分、英文学者で随筆家の福原麟太郎生誕地の碑。


13時30分、こんな表示を見かけた。「身元調査」など今まで意識してこなかったが、本人に関する情報を、本人の知らないところで調査会社に依頼して調べられたら差別の拡大・助長にもつながるだろう。いやなことをするヤツがいるものだ。




14時50分、右手遠方に福山市のビルを眺めつつ、芦田川にかかる神島橋をわたって街中へ。




15時10分、JR福山駅を通過。


寒さと雨のため、寄り道もせず、休憩もほとんどとらず、一気に福山を目指したので、遅い出発にもかかわらず、

15時20分、宿に着いた。久しぶりの4万歩台なり。宿泊、素泊まり 3500円。

今日も広い湯船に手足を伸ばし、冷えきった体を温め、また溜まった衣類の洗濯をした。

その後、宿の女将さんと雑談。予報では、明日もまた寒い模様だと気の毒そうに言う。福山は、駅の向こうにあるお城以外は、これといった見どころのない街だとのこと。しかし、雨と寒さで、福山城を見に行く気力が起きず、今回は見送り。

今日は、寒い、冷たいと、心のゆとりもなく、泣き言の多い一日だった。長い旅ではこういう日もあるものだ。

歩数  49719歩  (累計  1410327歩)
距離  35km    (累計  916km)
費用  5431円   (累計  133820円)

2014年 徒歩の旅 第25日  三原市・山根旅館へ

2016年01月06日 | 2014年太平洋側の旅-前半
4月4日(金) 小雨のち晴 (東広島市・西条駅前ユースホステル
                               ~三原市・山根旅館)





出発準備終了後、4時15分ごろから、同宿の高齢者男性2人と、談話室でコーヒーを飲みながら旅の話などをした。新潟から来た人は、JR全線の旅をしていて、8割がたまわったと言っていた。いろいろな旅の形がある。彼らは、ユースのイベントである「酒蔵まわり」がお目当て、とのこと。

5時 雨滴が飛んでくる程度。昨夜のテレビの予報では「花散らしの雨」と言っていたが、さほどではない。宿の前で、オーナーのブログ用の写真撮影をして出発。その後、オーナーが、暗い中では県道59号線までの道がわかりにくいだろうと、15分ほど近道を教えながら一緒に歩いてくれる。有難い、感謝。広島西条駅前ユースホステルは、湯船がなかったのが唯一物足りなかった点で、そのほかは、設備もオーナーの人柄も満点のおすすめの宿でした。

オーナーにもらった59号線までの地図(実際には、オレンジ線とは異なり、細い路地の近道を導かれて通った)。


というわけで、

5時30分、山陽自動車道の下をくぐりぬけた地点で、無事59号線に合流。空が白みはじめる。コンビニでおにぎりと牛乳の朝食。

59号線は、時々車が通るが、2号線と比べたら雲泥の差。小雨の中、傘をさして歩く。
 
6時30分、雨は降ったり止んだり、傘はさしたり閉じたり。歩きやすい快適な道を山陽本線と並行しながら行く。


部分的には、歩道がなく道幅も狭いところでヒヤヒヤすることもあるが、交通量が少ないのでさほど苦にならず。ゆるやかなアップダウンの道にはツツジが咲いている。


7時25分、白市駅方面との交差点。


冷たい風が吹き始めてくるが、強い北風が追い風となって、むしろ歩きやすい。

7時50分、入野(にゅうの)に入る。


8時30分、急速に天気が回復し、青空、日差し。


周囲は全く田園地帯。


標高が若干高いせいか、冬の気配が残っている。風は冷たく、梅が満開。


8時45分、遠方に巨大な広島空港進入灯の鉄塔。ちょっと前回の旅で見た余部の鉄橋のような雰囲気。そういえば、余部鉄橋は今ではコンクリート橋に架けかえられてしまった。


8時50分、広島空港と国道2号線を結んでいる県道73号線と交差。


8時55分、三原市へ入る。また上り坂だ。


直下から見た進入灯。高さ70メートル。長さ800メートル。デカい。空港が山中にあるため、このような形態になっている。


滑走路末端が見える。


青空を飛ぶ飛行機(中央やや下)。


さらにアップダウンを越えていく。




9時30分、谷底へ降りて行くような、歩道のないジグザグのものすごい下り坂を、ジャンジャン下っていくと、突然、鮮やかな芝桜の花。


ようやく人家のある本郷町の集落に。


9時50分、さらに下って、山陽自動車道をくぐった先にあった石仏。




10時50分、本郷町北方にて国道2号線に合流。一気に大型トラックの波。


11時15分、体がもっていかれそうになるくらいの強風である。救いは、向かい風ではなく、斜め後方からの風であるという点。


11時25分、本郷大橋東詰交差点。ここまで降りてくると桜も咲いている。


12時30分、沼田川に沿って2号線を行く。


12時50分、分岐を左折、駅方面へ。郊外型量販店などを過ぎて、


14時、JR三原駅へ。


寒いので、途中で休憩もあまりとらずに歩いたため、ずいぶんと早く三原駅に着いてしまった。宿は、16時にチェックインなので、駅で時間調整をしようとしたが、待合室もない。寒い吹きさらしのなかで、それでも椅子に座って休んだが、いやぁ寒い寒い。列車待ちの人に聞いてみたら、今日は特別に寒い、と。
16時、駅のそばにある山根旅館に入る。宿泊、2食付き 5100円。宿は、昔風の駅前旅館といった感じで、大きな浴槽があり、手足を十分に伸ばして温まった。

歩数  58568歩  (累計  1360608歩)
距離  39km    (累計  881km)
費用  5235円   (累計  128389円)









2014年 徒歩の旅 第24日  東広島市・西条駅前ユースホステルへ

2016年01月04日 | 2014年太平洋側の旅-前半
4月3日(木) 晴のち雨 (広島市・ユースホステル レイノイン広島平和公園~
                       東広島市・西条駅前ユースホステル)





5時30分、出発。明けの明星がポツンと東天に光っている。
ゆうべは深夜に外国人の親子連れが泊まりに来て、ちょっとうるさかったが、そのまま眠ってしまった。

宿近くのコンビニにておにぎりと牛乳で腹ごしらえをし、今日は三原までの歩き。足の痛みはだいぶよくなっている感じ。
空気は暖かく、念のために着て出たダウンジャケットはすぐに脱ぐ。

5時55分、国道2号線に合流し、東進する。

6時25分、太陽が昇ってくる。


6時45分、東雲屋内プール横を通過。休館日が、火曜日と年末年始のほかに「8月6日」とあるのが、いかにも広島だと感じた。



7時、猿猴川にかかる黄金橋を渡る。
河口方面には小さな船がたくさん停泊していた。




川の向こうにはマツダ自動車の本社工場。


橋を渡るあたりからものすごい通勤車のラッシュ。天下の国道2号線である。おそらく国道1号線も同様であろう。しかし、太平洋側を行く以上、こういう状況を通り抜けない限りは、東北・北海道の大自然の中を歩くことはできない。




7時40分、海田町に入る。


7時50分、JR山陽本線とJR呉線が交わる海田市駅の先の昭和町公園にて小休止。
満開の桜だが、よく見ると少し散り始めている。




8時30分、山陽新幹線の下を通過。2号線のラッシュはやや緩和されてきたようだ。高速やバイパスや脇道が混んできているのかな。


瀬野川に沿って2号線を行くが、途中で河川敷に遊歩道がつくられているのを見て、そこを歩くことにする。


8時35分、人道橋を渡って対岸へ。


自然の多い気持ちのよい河川敷を歩く。




澄んだ水の中に小魚の影。


春爛漫の風情。




右から順に、山陽本線、瀬野川、国道2号線が並行している。


徐々に山が迫ってきて、里山風の地域に。


9時25分、小さな休憩所。小休止。桜はだいぶ散っている。「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。雨に向かひて月を恋ひ、垂れ込めて春の 行方知らぬも、なほあはれに情け深し。」(『徒然草))といった感じか。雨ではないが。


きれいな川のための努力。




9時50分、河川敷が行き止まりになったので、寺橋にて2号線に戻る。




10時20分、貨物列車通過。




10時50分、龍善寺で鯉のぼりを見る。


11時10分、石積みの段畑の向こうを




山陽本線や貨物列車。




だんだんと上流の気配がただよう。




11時40分、緩い蛇行の登りの先で、峠を越えて東広島市に入る。


歩道のない2号線を大型のトラックがしきりに通る。




12時40分、右折する2号線と別れて、486号線を東広島市街方面へ行く。


13時45分、西条は、京都の伏見、神戸の灘と並ぶ有名な酒の街。「酒都西条と。


大型量販店などが並ぶ郊外から市街に入り、

14時55分、JR西条駅へ。


15時、西条駅前ユースホステル到着。チェックインは16時からだが、ご好意で休ませてもらった。

早速シャワーを浴び、その後はくつろいでオーナーとよもやま話など。ユースは、前年の10月にオープンしたばかりだそうで、何もかもが清潔であった。鄙びた宿もいいが、きれいな宿もいいもの。
また、オーナーも感じの良い親切な人だった。国道2号線のあまりの車の多さにうんざりし(山陽工業地帯を貫いている大動脈なのだから、当然のことなのだが)できれば少しでもルートを変更したい旨を言い、多少のアップダウンはあるものの、オーナーの提案を受けて途中までは県道59号線を行ってみようということになった。そして、分かりやすいようにと地図のコピーを作ってもらった。
夕刻、雨が降り出す。宿泊、素泊まり 2900円。

歩数  52741歩  (累計  1302040歩)
距離  34.5km  (累計  842km)
費用  6051円   (累計  122254円)





2014年 徒歩の旅 第23日 (休養日)  安芸の宮島見学

2015年12月27日 | 2014年太平洋側の旅-前半
4月2日(水) 晴 (広島市・ユースホステル レイノイン広島平和公園に連泊)



今日は一日休養で、空身で宮島の観光および見学。
今日の行動に備えて、ユースの受付で「一日乗車券」を購入しておいた(昨日から消費税が8%になった)。


行楽シーズン中で天気もよいので混雑が予想され、なるべく早い行動を、と考えて、

7時15分、宿を出発。

中電前から市電で西広島へ。広島電鉄に乗り換えて広電宮島口へ。


8時30分、宮島松大汽船のフェリーに乗り込む。


海は穏やか。


厳島神社の朱色の鳥居が見える。


10分ほどで上陸。宮島の案内板あり。






厳島合戦跡の碑。


3月20日に除幕式のあった真新しい平清盛像。


日本三景の碑。


神社方面を目指す。




土産物店を抜け、




厳島神社へ。


シンボルの朱塗りの大鳥居。




宮島の地図。




9時、厳島神社見学。昇殿と宝物館共通券が500円。






































神社を出て、


宝物館(左後方。正面からの写真は何故か撮り忘れてしまった)を見学。


ここでは平家納経のレプリカや大鳥居の額、12代横綱の陣幕の太刀が印象に残った。

9時30分、さらに大願寺山門。


本堂、


護摩堂。


大願寺の九本松。


10時20分、その先にある宮島歴史民俗資料館へ。










資料館の庭園から。


ここでは、宮島の古民具と平家物語の絵画、平清盛像が印象的だった。

見学しているうちにスイッチが入り、足が痛いにもかかわらず弥山方面へ。

まず紅葉谷公園。






満開の桜。


11時30分、紅葉谷駅からロープウェーで山頂へ。




















ロープウェー終点の獅子岩駅から山頂へ行くときに、5歳くらいの男の子が迷子になって泣いていたので、一緒にお爺ちゃんを探してやった。手をつないで行き、山頂直下の広場で無事対面。
また、外国人がたくさん来ていた。オーストラリアから来たという中年の女性2人とカタコト英語で話した。

12時50分、山頂展望台より。








13時5分、弥山本堂にお参りして下山。




下ってきて、三翁神社。




そして、豊国神社の五重塔。


こちらは枝垂桜が満開。




14時20分、今朝ほどは海中にあった大鳥居も、干潮になってそばまで行ける。


その後は往路を戻って、16時、原爆ドーム前で下車。ドームを見て、




平和記念公園内を通って、




(平和記念公園の平和の池のすぐ近くの祈りの像)


(その足下に広島出身の詩人、大木惇夫の詩碑があってちょっと驚いた。)


 「 平和を祈り 御霊を鎮めん  大木惇夫

 山河に歎きはみちて 叫ぶ声あり 
 戦ひは げに 人類の恥辱ぞと
 ああ 奮ひ起ち挙り立て 心つなぎて つつましく
 世界の平和 祈らばや やすらぎの日をもたらして
 国に殉ぜしもろ人の み霊をこそは鎮めまし
 み霊よ 地下に哭くなかれ

 青空の光をうけて 闇を絶たずや
 戦ひは げに 人類の愚劣なり
 ああ 奮い起ち挙り立て 呼べば応へて たくましく
 世界の平和 祈らばや やすらぎの日をもたらして
 国に殉ぜしもろ人の み霊をこそは鎮めまし
 み霊よ 地下に哭くなかれ

 夕星のさとしはありて こだま地にみつ 
 戦ひは げに 人類の自滅ぞと
 ああ 奮い起ち挙り立て まこと尽して 美はしく
 世界の平和 祈らばや やすらぎの日をもたらして
 国に殉ぜしもろ人の み霊をこそは鎮めまし
 み霊よ 地下に哭くなかれ」

大木淳夫はこの他にも、合唱曲「大地讃頌」の作詞者でもある。

だが、太平洋戦争中に、「戦争詩の精華」といわれる詩集『海原にありて歌へる』であの有名な「戦友別盃の歌」を書いた戦争翼賛詩人の作としては、考えさせられるところである。「戦ひは げに 人類の恥辱」「人類の愚劣」「人類の自滅」の句と、戦争詩中の「‥‥わが征くはバタビアの街 君はよくバンドンを突け‥‥」等々とはどう繋がるのか、断絶するのか。戦後は平和主義者になったのか。煽られ死んでいった膨大な数の兵士(「たとえばニューギニアには第十八軍が送られますが、一0万人いた兵隊のうち九万人が飢えで死にます」‥‥加藤陽子『それでも日本人は「戦争」を選んだ』)を思うとき、複雑な思いを抱かされた。

16時30分、宿へ戻った。宿泊費 素泊まり 2400円。


今日はずいぶんとゆったりした。明日からまた荷を背負っての徒歩の旅が続く。

歩数  17643歩  (累計  1249299歩)
距離  記録外    (累計  807.5km)
費用  6637円   (累計  116203円)





2014年 徒歩の旅 第22日  広島市・ユースホステル レイノ・イン広島平和公園へ

2015年12月13日 | 2014年太平洋側の旅-前半
4月1日(火) 晴 (岩国市・ホテルAZ山口岩国店
             ~広島市・ユースホステル レイノ・イン広島平和公園)





4時55分、出発。久しぶりの暗い中の早朝行動。時間が早いため朝食のサービスはなし。
明けの明星が東天にあり。月はなく寒い。国道2号線を北上する。
瀬戸内の動脈ゆえ長距離輸送の大型トラックがしきりに行き交っている。

5時35分、小瀬川にかかる栄橋を渡って


広島県大竹市に入る。空はだいぶ明るくなったが、足元は要注意。


6時、JR山陽本線の線路の向こう側にはJR貨物の貨車が止まっている。もうだいぶ明るい。


反対側、三菱レイヨンの工場。


桜、満開・


6時20分、朝日が昇ってくる。


ちょっと国道を離れて、海岸沿いを行く。


7時、玖波漁港。




7時10分、すっかり明るくなってくると、広島湾には牡蠣の養殖の筏が並んでいるのが見える。


7時15分、廿日市市に入る。右手、宮島が大きい。


7時30分、八坂山隧道。


貨物列車通過。


7時50分、宮浜。牡蠣の販売あり。
生牡蠣、大野のアサリ販売、などの広告がある。

小さな漁港が続く。






8時5分、大野浦駅通過。相変わらず肌寒いので、フリースの手袋をして歩いている。

宮島との間の海は、大野瀬戸というようだ。




9時10分、安芸の宮島の朱塗りの鳥居が遠望できた。


フェリーも見える。明日は休養日として、あのフェリーに乗って宮島を観光・見学の予定。


9時20分、「宮島焼窯元、山根対厳堂」という店。厳島神社の対岸にあるから、ということだろう。


9時25分、JR宮島口駅。


9時50分、広電阿品駅通過。

10時、広島電鉄宮島線。


海きらめく。やっと暖かくなる。


10時10分、火立岩跡。毛利元就と陶晴賢との間で行なわれた厳島の戦い(1555年)における、毛利軍出船の跡。元就は、3000の兵を率いて対岸の地御前に陣を進め、夜、折からの暴風雨をついて、荒れ狂う怒涛の中に出発したといわれている。


すぐに西広島バイパスへの分岐。要注意。広島宮島自転車道路(宮島街道)を海に沿って進み、


11時10分、広島市に入る。


12時、八幡橋にて八幡川を渡る。


12時30分、西部埋立て第八公園にて、昼食休憩を兼ねて20分間小休止。

13時20分、埼玉から歩いて来たという僧侶の恰好をした青年に会う。お互い頑張ろうと挨拶しあった。

13時30分、バイパスと合流。








旭橋にて太田川放水路を渡る。水量多し。






市電。広島に来たという実感。


14時10分、新住吉橋で太田川を越える。


14時30分、平和記念公園に着く。




チェックインの16時までまだ時間があるので、平和記念資料館を見学。前回の旅以来の2回目だが、やはり衝撃的である。




外国人もかなりいた。彼らを通して各国に反核兵器の意思が広がることを願う。


その後、公園内を散策、休憩。

16時10分、ユースホステルレイノ・イン広島平和公園に着く。宿泊、素泊まり2400円。
前回泊まった広島ユースホステルは、休館中で利用できず、こちらにした。
隣のベッドの青年はイギリスからきて、2か月間日本各地を巡っているとのこと。彼は日本語が全然できないので、こちらのカタコト英語ではなかなか意思疎通ができないところがもどかしい。

歩数  58835歩  (累計  1231656歩)
距離  40km    (累計  807.5km)
費用  4201円   (累計  109566円)

2014年 徒歩の旅 第21日  岩国市・ホテルAZ山口岩国店へ

2015年12月04日 | 2014年太平洋側の旅-前半
3月31日(月) 晴 (周南市・ホテルAZ山口徳山店~JR徳山駅
                  ~JR柳井駅~岩国市・ホテルAZ山口岩国店)





6時30分、出発。

6時55分のJR山陽本線に徳山駅から乗って、7時29分、柳井駅へ。

昨日の道をやや戻り、国道188号線に合流して歩き始める。

7時50分、柳井川防潮水門通過。


8時、新柳井大橋を渡り、


太陽に向かって東進。


8時14分、柳井港。フェリー乗り場。


柳井は「白壁の街」とあるが、現在、至る所で工事中。風情を味わう感じではない。


その先の分岐で、188号線の交通を避けて、北側の裏通りを行ってみる。

8時25分、静かな小道の途中に、松戸八幡宮の入口。


反対側に、幕末の海防論者で勤皇僧である月性の像と


白壁の展示館あり。月性は、吉田松陰や久坂玄瑞とも親交があった。


8時40分、再び海岸沿いの道路に出て、柳井市街の方向を振り返る。


このあたりの海は、周防灘と安芸灘を結ぶ大畠瀬戸と呼ばれる。


指呼の間にある笠佐島。


大島大橋を遠望。


9時5分、漁港の隣にあった「国威宣揚」碑。昭和十三年建立、とあった。


その奥に天満宮。


漁船。




桜満開の鳴門神社。


9時25分、屋代島と結んでいる大島大橋をくぐる。休日の晴天なのでたくさんの自動車が渡っている。


山陽本線と並行する。


神代橋からふりかえる屋代島。


貨物列車通過。


10時、安芸灘。
晴れて、海底が見えるほど澄んでいる。


10時5分、岩国市由宇町へ。


JR山陽本線とJR貨物の線路と国道188号線が海に沿って絡むように走っている。






瀬戸内海は波穏やかに。沢山の小島が見える。薄雲か春霞か。






ところどころ歩道がないので、対向車には注意。




小さな漁港。


11時10分、由宇歴史民俗資料館。定休日でもないのにまったく人影なし。


11時35分、潮風公園みなとオアシスゆう。広々とした公園。


民話「長祖生きつね」の案内板。


海を眺めながら小休止。昼食。


12時、JR由宇駅通過。


12時40分、通津駅通過。




線路をまたぐ。


13時50分、岩国発電所。




14時、藤生にて、錦帯橋方面への道を尋ねたところ、車で連れて行ってやる、と言われた。例によって、歩き旅だからとお断りしたが、新しいバイパスも出来ているし、道路が入り組んでいてわかりにくい、簡単には説明できない、ちょうど錦帯橋の方に用事もあるからぜひ乗れと言われ、乗せてもらうことにした。まあ、年も取ったし、必ずしも前回の縦断旅のように硬直した対応をすることもなかろう、と考えて、ご好意に甘えることにした。
20分ほどで錦帯橋のそばに着いたが、なるほどわかりにくい道だった。しかもいくつかアップダウンもあった。橋の撮影のポイント(臥竜橋)を教えてもらい、感謝の言葉を述べて、橋に向かって歩き始める。

日曜日ということもあり、いやぁ、大変な人出だった。人も車もめちゃくちゃ多い。消費税が明日から8パーセントになるというので、ガソリンスタンドも大満車。

14時30分、なんとか教えられたポイントから写真を撮ったが、


眺め渡したところ、右岸方面に桜がたくさん咲いているので、そちらに回って錦帯橋を見ることにした。








14時40分、錦帯橋に着く。満開の桜である。桜前線の真下にいる実感。




300円で橋を渡り、左岸へ。








15時50分、左岸からの錦帯橋。


あとは、国道2号線に合流して、


再びJRを跨いで北上し、


16時40分、宿に着いた。宿泊、朝食サービス 4800円。

自動車に乗せてもらったことについて。一応歩き旅だからと言ってお断りするが、それでも乗っていくように言われた場合は、これまでのように硬直した対応を押し通さず、ケースバイケースで行くことにする。今日の場合も、乗せてもらったおかげで、錦帯橋も時間をとって眺めたり、写真を撮ったりすることができた。あそこを歩いていたら、かなりのアルバイトになったことだろう。

19時45分、宿の窓から、岩国の工場夜景。




歩数  54322歩  (累計  1172821歩)
距離  42km    (累計  767.5km)
費用  6347円   (累計  105365円)

2014年 徒歩の旅 第20日  柳井市・JR柳井駅へ

2015年12月01日 | 2014年太平洋側の旅-前半
3月30日(日) 雨のち晴 (周南市・JR徳山駅~柳井市・JR柳井駅
              ~周南市・ホテルAZ山口徳山店に戻り連泊)




6時40分、宿の窓より、徳山の朝。徳山は、企業の城下町といったところ。出光、帝人、日立、中国電力等々。


今日の行程は、JR柳井駅まで空身で歩き、JR山陽本線で戻って、再び徳山泊。
柳井に適当な宿が見つけられず、足の状態をも考慮してのこと、とかいろいろ理屈をつけつつ、セコい手を使っている。易きに流れているぞ、いかんなぁ。

7時20分、ともあれ宿を出発。雨の中を、ゴアの雨具を着用し、傘をさしていく。
天気予報は、荒れ模様。降水確率は、午前60パーセント、午後30パーセント、とテレビが報じていた。

JR徳山駅前を通過。


だが、歩き始めるとすぐに止んでしまった。
駅前を通過し、県道347号を行く。


満開の桜並木が続く下を歩く。日曜日なので、静か。


7時40分、雲間から薄日がさすのが見える。


新幹線と、


山陽本線。


林立する工場の煙突などを右手に見つつ行く。


8時、櫛ケ浜駅前通過。県道170号に。


8時40分、末武川。橋を渡って下松市に入る。県道366号に代わる。


8時55分、平田川。


菜の花咲く開作公園。


9時30分、日立製作所の廃線になった引き込み線を通過。




9時45分、国道188号線に合流。山陽本線と並行する。


左手の小山の山腹に桜が咲いている。


9時55分、貨物列車通過。


右手は水路。


10時、光市に入る。


反対側は海が先方に見える。


この辺りから、周防灘沿いを歩くようになる。下関以来である。視野が広がるのは快適なり。




風が強く、波はやや荒いが、好天の兆し。


何で読んだのか、「おお海よ、汝の水は塩分に満ちている」という語句が、突然浮かんできた。


10時25分、虹ケ浜海水浴場。






10時45分、JR光駅前を通過。


「猿回し発祥の地」。


駅の先で小休止。お花見。




11時5分、島田川渡る。


桜を見つつ行く。


11時45分、冠天満宮。


室積海水浴場。




海の色は徐々に青さを増している。


12時35分、ここより7km横波注意の標識。


空はもうすっかり晴れ渡り、海はきらめいている。瀬戸内の島々が見える。波は輝き、風は柔らかく、追い風に足の痛さも忘れる。




牛島(うしま)。


荷物はないし天気はいいし、ただもうのんびりと。




振り返り。


何を採っているのかな。


13時15分、伊保木海岸。


国道188号線を快調に飛ばす。






13時55分、梶取岬。


田布施町に入る。


海青し。


その後、岬を回り込んでいくが、途中で、堤防に座って足をぶらぶらさせて、煙草を吸いながら、酒を飲んでいる男性に、「どこ行くの」とつかまり、ちょっと寄っていくように言われ、少し立ち話をした。酒を飲んでいけと言われたが、お断りしてコーヒーをご馳走になる。同世代の人で、いろいろな職業についてきたとのこと。音楽関係の仕事もしたとかで、「ローリングストーンズ ハブ ノー モス」「人生、しがらみを捨てて旅を続けよう」という考えで意気投合し、激励の握手をされて別れた。

14時、田布施川の河口部に入ると、海が濁ってくる。


尋ねてみたら、「ニナ」という巻貝を採っているとのこと。湯がいて食べると美味だ、と。




対岸の丘の上に風車が見える。対岸の山頂部に、4基ほど風力発電の風車があり。

14時35分、麻里府海岸。この地に一時住んでいた国木田独歩の詩碑あり。
「なつかしきわが故郷は何処ぞや
 彼処にわれは山林の児なりき
 顧みれば千里江山
 自由の郷は雲底に没せり」


15時15分、田布施川にかかる新八海橋を渡り、平生町に入る。


古い八海橋は壊れていて通行止め。






以後は柳井駅まで、海から離れて陸の道を行く。

16時、柳井市との境の田布呂木峠。


幕末維新の志士、白井小介の顕彰碑あり 。揮毫は山県有朋。






16時10分、柳井市に入る。


16時25分、陸橋を渡り、


JR柳井駅に着く。あとは徳山駅まで戻ればいいはず‥‥


発車間際だったので慌てて乗車したが、これが逆方向行き。隣の柳井港駅で降りて、約40分間、山陽本線が来るのを待つ。いやぁ寒かった。最後でチョンボをして消耗。

18時、徳山の宿に戻る。宿泊、朝食サービス 4800円

歩数  57441歩  (累計  1118499歩)
距離  42km    (累計  725.5km)
費用  6807円   (累計  99018円)

2014年 徒歩の旅 第19日  周南市・ホテルAZ山口徳山店へ

2015年11月29日 | 2014年太平洋側の旅-前半
3月29日(土) 曇のち雨 (山口市・パルトピアやまぐち
  ~JR湯田温泉駅~JR四辻駅~周南市・ホテルAZ山口徳山店)





5時10分、宿を出発。

6時01分湯田温泉発のJR山口線で、新山口にて岩国行きのJR山陽本線に乗り換え、四辻駅に向かう。


6時40分、四辻駅。
ここから歩き始める。曇で向かい風強し。やや肌寒い。天気は下り坂、今日も長丁場なのでどこかで雨につかまるだろうが、降り始める前に、できるだけ歩いておきたいものだ。とは言っても、気負ってもしょうがないので、10時間足を動かしていれば着くという気楽な気持ちで、と自分に言いきかせる。なるべく足への負担がかからないようにしたいもの

はじめは線路の南側の細い道路を行き、

6時50分、国道2号(山陽道)に合流。「周南40km」とあり、「周南」が「徳山」のこと。


7時、長沢池。池のほとりに桜が満開。鮮やかなピンクなり。大村益次郎の墓のある鋳銭司郷土館郷土館がその先にあるとのこと。「鋳銭司(すぜんじ)」とは、貨幣の鋳造が行われたところ。




7時20分、防府市に入る。


7時50分、国分寺12km先とかいろいろな案内の表示板あり。


7時55分、県立防府西高校。「『挑戦』の先に『発見』がある『未来』がある」。桜、よく咲いている。


8時、大道駅入口の表示あり。2号線をこのまま行くと、山陽道にはまってしまいそうなので、右へ187号線を行く。

8時20分、佐波川。


鉄橋を渡るJR貨物。


9時、高倉で軍足を買う。

9時15分、防府市街地を行く。


「山頭火生家跡」の表示も。


9時40分、引き続き市街地を進んでいる。尋ねたところ、この道は旧の2号線で、このまままっすぐに行けば徳山、と言われる。歩道が狭く、しかも傾いているので、向かい風とあいまってなかなか歩がはかどらず。

途中も、桜咲いている。


10時30分、山肌に桜。






10時50分、周防灘見える。山陽本線と並行する。


11時10分、富海。小トンネル二つ越える。






海水浴場を見下ろす。霧雨強し。


11時20分、霧雨が強くなり、富海のバス停にて小休止。昼食をとり、雨具着用する。直後から本降りとなる。

12時15分、椿峠。周南市に入る。幹線道路だからか、年度末のためか、週末なのにトラック多し。


歩道がわかりにくくて、消耗する。尋ねようにも人影なし、途方に暮れることなど何度か試行錯誤を繰り返す。強雨の中、雨具の防水能力の低下のため下着まで濡れてしまい、消耗する。

雨中の桜。


14時、2号線から347号線へ。新南陽方面に向かう。
JR山陽本線の線路に沿って、冷えきった体でただもうやみくもに市街地を歩き続け、

16時、ようやくJR徳山駅そばの宿に着く。宿泊、朝食サービスで、4800円。
雨のため、デジカメはザックの中で、午後はほとんど写真撮れず。ゴアの雨具にもかかわらず、濡れ鼠。寒くてたまらず、宿泊手続きもそうそうに、部屋に入って熱い風呂に。よほど草臥れていたのか、湯に浸かりながら暫時眠ってしまった。まあ、こんな日もたまにはあるもの。
雨の中、乱暴に歩いたため、足の状態は振出しに戻り。

20時、宿の窓から、徳山の夜景。


歩数  59161歩  (累計  1061058歩)
距離  41km    (累計  683.5km)
費用  6146円   (累計  92211円)

2014年 徒歩の旅 第18日  山口市・JR四辻駅へ

2015年11月27日 | 2014年太平洋側の旅-前半
3月28日(金) 晴 (下関市・ホテルAZ山口下関店
      ~JR厚狭駅~JR四辻駅~山口市・パルトピアやまぐち)





主要歩行部分


今日も変則歩き。
宿から、長府駅~厚狭駅間をJR山陽本線で行き、厚狭駅~四辻駅間を歩いて、四辻駅から湯田温泉駅へ山陽本線・山口線、そして宿のパルトピアやまぐちへ、という予定。

ホテルの朝食を食べて、6時20分、出発。晴れて、空気はすがすがしい。

木屋川から周防灘。


桜の開花は、一日でだいぶ進んだようだ。




長府駅。


6時50分発の岩国行き山陽本線に乗り厚狭駅へ。寝太郎の像に送られて、7時15分出発。225号線を辿って、国道2号線へ向かう。


すぐに厚狭川を渡る。


こちらはすでに満開。


7時50分、宇部市に入り、


すぐに2号線(山陽道)に交差し、周南・小郡方面へ左折する。




8時40分、西見峠を越え、


9時、二つ目の吉見峠を越える。この間のアップダウンは、道路が蛇行し、歩道もしっかりしていないので消耗感が大なり。


年度末の週末で、トラックが大量に走っており、歩道のない区間は路肩をぎりぎりに通行しなければならず、ちょっと怖い。大動脈の幹線だから致し方ないか。


ところで、今朝歩き始めた厚狭の街が、かつての宿場だったであろうことは理解できる、現在歩いているこの山陽道は、昔の山陽道とどれほど重なり、どれほど離れているのか、宿場などはどうなっているのか。そんなことも、帰ってからの宿題なり。

9時40分、新幹線の線路の下を山陽本線。


新幹線と並行する。


レンギョウが満開なり。


10時、山陽本線と並行し、厚東川水路橋を通過。


スイセンがちらほら。


九州では至る所で咲いていた菜の花が、こちらではあまり見られない。たまにあっても、まだこれから咲く準備をしているようだ。


11時45分、今坂峠で山口市に入る。


周防・長門国境碑あり。




11時50分、2号線は自動車専用道路になり、


歩行者は、昨日と同様に下の道に追い払われてしまった。


以後、しばらく下の道。









13時40分、椹野川。




14時35分、高速道路の下を行く。


四辻駅近し。




14時50分、四辻駅まで歩き、打ち切り。新山口方面行の列車がちょうど出発してしまったところ。残念。


この地は、大村益次郎の出身地。昔、司馬遼太郎の小説『花神』で読んだっけ。


駅でおばあさんたちと話しながら、電車待ち。歩き旅の話をすると、みんなびっくりしていた。生まれてからもこれからも、そんな人に出会うことはないだろう、元気をもらった、と。少し功徳をしたかな。

15時15分に乗る。新山口でJR山口線に乗り換え、

15時40分、湯田温泉駅に着く。

15時55分から30分ほど中原中也記念館を見学。時間が足りないのが悔しいところ。










「中也ビール」やら、


街頭広告。


17時、宿に着く。宿泊、素泊まり3150円。足は相変わらず出血。天気は明日から下り坂、とテレビは言っている。

歩数  55793歩  (累計  1001897歩)
距離  32km     (累計  642.5km)
費用  4330円   (累計  86065円)