あっと雄馬に素通りしたハヤブサです。
盆暮れの古くからの習慣は脈々と引き継がれてきた。今のご時世では、デパートの売り上げに影響するせいか、何でも統計数字となる。時期々のイベントの中でもお歳暮は、我が国にならではの販売方法を見ることが出来る。大手のデパートばかりではなく、大手スーパーでも特設コーナーを設け、多数の受付と事務処理のアルバイト店員が闊歩する。商品選びには、懐具合を心配しながらの好みの品探しに余念がない。必要悪との弊害などと称されることもあるが、お世話になった方々への贈り物は、お礼だけではない一種の感謝と、礼儀、儀礼、どちらかはっきりしないもやもやの思いが込められている。
最近は、郵便局から全国の名産品等をカタログ販売しているし、ご丁寧に、昨年送った方の住所を前もって印刷された注文書が同封されている。期間限定で、割引もあるようだ。一時デパートの包装紙が品格を表すなどとされて、同じ品物であっても割高なデパートからの送付が流行った時代もあったが、その手の品格とやらは姿を消しつつある。デパート側でも、外商があり、特別な利用者にはそれなりの特典もある。割引が効いたりするのである。もちろん一般とは異なる窓口があり、優遇される。
以前は職場の上司には必ず、額はさほどではなかったが、お中元とお歳暮は欠かさずに続けていた。職場は全国転勤があったため、3年ぐらいで配置転換がなされ、通常は上司との良好関係が生きる知恵として、関係のある期間だけは送ることにしていた。退職後は次第にその関係が薄れ、、現在ではほとんど行っていない。寧ろ、少なくなった叔父叔母・兄弟など身内に対象はシフトしてきている。
本来の発生からすると、村社会の身内同士の儀礼が目的で、贈り物を献上する習慣があったのだろうと考えられる。身分の低い者からその都度、又は盆暮れになにがしかの品を献上していた。村の長(おさ)はその見返りに、争議の仲介、家庭内ももめ事の調停や、仕事の世話、婚姻の世話、死後に於いては葬儀の執行まで一切を取り扱う、お世話役であったのである。
お中元やお歳暮は単なるプレゼントでないことは事実であろう。今は消えてしまっているが、地域の寺社もその任に当たっていたと推測され、自然な気持ちで、玉串、お布施などを献上するのが普通であったと思われる。その意味に於いては、企業人たるサラリーマンが、同様な企業社会の中での生きる知恵として、人事やもめ事の仲裁等を含め、上司に期待する期待感がお歳暮やお中元等の贈り物をする行為となり、村社会と共通しており、類似性を見出すことが出来る。