あまでうす日記

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鎌倉図書館にて「鎌倉柳田学舎・公開講座」をきいて

2024-05-06 09:49:55 | Weblog

 

鎌倉ちょっと不思議な物語 第462回

 

快晴というより夏の始まりのような莫迦陽気の一日、鎌倉中央図書館の3階多目的室で小田富英氏の「小さな疑問化から始まるものがたり 謎解き遠野物語」を聞きました。

 

定員40名の会場は満員札止めでしたが、出席の大半は私とほぼ同年代のジジババでしたので、ほっと安心もし、ちょっと心配もしたことでした。

 

さて本論に入ってまず小田氏が提示したのは第39話の狼が鹿を食った噺。話者の佐々木喜善が祖父と一緒に大鹿が斃れて横腹が破れて湯気が立っているのを見たが、祖父は「この皮ほあいけれど、御犬(狼)は必ずどこかの近所に隠れて見ておるに相違なければ、取ることができぬ」というたそうだ。

 

この噺を聞いた柳田國男の疑問は、「祖父の言葉は、経験を通して得た正しい知恵なのか、単なる想像なのか分からぬ」というもの。そこで柳田はいつもそうしていたように仮説を立てます。それは「狼は元々は群れの生活。群れている時は食べ残しはしない。しかし環境の変化によって群狼生活が終焉して孤狼生活に変わったので、1匹では食べ切れないこともあったのだろう」(「狼史雑話」)というものでした。

 

当時狼は絶滅したと信ぜられていましたが、柳田國男は日本狼生存説」を表明すると同時に、狼の代わりに「モリ」という名の秋田犬を自宅で飼って、長らく観察を続けていましたが、昭和23年に今西錦司が「いつの時代も孤狼もあれば群狼もある」と柳田説を批判します。

 

狼の生存が確認できない今となっては、どちらが正しいのかを確かめることはできませんが、このように柳田の「小さな疑問」が私たちを思いがけない遠くまで連れていくことを実地に示すために、小田富英氏は第99話の明治29年の三陸津波で妻子を喪った佐々木喜善の叔父の噺を例示しました。

 

叔父は、2011年3月11日の東日本大震災を先取りしたようなこの大津波で死んだはずの妻が、これも津波で死んだ妻の昔の恋人と一緒に、浜辺を歩いている姿を目撃します。

 

その時、叔父から名を呼ばれた細君は、「振り返りて、にこと笑ひたり」と柳田の原稿では書かれているのですが、その噺をした喜善の日記には、この「にこ」がなく、同席していあ水野葉舟の再話では「女はにやにや(原文は「くの字点」)笑って」となっている。

 

つまり何らかの理由で柳田はオリジナルを書き換えた可能性があるのですが、果たしてそれは何の為だったのか?「遠野物語第22話」で三島由紀夫が感嘆した柳田の「文学化」とは違った理由があるのかも知れない。とかとか、またしても「小さな疑問」が生まれます。

 

そして会場に集った私たちは、この第99話の全文を読んで各自がかんじた疑問をメモに書いて提出するように命じられたのですが、この思いがけない成行きの展開と結末についてお話する紙幅が丁度尽きたようなので、また今度ということにいたしませうね。サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。

 

気がつけばあっという間に皐月也また日曜かまたのど自慢か 蝶人

コメント
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