灯台下暗し -カッターナイフで恐竜を腑分けした記録-

仕事で携帯向けアプリを書いて、趣味で携帯電話を買い、趣味で同人小説を書いて、何もしていません。

メタ認知を破壊すれば教育ではなくモラル・ハラスメントやガスライティング

2017-06-25 13:41:17 | 日記

僕は心理学・精神医学を学んだことはなく、むしろ精神科の患者で他人より病んだ精神の持ち主なのですが…… 自分が楽になりたくて精神医学の一般向け解説書を読むと、いろいろ思うことも出てくるわけです。それと、自分の経験を話したい気持ちがありまして。

僕は大学生時代、ダメな学生でした。研究室で指導を繰り返されると、指導されるほど次に考えることが怪しくなり、次第に研究室のお荷物になり、留年で足りず病気を理由にした休学までして在学を引き延ばし……

でも、これ、そんなに故のないことではないと今では思うのです。

唐突ですが、ここでAmazon(あの、通販サイトです)で、もしも、を想像してください。ある商品にレビューがついています、複数。ですが、かつてのAmazonはレビューが役に立たなかったというコメントも公開されていましたが、その商品についたレビューはどれも役に立たなかったというコメントばかり。するとあなたは思うでしょう。一体なにが本当なの? と。

現在のAIの判断と人間の判断には大きな違いがあります。AIは「○○が××である確率は~%」と答えを出しますが、人間の判断は「○○は××だと思うし、それには自信がある」という二段構えです。後半の、自分の考えの確かさを自分で判断しているところを「メタ認知」と呼びます。

Amazonでは、レビューにさらにコメントが付くことでレビューの有用性を上げていますが、人間の判断も同様に判断の確かさを自分で判断することで誤りを減らしているのです。

コメントにコメントは必要ないのか? という意見もあるでしょう。想定はされていて、情報科学ではコメントのコメントのコメントの……と繋がったものを「リフレクションタワー」と呼びます。しかし、コメントのコメントをつけても実際問題効果は乏しいんですよね。一段コメントをつければ十分、というのはAmazonの成功が実証しています。人間も、無駄があれば淘汰されているでしょうから、効率的な形になっているでしょう、多分。

このメタ認知も学習によって作られます。失敗が続けば「ちょっと自信ないなあ」と用心します。ですが、あまりに否定されすぎたら?

先ほどのAmazonのレビューの例え話に戻ってきましょう。あのレビューもこのレビューも役に立たなかったというコメントばかり。それを繰り返せば「正しい」レビューが出てくるのでしょうか。いいえ、人間は、否定される経験が重なりすぎると、次の判断ができなくなるのです。

褒めれば同じ行動を繰り返し、叱ればその行動をしなくなる、という条件学習の理論は、時系列を無視しています。人間は過去の経験を忘れるほど馬鹿ではありません。否定ばかりが続いたとき、自分自身への信頼を失い、次の判断を先延ばしします。それは、一見、当該分野に対して知識が無い人間の振るまいに見えます。自分で何か判断するには、自分自身への信頼がある程度必要なのです。

この、自分自身への信頼を失った状況は、モラル・ハラスメントやガスライティングの被害者に見られます。あ、ガスライティングはネットでは統合失調症患者の妄想とされていますが、ちょっと違う内容で理性ある心理学者の研究の一分野となっていることはWikipediaを参照願います。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0


モラル・ハラスメントやガスライティングでは、徹底的に相手の判断を否定します。すると被害者は自分自身への信頼を失い、加害者の判断を待つようになります。はい、奴隷の一丁できあがり。

正しければ褒め、間違っていれば叱る、間違いばかりなら全て叱られて当然、という教育を行えば、生徒が何も判断できなくなるのは、故のないことではないのです。

じゃあ自信ばかり育てれば良いのか、と問われると、自信を否定すること全てを否定したら確かに教育はできません。行き過ぎた自信を削ることは必要です。でも貶めすぎると思考に異常を来します。さじ加減の問題になります。

モラル・ハラスメントやガスライティングは、一つ一つの出来事は通常の教育と同じであり、それが1ヶ月や1年などある程度の期間で見た際に否定ばかりが続いて相手が自信を喪失したことを示して初めて被害を立証できる、というのが、立証を難しくしている点なんです。

教育は、生徒の判断が正しかったと認められる成功経験が無いと効果を発揮しないんです。言わば「生徒に花を持たせる」ことが必要になります。なにをやってもさらに上を行く回答を示して自分の優位性を示したいそこのあなた、あなたに教育はできないと思います。

生徒が何もかも間違っている、直さなければならない、と思ったなら、きついことを言えば、もう直すべきではありません。別れないと、双方にとって不幸な結末が待っています。


メタ認知を破壊すれば言うことを聞くようになるのか、良いことを聞いた、と思っているそこのあなた。自信をなくした人間は知的生産を全くできなくなるので、職場や大学の研究室で行えばお荷物を作るだけです。洗脳は、カルトで行われているように、既にある財産を吸い上げることしかできないんです。忠告しましたからね。

ここに書いたものはベイトソンのダブル・バインド論の焼き直しではないかと問われると、ベイトソンの著作を読んだことはありませんが、指摘は正当だろうと想像します。ただ、現代の私たちにはレビューコメントという例え話ができるので分かりやすくなっているだけです。

「メタ認知」なんて格好いい言い方でなくて「自信」でいいのでは? と問われると、はい、そのとおりです。(ペコ)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« あとから大容量モデルに変身... | トップ | 統合失調症の素因は未開社会... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事