僕は専門的に心理学と精神医学を学んだことはなく、むしろ現在進行形の患者なのですが、楽になりたくていろいろと読みました。そこで、一応は、自分なりの立場もできていたりします。
僕自身が患者ですが、周囲の困った性格の人に苦しめられた経験も相当あります。そこでネットで似た状況に合った人の述懐を読んだりすると、自己愛性パーソナリティ障害者は悪人か? というテーマが広く共有されていることが分かります。悪人ではないという記事に対して悪人だという反論が多数あり、大勢としては悪人として認識されていると見ていいでしょうか。
そこで書籍を読むと意外と違う説明を見たりします。岡野健一郎「自己愛的(ナル)な人たち」には、自己愛性パーソナリティ障害者について「厚皮のナルシシストもその多くは、対人関係に必要な敏感さを、通常、無事取り戻すのである。」という、被害に遭った人なら「何も無いところから格差を作り出して他人を支配するのが自己愛性人格障害者だ!」(あえて旧名)というそれこそ憤怒が起きそうな記述があり、その後の章でサイコパスに言及しています。ただし、この本は DSM-5 から反社会性パーソナリティ障害の診断基準を引用した箇所では、幼少時の行為障害が認められなければ反社会性パーソナリティ障害と診断されないという、後に述べますが重要な箇所が意図してかしないでか省かれています。また、孫引きになりますが、町沢静夫「自己愛性人格障害」には「クーパーによれば、カーンバーグ的な積極的あるいは外向的自己愛性の病理は、反社会性人格障害と境界性人格障害であろうと述べている。」(p.41)という記述もあります。
この差はどこから生まれるのか。
ここで、先にポンと提示した反社会性パーソナリティ障害について触れます。診断基準を丸コピーはしません。Wikipedia に記載された反社会性パーソナリティ障害の診断基準を参照願います。要は、サイコパス・ソシオパスを診断する公的な基準です。
この中で、現在の行動を描写する診断基準Aにおいて、7項目中3項目以上当てはまれば条件を満たすとされています。頭をひねると気づくのですが、実は法律に定めた犯罪を犯しているという項目を除いても、他の項目の組み合わせにより条件を満たすことができるのです。
サイコパスというと殺人者というイメージが流布していますが、研究によれば、必ずしも刑法に定められた犯罪を犯しているわけではありません。実利を得るのが目的なので、その手段が民事ですめば犯罪歴もつかずむしろ好都合、という考え方もあります。実際にサイコパスの心性を持ちながら社会で成功している人物も多数います。周囲がそのような人物を反社会性パーソナリティ障害の基準を満たすと認識していないケースは多々あるでしょう。
ただし、反社会性パーソナリティ障害には、適用に大きな障壁があります。15歳未満の時期に行為障害、言うなれば非行歴がなければ反社会性パーソナリティ障害という病名をつけてはいけないとされています。子ども時代をうまくやりおおせた人間は、その後に何をやっても、反社会性パーソナリティ障害の診断はつかないのです。そのような人物はおそらく自己愛性パーソナリティ障害と診断されるでしょう。岡野健一郎「自己愛的(ナル)な人たち」が診断基準の引用においてこの点に触れなかったのは、よく言って方便、悪く言えば嘘をついたと見ていいでしょう。
ネットでの自己愛性パーソナリティ障害者による被害の報告を見ると、悪辣なケースが多いです。成人してから恋人・結婚相手として関わったケースが多いので生育歴は分かりませんが、生育歴が判明しているケースでは15歳未満での行為障害が推察されるケースも散見されます。
ここまで来て、僕の立場を述べます。現在においては、2つの課題により、反社会性パーソナリティ障害と診断されるべき人物の多くを周囲が自己愛性パーソナリティ障害者だと認識している、と考えています。
- 15歳未満の時期に行為障害が認められなければ、その先一生、反社会性パーソナリティ障害と診断されない、という DSM の診断基準の課題
- 触法行為がなければ反社会性パーソナリティ障害ではなく自己愛性パーソナリティ障害だと見なす、世間の認識の課題
きつい言い方になりますが、反社会性パーソナリティ障害の診断をもっと積極的に行うべきではないか。僕はそう思います。