これ以上は言うまい。
ここ最近、自分の身にいろいろなことがあり、一つのことを知りました。
例えばの話です。携帯電話向けアプリを新しく作らされることになり、Java や BREW を勉強し始めたとします。先輩に入門書を選んでもらって読み始めたけれども、その入門書は何が言いたいのかよく分からなかったとします。そして思わず一言。
「訳が分からない」
その言葉を言ってしまったときはチャンスです。
「訳が分からない」と言ったときは、自分の方を直すチャンスです。
本によっては「訳が分からない」と言ってしまうときもあります。知りたいと思ったことが書いてないときもあります。
でも、それを知りたいと思ったのは妥当だったのでしょうか。今までその仕事をしたことが無く、勉強したことも無いときに知りたいと思ったものが、最後まで、いや、勉強の最初からして妥当だったのでしょうか。
信頼されている入門書に自分の知りたいことが書かれていない場合、知りたいと思ったことが見当外れだったということが多いです。結果にあまり影響しないとか、その考え方を直した方が後で楽になるとか。
一言で言えば「世界は君が願うように出来ているわけではない」ということですが、その言い回しだと大げさなので。
と書いたところで、「それじゃあ宗教カルトに引っかかっても知らないよ」と突き放されそうな気がします。
そこに悩みます。最初に手引きしてもらう人を選ぶにはどうしたらいいか、という問題に。
本なら、多くの人が推薦する本を選べば悪いことにはならないでしょう。
人を選ぶときには、いや、その、僕には他人に語れるだけの眼力はありません。