灯台下暗し -カッターナイフで恐竜を腑分けした記録-

仕事で携帯向けアプリを書いて、趣味で携帯電話を買い、趣味で同人小説を書いて、何もしていません。

ナルシシズムの良否は食欲の過多に似ているという私見

2023-05-04 08:02:08 | Weblog
このブログで突発的に自己愛というかナルシシズムについて記しました。日本語の「自己愛」は使われる場面によって意味が変わる(正反対になることもある)ので、この項では比較的に意味が明確な「ナルシシズム」について記そうと思います。その言葉が意味するものは、他人を尊重しない利己主義・利益独占や自己陶酔だと考えています。

そんなナルシシズムについて批判すると返ってくる、定番のカウンターがあります。利己心も自分を素晴らしいと思う気持ちも全ての人間に備わっている、全ての人間に備わっているものが悪であると見なすのはおかしい、それこそ批判する自分を人間でない神と見なしているのではないか、と。

それはある程度理が通っているのですが、そうではないよと再カウンターを打ちたく、この項を記します。

ナルシシズムの良否、悪に転ずる場面の見分け方は、食欲についてどう考えるかという問題に似ていると考えています。精神科医や心理学者にそのような例えをした人がいませんから、これは素人の私見です。

伺います。あなたは食欲はおありですか? これはほぼ全ての人が持っています。稀に食欲を極度に失う人がいますが、すると生命の危機に瀕して人工栄養に頼ることになります。ですから食欲を悪と見なすことはできないでしょう。

では、これは一部の人を大変に貶める差別的発言となり得るのですが、あなたは肥満していますか? 健康診断において新陳代謝を示す各種数値が異常値を示し、医師より生活習慣の改善を指導されていますか?

社会的には肥満を悪と見なすことは差別ですから、そのようなニュアンスを含めた私が悪いです。しかし医学的には肥満は健康を害している状態であるという判断も事実です。

肥満の何が問題なのか。それはカロリー摂取とカロリー消費のアンバランスが問題です。

標準体重の人も肥満している人も食事をしていることは同じです。しかし、標準体重の人は摂取したカロリーと同程度のカロリーを消費しているため体重の変化が見られないのに対し、肥満している人はカロリー摂取が過剰でカロリー消費が過小であるために脂肪が蓄積したのです。食欲の存在が悪いのではありません。運動とのバランスが悪いこと、一方に偏っていることが悪いのです。偏りという点では、肥満と逆の拒食症による重度な痩せ症も問題です。

ナルシシズムの良否もバランスの問題にある、そういう私見を持ってます。

利己心がない人はいません。自分は素晴らしいと思う気持ちは少しは持たないと精神を病みます。しかし社会で生活していると、他人を思いやることもあれば利益を奪われることもあり、他人に比べて自分が劣っていることを見せつけられることもあります。結果として、得た利益は消えていますし、自分は素晴らしいと思うのと同じくらい自分はみすぼらしいと思わされます。つまらない生活です。え? つまらない? 実はそれが素晴らしいのです。バランスが取れていて周囲の人と共存しているのですから。

悪質なナルシスズムにおいては、自分は利益を得るのに他人には利益を渡さないことに見事成功し、自己陶酔どころか他者からの尊敬さらには崇拝を得て他者には侮辱のみを返すことに見事成功し、ひたすら自分だけが良質なものを得ていきます。夢が叶った生活です。え? 夢が叶った? 周りの人のことを考えていませんし、自分の精神、ひいては魂が醜く崩れていきますよ。

悪質なナルシスズムは肥満と同じ構造を持っていると私は見ています。誰もが持っているはずの利己心や自己陶酔が病的に過多であり、利益の損失や劣等感の受け入れが常軌を逸して過小であり、社会的に良質とされるものをひたすら自分だけがため込んでいる状態。それが悪質なナルシシズムです。それはカロリー摂取が過多で脂肪を蓄積させてしまった肥満と同じ構造と問題を抱えています。

食べるだけ食べてスリムでいられたら素晴らしいですが現実にそんなことはまず起きません。ですから食事はある程度我慢する必要がありますし運動する必要があります。精神も同じです。自分は素晴らしいと思いたいですし他人は馬鹿にしたいですが、すると周囲との関係が悪くなるだけでなく自らの精神が醜く崩れていきます。ですから他人が利益を得ることも自分が劣等感を感じることもある程度受け入れなければなりません。そうして普通の人間になることが飛び抜けた成功はなくとも健康な人間になることの肝なのです。

ちょっと辛い結論ですけど、人間は生きていて楽ばかりではありません。楽ばかりではないと適度に受け入れること。そこが肥満やナルシシズムを回避するための要点であると私は考えています。存在することが悪ではないものも、バランス・釣り合いを失えば悪となり得るのです。
コメント
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