ずっと気にしていることがあります。
問題「考えたことある? 動物が何もいない星で木が倒れました。さて、そのとき音はしたでしょうか?」
僕がその問題の答えだと考えていることを以前にも書いたことがありますが、あまりにも下手な書き方でした。書き直さないと頭の片隅に残ったままで気分が悪いので、書き直します。
別の問いを考えてみましょう。
ある男が言います。「宇宙の遠いところ、人間の望遠鏡や電波観測でも分からないところなんだけど、水があって木が生えているけど動物はまだいない星があることが僕には分かるんだ。で、今、その星で木が倒れたんだよ。動物がいないから、音がしたかどうか分からないんだ」
突っ込みどころは前半と後半にあります。まず前半の「星がある」「木がある」と言い切れるかどうかと、後半の「音がしたかどうか分からない」がその男には分からないか。
ここで前半の問題に注目します。誰も見ていないとすると、星の存在も木の存在も確認できません。在るのか無いのか分からないものを在ると言い切っても、信じてもらえません。その問題を解決できないままでは、後半の問題は放っておいていいでしょう。
最初の問題「動物が何もいない星で…」では、星はあるものとして考えることにしています。なぜ星はあると言い切れるのか、それは頭の中の想像だからです。
頭の中で想像することは構いません。思考実験ではよくあることです。ただ、頭の中で想像したことなら、木が倒れたときに音がしたともしなかったとも決めることもできます。
それを最初の質問では、星に動物がいなくて見るものが存在しないから音がしたかしなかったか分からないと言います。
「星に木があって、木が倒れた」というところまで決めて、「音がしたか」だけ決めていません。思考実験の中での仮定の決め方のずれがパラドックスのように見えるんです。
頭の中で考えるとき「~として」と決めることは構いません。ただ、どこまでが頭で決めたことで、どうやったら現実にそういうことが起きたと確かめられるか、頭に留めておくといいです。