行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

コメントへの回答

2016-06-20 07:03:40 | 日記
前回、「信仰」を語る社会と回避する社会について書いた文章について、「孫景文」氏から以下のコメントが届いた。

神と精霊の思想を失くすには数字的打算とその評価を普遍化します。
深層の情緒性が衰えると 、思索は欲望の本性に覆われ、個別の実利に向かいます。
道教神仙の利福や長寿もその姿でしょう。
孔子や釈迦、国のスローガンも、「あれはハナシ」と考える鷹揚さがあります。
まさに、天下思想です。
諦観と生きること、まさにたどり着いた独得の智慧ということでしょう。

名前と文章から推測するに筆者は中国人かと思われる。難解な部分もあるので、以下、私が独自の意訳をしたうえで回答してみたい。

「神と精霊の思想」とは、信仰の根源にある原初的な人間の心を指していると思われる。自然、不可知なものへの畏怖があるから、人は自分たちの力を超えた正義、真理の存在を信じようとする。人間は本来、理性では説明のできない「深層の情緒性」を持っているものである。もしそれが悪霊によって利用されれば、人は不幸に陥ることになるので、「神と精霊」は「深層の情緒性」を正しく導く善でなくてはならない。こうして広く受け入れられる普遍的な信仰の生まれる余地が生じる。

だが、その信仰がなくなると、純粋な情緒は消え失せ、畏怖によって押さえつけられていた欲望がむき出しになる。不可知を前提とする思考は容易に踏みにじられ、そのあとに生まれるのは実利偏重の社会である。数字によって計量可能な尺度が普遍化し、社会の多様性を奪っていく。本来、無為自然を説き、単一な価値観から解放されんとする精神の営みである道教も、個人の利得や長寿といった世俗願望を満たす道具となってしまう。

儒教や仏教、政治スローガンは主として為政者のための信仰であり、また、王権が民の信託を受けているという虚構を支える物語、つまり「あれはハナシ」というべきレベルのものである。その根底にあるのは、天下は万人のものであるという天下為公の思想であり、王権は天から命を受け、天に見放されれば滅びるという易姓革命を正当化する根拠となる。

個人では如何ともしがたい天意を上に頂き、民は運命を受け入れ、生活を楽しむ術を身につけてきた。これがまさに中国人が長い歴史の中から勝ち得た生活の知恵、人生の知恵である。

以上が大意ではないか。日本人を含め多くの外国人が「中国は儒教の国」と認識しているが、上記コメントが「庶民レベルの信仰は道教である」としているのは中国理解を助ける指摘である。戦前から中国に住んだジャーナリスト、橘樸(たちばな・しらき)も同じ主張をした。中国で文字を残した読書階級は儒教信仰者たちが主流を占めたので、庶民の歴史が抜け落ちた史料だけを見ていると、中国全体への理解を誤ることになる。小説『水滸伝』で描かれている庶民の世界には、文よりも武、儒教よりも道教や仏教の色彩が濃い。

拝金主義を招いている根源に神や情緒の不在があるとの指摘は、無神論に立つ共産主義に対し鋭角な問題提起をしていると読み取ることができる。そしてそれはまた、物質主義、機械万能に傾く現代社会への警鐘でもある。「深層の情緒性」は、インターネットを席巻する軽薄な「情緒の表層化」と対比させられるべきものである。

時空を超えた普遍的な指摘であると敬服し、感謝したいと思うが、果たして正しい読み方かどうかはコメント氏に判断を仰ぐしかない。

「信仰」を語る社会と回避する社会

2016-06-18 22:33:49 | 日記
国際善隣協会での講演で伝えたもう一つのテーマが中国で社会問題となっている「信仰の不在」だった。日本での「信仰」は主として宗教を意味するが、中国では宗教のほか、イデオロギーを含む幅広い概念で、精神的な支えと言うべき内容を意味する。儒教・道教・仏教の伝統を持つが、文化大革命期の宗教破壊。その反省に立つ改革開放後は、道徳の荒廃の上に築かれた拝金主義、社会主義イデオロギーの敗北などが重なり信仰の荒廃、信仰の不在とも言うべき事態を迎えている。

共産党は「社会主義核心価値観」なるものを掲げ信仰の中心に据えようとしている。町中のいたるところにポスターや横断幕を置いているが、いつものように庶民は全く関心がない。



共産党はマルクス主義宗教観によって無神論の立場に立つが、党員も人の子である以上、宗教にすがりたくなる。そうした信仰の危機を受け、2011年12月には党中央委員会機関誌『求是』が「共産党員が宗教を信仰してならないのは、党の一貫した基本原則」との論文を掲載した。2012年の党創設91周年記念フィルムのタイトルは『信仰』だった。習近平は信仰の不在への危機感がことに強く、信仰は「主電源」「精神のカルシウム」であると熱弁をふるっている。

今の日本では「信仰」を公然と語ることが幅ったいように見えるが、以前はどうでなかった。岩波書店から出た『日中の120年文芸・評論作品選』第1巻を読んでいたら、日本人が当たり前のように「信仰」を語っているのに気付いた。



勝海舟『氷川清話』は、日清戦争の講和問題に触れる中でこう書いてある。

「支那人頑愚なりといえども、公明なる道理と東洋の将来とを説くに誠意と信仰とをもってせば、あに一旦貫通して覚らざるところなしとせんや」

話し合いによって早急に戦争を幕引きし、中国との関係改善を求めたのだが、信仰によって話し合いをすべきと言っている。信念、主義、理想といった大局的な立場を指しているのだろう。

また、泉鏡花の『海城発電』には、愛国よりも赤十字社の博愛を信ずる看護員を軍人が責め立てる場面で、あくまでも節を曲げない看護員について、「其信仰や極めて確乎たるものにてありしなり」と評している。

北一輝の『支那革命外史』はより鮮明だ。孫文率いる辛亥革命によって清朝が滅び、共和政府が生まれたのは、文弱な官僚のよりどころであった儒教の終焉であって、軍国主義によって列強に対する「国民的信念」を生んだという。儒教の教義それ自身が「已に国民的信念より消滅」したことを示すのだと断言したうえで、こう語る。

「東洋的共和政は仏人(フランス人)が為せし如く黄人自らの有する政体と信仰の回顧より始めざるべからず。同一なる革命前に至るまでの暗黒時代に於て日本が武士制度を採りて今日興隆の因を播き、支那が文士制度に誤られて今尚衰弱の果を拾いつつある根本を洞察せよ。実に非戦無抵抗の政談と慈悲折伏(しゃくぶく)の大乗仏との心的傾向に淵源す」

中国に「信仰の回顧」を説く北一輝は、力が支配する国際社会の中にあって、口だけの平和主義は通用せず、愛国心に支えられた軍備が必要だと説く。信仰は、中国人に巣くった思想とでも言えよう。

ではどうして現代の日本は信仰を語らなくなったのか。平和になったからなのか。信仰の不在を通り越し、存在自体を問わなくなったからなのか。人間が精神を持った存在である以上、そのこと自体、不自然なことではないのか。日中の認識ギャップにも、「信仰」への理解が横たわっているような気がする。

習近平と毛沢東は似て非なるものである

2016-06-18 11:57:23 | 日記
上海ディズニーランド開園日の一昨日、都内の国際善隣協会のアジア研究懇話会で講演をしてきた。昨年に続き2回目。年配の参加者が多いが、相変わらず理解が深く、関心も高い。タイトルは「”習近平現象”を読み解く」だった。習近平政権が誕生してわずか3年半余りだが、トラ退治と評される腐敗摘発キャンペーンを始め、過去にない集権的な政治手法で注目を集めている。イデオロギー統制への批判は強いが、中国国内の大衆人気は高まっている。彼の登場による派生した様々な出来事を”習近平現象”と呼び、その時代背景を探ろうというのが趣旨だった。

その中で強調した点の一つが、毛沢東との対比である。



習近平に対する批判の一つに、「独裁体制の毛沢東時代に逆行し、個人崇拝を推進している」という指摘がある。毛沢東語録の頻繁な引用、急速に進む集権化、弁護士や記者の拘束などに象徴される言論・イデオロギー統制を見る限り、ミニ毛沢東のように見えることは間違いない。

共産党による建国を率いた革命世代の子女を「紅二代」と呼ぶ。血統を重んじる中国社会においては最上級の敬意を払われる人々である。思想信条や利害関係においては多種多様で、特定の政治派閥や利益集団を形成しているわけではないが、党の「偉大な指導者」としての毛沢東を支持する点では一致している。つまりそこがよりどころとなっている。毛沢東が率いて作った党、国家を滅ぼすわけにはいかないとの責任感、使命感をDNAの中に持っている。

紅二代の「紅」=毛沢東ばかりが強調されているが、後半の「二代」に注目しなければならないというのが私の視点である。

毛沢東は半世紀をかけ、政治的な敵対勢力を粛清し、打倒し、排斥し、全国民に災難を招いた大躍進や文化大革命を発動して個人崇拝を極限まで高めた。二代目はまだ3年半余りしかたっていない。歴代政権との対比において政治手法が際立つが、それはこれまで放置されていた懸案を断行していることを示すに過ぎない。毛沢東は伝統文化さえも攻撃し、独自の思想を打ち立てようとしたが、習近平は過去の歴史を総括した「中国の夢」をスローガンに掲げ、さかんに『論語』を引用する。引用をするだけで、そこから独自の思想を語るまでには至っていない。さかんに「自信」を語るのは、政権を三代目にバトンタッチできるか、不安、危機感を抱えているからだ。創造者ではなく継承者である。

日本を訪れる民主派知識人は決まってこんな愚痴を漏らして帰る。

「思想教育の会議ばかりで、文化大革命が再来したみたいだ。江沢民や胡錦濤時代の方が緩かった」

だが私は彼らに問い返す。「胡錦濤時代、権力基盤が弱く、経済格差や腐敗を放置した政権に対し、あなたは痛烈に批判していたのではないか」と。常務委員や軍制服組のトップ経験者を相次ぎ摘発し、返り血を浴びかねない激烈な政治闘争のさなかである。政権を支える軍と言論の両輪は厳しくコントロールする。「腐敗を放置すれば党も国も滅ぶ」との危機感に裏打ちされている。中国政治の歴史は緩急の繰り返しである。厳しくし、しばらくして緩め、さらに厳しくする。波の一部分だけを見ていると潮流を見失う。

日本のメディアだけに触れていると、中国社会が暗黒に向かっている印象を受ける。だが現地の庶民感覚からすると必ずしもそうではない。

上海のディズニーランドを見れば、庶民が過去にない娯楽を楽しんでいるかがわかる。人民日報は1面でカラー写真を掲載したが、園内には習近平も毛沢東も入り込む余地は全くない。







ネットでは日本のアニメキャラクタ-に数多くの若者が群がっている。映画館はハリウッド作品と国内作品がしのぎを削って空前の活況を呈し、ネットで海賊版が出回るコピー天国をよそに、2015年の興行収入は前年比5割増の440億元(約7兆5000億円)に達した。

国境を行き来する人の流れを見ても、年間1億3000万人の外国人観光客が訪れ、1億2000万人の中国人が海外旅行をしている。米ハーバード大学には中国人が国別最多の1000人近くに達し、多数の党幹部が毎年、同大ケネディスクールで研修を受ける。過去にない開放時代を迎えているのだ。春節の大みそかに放映された中国中央テレビ(CCTV)の人気歌番組「春節聯歓晩会」は、日本の紅白歌合戦に相当する娯楽番組だが、今年は軍事パレードの再現など政治色が強く不評だった。案の定、携帯電話のチャットは時代錯誤を冷やかす声であふれた。

毛沢東時代の閉鎖社会を思い起こせば、単純な比較に意味のないことは一目瞭然だ。また、一党独裁下で反体制派が弾圧され、社会の不満がマグマのようにたまって民主革命が起きる――こうしたステレオタイプの解説も実態からかけ離れた机上の論に過ぎない。民主化運動を率いる組織も大衆的基盤も今の中国には存在しない。善悪の尺度で対象を見ては誤る。

時代背景を無視し、「紅」の部分だけを見て習近平を毛沢東と同一視するのは、表面しか見ない安易な分析である。勉強不足で、過去記事にすがり、安全地帯に引きこもるしかない記者たちが容易に犯しやすい誤りである。「習近平への個人崇拝」は収まりのよい話で、目を引く記事にしやすいかも知れないが、ミッキーマウスやハローキティの顔が習近平に変わることはあり得ない。

(以下、上海ディズニーランド開園日。「東方ネット」から)












夜中に届いた労働矯正冤罪者からのメッセージ

2016-06-16 11:54:37 | 日記
深夜、重慶の青年、任建宇から微信(ウィー・チャット)にメッセージが届いた。もう何年ぶりだろう。懐かしくなってしばらく話をした。昨年、司法試験に合格し、弁護士実習の手続きをしているという。ちょうど聶樹斌事件の再審についてブログを書いたばかりで、不思議な因縁を感じた。任建宇もまた冤罪者なのだ。



任建宇の運命を狂わせたのは元重慶市共産党委員会書記の薄煕来だ。司法手続きではなく、事実上、警察主導で処罰できる労働矯正だった。任は重慶文理学院を卒業後、公務員試験に合格し、重慶市彭水県郁山鎮の幹部として計画出産の仕事を受け持っていた。ところが、インターネット上で友人とチャットしている際、薄熙来が進めていた革命歌運動を「大げさで、個人崇拝で、法律軽視だ」などと批判したため、2011年8月、国家政権転覆扇動の容疑で警察に拘束された。国家に不利益な100件以上の書き込みをしたと追及された。

容疑事実が軽微だったため起訴には至らず、その代わり、同年9月23日、重慶市労動矯正管理委員会が労動矯正決定書を発行し、2年間の労働矯正処分となった。同委員会は、民生、司法、労働部門と警察が処分の審査をすることになっているが、実際は政法委と同様、警察が権限を握っている。18平方メートル(約10畳分)の部屋に2段ベッドが置かれ、12人が押し込められた。1日10時間の労働が強制され、クリスマス用ライトなどの製作に従事した。「教育」として、革命の英雄に関する話を2回聞かされたほかは、毎晩7時のニュース番組を見せられた。その後は30分間、紅歌を合唱させられた。国慶節などの祝賀行事で上手に歌った者は収容期間が短縮されるという、荒唐無稽な世界だった。

重慶市の元公安局長王立軍が米総領事館に駆け込んだ事件で薄煕来が解任された後、不当な労働矯正処分に対する批判が強まり、任は2012年11月19日、処分が取り消され、1年3か月ぶりに釈放された。冤罪が晴れたのである。彼の代理人となったのが正義感の強い浦志強弁護士だ。浦志強は労働矯正批判の先頭に立ち、翌年の2013年12月、50年以上続いた同制度は廃止される。だが浦志強がその後、インターネットの書き込みで「民族の恨みを扇動した罪」に問われたのは残念だ。


(中央が任建宇、右が浦志強)

重慶の喫茶店で任を取材したのは2013年3月4日だった。浦志強への感謝を何度も口にしていた。浦志強も学生時代、天安門事件でハンガーストライキに参加し、人権問題への関心から法曹界に進んだ経歴を持つ。任は外国メディアの取材を受けるべきか迷ったが、「あなたにはたくさんの選択がある。ただ、時代には一つの選択しかない」とネットに残された伝言に心を打たれ、法治のため声を上げようと決意したという。



任は「自由を与えよ さもなければ死を」とプリントしたTシャツまでが証拠品として押収された。恋人とペアで作ったものだ。米独立戦争を指導したパトリック・ヘンリーが1775年、イギリスへの抵抗を訴える演説の中で述べたもので、彼がネットで見つけ、気に入った言葉だった。また、広東の『南方週末』が1999年に掲載した新年社説が好きで、労働矯正所にいる際にはわざわざ恋人に紙面を送ってくれと頼んだ。「必ずある力が我々に涙をあふれさせる」のタイトルで、困難な立場に置かれている人々に真実と正義の力を伝え、励ます内容だった。任は特に、「太陽があなたの顔を照らし、我々の心の中にはぬくもりがある」と書いた一節が好きだと話した。

取材が終わった後、もうすぐ結婚するというので、ワインを買ってお祝いに贈った。

先月、男児が生まれ、「千尋」と名付けた。南宋の詩人、辛棄疾の詩「衆里尋他千百度」(雑踏の中で、思う人を百回も千回も捜す)からとったと教えてくれた。中国の検索エンジン・百度(Baidu)の出典でもある。真理と正義を探究し続ける彼の思いをわが子に託したのだろうか。チャットをしながら浦志強の軌跡をたどっているかのような任を見て、彼に激励の言葉を贈った。中国の弁護士にとっては多難なご時世なのだ。返ってきたのは次の言葉だった。

「自分は小さな人間だが、複雑な経歴がある。正義感のある弁護士や記者と交わり、彼らに学んでいるところだ」

控え目な短いひと言に、依然変わらぬ純粋さを感じた。
 

20年を要した婦女暴行殺人事件の再審決定に周永康の影

2016-06-15 22:55:20 | 日記
中国の最高人民法院が6日、「証拠が不十分で、別の犯人がいる可能性を排除できない」と婦女暴行殺人事件の再審を決定した。河北省石家荘で1994年に起きた「聶樹斌事件」だ。溶接工の聶樹斌(当時21歳)が逮捕され、スピード判決で死刑が執行された。



ところが2005年、別件で逮捕された河北省の王書金が、地元で犯した婦女暴行殺人4件を自供し、うち1件は聶樹斌が処刑された事件だったことが新聞報道で発覚した。忘れられない事件である。

私は春節直前の2006年1月、河北省鹿泉市下聶村にある聶樹斌の実家を訪れた。豚肉や鶏肉が各戸の軒先につり下げられ、寒村にも年越しを前に華やいだ空気が流れていたが、聶宅だけはひっそりと静まりかえっていた。60歳を過ぎた母親の張煥枝に案内され、近くにある聶樹斌の墓に足を運んだ。あんず畑の脇に土を盛っただけの粗末な墓だった。日陰で死を迎えなければならなかった者はみな、墓石さえ建てられない。

「賠償なんてどうでもいい、真実が知りたいだけなんだ!」「息子は緊張すると言葉が出なくなる。警察はその息子に暴力を加え、自供を迫ったんだ。許せるわけがない」。母は盛り土に泣き崩れ、乾いた土が涙で湿るほどだった。父親の聶学生は、刑務所にいる息子に衣類や食べ物を差し入れに行った際、看守から「もう何も持って来る必要はない。前日に死刑執行された」と告げられた。ショックのあまり服毒自殺を図り、半身に後遺症が残った。私たちが土間で話している声を聞きつけ奥の寝室から杖をついて現れた。必死に声をしぼって話そうとするが、涙があふれ出るばかりだった。

「真犯人」を名乗り出た王書金は、自供した4件の県婦女暴行殺人事件のうち、聶樹斌事件だけは「証拠不十分」とされ、他の3件のみ起訴された。王書金は「自分の死刑が変わらないのはわかっているが、やましい気持ちで死にたくない。無実の人を犯罪者のままにしておきたくない」と訴えたにもかかわらずだ。以後、訴えを続ける母親の姿を時折、メディアで見かけた。北京で再会もした。わが子の無実を信じ、希望を捨てていなかった。

私は2013年4月に出版した拙著『習近平の密約』で同事件を取り上げ、次のように指摘した。

「中国で冤罪を暴くことの難しさは、裁判が法ではなく、党の政法委によって人的に支配されているため、事件の見直しがそのまま当事者の責任に直結する点にある。人間関係によってガチガチに固められた党機構を、法と正義によって解きほぐすことは至難だ。権力の暴走を抑えるシステムは脆弱で、偶然性が支配する人間関係に頼らざるを得ない」

「少なくとも習政権の一期目で、メディアの開放や司法の独立を進めるための方策がとられる見通しはない。大きな変化があるとすれば、権力内部の矛盾が激化し、対立と対決が表面化し、政治闘争の中で権力チェックのダイナミック動きが生まれた時だ」

実は、同事件の再審査に抵抗していたのは河北省で公安を牛耳っていた元同省政法委書記の張越だった。すでに失脚し、服役中の周永康・元党中央政法委書記の腹心であり、張越は周永康の威光を背景に傍若無人な振る舞いをした。その張越が4月、党規律違反で摘発された。周永康グループを排除する権力闘争は続いているのである。その結果としての再審だった。

母親には8日、再審決定の通知が届けられた。





彼女の顔が浮かんだ。涙をいっぱいためて、土を盛った墓に報告したに違いない。いずれ墓石を建てる日が来るに違いない。だが思う。正義が権力の戦いの中で降ってくるしかないのであれば、まだ泣かなければならない人は絶えないだろう。