中国に10年間駐在し、その間、上海から北京へ、北京から上海へと住所が変わった。数々の出会いや別れがあったが、特に送別を受ける際の思い出は忘れがたい。宴会のほか、色紙や写真集などの記念品をもらうこともあった。日本に戻る際は、これまで一緒に働いた現地スタッフ全員に似せた人形を贈られて感激した。
「再見(ザイジェン)!」なんて言わないでほしい--。こう言われたことがある。「明天見(明日、会いましょう)」「下個月見(来月会いましょう」「北京見(北京で会いましょう」など、次の約束を含むあいさつがあるではないか。「再見」ではまるで今生の別れのような気がするというのだ。たしかに日本語でも「さようなら」には、最後のお別れといったニュアンスが含まれる。
左様なら……そうならば……さらば。時間を区切り、新たな行動に移る意思が表明される。それは相手が別の人生を歩むことを意味する。時間の切断が関係の終結をも連想させるのは、「再見」にも共通しているのかも知れない。
ネット世代は「拝(bye))!」や「拝拝(bye-bye)!」が一般的だ。これは日本語の「バイバイ」と同様、いかにも軽快な感じがして、「今生の別れ」などと大げさに構える必要はなくなる。「Good-bye」はもともと「God(神)」と「by(そば)」に分解され、もとは「God be with ye(you)」、つまり「神とともにありますように」「神のご加護がありますように」の意味だった。だがクリスマスが商業イベントになったように、信仰から引き離され、おしゃれな言い方として独り歩きしている。重い感情を排除し、あっさりした人間関係を保つには好都合な外来語であることは間違いない。
交通や通信手段の発達が時間と空間を短縮したおかげで、人の出会いや別れに関する感情も希薄になった。いつでも会えるし、いつでも逃げられる。人間関係もペーストと削除で自由自在にコントロールできる、かのように見える。
古人は別離の情を詩に託した。李白は武漢で孟浩然を送った。
故人 西のかた黄鶴楼を辞し、
烟花 三月 揚州に下る。
孤帆の遠影 碧空(へきくう)に尽き、
唯見る 長江の天際に流るを。
水平線の彼方まで、見えるはずのない友の姿を追い続ける気持ちは、片言隻句では言い尽くすことができない。李白は詩を語り合った杜甫を送るに、「しばらくは手中の盃を尽くさん」と言葉を吐いた。『水滸伝』には仲間を送る際、名残惜しんで何日も道中を共にし、幾晩も飲み明かすエピソードがあふれている。どのような階層の人々にとっても、明日の約束ができない別れは重かった。
動物にも言葉や動作によるあいさつが交わされるが、別れのあいさつをするのは人間だけの現象である。鈴木孝夫『教養としての言語学』には、「私たちが別れの際にもあいさつをする理由は、再び会う時まで、今別れる時と同じ親愛の気持、同一の帰属感を相手が抱き続けることを、あらかじめ確認しておきたいのである」と教える。
訃報に接し、生前に面識があるかどうかにかかわらず、思いを書き記さずにはおられない感情に襲われることがある。同じ時間を生き、同じ社会に向き合い、同じ苦悩を共有した共感が、私の精神を突き動かすのである。その肉体と会う機会は奪われているが、その精神に対して呼びかけないわけにはいかない衝動なのだ。精神が不滅であることを信じ、それを伝えたいという願いなのか。
20年近く前だろうか。取材で知り合ったゼネコン会社の役員から突然、電話をもらった。何年も会っていなかったが、相手は電話口で「元気そうでなにより。ちょっと声が聞きたくなってね」と話した。忙しさにかまけて、落ち着いて近況を話し、尋ねることもしなかった。そしてその年の末、家族から喪中の葉書が届き、あの時の電話を思い出した。病床からの別れのあいさつだったのだ。取り返しのつかない自責の念が突き上げてきた。
今でも思い出しては後悔する。あの時、私は何と言って電話を切ったのか。「ではまた」「今度、また飲みましょう」……思い出せない。相手はもしかすると「さようなら」と言ったかも知れない。私にはその言葉を感じ取る敏感さがなかった。
「再見(ザイジェン)!」なんて言わないでほしい--。こう言われたことがある。「明天見(明日、会いましょう)」「下個月見(来月会いましょう」「北京見(北京で会いましょう」など、次の約束を含むあいさつがあるではないか。「再見」ではまるで今生の別れのような気がするというのだ。たしかに日本語でも「さようなら」には、最後のお別れといったニュアンスが含まれる。
左様なら……そうならば……さらば。時間を区切り、新たな行動に移る意思が表明される。それは相手が別の人生を歩むことを意味する。時間の切断が関係の終結をも連想させるのは、「再見」にも共通しているのかも知れない。
ネット世代は「拝(bye))!」や「拝拝(bye-bye)!」が一般的だ。これは日本語の「バイバイ」と同様、いかにも軽快な感じがして、「今生の別れ」などと大げさに構える必要はなくなる。「Good-bye」はもともと「God(神)」と「by(そば)」に分解され、もとは「God be with ye(you)」、つまり「神とともにありますように」「神のご加護がありますように」の意味だった。だがクリスマスが商業イベントになったように、信仰から引き離され、おしゃれな言い方として独り歩きしている。重い感情を排除し、あっさりした人間関係を保つには好都合な外来語であることは間違いない。
交通や通信手段の発達が時間と空間を短縮したおかげで、人の出会いや別れに関する感情も希薄になった。いつでも会えるし、いつでも逃げられる。人間関係もペーストと削除で自由自在にコントロールできる、かのように見える。
古人は別離の情を詩に託した。李白は武漢で孟浩然を送った。
故人 西のかた黄鶴楼を辞し、
烟花 三月 揚州に下る。
孤帆の遠影 碧空(へきくう)に尽き、
唯見る 長江の天際に流るを。
水平線の彼方まで、見えるはずのない友の姿を追い続ける気持ちは、片言隻句では言い尽くすことができない。李白は詩を語り合った杜甫を送るに、「しばらくは手中の盃を尽くさん」と言葉を吐いた。『水滸伝』には仲間を送る際、名残惜しんで何日も道中を共にし、幾晩も飲み明かすエピソードがあふれている。どのような階層の人々にとっても、明日の約束ができない別れは重かった。
動物にも言葉や動作によるあいさつが交わされるが、別れのあいさつをするのは人間だけの現象である。鈴木孝夫『教養としての言語学』には、「私たちが別れの際にもあいさつをする理由は、再び会う時まで、今別れる時と同じ親愛の気持、同一の帰属感を相手が抱き続けることを、あらかじめ確認しておきたいのである」と教える。
訃報に接し、生前に面識があるかどうかにかかわらず、思いを書き記さずにはおられない感情に襲われることがある。同じ時間を生き、同じ社会に向き合い、同じ苦悩を共有した共感が、私の精神を突き動かすのである。その肉体と会う機会は奪われているが、その精神に対して呼びかけないわけにはいかない衝動なのだ。精神が不滅であることを信じ、それを伝えたいという願いなのか。
20年近く前だろうか。取材で知り合ったゼネコン会社の役員から突然、電話をもらった。何年も会っていなかったが、相手は電話口で「元気そうでなにより。ちょっと声が聞きたくなってね」と話した。忙しさにかまけて、落ち着いて近況を話し、尋ねることもしなかった。そしてその年の末、家族から喪中の葉書が届き、あの時の電話を思い出した。病床からの別れのあいさつだったのだ。取り返しのつかない自責の念が突き上げてきた。
今でも思い出しては後悔する。あの時、私は何と言って電話を切ったのか。「ではまた」「今度、また飲みましょう」……思い出せない。相手はもしかすると「さようなら」と言ったかも知れない。私にはその言葉を感じ取る敏感さがなかった。