行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

習近平と毛沢東は似て非なるものである

2016-06-18 11:57:23 | 日記
上海ディズニーランド開園日の一昨日、都内の国際善隣協会のアジア研究懇話会で講演をしてきた。昨年に続き2回目。年配の参加者が多いが、相変わらず理解が深く、関心も高い。タイトルは「”習近平現象”を読み解く」だった。習近平政権が誕生してわずか3年半余りだが、トラ退治と評される腐敗摘発キャンペーンを始め、過去にない集権的な政治手法で注目を集めている。イデオロギー統制への批判は強いが、中国国内の大衆人気は高まっている。彼の登場による派生した様々な出来事を”習近平現象”と呼び、その時代背景を探ろうというのが趣旨だった。

その中で強調した点の一つが、毛沢東との対比である。



習近平に対する批判の一つに、「独裁体制の毛沢東時代に逆行し、個人崇拝を推進している」という指摘がある。毛沢東語録の頻繁な引用、急速に進む集権化、弁護士や記者の拘束などに象徴される言論・イデオロギー統制を見る限り、ミニ毛沢東のように見えることは間違いない。

共産党による建国を率いた革命世代の子女を「紅二代」と呼ぶ。血統を重んじる中国社会においては最上級の敬意を払われる人々である。思想信条や利害関係においては多種多様で、特定の政治派閥や利益集団を形成しているわけではないが、党の「偉大な指導者」としての毛沢東を支持する点では一致している。つまりそこがよりどころとなっている。毛沢東が率いて作った党、国家を滅ぼすわけにはいかないとの責任感、使命感をDNAの中に持っている。

紅二代の「紅」=毛沢東ばかりが強調されているが、後半の「二代」に注目しなければならないというのが私の視点である。

毛沢東は半世紀をかけ、政治的な敵対勢力を粛清し、打倒し、排斥し、全国民に災難を招いた大躍進や文化大革命を発動して個人崇拝を極限まで高めた。二代目はまだ3年半余りしかたっていない。歴代政権との対比において政治手法が際立つが、それはこれまで放置されていた懸案を断行していることを示すに過ぎない。毛沢東は伝統文化さえも攻撃し、独自の思想を打ち立てようとしたが、習近平は過去の歴史を総括した「中国の夢」をスローガンに掲げ、さかんに『論語』を引用する。引用をするだけで、そこから独自の思想を語るまでには至っていない。さかんに「自信」を語るのは、政権を三代目にバトンタッチできるか、不安、危機感を抱えているからだ。創造者ではなく継承者である。

日本を訪れる民主派知識人は決まってこんな愚痴を漏らして帰る。

「思想教育の会議ばかりで、文化大革命が再来したみたいだ。江沢民や胡錦濤時代の方が緩かった」

だが私は彼らに問い返す。「胡錦濤時代、権力基盤が弱く、経済格差や腐敗を放置した政権に対し、あなたは痛烈に批判していたのではないか」と。常務委員や軍制服組のトップ経験者を相次ぎ摘発し、返り血を浴びかねない激烈な政治闘争のさなかである。政権を支える軍と言論の両輪は厳しくコントロールする。「腐敗を放置すれば党も国も滅ぶ」との危機感に裏打ちされている。中国政治の歴史は緩急の繰り返しである。厳しくし、しばらくして緩め、さらに厳しくする。波の一部分だけを見ていると潮流を見失う。

日本のメディアだけに触れていると、中国社会が暗黒に向かっている印象を受ける。だが現地の庶民感覚からすると必ずしもそうではない。

上海のディズニーランドを見れば、庶民が過去にない娯楽を楽しんでいるかがわかる。人民日報は1面でカラー写真を掲載したが、園内には習近平も毛沢東も入り込む余地は全くない。







ネットでは日本のアニメキャラクタ-に数多くの若者が群がっている。映画館はハリウッド作品と国内作品がしのぎを削って空前の活況を呈し、ネットで海賊版が出回るコピー天国をよそに、2015年の興行収入は前年比5割増の440億元(約7兆5000億円)に達した。

国境を行き来する人の流れを見ても、年間1億3000万人の外国人観光客が訪れ、1億2000万人の中国人が海外旅行をしている。米ハーバード大学には中国人が国別最多の1000人近くに達し、多数の党幹部が毎年、同大ケネディスクールで研修を受ける。過去にない開放時代を迎えているのだ。春節の大みそかに放映された中国中央テレビ(CCTV)の人気歌番組「春節聯歓晩会」は、日本の紅白歌合戦に相当する娯楽番組だが、今年は軍事パレードの再現など政治色が強く不評だった。案の定、携帯電話のチャットは時代錯誤を冷やかす声であふれた。

毛沢東時代の閉鎖社会を思い起こせば、単純な比較に意味のないことは一目瞭然だ。また、一党独裁下で反体制派が弾圧され、社会の不満がマグマのようにたまって民主革命が起きる――こうしたステレオタイプの解説も実態からかけ離れた机上の論に過ぎない。民主化運動を率いる組織も大衆的基盤も今の中国には存在しない。善悪の尺度で対象を見ては誤る。

時代背景を無視し、「紅」の部分だけを見て習近平を毛沢東と同一視するのは、表面しか見ない安易な分析である。勉強不足で、過去記事にすがり、安全地帯に引きこもるしかない記者たちが容易に犯しやすい誤りである。「習近平への個人崇拝」は収まりのよい話で、目を引く記事にしやすいかも知れないが、ミッキーマウスやハローキティの顔が習近平に変わることはあり得ない。

(以下、上海ディズニーランド開園日。「東方ネット」から)












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