行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

20年を要した婦女暴行殺人事件の再審決定に周永康の影

2016-06-15 22:55:20 | 日記
中国の最高人民法院が6日、「証拠が不十分で、別の犯人がいる可能性を排除できない」と婦女暴行殺人事件の再審を決定した。河北省石家荘で1994年に起きた「聶樹斌事件」だ。溶接工の聶樹斌(当時21歳)が逮捕され、スピード判決で死刑が執行された。



ところが2005年、別件で逮捕された河北省の王書金が、地元で犯した婦女暴行殺人4件を自供し、うち1件は聶樹斌が処刑された事件だったことが新聞報道で発覚した。忘れられない事件である。

私は春節直前の2006年1月、河北省鹿泉市下聶村にある聶樹斌の実家を訪れた。豚肉や鶏肉が各戸の軒先につり下げられ、寒村にも年越しを前に華やいだ空気が流れていたが、聶宅だけはひっそりと静まりかえっていた。60歳を過ぎた母親の張煥枝に案内され、近くにある聶樹斌の墓に足を運んだ。あんず畑の脇に土を盛っただけの粗末な墓だった。日陰で死を迎えなければならなかった者はみな、墓石さえ建てられない。

「賠償なんてどうでもいい、真実が知りたいだけなんだ!」「息子は緊張すると言葉が出なくなる。警察はその息子に暴力を加え、自供を迫ったんだ。許せるわけがない」。母は盛り土に泣き崩れ、乾いた土が涙で湿るほどだった。父親の聶学生は、刑務所にいる息子に衣類や食べ物を差し入れに行った際、看守から「もう何も持って来る必要はない。前日に死刑執行された」と告げられた。ショックのあまり服毒自殺を図り、半身に後遺症が残った。私たちが土間で話している声を聞きつけ奥の寝室から杖をついて現れた。必死に声をしぼって話そうとするが、涙があふれ出るばかりだった。

「真犯人」を名乗り出た王書金は、自供した4件の県婦女暴行殺人事件のうち、聶樹斌事件だけは「証拠不十分」とされ、他の3件のみ起訴された。王書金は「自分の死刑が変わらないのはわかっているが、やましい気持ちで死にたくない。無実の人を犯罪者のままにしておきたくない」と訴えたにもかかわらずだ。以後、訴えを続ける母親の姿を時折、メディアで見かけた。北京で再会もした。わが子の無実を信じ、希望を捨てていなかった。

私は2013年4月に出版した拙著『習近平の密約』で同事件を取り上げ、次のように指摘した。

「中国で冤罪を暴くことの難しさは、裁判が法ではなく、党の政法委によって人的に支配されているため、事件の見直しがそのまま当事者の責任に直結する点にある。人間関係によってガチガチに固められた党機構を、法と正義によって解きほぐすことは至難だ。権力の暴走を抑えるシステムは脆弱で、偶然性が支配する人間関係に頼らざるを得ない」

「少なくとも習政権の一期目で、メディアの開放や司法の独立を進めるための方策がとられる見通しはない。大きな変化があるとすれば、権力内部の矛盾が激化し、対立と対決が表面化し、政治闘争の中で権力チェックのダイナミック動きが生まれた時だ」

実は、同事件の再審査に抵抗していたのは河北省で公安を牛耳っていた元同省政法委書記の張越だった。すでに失脚し、服役中の周永康・元党中央政法委書記の腹心であり、張越は周永康の威光を背景に傍若無人な振る舞いをした。その張越が4月、党規律違反で摘発された。周永康グループを排除する権力闘争は続いているのである。その結果としての再審だった。

母親には8日、再審決定の通知が届けられた。





彼女の顔が浮かんだ。涙をいっぱいためて、土を盛った墓に報告したに違いない。いずれ墓石を建てる日が来るに違いない。だが思う。正義が権力の戦いの中で降ってくるしかないのであれば、まだ泣かなければならない人は絶えないだろう。