行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

【日中独創メディア・日中関係】リベラル知日派からの危険な信号発信

2015-12-12 11:53:03 | 日記
愛読している民主派歴史月刊誌『炎黄春秋』12月号に掲載された何方・元中国社会科学院日本研究所所長の寄稿「私がみる日本と日中関係」を読んで、びっくりした。中国政府は日本の侵略戦争に対し、「悪いのは軍国主義者で一般国民は犠牲者だ」と軍民二分論の考えに立ち、対日国交正常化以降の友好政策をとってきた。何方氏はその前提を覆し、日本人には「侵略政争に対し、全国民が罪を認める態度がずっと欠けている」と厳しい言葉を浴びせた。これは日中双方が深刻に受け止めなければならない事態だ。

何方氏は、毛沢東を批判した共産党幹部、張聞天(1900~76)の元秘書。「抗日救国が啓蒙思想の主要なテーマであった」時代に育ち、民主と自由を求めて共産党の拠点であった延安に向かった青年の一人だった。だが、その後、党の専制に対しては批判的な見解を表明している。『炎黄春秋』編集委員会メンバーの一人で、リベラルな立場で知られる。

日中関係についても1997年5月11日の『環球時報』に「我々は日本と友好にやっていけるか」との論文を発表し、日本の軍国主義化に警鐘を鳴らすそれまでの日本論を否定し話題を呼んだ。同論文は、日本との良好な関係が中国の発展や対米関係にとって不可欠であり、日本人の多くが対中侵略戦争を認め、戦後にピリオドを打とうと望んでいることを力説した。歴史の怨恨は両国にとってマイナスであることを訴えたものだ。当時中国では「日本の右傾化」が話題に上り、中国の指導者や世論が歴史問題を強調して、「友好」が遠ざかり始めたことへの危機感があった。

最新号の『炎黄春秋』に載せられた寄稿は、従来と同じく、「80年代、日本の資金や技術、経験が中国の近代化に大きな役割を果たした」と認め、中国の経済力が日本を抜いた今も、近代化の水準では大きな差があり、経済の関係は不可分であることを強調している。また、戦後、市場経済化と民主化を進めてきた日本で軍国主義、ファシズムが復活することはあり得ず、かつてのような世界の大国として返り咲く力もないと断言する。

ここまでは1997年当時の認識と同じである。

だが文章の最後は、「日本への認識を改める必要がある」とガラリと主張が変わる。「我々はこれまで日本の対外侵略を民族の犯罪としてはみなしてこなかった。常に階級概念によって分析し、日本の少数の軍国主義と彼らに従ってきた大衆を区別してきた」が、「これは是非を混同させることだ」という。「中国に来て生産労働やその他の活動に参加した日本人の多数も天皇に忠誠を誓い、進んで〝大東亜聖戦〟に身をささげた。真から戦争に反対したのはごく少数だ」。言わんとするところは、全国民に罪があるという理屈である。民族の栄誉はみなが共有し、不名誉は見て見ぬふりでは筋が通らないとも主張している。その根拠にあるのは、「日本で侵略戦争の歴史をあいまいにして罪の責任を軽減することが、日本の世論の主流になっている」との現状認識だ。

中国のリベラル派は、毛沢東が主導した階級闘争思想による人権蹂躙を批判し、自由や民主といった個人の価値観を重視する考え方に立つ。その結果、階級概念によって立つ対日二分論を否定し、戦後70年を経て「民族犯罪」を持ち出すようなことがあれば、日中関係は手に負えない状況が生まれる。リベラル派は国際関係をイデオロギー抜きでプラグマティックにとらえ、過剰な「反日」感情を生む民族主義とは距離を置いてきたが、「民族犯罪」の概念は容易に民族主義を助長する危険がある。

何方氏は「日中間の相互の感情が悪化し、憎悪や敵視を生むようになればなるほど、一部の罪を認めない日本人がさらに頑なになり、歴史問題は解決がますます困難になる」と警告する。リベラルな日本研究者でさえ、こう言わざるを得なくなったことは極めて深刻である。こうした声が世論の主流となれば、これまで築いてきた日中関係の土台が根底から覆されることになる。今になって日本の若者たちに民族犯罪の教育を導入するのも現実的ではない。

戦後70年に公表された安倍首相の談話は「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と述べた。何方氏の言葉は、これに対して発せられたようにも受け取れる。安倍談話は「それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります」と述べている。時代に責任を負わせたくないのであれば、今の時代がその分の責任を負わなくてはならない。国の指導者の態度は極めて重要だが、安倍首相の言動からは「過去の歴史に真正面から向き合う」姿勢が感じられない。

何方論文は、歴史問題について共通認識を得るための相互交流、相互理解を主張している。この点に異論のある人はいないだろう。政治家に振り回されない両国民の賢明さも、相互交流から生まれる。日中間には幅広く、根深い交流の歴史があることを忘れてはならない。それを受け継ぎ、発展させていくことが今を生きる我々の責任であると思う。謝罪は受け取る相手に伝わらなければ意味がない。和解は相互の寛容がなければ成り立たない。間もなく戦後70年は終わるが、歴史を語り継ぐ作業に終わりはない。

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