「愛国と新聞の隣り合わせで――復旦大学ジャーナリズム学院留学 松本祐輝」その3
(復旦大学ジャーナリズム学部)
「愛国」と「新聞」の奇妙な距離感
新聞学院で最も印象的だったこと、それが愛国とジャーナリズムという、一見相反するイデオロギーが近くに、でも少し奇妙な距離感で共存していたことでした。
日本を始めとした西洋諸国では権力の監視役と呼ばれ、権力と距離を取るべきとされていますが、中国の基本理論では「党の喉舌」とも呼ばれる、党を支え、人民へ宣伝するべき立場となっています。その一方で、改革開放以降、政府への批判もいとわないリベラル派のメディアも多く登場し、また最近では事件があるたびに答えを疑問視する投稿が雨後の筍のように、削除されては投稿されていき、多くの人の目に触れています。僕の出会った同級生の多くは、そんなリベラルメディアの在り方に憧れて入学し、それらに関する授業を受ける一方で、それを規制する側の論理からのメディア管理の授業を受けたり、レポートやインターン先での記事執筆でも「書きたいこと」と「書けること」のギャップに葛藤しています。
このようなギャップの一方で、愛国と新聞が混ざり合う、印象的な場面がいくつもありました。
一つは、先ほどから出てくる武警班の存在です。普通の学生と席を並べて学ぶ彼らは、将来武装警察に入ることを条件に学費免除で入って来ている学生であり、他の学生と同じ授業を取りながらも別の寮に暮らし、週末は軍隊のような訓練を受けています。それでも、教室にいる限り普通の学生と彼らの違いは全く分かりません。先ほど紹介した、僕を見るなり東野圭吾について語りだし、いつも世話を焼いてくれ男子生徒が武警班だと僕が知ったのも入学後しばらくたってからでした。
新聞学院にはまた、共産党員を目指す学生たちがいます。共産党員といっても、必ずしも政治に携わるわけではなく、むしろ各職場での「模範職員」としての役割が強く、新聞学院で党員を目指す人たちも必ずしも政治の道に進みたいわけではありません。他に、大学と党をつなぐ共青団の学生組織もありますが、そこも日本でいう生徒会を代替しているところがあり、生徒会的な仕事を体験してみたくて入る人が大多数で、彼らの多くが学業が忙しくなるとやめていきます。
このような、普通の学生と、彼らと違う立場にいる学生たちも生活において分け隔ては全くなく、仲間として共に4年間を過ごしていきます。ジャーナリズムを目指す学生も、武警になる学生も、党員を目指す学生も、それぞれ違う不安や苦労、夢があります。そんな政治的立場が違う人間どうしが、ともに生活を送り、わかり合える環境があるということは、お互いを知らないまま批判し合うことよりもはるかにいいことですし、このような環境で国や愛国について考えなおすことは、単なるスローガンの刷り込みよりも、より意義があることなのではないかと思いました。
将来の悩み、それでも
ジャーナリズムと愛国の間で学び続ける新聞学院の学生たち、そんな彼らですが、将来の夢を聞いたとき、「記者になりたい」と即答する学生はほとんどいません。以前、講演会で新聞学院のOBが壇上から「記者になりたい人はどれくらいいますか?」と挙手を促したところ、誰も手を挙げず、OBが戸惑ってしまう場面もありました。
「入学するときはみんな記者になりたいけど、現実を知ってしまうと、もうなりたいとは思えない」。こう漏らす友人たちも少なくありません。規制の厳しさ、周囲からの批判の目に加え、中国のジャーナリストの給料は決して高くありません。更に、毎日のように、インターネットの発達で追い込まれていく新聞業界のニュースを聞いていれば、焦燥感が出てくることも確かだと思います。
それでも、教授によれば、今でも3割の学生は卒業後メディア業界に進むと言います。同級生の中にも、本気でジャーナリストを目指して積極的に発信したり、メディアのインターンを繰り返す人、テレビの表現の限界を感じ、映画大学に進学するべく勉強を続ける人もいました。
業界の危機だと言われながらも高い給料を維持している日本のメディアに比べ、中国でジャーナリズムの道に進もうと考えることは想像以上に大変なことだと思います。それでも、進もうとしていく友人たちを尊敬しています。
まとめ、日本は何を見るべきなのか
ここまで、実感を書いてきた僕ですが、自分自身、帰国した今も、メディア業界に進むかどうかはまだまだ悩んでいます。異国で同じように悩む同年代の友人ができたことは、大きな励みになりましたし、大きな刺激を得ることもできました。
また、中国の大学に過ごす中で、日本が学ぶべき姿も多く見えてきました。大学ひとつ取ってみても、学内の格安の寮や食堂を全員が利用できる中国の大学の方が、バイトをしなければ大学生活も成り立たない日本よりも学習環境も優れていますし、少し過ぎた学歴重視も、国も企業も大学の学問を軽視する傾向が強い日本を見ると違和感を感じるところです。また、学生や、旅で出会った様々な人たちが、それぞれに問題や不安を抱えてながらも、国が成長していく中で前向きに生きている様子は、社会全体が後ろ向きになりつつある日本も、こうなってほしいと強く感じました。
先ほど、「日本は中国から学ぼうとはしていない」という風に書きましたが、これからは、自分自身が、「中国から何を学べるか」を意識しつつ、得意な分野で発信し続けたいと考えています。
(完)
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日中両国に架けられた橋に芽生えた若い力が、しっかりと根を張って力強く育ち、いずれ美しい花を咲かせますように。そして、大人たちは彼らにどんな力を注ぐことができるのか。ともに手を携え、一歩一歩進むしかない。
(復旦大学ジャーナリズム学部)
「愛国」と「新聞」の奇妙な距離感
新聞学院で最も印象的だったこと、それが愛国とジャーナリズムという、一見相反するイデオロギーが近くに、でも少し奇妙な距離感で共存していたことでした。
日本を始めとした西洋諸国では権力の監視役と呼ばれ、権力と距離を取るべきとされていますが、中国の基本理論では「党の喉舌」とも呼ばれる、党を支え、人民へ宣伝するべき立場となっています。その一方で、改革開放以降、政府への批判もいとわないリベラル派のメディアも多く登場し、また最近では事件があるたびに答えを疑問視する投稿が雨後の筍のように、削除されては投稿されていき、多くの人の目に触れています。僕の出会った同級生の多くは、そんなリベラルメディアの在り方に憧れて入学し、それらに関する授業を受ける一方で、それを規制する側の論理からのメディア管理の授業を受けたり、レポートやインターン先での記事執筆でも「書きたいこと」と「書けること」のギャップに葛藤しています。
このようなギャップの一方で、愛国と新聞が混ざり合う、印象的な場面がいくつもありました。
一つは、先ほどから出てくる武警班の存在です。普通の学生と席を並べて学ぶ彼らは、将来武装警察に入ることを条件に学費免除で入って来ている学生であり、他の学生と同じ授業を取りながらも別の寮に暮らし、週末は軍隊のような訓練を受けています。それでも、教室にいる限り普通の学生と彼らの違いは全く分かりません。先ほど紹介した、僕を見るなり東野圭吾について語りだし、いつも世話を焼いてくれ男子生徒が武警班だと僕が知ったのも入学後しばらくたってからでした。
新聞学院にはまた、共産党員を目指す学生たちがいます。共産党員といっても、必ずしも政治に携わるわけではなく、むしろ各職場での「模範職員」としての役割が強く、新聞学院で党員を目指す人たちも必ずしも政治の道に進みたいわけではありません。他に、大学と党をつなぐ共青団の学生組織もありますが、そこも日本でいう生徒会を代替しているところがあり、生徒会的な仕事を体験してみたくて入る人が大多数で、彼らの多くが学業が忙しくなるとやめていきます。
このような、普通の学生と、彼らと違う立場にいる学生たちも生活において分け隔ては全くなく、仲間として共に4年間を過ごしていきます。ジャーナリズムを目指す学生も、武警になる学生も、党員を目指す学生も、それぞれ違う不安や苦労、夢があります。そんな政治的立場が違う人間どうしが、ともに生活を送り、わかり合える環境があるということは、お互いを知らないまま批判し合うことよりもはるかにいいことですし、このような環境で国や愛国について考えなおすことは、単なるスローガンの刷り込みよりも、より意義があることなのではないかと思いました。
将来の悩み、それでも
ジャーナリズムと愛国の間で学び続ける新聞学院の学生たち、そんな彼らですが、将来の夢を聞いたとき、「記者になりたい」と即答する学生はほとんどいません。以前、講演会で新聞学院のOBが壇上から「記者になりたい人はどれくらいいますか?」と挙手を促したところ、誰も手を挙げず、OBが戸惑ってしまう場面もありました。
「入学するときはみんな記者になりたいけど、現実を知ってしまうと、もうなりたいとは思えない」。こう漏らす友人たちも少なくありません。規制の厳しさ、周囲からの批判の目に加え、中国のジャーナリストの給料は決して高くありません。更に、毎日のように、インターネットの発達で追い込まれていく新聞業界のニュースを聞いていれば、焦燥感が出てくることも確かだと思います。
それでも、教授によれば、今でも3割の学生は卒業後メディア業界に進むと言います。同級生の中にも、本気でジャーナリストを目指して積極的に発信したり、メディアのインターンを繰り返す人、テレビの表現の限界を感じ、映画大学に進学するべく勉強を続ける人もいました。
業界の危機だと言われながらも高い給料を維持している日本のメディアに比べ、中国でジャーナリズムの道に進もうと考えることは想像以上に大変なことだと思います。それでも、進もうとしていく友人たちを尊敬しています。
まとめ、日本は何を見るべきなのか
ここまで、実感を書いてきた僕ですが、自分自身、帰国した今も、メディア業界に進むかどうかはまだまだ悩んでいます。異国で同じように悩む同年代の友人ができたことは、大きな励みになりましたし、大きな刺激を得ることもできました。
また、中国の大学に過ごす中で、日本が学ぶべき姿も多く見えてきました。大学ひとつ取ってみても、学内の格安の寮や食堂を全員が利用できる中国の大学の方が、バイトをしなければ大学生活も成り立たない日本よりも学習環境も優れていますし、少し過ぎた学歴重視も、国も企業も大学の学問を軽視する傾向が強い日本を見ると違和感を感じるところです。また、学生や、旅で出会った様々な人たちが、それぞれに問題や不安を抱えてながらも、国が成長していく中で前向きに生きている様子は、社会全体が後ろ向きになりつつある日本も、こうなってほしいと強く感じました。
先ほど、「日本は中国から学ぼうとはしていない」という風に書きましたが、これからは、自分自身が、「中国から何を学べるか」を意識しつつ、得意な分野で発信し続けたいと考えています。
(完)
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日中両国に架けられた橋に芽生えた若い力が、しっかりと根を張って力強く育ち、いずれ美しい花を咲かせますように。そして、大人たちは彼らにどんな力を注ぐことができるのか。ともに手を携え、一歩一歩進むしかない。