6月21日、上野動物園で生まれたジャイアントパンダの赤ちゃんに「シャンシャン」(香香)の名がつけられた。「呼びやすく、漢字の香は花開く明るいイメージ」だというのが理由だそうだ。響きもよく、日本語、中国語とも漢字の意味もふさわしいと感じた。
中国の学生にこの命名の印象を聞こうと思っていたところ、ふと、あることに気が付いた。
報道によると、名前の選考は、日本パンダ保護協会名誉会長の黒柳徹子さんや音楽評論家の湯川れい子さんら6人による選考委員会で検討され、応募総数32万2,581件の中から選ばれたという。応募総数では、シャンシャンが5,161件、レンレンが4,454件、ヨウヨウが2,886件、マオマオが1,709件と続いている。
だが、私の調べ方が悪いのか、主な報道をみても、どうして「シャンシャン」が「香香」なのか説明がない。普通の日本人が「香香」という漢字だけを見せられれば、「コウコウ」としか読めない。中国語で同じ「シャンシャン(xiangxiang)」の音では、「郷郷」「翔翔」「享享」「相相」などの漢字もある。「シャンシャン」が決まってから、「香香」の漢字が当てられたのか。応募時点で「シャンシャン=香香」だったのであれば、応募者は日本通の中国人か、中国語を学んだことのある日本人ということになる。その数が5000件を超えているのだから、かなり数である。真相はどうなのか。
どうにも説明ができないので、学生に感想を聞くのは躊躇した。せっかくのいい命名なのだから、ぜひ、この疑問を解消したいがどうすればよいか。
かなりうがった見方かもしれないが、この問題には、日中間の文化に関する慣れが潜んでいると感じられる。同じ漢字を使っていることへの甘えがある。古代中国の音にならった日本の漢字音読みも、現代の中国では大きくかけ離れているものが多い。意味がかなりずれてきているものもある。もともと熱い水の意味だった「湯」も、日本では主として風呂になり、中国ではスープになった。
どちらが本物か、本家かは意味のない議論だ。それぞれに背負ってきた文化がある。ただ、似て非なるものだということへの不関心、似ているように見えることへの過剰反応が、深い誤解につながり、不用意な偏見を育てることがある。何の疑問も感じないまま、「シャンシャン=香香」だと発表する記者会見を聞いて記事を書くメディアと、同じように何の疑問も持たずにそれを受け流している大衆がいるのだとしたら、相当、目が曇っているのではないか。少なくとも、「シャンシャン=香香」とすることに違和感のないほど、両国の文化交流が進んでいるとの楽観論には立てないからだ。
こうした認識に立てば、不十分な選考過程の説明によって、我々は、日中双方が音から意味まで、共通のイメージを抱くことのできる「香香(シャンシャン)」の尊さをより深く実感する機会を逃していることになる。同じ漢字を使うことに慣れ、甘えているが、共有している文化の尊さを十分にはわかっていない。私は実にいい命名だと思うのだが、その意義を、説得力をもって伝えられないのがもどかしい。
中国の学生にこの命名の印象を聞こうと思っていたところ、ふと、あることに気が付いた。
報道によると、名前の選考は、日本パンダ保護協会名誉会長の黒柳徹子さんや音楽評論家の湯川れい子さんら6人による選考委員会で検討され、応募総数32万2,581件の中から選ばれたという。応募総数では、シャンシャンが5,161件、レンレンが4,454件、ヨウヨウが2,886件、マオマオが1,709件と続いている。
だが、私の調べ方が悪いのか、主な報道をみても、どうして「シャンシャン」が「香香」なのか説明がない。普通の日本人が「香香」という漢字だけを見せられれば、「コウコウ」としか読めない。中国語で同じ「シャンシャン(xiangxiang)」の音では、「郷郷」「翔翔」「享享」「相相」などの漢字もある。「シャンシャン」が決まってから、「香香」の漢字が当てられたのか。応募時点で「シャンシャン=香香」だったのであれば、応募者は日本通の中国人か、中国語を学んだことのある日本人ということになる。その数が5000件を超えているのだから、かなり数である。真相はどうなのか。
どうにも説明ができないので、学生に感想を聞くのは躊躇した。せっかくのいい命名なのだから、ぜひ、この疑問を解消したいがどうすればよいか。
かなりうがった見方かもしれないが、この問題には、日中間の文化に関する慣れが潜んでいると感じられる。同じ漢字を使っていることへの甘えがある。古代中国の音にならった日本の漢字音読みも、現代の中国では大きくかけ離れているものが多い。意味がかなりずれてきているものもある。もともと熱い水の意味だった「湯」も、日本では主として風呂になり、中国ではスープになった。
どちらが本物か、本家かは意味のない議論だ。それぞれに背負ってきた文化がある。ただ、似て非なるものだということへの不関心、似ているように見えることへの過剰反応が、深い誤解につながり、不用意な偏見を育てることがある。何の疑問も感じないまま、「シャンシャン=香香」だと発表する記者会見を聞いて記事を書くメディアと、同じように何の疑問も持たずにそれを受け流している大衆がいるのだとしたら、相当、目が曇っているのではないか。少なくとも、「シャンシャン=香香」とすることに違和感のないほど、両国の文化交流が進んでいるとの楽観論には立てないからだ。
こうした認識に立てば、不十分な選考過程の説明によって、我々は、日中双方が音から意味まで、共通のイメージを抱くことのできる「香香(シャンシャン)」の尊さをより深く実感する機会を逃していることになる。同じ漢字を使うことに慣れ、甘えているが、共有している文化の尊さを十分にはわかっていない。私は実にいい命名だと思うのだが、その意義を、説得力をもって伝えられないのがもどかしい。