今日は、自虐的にオジサン批判論を述べたいと思います。
最近、私は“オジサン”の意見に懐疑的になっています。
「空洞化で雇用がなくなる」「アジアの新興国に抜き去られる」
「このままでは日本は沈没だ」と、口々にとんでもないことをいって、
危機意識をあおりまくっています。
そういう私も、昨日まで同じことを口走っていました。
しかし、そんな話ばかり聞いていると、
頭がおかしくなるのではないでしょうか。
そもそも、つい先日まで、「内向きだ」「海外へ出ろ」
「グローバル化に遅れる」といっていたのに、
最近、企業が海外へ出ようとすると、
「産業が空洞化する」「国内に残れないものか」といいます。
では、「空洞化」がそんなに怖いのか。危険なのか。
「空洞化」は、国内的には、つまるところ雇用の問題ですが、
米国が10%近い失業率なのに対し、
日本は、まだ5%にも届いていません。
さらに、二言目には、
「日本はいまや、政治が最大のリスクだ」と
したり顔でいいますが、政治家は、国民が生むものです。
オジサンたちは、まるで、自分は政治に関係ないような
無責任な顔をしていますが、
オジサンだって、国民の一人のはずです。
政治家批判は、天につばするようなものなのです。
私は6年ほど前に、あるサムスンの社員とお酒を飲んでいるとき、
「韓国の最大のリスクは政治リスクだ」というセリフを聞きました。
いま、オジサンたちがいっているセリフとまったく同じです。
ところが、いまや、その韓国は、李明博大統領のもと、
立派な政治主導国家になっています。
日本だって、その可能性があるということです。
オジサンたちの、この強い危機意識はどこからくるのか。
つらつら愚考するに、おそらく、自分たちが高度経済成長を支え、
築き上げてきた、「経済大国日本」の幻想からきているのではないか。
いつまでも大国だと思っている、それにいまも酔っているから、
相対的に落ちていく日本を見るに、しのびないのではないでしょうか。
だから、危機を叫ぶオジサンは、完全に危機中毒症です。
さらに、「あの頃は、夢があった。若者よ夢をもて」といいますが、
一方で、「日本はもうダメだ、若者は危機意識が足らん」といいます。
「夢をもて」と「日本はもうダメ」も、矛盾しています。
だいたい、オジサンたちのいうことは、断るまでもなく無責任です。
未来をつくるのは、オジサンたちではない。若者たちです。
あまり、正義をふりかざさない方がいいのではないか。
かくいう私も、白状するまでもなく、立派なオジサンです。
あまり、正義をふりかざさない方がいいと、
自戒している今日この頃です。