片山修のずだぶくろ Ⅰ

経済ジャーナリスト 片山修のオフィシャルブログ。2009年5月~2014年6月

トヨタ社長、若者のクルマ離れにストップ!

2013-09-27 17:09:58 | トヨタ

アキオトヨダの本音トーク①

昨日、明治大学の駿河台キャンパスリバティタワーで、
「明大生×アキオトヨダのガチトーク、ゆるトーク」
と題した催しがありました。
すこぶる興味深いものがありましたよ。

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主催は、日本自動車工業会。
“大学キャンパス出張授業 ~経営トップが語るクルマの魅力~”
ということで、その第1回目が、
トヨタ社長の豊田章男さん、会場が明治大学だったわけです。
今後、関東、関西の計8つの大学で、富士重、日産、三菱自動車、
マツダ、ホンダ、ダイハツ、スズキの社長、会長など代表者が、
順次講師を務めて“出張授業”を行う予定。

豊田さんは、「若者のクルマ離れ」に強い危機感を抱いています。
昨年5月に自工会会長に就任しましたが、
同10月には、「お台場学園祭」として、学生らを対象に、
自動車メーカートップのトークセッションを開催しました。
当時、このブログでも紹介しましたが、こんな試みは前代未聞でした。
今年は、東京モーターショーの前週にあたる
11月16日、17日に、「お台場モーターフェス」を開催するといいます。
“出張授業”もまた、学生とのコミュニケーションの場です。
ちなみに、“出張授業”参加者には、
アンケートの回答用紙と引き換えに、
東京モーターショーのチケットが配られていました。

今月19日に行われた自工会の記者会見の席上、
豊田さんは、“出張授業”について、次のように話していました。
「若者のクルマ離れは本当なのか、ずっと議論してきました。
今回の“出張事業”も、トップが若者に近づいてみようというもので、
様々な切り口で車の楽しさを感じてもらうためのイベントです。
クルマの楽しさや必要性を感じている世代が、
自信をもってそれを示していきたい」

そして昨日の“出張授業”では、豊田さんは、
司会者と学生3人が待つ檀上に、
トヨタの立ち乗り用のパーソナルモビリティ、「Winglet」に乗って登場しました。
写真の通り、とってもオシャレな出で立ちでした。

ベージュのチノパンに紺のジャケット、赤いニットタイ。
普段の記者会見では見たことのない、メガネと髪型。
おそらく、スタイリストがついたのでしょうな。
語り口も、記者会見のような硬いものではなく、
話したいことを好きに話す、やわらかい口調でした。
スタイルも口調も「学生向け」バージョンというわけですね。

 

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肝心の学生が集まるのか、明大の広報部は心配していたと聞きますが、
1100人入るというホールは、学生たちで満席でしたよ。

豊田さんの社長就任以来のできごとを追ったビデオを見て、
豊田さんが思いを語った後、
学生とのディスカッションが始まりました。
関係者に聞いたところでは、豊田さんたっての希望で、
シナリオや想定問答集はいっさいなし。
シナリオがあったのでは、面白くならない。
自由に思い切って話ができない、というわけです。
これは、よほどの自信がないとできないことですわ。

次回以降、授業の内容を、ここで紹介していきたいと思います。
公式の会見では見せない、
豊田章男さんの素顔や本音が、垣間見られましたな。<o:p></o:p>

 


軽自動車は世界に通用するか

2013-09-26 17:48:35 | 自動車関連

いま、軽自動車の派生車、すなわち“軽+α”が、
東南アジアを中心に、世界で盛りあがりを見せています。
とくに、インドネシアです。
インドネシアの新車市場は、昨年初めて100万台を超えました。
今年も、4年連続過去最高を記録する勢いといいます。

さらに、インドネシアが行っているエコカー普及の取り組み、
「LCGC(ローコストグリーンカー)」政策が、
いよいよ本格的に動き始めます。
日本の自動車メーカーがインドネシアを攻めるには、
まさに絶好のチャンスというわけです。

もともと、軽自動車は日本独自の規格で、海外では通用しません。
したがって、携帯電話の“ガラケー”をもじって、
“ガラ軽”と揶揄されることもありました。
しかし、新興国で、低価格の小型車のニーズがあることに加え、
先進国でも、クルマのダウンサイジングが進みつつあります。
そのなかで、小さく、低燃費で高性能という軽の技術に、
“+α”を加えた“軽+α”は、
海外市場で強力な武器になり得るのです。

例えばスズキは、子会社のマルチ・スズキが
インド市場で4割近いシェアをもちます。
人気車種は、日本でも大ヒットした軽の「ワゴンR」をベースに、
1000㏄エンジンを搭載したインド版「ワゴンR」です。
インドネシアにも、乗用車工場を新設し、今月、生産を開始しました。
やはり「ワゴンR」をベースに1000㏄エンジンを搭載した小型車です。
10月に発売予定です。

ダイハツも、“軽+α”でインドネシアを攻めます。
やはり1000㏄エンジン搭載の5人乗りの「アイラ」を生産し、
今月、発売しました。

日本では、1960年代、国民車構想のもとマイカーブームが起きました。
インドネシアもいま、中間所得層が増加し、
マイカーが、多くの人にとって手の届く夢になりつつあります。
軽は、世界に通用するのか、しないのか。
議論はいろいろありましたが、
いよいよ、それが試される段階に入ったといえるでしょう。<o:p></o:p>

 


京都の奇人、任天堂の山内さんの思い出

2013-09-25 17:52:02 | 社会・経済

任天堂の山内溥さんが亡くなりました。
花札やトランプをつくっていた老舗メーカーを、
世界的なゲームメーカーに育て上げた人物です。
「スーパーマリオブラザーズ」は、あまりにも有名ですね。
生前、何度もインタビューしました。
どこでどう調べたのか、
山内さんにいちばんインタビューしたのが、私だったそうで、
先日、『週刊新潮』から電話がかかってきました。
明日発売の号にコメントが載る予定です。

山内さんは、村田製作所創業者の故村田昭さん、
ローム創業者の佐藤研一郎さんとともに、
「京都の三大奇人」に数えられた人物でした。
お会いすると、ちょっとこわい方でしたね。
メガネの底からギロリと、鋭い目線が光っていました。

インタビューで印象深かったことが、いくつかあります。
一つは、90年ごろのことです。
当時の松下電器が、90年にハリウッドのMCAを買収しました。
それについて意見を求めると、
「ハードの会社が、ソフトメーカーである映画会社を
うまくマネジメントできるわけがない」
と、言下に否定したのが印象に残っています。
結果は、その通りになりましたよね。

もう一つ思い出すのは、任天堂が100周年を迎えたときのことです。
「何か記念行事をされないのですか」と話を向けると、
「99年目と100年目は、何が違うんですか」
といわれました。これには、絶句しましたよね。
非常に合理的な物の考え方の人でした。

それから、一方で、いくらテレビゲームが大ヒットしようと、
「絶対に〝家業〟だった花札やトランプをやめない」
とおっしゃっていたことが印象的です。

山内さんは、大変個性的な経営者でした。
オーナー経営者として思う存分に力を発揮し、
家庭用ゲームの一時代を築き上げたのは、みごとでしたよ。
その家庭用ゲームビジネスは、現在、
インターネットやソーシャルゲームの普及で、
大きな変化の時代を迎えています。

また一人、昭和の経営者が逝ったということですかね。<o:p></o:p>