片山修のずだぶくろ Ⅰ

経済ジャーナリスト 片山修のオフィシャルブログ。2009年5月~2014年6月

続・「安全・安心社会」の落とし穴

2009-09-30 16:40:37 | 社会・経済

昨日の話題の続きです。
28日の日本経済新聞の夕刊に
「あれ 痛くない!?」
という記事が載っていました。
読んでみると、世の中では、
「痛み」の排除が求められているようなんですね。
「安心社会実現」といいますが、これもその一つでしょうか。

例えば、
ぶつかっても痛くない跳び箱
子どもの恐怖心を和らげるために、
中身がスポンジでつくられた跳び箱です。
軽くて痛くないドッジボール、ぶつかると横に開くハードル
長くはいても痛くないパンプス、刺しても痛くない注射針、
吐き気を抑えるため、鼻から挿入する内視鏡、
虫歯治療も痛くないレーザー治療
が開発されています。
鑑賞用のサボテンには
とげのないサボテンがあるそうです。

断るまでもなく、
医療現場や、職場において、
苦痛を排除することは重要
です。
しかし、
教育や生活のすべての場で、
「痛み」を経験する場をなくしても、
何も問題はないのでしょうか。


例えば、「痛み」を我慢したり、「痛み」の恐怖に打ち勝つことで
子どもは、
肉体的にも、精神的にも、成長します
跳び箱でいえば、
ぶつかったら痛いからこそ
子どもは、
挑戦するときに葛藤するのです。
跳び箱に立ち向かうことは、その恐怖に立ち向かうことです。
そして、失敗したら痛いからこそ、うまくとぼうと
努力し、
成功すれば、余計に気持ちいい
のです。

痛みや恐怖を知っているだけ、成功の喜びは大きくなります。
本当の
「喜び」は、
「痛み」を知っているからこそ味わえる
ものでしょう。
だとすれば、「痛み」の排除は、「喜び」の排除にもつながります。
「痛み」も「喜び」も含め、
豊かな感情をもつことのできる社会が、
本当に豊かな社会
といえるのではないでしょか。


「安全・安心社会」の落とし穴

2009-09-29 15:31:58 | 社会・経済

いうまでもありませんが、使用中のアイロンは、
熱くなっているので、
触ればヤケドします。
ご飯を炊いている途中、
炊飯器から噴き出す蒸気は、
当然、
熱くて危険ですから、触ってはいけない。
しかし、われわれは、この「危険」を、いつ、どのように学んだのでしょうか。
アイロンや炊飯器に限らず、ストーブ、炬燵、蚊取り線香など、
幼いころ、熱いものを触って、ときにはヤケドなどしながら、
手痛い経験をしたからこそ、
それが「危険」だと知っているのではないでしょうか。

ところが、26日の読売新聞に、
「やけどしない家電 続々」として、
熱くならないアイロンや、
湯気の出ない炊飯器が紹介されていました。
このアイロンは、まだ商品化されていませんが、
アイロン自体は発熱せず、専用のアイロン台と接する面だけが熱くなり、
アイロン台も、アイロンを離すとファンで冷却されてすぐに冷めます。
炊飯器の場合は、蒸気が外に出てくるまでに、風や水タンクで冷却し、
熱い蒸気は外に噴射されません。
価格は、安全性の分だけ高くなりますが、
幼い子どもがいる家庭でも、「安全・安心」に使えます。
便利なことには、もう、間違いありません。

しかし、家庭や日々の生活のなかから、
危険を排除していくことは、
本当に、「安全・安心」につながるのか
という疑問が湧いてきます。
早い話が、子どもは、熱された金属や蒸気が、熱くて「危険」だと、
どこで学べばいいのでしょう。
アイロンが熱いと学べば、子どもはその知識を応用し、
フライパンや、トースターなどの金属も、同じように熱くなる、というふうに、
危険を察知する能力を身につけていくことは間違いありません。

子どもが怪我をすることを恐れて、危険を遠ざけてばかりいては、
本当の危険が迫ったとき、
それを察知する能力を養うことができません。

思わぬ危険は、どこにでも潜んでいるものです。
それを
察知する能力を身に付けさせることが、
本当の「安全・安心」への道
ではないでしょうか。
あまりにも身近から危険を遠ざけると、
個人のリスクマネジメント、
すなわち“危険察知能力”は衰えるばかり
です。

家のなかを、“無菌室”ならぬ極端な“無危険室”にすれば、
“ひ弱な日本人”を生産することになりかねませんね。
皮肉なことに、それでは、
ますます「安全・安心」から遠ざかるばかりですよね。


続・機械と話す現代人

2009-09-28 17:38:02 | 社会・経済

先日紹介した「ボット」の話題では、
私は、
ロボットと遊びたいとは思わないといいましたが、
ロボットに遊び相手をしてもらうのではなく、
自分の行動を助けてもらうことは、
将来、現実のことになるかもしれません。

そこで、ロボットの話題の続きです。

9月27日、「『脳信号で操作』実用へ前進」と題して、
ロボットの話題が日本経済新聞に載っていました。
頭で念じるだけで機械を操作する技術

「ブレイン・マシン・インターフェイス(BMI)」の話題です。

BMIは、
脳が出す信号だけで、
機械などを操作する技術
のことをいいます。
まず、脳表面にいくつもの電極を並べる。
そして、
脳が発する信号を、
電極を通してコンピュータで読み取ります。

そのうえ、コンピュータの指示で、
音声にしたり、ロボットを遠隔操作したり、
車椅子を運転できるようにしようという研究が行われているのです。
例えば、「ありがとう」と頭で想像すると、それが音声になって出てきたり、
手が届かないところにあるものを、ロボットを遠隔操作して持ってきたり、
車いすに乗っていて、右に曲がるように想像するだけで、
車いすが、実際に右に曲がったりするわけです。
実用化すれば、脳卒中や、病気、高齢などで、
身体が思うように動かせない人の、
コミュニケーションや行動を助けられる、
画期的な技術だといわれています。

もちろん、実用化までには、脳に電極を載せたり、
ロボットを「意思」で動かすことに対する
倫理的な問題もあります。
人間の身体や心の状態に直接関係する、
デリケートな問題
といえます。
ロボットの遠隔操作が、兵器として利用される可能性もあります。
しかし、実用化すれば、身体を思うように動かせない患者さんにとっては、
大いに役立つことは間違いありません。

新しい技術や画期的な道具、ロボットは、次々と開発されます。
つくったからには、
賢く使わなくてはいけません。
「ロボット」を活用し、安全に、平和的に、社会に役立てられるかどうかは、
あくまで「人間」が下す判断に任されています。
体の不自由な人や、高齢者にとっては朗報といえるでしょう。


機械と話す現代人

2009-09-25 17:14:01 | 社会・経済
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917日の産経新聞に、
Bot『ツイッター』から人気上昇」という記事が掲載されていました。
Bot(ボット)」とは、ロボットの略称で、
人間の代わりに、

自動的に作業を行うコンピュータプログラムのことです。
記事によれば、ミニブログサービス
「ツイッター」上で、
人間のような会話をするボットが流行しているそうです。

例えば、「ジンベースでおすすめのカクテルは?」と入力すると、
「ジントニックなんていかがでしょうか」と答えるボットや、
「にんじん、ゴボウ」と入力すると、
「けんちん汁はいかが」などと返答するボットが紹介されています。
極端なケースでは、
人間とコミュニケーションしていると思ったら、
実は、相手はボットだった
ということもあるそうです。
その人は、ずっと、コンピュータのプログラムと会話していたわけです。
ここには、

ネット時代のコミュニケーションの本質的な問題があると思います。

断絶の時代です。
個々人はバラバラになり、
コミュニケーションの機会がなくなります
だからこそ、当然、
コミュニケーションの需要が高まります<o:p></o:p>

そうなると、擬似的な体験でもいいからコミュニケーションしたい……
という人が増えています。<o:p></o:p>

ましてや、
相手がロボットと知らなくて「対話」している人も少なくないでしょう。

ただ、
一概に、擬似的なコミュニケーションが悪いとはいえません
ホテルで使うモーニングコールが、
機械の声で録音されているからといって、
人間の暖かみが感じられないと、怒る人はいません。
同様に、
適切な返答をしてくれるなら、
相手がコンピュータだろうが、生身の人間だろうが、
どっちでもいい
という人もいるでしょう
ロボットだからといって、目くじらを立てても仕方がありません。
それによって、何か被害があるというのであれば別ですが……。
むしろ、大事なのは、
不透明なネットの世界では、
自分の身は、自分で守るしかないということです。<o:p></o:p>

問われるのは自己防衛のスキルではないでしょうかね。
私は、ロボットと遊びたいとは思いませんが、
そういう若い人がいても、
少しも不思議に思いません。<o:p></o:p>


現代における死の探求?

2009-09-24 20:50:48 | 社会・経済
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22日~24日の産経新聞に、
「直葬~消える弔い~」という連載がありました。
「直葬(ちょくそう)」とは、
通夜や告別式などを執り行わない葬儀のスタイル
です。
盛大なセレモニーや、僧侶の読経はなし。
ごく少数の参列者が集まって、火葬と納骨だけを行います。
記事によれば、「直葬」は、
ここ10年間、とくに都市部で急増、
東京の都心部では全体の23に上るといいます。
伝統的なしきたりに従う人は減りました。
みなさん、事前に
葬儀の仕方を自分で決めています

それに合わせて、
多くの葬儀社が「直葬」プランを打ち出したり、
葬祭場が小規模の葬儀場を設けるなど、
新たなビジネスチャンスが生まれています。
また、昨今、遺品整理ビジネス、遺言ビジネスなど、
死をめぐるマーケットが成長しているとききます。
マーケットの成長を支えているのは、
死への関心の高まりではないでしょうか。

考えてみれば、私たちは、
死をめぐる話題には事欠きません
例えば、
散骨・自然葬ブームがあります。
映画では、
おくりびとブーム、
音楽では
千の風になってブームがありました。
最近では、著名人の墓をお参りすることが趣味の
墓マイラーという人たちさえいるそうです。
かたちは違えど、それぞれ死を扱って、人気を集めています。
しかし、なぜ、こんなにも死に関心が向けられるのでしょうか。

背景には、
高齢化社会の到来があると思います。
年金や社会保険の問題など、
将来は、希望よりも不安に充ち満ちています
「老後の不安」=「死の不安」につながっているのは、
いうまでもありません。
高齢化が進めば進むほど、「死への関心」は高まります。

それからもう一つ。
現代では、
生き方の多様化とともに、死に方も多様化してきたのです。
ピンピンコロリかネンネンコロリか、
尊厳死を希望するかどうか……。
私たちは、
「生き方」を選ぶのと同じように
自分らしい「死に方」を自分で選択しなければいけません。
さらに、直葬か家族葬か、はたまた伝統的な葬儀を選ぶのかなど、
死後のこともすべて、自分で決めなければいけません
自己責任です。

まさに、
「人生いろいろ、死に方もいろいろ」
死に方も、死んだ後のことも、
他人は決めてくれません
だからこそ、
私たちは、
死に関心をもたざるをえなくなっているのではないでしょうか。
現代は、重い病気になっても、生命維持装置があって、
簡単には死なせてくれません。
それと同様、生きてるうちに、
葬式のことまで自分で決めておかなければならないとなれば、
そうやすやすとは死ねませんよね。<o:p></o:p>