最近の町の変わりようには驚かされますね。
妙に小洒落た店がやたらと目立ちます。
事務所のある代々木上原でも、
赤提灯は、ほとんど絶滅状態です。
多分、これは団塊世代のサラリーマンの
定年退職と無関係ではないでしょう。
あらゆるものが刷新され、
そこには、猥雑さがなくなってしまいました。
お店だけでなく、町もみんな小奇麗になってしまいましたね。
ヘタすると、ゴミ一つ落ちていない、
じつに衛生的な町です。
クールな町といったらいいんでしょうかね。
それは、東京も地方都市も一緒です。
特色がなくなってしまったんですな。
もはや昭和の面影はなくなってしまいました。
そう思いませんか。
昭和を生きた私の目に、いまの東京は
懐かしさを感じることはできません。
私が昭和の町を懐かしむのは、
昭和の時代に生きたからですね。
昭和は遠くなりにけり、と嘆くこともしばしばです。
私の町の原風景は、都電(市電)が走っていて、
表通りの商店街には豆腐屋、肉屋、八百屋、電器屋、
呉服屋、洋品店などの小商いの店が軒を並べている。
買い物カゴを手に持った、エプロン掛けの主婦が
買い物をしている。
あえていえば、東京・江東区の砂町銀座のような
イメージですかな。
何年か前に取材で訪ねた、豊後高田市は、
昭和の町をテーマに町おこしをしていましたよ。
昭和の町は、もはや観光の対象なんですな。
一度、ブログに書いた記憶がありますが、
永井荷風は、関東大震災で東京から江戸がなくなった
といいましたが、「3・11」を機に、昭和の町は、
いよいよもって、なくなる運命なんでしょうね。
駅弁は百年以上の歴史があります。
日本の文化そのものです。
明治18年、宇都宮駅で竹の皮に包まれた
おにぎりが販売されたのが、
日本で最初の駅弁とされています。
折に入った弁当が販売されたのは、
明治23年、姫路駅です。
若い人は知らないでしょうが、
昔、駅弁は「ベントーッ、ベントーッ」
といって、列車がホームに停車すると
売りにきたものです。
乗客は、「おーい、ベントーッ屋」と呼んで、
窓越しに購入しました。
いつごろからでしょうか。
駅弁屋さんの姿がホームから消えていきました。
窓が開閉できなくなったり、
列車の停車時間が短くなったりしたことで
そうした販売スタイルは、次第に
見られなくなってしまいましたね。
新幹線の開通も大きいと思います。
では、駅弁は廃れていったのかというと、
そうではないんですね。
1966年、東京・新宿の京王百貨店が
「元祖有名駅弁と全国うまいもの大会」
をスタートさせ、以来、駅弁は
百貨店のイベントとして欠かすことの
できない存在感を示すようになります。
西では、阪神百貨店が有名です。
有名駅弁を買うために、開店前から
行列をつくる人があらわれるなど、
駅弁は、百貨店にとって
重要な集客ツールとなりました。
駅弁は最低でも700円。
1000円以上の駅弁も珍しくはなく、
一時は、高すぎるのではないか
といわれたことがあります。
たしかに、コンビニ弁当が298円で
買える時代ですから、
駅弁は安いとはいえません。
割高です。
にもかかわらず、駅弁の人気は
なぜ衰えないのでしょうか。
駅弁がかもし出す風情や郷愁はもちろんですが、
お弁当のご飯がさめてもおいしいというのが
駅弁の魅力なのではないでしょうか。
日本のお米は、外国の米に比べて、
さめてもおいしいという特徴があるそうですが、
それに加えて、駅弁の製造者は、
焚き方や水加減などにさまざまな工夫をしている
といいます。
最近は、スーパーマーケットでも
定期的に駅弁が売られていたりして、
お年寄りが買っていく姿を目にします。
駅弁は、列車内だけでなく、
家庭でも楽しまれているのです。
東京駅改札内1階の中央通路には、
この8月、「駅弁屋 祭」がオープンしました。
常時、150種類の駅弁が並んでいます。
お弁当をその場で調理している、
「ライブキッチン」もあり、
いつでもできたてのお弁当を
買うことができます。
先日、私は、奥羽本線米沢駅の
「牛肉どまん中」を東京駅で買いました。
相変わらず、「牛肉どまん中」は
たいへん、おいしかったですなあ。
駅弁は永遠なりです。
今日は、閑話休題、「駅そば考」です。
いったい、駅そばは、いつから始まったんでしょうかね。
明治30年代に信越本線軽井沢駅で始まったという説、
いや、イカめしで有名な函館本線の森駅が発祥だとか、
いやいや、長万部駅だとか、諸説あるようですな。
ほんとうのところは、わからないようです。
都内では、昭和39年、
品川駅にできた常盤軒が最初のようです。
先日、常盤軒のJR品川駅山手線ホーム店で
名物メニューの「かき揚そば」を食べてきました。
ねぎ、刻みあげ、わかめ、かき揚、削り節がのっています。
まず、蕎麦は昔のようにやわらかすぎず、
それなりにアルデンテでした。
特筆すべきは、かき揚です。
蕎麦にのっているかき揚げは、
通常、やわらかくて、バラバラになって、
汁が混濁してしまう。
でも、ここのは、衣がしっかりしていて、くずれず、
かつギリギリ、サクサク感がありました。
さすが“老舗”、うまかったですな。
相当、腹が減っていたのは事実ですが……。
駅そばといえば、私が思いだすのは上野駅です。
いやはや、上野駅はすごかった。
これは、上野駅に限りませんが、
かつては、ホームに駅そばのある駅では、
かなり鋭く、醤油とダシの臭いが漂っていましたな。
ホームに醤油とダシの臭いがしみついているというか。
ホームだけではないんです。
上野駅の場合、そばの入った発泡スチロールの
おわんを列車内に持ち込む人がいて、
常磐線の車内には、ホーム以上に
より鋭く臭いがたちこめていた。
いやあ、強烈でしたよ。
あれは、風情というより、戦後の臭いといったらいいでしょうか……。
名古屋には、駅そばじゃなく、「駅きしめん」があります。
名古屋出身の私は、JR名古屋駅前新幹線上りホームの
「駅きし」を出張帰りにちょくちょく利用します。
時間が余っていれば、在来線ホームの「駅きし」を
食べにいくこともあります。
新幹線ホームよりも、
在来線の東海道本線のホームの方が
おいしい気がするんです。
理由はわかりません。
それにしても、「駅そば」「駅きし」という発想は、
まさしく、ジャパニーズ・ファスト・フードといっていいでしょう。
イタリアには、「駅スパゲティ」があるのでしょうかね。
あれば、訪ねていって食べたいものですな。
今年の十五夜は、9月30日だそうですよ。
どうですか、湯気のたつ、あったかい、月見そばでも。
駅のホームで……なんてね。
東京新聞夕刊の「『からだ』と『かたち』」という欄では、
現在、「ファッション狂想曲」が連載されています。
1回目の6日は、「『貧者』がかっこいい」というタイトルで、
ファッションの「貧者スタイル」の話が載っていました。
記事は、中国で話題になった、
「イケメンすぎるホームレス」の写真つきです。
写真の人物は、シャツ、セーター、ジャケットを重ね着し、
よれよれのコートを羽織って、
ベルトの代わりに鮮やかなヒモを腰に巻き付け、
無造作ヘアーで、ワイルドな口髭をはやし、たばこを咥えています。
なるほど、現代の若者の好むファッションスタイルに近いのです。
記事は、82年にコム・デ・ギャルソンがパリ・コレクションで発表した
「プア・スタイル」もとりあげ、以下のように書いています。
「このスタイルがどの程度受け入れられるかは、
社会の豊かさの指標となる。
少なくとも、貧者スタイルが『クール』に見えるほど、
いまの中国の若者は豊かになったのだ」
日本でも、いつごろからでしょうか、
穴のあいたジーパンをはいた若者を、よく見かけるようになりました。
終戦直後の日本を見てきた世代にとっては、
穴あきズボンは「恥ずかしい」対象でしかありませんが、
現代の若者には、それがファッショナブルなわけです。
背景には、記事の通り、社会の豊かさがあります。
穴のあいていないジーパンが当たり前に手に入るからこそ、
穴のあいたジーパンが流行るのです。
近頃、ちまたに増えているらしい「草食系男子」も、
背景には豊かさがあると思います。
現代の日本は、安心・安全で、生命が脅かされる危険はまずありません。
ガツガツおカネを儲けなくても、そこそこの暮らしができます。
つまり、肉食動物に食い殺される心配がないから、
草食系が増えるのです。
戦後、日本が「より豊かな暮らし」を目ざして進んできた結果、
たどり着いたのが、穴のあいたジーパンや草食系です。
では、豊かになった社会は、この先、どうなっていくのでしょうか。
いま、若者たちの興味を集めているのが、
「エコ」や「ボランティア」など、社会貢献活動です。
こうした活動は、経済活動と矛盾することもありますが、
これらに興味をもつ若者は、概ね、おカネにあまり固執しません。
若者が、「エコ」や「ボランティア」に興味をもつことは、
ときに、ネガティブな要素の埋め合わせのように語られます。
現代には「精神的な豊かさがないから」とか、
「人と人とのつながりが希薄だから」とかです。
しかし、物質的に豊かな社会に育った世代は、社会貢献によって、
「より豊かに」なろうとしていると思えば、
自然なことではないでしょうか。
若者が社会貢献に興味をもつのは、
物質的に恵まれた社会の、必然のような気がします。
現在、新聞は専門紙も含めて12紙をとっていますが、
そのうち何紙かの新聞小説を愛読しています。
最近でいえば、毎日新聞の、辻原登さんの「許されざる者」、
北方謙三さんの「望郷の道」を読んでいました。
大昔になりますが、確か、日本経済新聞に連載された
渡辺淳一さんの「化身」を読んでいたとき、
海外出張とぶつかり、毎日ファックスで小説部分を送ってもらったこともあります。
現在は、毎日新聞の、林真理子さんの「下流の宴」と、
東京新聞の五木寛之さんの「親鸞」を読んでいます。
なかでも、私は「下流の宴」を、楽しみに読んでいます。
水上みのりさんの挿絵が、また非常に楽しい。
登場人物のイメージをかきたてられます。
「下流の宴」は好評らしく、今日の毎日新聞の文化欄に特集が組まれています。
小説の主人公は、20歳、イケメンの「翔」と、22歳、沖縄の離島出身の「珠緒」。
二人ともアルバイト生活中ですが、育った環境が全く違います。
幸せな結婚を夢みる二人は、現在同棲中なのですが、
二人の結婚をめぐって、それぞれの家族が大騒ぎになる物語です。
翔の家族は、両親が大学を出て就職している、いわゆる中流階級です。
上昇志向の強い母親は、翔にきちんと教育を施してきたと自負しており、
翔の将来に期待をかけていました。しかし、翔は高校を中退。フリーターです。
しかも、歳上で、やはりアルバイト生活の珠緒と、結婚したいといい出します。
翔の家族は結婚に反対します。なんとか二人を別れさせようとあの手、この手です。
翔には姉がいますが、彼女は、大企業に就職し、
将来有望な夫をつかまえるのが目標で、翔の気持ちは理解できません。
女手一つで翔の母親を育てたおばあちゃんも登場し、
「1000万円あげるから、ニューヨークかパリにでも行って生活したら」
と翔を説得にかかりますが、肝心の翔は、
「海外に興味はないし、お金もいらない」と答えます。
一方の珠緒の両親は、珠緒が幼いときに離婚しており、
ともに再婚していて、珠緒には、弟妹が7人います。
沖縄に住む母親は飲み屋を営む「肝っ玉母ちゃん」で、
結婚には賛成しています。
最近、上京してきた弟は、母親違いの別の弟の部屋に転がり込んで、
沖縄料理店でアルバイトを始め、中国人女性と出会ったりしています。
どうでしょう、どこかで聞いたような話ではありませんか?
翔の家族をみると、日本がこれまでに経てきた、
戦後の復興や、高度経済成長期、そして低成長時代の現在と、
それぞれの時代を象徴するようなキャラクターが登場し
一つの家族のなかで、お互いに価値観を共有できずに混乱しているようです。
その状況が、おもしろおかしく、軽妙に描きだされています。
この作品は、いまの日本の、
どこにでもありそうな「一般家庭」の日常を、
じつにリアリティをもって、描きだしていると思います。
その筆のさえはバツグンですね。
タイトルの「下流」という言葉からは、
中流の人間のさらに下、平均以下の生活をイメージします。
しかし、われわれ読者にとっては、
どこにでも転がっている、非常に身近な話題が次々と登場する印象です。
私は、是非この小説を、
自画像として、若い人に読んでもらいたいと思っています。
私は日頃、若い人には新聞小説を読むようにすすめています。
毎日“旬”の現代作家に触れるチャンスだからです。
これほど勉強になることはありません。