片山修のずだぶくろ Ⅰ

経済ジャーナリスト 片山修のオフィシャルブログ。2009年5月~2014年6月

写真家・瀬戸正人さんと語る⑦

2011-11-10 13:59:44 | 対談

⑦ギャラリー<Place M>の「夜の写真学校」

片山 瀬戸さんは、新宿で「夜の写真学校」をされてますね。ちょっと、これについて教えてください。

瀬戸 はい。新宿にある、私がもっている
ギャラリー<Place M>で、毎週土曜日の夜に開いている写真ワークショップのことですね。
いま、年間40人から50人くらいの生徒がいます。

片山 どれくらいの期間で卒業できるんですか。

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瀬戸 これがおもしろくて、参加者は半年ごとに募集して、20名ずつ入ってくるんですが、卒業はないんですよ。在籍は2年間までOKです。一応、個展ができたら卒業です。
授業料は、2年以上はいただきません。
まあ、脱落者もいますが、個展をめざしてやって、それが叶えば、卒業となります。
ただ、一応、卒業なんですが、もっとやりたい人は、たとえばカメラのメーカーがもってるギャラリーなど、国内外で公募展をやったりしますよね。それをめざして、次のステップとしてやる場合もあります。


片山 けっこう、遠方からこられる参加者もいるんでしょ。

瀬戸 はい。九州から、毎週はこれないので、月に一回だけくるって決めていた人もいましたね。きちんと個展やって卒業しました。いまは、夜行バスがありますから、大阪から金曜日の夜の夜行バスに乗ってくる人もいますよ。

片山 はじめてから、どれくらいですか。

瀬戸 いま、11年目です。

片山 その間、何か変わりました?

瀬戸 フィルムから、デジタルに。

片山 そうか。ちょうど変わったときじゃないですか。

瀬戸 そう。おもしろいんですよ。10年前は、ほとんどフィルムでした。途中、だんだんデジタルが増えて、いま、7割デジタル、3割フィルムみたいな感じです。
ところが、どうもこのごろ、若い人たちからちらほら、モノクロとかフィルムで撮りたい。現像もしたい。プリントもしたいという人が、逆にちょっと増えてきたようです。


片山 へーえ。
それで、外に出して「写真撮ってこい」とかやるんですか。


瀬戸 町へ出て、まあ、出なくてもいい、ここでもいい。3時間、写真を撮ってきなさいとか、やるんですよ。

片山 すると、参加者は何を撮ってくるんですか。
だって、いきなりいわれても困りますよね。何を撮ったらいいのか……。

瀬戸 そうですね。だから、テーマを決めてやる人もいますよ。テーマがないと撮れない人もいます。
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片山 そりゃそうですよ。われわれだって、何でもいいから書けっていわれたら書けない。目的地があるから、車だって運転できるわけでしょ。行き先が決まってないのに、運転手さんに「どこでもいいからいって」なんていったら、運転手さん困りますよ。
よっぽど問題意識をもってないと、歩いたって棒にも当たらない。


瀬戸 ははは。確かにそうですね。
たとえば「木を撮ってきなさい」と題を与えたら、撮ってきた写真を見れば、問題意識もわかるし、技術ももちろんわかるし、どんな木を選ぶか、木に対してどんな思いをもっているかまでわかっちゃいますね。


片山 その人の自然観まで分かりますね。
「人間を撮ってきなさい」といえば、その人の人間観がわかっちゃう。
うわぁ、怖いよね、そんなの。それを試されるというのは、大変なことですね。
けっこう鋭い人がいたりするんですか。


瀬戸 やっぱりいますよ。とくに若い子だと、自分でもわかってないのに、結果がいいことがある。感性がいいんでしょうね。じつのところ、聞いてみるとわかってない。でも、非常にゴールに近い。一種のセンスなんですね。

片山 先生も、参加者に試されてるのかもしれないですね。

瀬戸 そうそう。

片山 だから、クリエイティブなことって怖いよな。

瀬戸 文章だって、3行くらい読んだら、だいたいわかるでしょ。

片山 わかる、わかる。書かせて読めば。それは同じだね。

瀬戸 はっとさせられるような写真を撮ってくるのに、本人が気付いていない場合がある。そういうとき、「これ、すごくいいんだよ。君が気付かないとしょうがないだろ」って、よくいうんですよ。
「気付かないと、俺のものにしちゃうぞ、ぱくるぞ」って脅して、繰り返し、繰り返しいうと、気付いてくれたりするんですよね。


片山 そりゃ、指導するのも大変だ。

瀬戸 自分の才能に気付いてない人は、世の中にいっぱいいますよ。他人が指摘してあげればいいんですよね。

つづく

瀬戸正人:1953年 タイ国ウドーンタニ市生まれ。1961年に父の故郷である福島県に移住。森山大道に師事し、1996年、写真展「Living Room, Tokyo 1989-1994」「Silent Mode」で第21回木村伊兵衛写真賞、第8回写真の会賞、2008年日本写真協会年度賞など受賞歴多数。ほかに1999年『トオイと正人』(朝日新聞社刊)で第12回新潮学芸賞受賞など。日本を代表する写真家の一人。最近では、『東日本大震災――写真家17人の視点』(アサヒカメラ特別編集、朝日新聞出版)に、写真を掲載。


写真家・瀬戸正人さんと語る⑥

2011-11-08 14:30:58 | 対談

⑥ムービーが写真にとってかわる!?

片山 でもやっぱり……、「決定的瞬間」の写真ってね、心には残るんじゃないですかね。
キャパのスペイン内戦の写真なんて、あの写真は心に焼き付いていますよね。

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瀬戸 ただ、最近は、戦場カメラマンもムービーを使う人が多いようですね。
ベトナム戦争下で、写真とムービーの両方で撮影されていたシーンの話があります。
写真は、南ベトナムの幹部が捕虜にしたベトコン兵を撃つ瞬間のもの。まさに撃つ瞬間。
一方、そこに別の会社のムービーのカメラマンがいて、その前後の数秒を撮っているんです。


片山 ああ、その写真、知っていますよ。
写真に写っているシーンにいたるまでの、流れがわかるわけですね。


瀬戸 はい。撃つ直前に会話があるんです。南ベトナムの軍幹部は、捕虜に対して、「このやろう」とかいって、つっついたりしているんですよね。そこから、いきなり、「撃つぞ」ともいわないでスッと銃をあげて撃つんです。そして、捕虜が倒れる。
ムービーには、二人の関係性とか、撃たれたシーンの背景、真実が映っているんですよ。
つまり、真実を伝えるという意味では、ムービーの方が優れているかもしれない。


片山 うーん、なるほど。
ただ、あえていうならば、あの写真を見ると、有無をいわさず撃っているんじゃないかということは伝わってくる。その「決定的瞬間」からね。


瀬戸 そうですね。抵抗していませんしね。

片山 縛られている人を、平気で撃つ。それも、無表情で撃てる人間が写っている。
人が人を殺すということ、戦争の真実、むごさ。そういうものは、あの瞬間にすべて語られているような気がしますね。


瀬戸 確かに、瞬間は固定化されますから、イメージが増幅されますね。

片山 だから、見る人の読みとる力次第でしょうかね。

瀬戸 そうなんですよ。

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片山 僕は古い人間だから、どっちかっていうと、そういう一枚から、いろんなものを読みとるっていうのは好きですね。
まあ、どっちが正しいということではない。
文章でいえば、小説と、俳句のようなものかもしれませんね。
映像はストーリーで、俳句は瞬間を切り取った写真に近い。


瀬戸 そうかもしれない。俳句は短いぶん、凝縮されますからね。

つづく

瀬戸正人:1953年 タイ国ウドーンタニ市生まれ。1961年に父の故郷である福島県に移住。森山大道に師事し、1996年、写真展「Living Room, Tokyo 1989-1994」「Silent Mode」で第21回木村伊兵衛写真賞、第8回写真の会賞、2008年日本写真協会年度賞など受賞歴多数。ほかに1999年『トオイと正人』(朝日新聞社刊)で第12回新潮学芸賞受賞など。日本を代表する写真家の一人。最近では、『東日本大震災――写真家17人の視点』(アサヒカメラ特別編集、朝日新聞出版)に、写真を掲載。


写真家・瀬戸正人さんと語る⑤

2011-11-07 16:30:12 | 対談

片山 先ほど、仏像を撮るのに、「決定的な瞬間」はないという話でしたが、プロの写真家が切り取る「瞬間」っていうのは、でも、ありますよね。

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瀬戸 それも、じつは僕、すごく否定的なんです。そんなものない。ないんですよ。

片山 シャッターを押す瞬間は、「決定的」じゃないんですか?

瀬戸 「決定的瞬間」って、みんな、そう思いたいだけであって、次の瞬間でもよかった。写真家は、どこかで「決定的瞬間」があると思いたいんですよ。
ただ、物理的な瞬間ではなくて、自分の気持ちのなかに瞬間はあるかもしれない。「あっ」という瞬間。流れのなかで、人がジャンプした瞬間とかじゃなくて、撮る側の精神的な瞬間。


片山 でもさ、スポーツ写真は違うのかな。対象が決まってるじゃん。そう深刻に悩まず、例えばサッカーで香川がシュートを打った瞬間とか。

瀬戸 そうなると、今度はムービーでいいわけです。
いま、写真のカメラと、ムービーのカメラって、どんどん差が無くなってきている。だから、「ビデオで撮ってしまえ」となるわけです。
サッカーであっても、ムービーのなかの、シュートを打った瞬間の1コマを拡大して新聞に載せちゃえばいい。
すると、「決定的瞬間」は、カメラマンが決めるんじゃない。編集者が決める。


片山 そうか……。

瀬戸 だから、某新聞社では、いま悩ましい問題なんですが、「カメラはもうやめて、ムービーにしな」と、上から注文がついている。動画の方が、一瞬のチャンスを捉えられる可能性が高いからです。
例えば、注目されている犯人が捕まって車から降りた、その一瞬をとらえられるか。写真だと、5人くらいカメラマンを派遣して、それでも、その瞬間を写せるかどうかはわからない。
でも、ムービーをもっていけば、あと2、3人連れていって、ストロボだけあっちこっちからピカピカあててもらえば、光があたったところは浮かびあがって使える。


片山 無駄がない。5人もカメラマンを派遣する必要もないと。Katayama5

瀬戸 そうです。ただ、その場合、「決定的瞬間」が好きな写真部としては、「これでいいのか……」となるわけですよ。

片山 報道写真の場合、「決定的瞬間」といわれると、すぐに思い浮かぶ写真がありますよ。まず、浅沼稲次郎が、演説中に刺された瞬間の写真。それから、ロバート・キャパの「崩れ落ちる兵士」。あと、ベトナム戦争の、親子が泥沼を泳いでる写真。
ピュリツァー賞を撮ってるような写真は、「決定的瞬間」ですよね。
ああいう写真は、ムービーで撮って、ある瞬間の一コマを抜き出したらできるかといったら、できないんでしょ?

瀬戸 できると思う。

片山 ヘェー、できるんですか。

瀬戸 はい。だから、「決定的瞬間」はちょっと置いておいて、「ムービーで映して、あとから選べばいいじゃないか」というのは一つの考え方です。
僕はね、それでいいと思うんですよ。これまで、「決定的瞬間」を神格化しちゃってきただけ。結果がよければ、いまのハイテクを駆使して表現できればいいじゃないですか。


片山 瀬戸さんの考え方は、さすが飛んでいますね。本質をついている。報道写真にアートを求めてもダメだし、その時代の人が「決定的瞬間」に何かを感じるかどうか……ですかね。

つづく

瀬戸正人1953年 タイ国ウドーンタニ市生まれ。1961年に父の故郷である福島県に移住。森山大道に師事し1996年、写真展「Living Room, Tokyo 1989-1994」「Silent Mode」で第21回木村伊兵衛写真賞、第8回写真の会賞、2008年日本写真協会年度賞など受賞歴多数。ほかに1999年『トオイと正人』(朝日新聞社刊)で第12回新潮学芸賞受賞など。日本を代表する写真家の一人。最近では、『東日本大震災――写真家17人の視点』(アサヒカメラ特別編集、朝日新聞出版)に、写真を掲載。


写真家・瀬戸正人さんと語る④

2011-11-04 15:00:14 | 対談

④「写真」は“真実”を“写す”か


片山 最近、デジタルカメラが普及して、撮ったあとに加工ができるじゃないですか。色とか明暗とか。そうすると、それって写真といえるんですか。
そもそも、写真って何なんですか。


瀬戸 僕は、デジタルで撮ろうが、フィルムで撮ろうが、携帯で撮ろうが、写真は写真だと思ってますよ。写真って、「何を見たか」ですから。根源的には。
加工だって、その人の責任で、もちろんしていいと思うんです。加工した結果がよくなかったらダメですよっていうだけで。


片山 でも、素人は、“写真”を加工すると“真実”を“写す”ではないじゃないかと思うんですよ。見たものをそのまま映してないから。それが写真だとすると、写真は「真実を写すもの」ではないということになりますね。

瀬戸 はい。写真は、「真実を写した」つもりでいるけれど、僕は違うと思っています。

あれ、じつは妄想なんですよ。

片山 写真家の妄想ですか。

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瀬戸 そう。一種の妄想。イマジネーション。現実を写真のなかのものにたとえているだけで、じつは妄想なんです。自分が見たと思うものが写真であって、真実を正確に写しているかどうかとは、別の問題なんです。

写真が発明されたのは約180年前ですが、当時はみんな、写真が写した世界は真実だと思っていた。Photograph を、誰かが「写真」っていう日本語にしたことにも問題がありますよ。

片山 うーん。それはね、われわれのジャーナリズムの世界でいうと、「『事実』か『真実』か」という問題があるんですよ。
たとえばね、誰かが人を殺した。これは事実です。じゃあ、なぜ殺したのか。事件の背景、真実は、また違うわけですよ。
人の表情だって、笑ってるのは事実かもしれないけど、本当に笑っているのかと。その笑いは真実なのか。なんで笑ってるのかといったら、もしかしたら悲しすぎて笑っているのかもしれない。真実は笑っていないかもしれない。


瀬戸 そうなんですよ。写真って表面しか写らないから、笑った顔しか写らない。それを“写真”っていっていいのかどうか。
それから、いま、目の前で片山さんが話してる。すごくいい表情だ、なんとかうまく撮りたいと思ってシャッターをきりますね。撮った写真が、どうも違うんですよ。そういうことがあるんです。
つまり、写真は、決して現実をそのままコピーした、現実と合致するものではないということを、僕はいつも思ってるんですよ。
それをわかって見てるとね、写真はよくわかることが多いんです。


片山 というのは。

瀬戸 ようするに、真実と写真は違うんです。いま見えている風景を絵に描いたら、みんなこれは「真実」ではなくて「絵」だと判断する。「写真」もじつは「絵」と同じなんだけど、カメラはリアルに写っちゃうので、まるで「真実」のように錯覚するんです。

片山 わかった。たとえば自分の写真を自分で撮ったとき、自分をそのまま写していないの、わかりますよね。自画像を絵で描いても。

瀬戸 必ずゆがみます。写真にも、そのゆがみが。
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片山 どこかにあるんだ。

瀬戸 見たところはないかもしれないけど、それはたぶん、撮った人の心の問題や気分がゆがみとしてあるんです。

片山 たとえばアメデオ・モジリアーニの描いた人の顔が、なぜみんなあんなに長いのか。顔の長い人を探して描いているわけではない。おそらく、彼の心のなかでは、顔ってああいうふうに長いものなんでしょ。

瀬戸 はっはっは。そういうことです。

つづく

瀬戸正人1953年 タイ国ウドーンタニ市生まれ。1961年に父の故郷である福島県に移住。森山大道に師事し1996年、写真展「Living Room, Tokyo 1989-1994」「Silent Mode」で第21回木村伊兵衛写真賞、第8回写真の会賞、2008年日本写真協会年度賞など受賞歴多数。ほかに1999年『トオイと正人』(朝日新聞社刊)で第12回新潮学芸賞受賞など。日本を代表する写真家の一人。最近では、『東日本大震災――写真家17人の視点』(アサヒカメラ特別編集、朝日新聞出版)に、写真を掲載。


写真家・瀬戸正人さんと語る③

2011-11-02 15:59:35 | 対談

③写真家の2つの系譜

片山 2007年に、瀬戸さんは「アサヒカメラ」で「薬師寺」の仏像を撮られましたね。
僕なんか、奈良の薬師寺といえば、土門拳さんと入江泰吉さんを思いだすわけですよ。彼らの写真を見る限り、仏像って尊くて、ありがたくて、慈悲深い表情をしているイメージ。
ところが、瀬戸さんが撮ると、じつに生々しい仏さんになりますね。

瀬戸 僕、仏像はエロティックだと思ってるから。

片山 ふふふ。僕は、タイ生まれの瀬戸さんのルーツにも関わってるんじゃないかと思うんだけど、東南アジアの仏像みたいになっちゃう。

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瀬戸 実際、奈良の古いものは中国を通してきてますから、東南アジアの仏像です。

片山 あの仏像は、でも、瀬戸さんじゃないと撮れないと思いますね。僕も日本に毒されてるというか、日本の風土の中でエロティック性が消えていったというか、薬師寺の仏像の前では思わず手を合わせたくなるけど、瀬戸さんの撮った仏像は、仏さんがもっと人間的に見える。

瀬戸 そうですね。薬師寺の方には、「これでいいですか」ってお見せして載せてるんですよ。お寺の人って柔軟ですね。「おもしろいね」ってみんなOKくれましたよ。

片山 日本人の感覚の仏像を、平気でパーンと飛躍して、あんな風にエロティックに撮れる。それが信じられないですね。
ポートレートもそうなんでしょうかね。たとえば、ポートレートの名人だといわれている木村伊兵衛の、川端康成、谷崎潤一郎らの写真がありますね。それらはだいたい、彼らの作品から想像される作家像になっている。
でも、あまりにもイメージに合い過ぎてませんか。

瀬戸 そうですね。これは疑わしいと思います。写真家がつくりあげた部分もありますよ。

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片山 谷崎潤一郎は、なるほどこういう傲慢な顔をしているだろうと。志賀直哉はああいう端正な顔をしていただろうと。でも、瀬戸さんならそれを崩すんじゃないですか。

瀬戸 ポートレートは、写真家と被写体との出合いが、そこで成立することがありますよね。たとえば、いろんな人が三島由紀夫を撮ってますけど、やっぱり細江英公さんのがいちばんいい。あんな、裸にしてね、ふんどしして、赤いバラくわえて。

片山 そう。寝ころばせて、いんちきっぽい西洋風のうちで。ものすごい、これしかないっていう三島由紀夫。
僕は、土門拳、濱谷浩、荒木経惟、篠山紀信、加納典明、みんな同時代を生き、折に触れ彼らの写真を見てきました。当時はかなり刺激を受け、びっくりもしたけれど、いま見ると、ある程度は想定内だと思います。突飛じゃない。なんというか、古典を見るような……。
だけど瀬戸さんは、いまの時代を生きてらっしゃるから、写真が生きている。
森山大道とアラーキーは別。あれは、俺たちが生きてた新宿、飲み歩いてた新宿に近いと思う。いまも何かを感じさせる。
それから、細江英公さんとも、一緒にアメリカに取材旅行にいったことがあるけど、細江さんの写真も予定調和ではない感じがしますね。
うーん、やはり、細江、森山、瀬戸と続く系譜を感じますな。

瀬戸 僕、思うんですけど、写真を2つに分けるとしたら、たとえば土門拳さんたちの系譜は写真を神格化する。「決定的瞬間」とかいったりする。
もう一つは、そのそのウソをばらす系譜に分けられると思う。


片山 なるほど。わかる。つまり、かなり屈折した形で世の中のアンチテーゼを打ちだしているのかな。細江さんは?。

瀬戸 細江さんも、ばらす系譜かもしれない。

片山 そうか、そうか。僕はね、土門拳が仏像を撮るのに、シャッターを切る「決定的瞬間」があるといわれて、真面目だから、一生懸命考えた。つまり、神秘的瞬間があるのかと。だって、仏像は仏像でしょ?表情は変わらないじゃん。空気が変わるの?って、思ってたわけ。「決定的瞬間」にシャッターを切るって、仏像の「決定的瞬間」は、いつなのか。

瀬戸 準備ができたら、いつでも撮っていいでしょう。

片山 はっはっは。報道写真なら、「決定的瞬間」はわかりますけどね。そのウソをばらして、崩して、もうパチパチ撮りまくったのがアラーキーかもしれないですね。

瀬戸 「決定的瞬間」はないぞと。すべてが写真だと。

つづく

瀬戸正人1953年 タイ国ウドーンタニ市生まれ。1961年に父の故郷である福島県に移住。森山大道に師事し1996年、写真展「Living Room, Tokyo 1989-1994」「Silent Mode」で第21回木村伊兵衛写真賞、第8回写真の会賞、2008年日本写真協会年度賞など受賞歴多数。ほかに1999年『トオイと正人』(朝日新聞社刊)で第12回新潮学芸賞受賞など。日本を代表する写真家の一人。最近では、『東日本大震災――写真家17人の視点』(アサヒカメラ特別編集、朝日新聞出版)に、写真を掲載。