男たるものは、馴染みのスナックの一軒や二軒を、
持っていないと一人前ではない。
そうでないと、リタイアしたとき、
行き場所がなくなって困るともいいます。
そのせいかどうか、居酒屋ブームです。
BSTVや、本の世界でも“居酒屋本”が結構出ています。
不景気だから居酒屋が流行るのでしょうか。
いや、世の中に居酒屋の存在意識が、
多分、あるからではないでしょうかね。
1日の朝日新聞に、「スナックふれあい」という記事が載っていました。
釜石にあるスナック「999」のママ、久保節子さんと、
編集者の都築響一さん、漫才師の玉袋筋太郎さんが、
それぞれ「スナック」の話をしています。
日常の風景のなかにあるスナックですが、あらためて、
居酒屋とは、いったい何なのか、考えさせられました。
スナックや赤提灯などの居酒屋は、繁華街にもあれば、住宅街にもあり、
都心にもあれば、地方の寂れた商店街にもあります。
つまり、日本全国、津々浦々にある。
しかも、チェーン店の居酒屋と違い、同じ店は一つもありません。
一方、ママやマスターがいて、カウンターと小さなテーブルがあって、
カラオケがあったりして、たいてい、常連客がいる。
なかで交わされる会話は、演歌や歌謡曲に近い。
それはどの店も変わりません。
客層は、サラリーマンはもちろん、
近頃は、引退した年配の夫婦の客も見受けます。
記事によれば、久保さんは、
津波で冷蔵庫や製氷機などが壊れたものの、
8月11日に、もとの場所でスナックを再開したそうです。
「親や奥さん、旦那さんに言えねえ悩みや悪口も、
でも誰にも言わねより、ここで言ったほうがいい。
ここが家族の足りないところを補って、
家族がうまくいくのがいい」と語ります。
都築さんは、スナックは、「肩書き忘れられる別の『家』」として、
「どの国にも、それぞれそういう居場所があります。
フランスならカフェ、イギリスならパブ、
アメリカならバー。日本ではそれがスナックなんです」という。
玉袋さんは、「スナックは今、
日本の地域社会のコミュニティーを担ってる」といいます。
スナックや赤提灯に限らず、
居酒屋を論じるなら、居酒屋評論家ともいわれる池内紀さんの、
『今夜もひとり居酒屋』(中公新書)があります。
池内さんは、「あとがき」のなかで「ひしめき合った飲み屋街に、
自分のなじみの店をもつのは人生のたのしみ」と書いています。
赤提灯やスナック論は、人それぞれ違うでしょう。
サラリーマンの息抜きの場であり、一種の地域コミュニティーでもある。
断絶の時代、個人や家庭が、社会から孤立するなかで、
いつも温かく迎えてくれる場所であるのは、間違いないでしょう。
日本経済再生に奔走するサラリーマン、
また、老後の平凡な毎日をやり過ごす夫婦、
子育てに毎日あわただしい主婦などが、
それぞれが、明日を頑張るためのエネルギーチャージする、
“気力増幅装置”のようなものかもしれませんな。