渋谷区代々木上原の事務所の近所に、一軒の古本屋があります。
ちょっとこだわった古本屋なので、雑誌にもよく紹介されます。
建築雑誌が揃っていたり、
村上春樹をはじめ、赤瀬川源平、谷川俊太郎、幸田文など、
個性的な作家の作品が並べてあったりして、
ときどき立ち寄るのが楽しみな古本屋です。
今日も、昼食に出たついでにふらりと寄って何冊かを購入してきました。
以前にも書いた通り、私は中学校時代から古本屋好きです。
名古屋の実家周辺には、わりと古本屋が多く、
それぞれ個性的な店主がいて、それぞれの店に置いてある本に特徴がありました。
古本屋に入ると、私はなぜか心がほのぼのとしてきます。
落ち着くのです。
古本屋には、思いがけない出合いがたくさんあります。
気になっていたけれど、もう本屋の棚からは消えた本を、ふと見つけたり、
ずっと探していた本を、偶然、見つけることもあります。
また、古本屋で買った本は、想像力を喚起します。
きれいに読まれた本は、「大切に読まれていたんだな」と、そっと開きます。
同じきれいな本でも、買ったきり読まれないまま、
売られたのではないかと思うものもあります。
自分が、この本の最初の読者かもしれないと思うと、新鮮な気持ちになります。
薄汚れた本にも、味があります。
誰に買われ、どういう経緯をたどってその古本屋に並び、自分の手元に届いたのか。
それぞれの本に、ストーリーがあります。
古本を手にとって、イメージを膨らませる時間は、
まあ、秋の読書の前にふさわしい、楽しい時間ですね。
最近、電子書籍が評判です。私も購入を検討中です。
ただ、電子化が進めば、アナログとデジタルの共存は可能とはいえ、
どうしても、本屋や古本屋は、すたれていく運命にあると思います。
それを思うと、非常に寂しい気分になるのです。
ただ、先日、普通の本屋で、
横尾忠則さんの『ツイッター、その 雑念のごみ箱』を購入しました。
横尾さんのツイッターのツイートを、
時系列に並べて、一冊の本にまとめたものです。
読めば、なかなか、横尾さんの芸術論になっていておもしろい。
新しい本のつくり方ではないでしょうか。事務所のスタッフは、
「ツイッターの画面上で、全部無料で読めますよ」といいますが、
そういう問題ではないのです。
画面上で、ぽつりぽつりとつぶやかれるツイートを、
その都度、読み飛ばしていくことと、
一冊の本としてまとめられたものを、
味わいながら読むことは、まったく別です。
紙の本には、デジタルにはない、モノとしてのストーリーが宿ります。
本と、デジタルメディアの共存の可能性は、
広がっていると思いますが、しかし、書籍の電子化が進めば当然、
町の古本屋が少なくなることはあっても、多くなることはないでしょう。
感傷的だといわれようが、残念といわざるを得ませんね。